利用者:巽光太郎
告発を兼ねて注意喚起。日本語版Wikipediaの実態は糞です。コメント依頼や投稿ブロック依頼に参加してWikipediaの実態に失望した。こういった実態は標準名前空間(要は普通の記事)を見るだけだと気づけないので、初心者への注意喚起を兼ねて。
最初はWikipediaというのは民主的なコミュニティによって運営されているのかと思っていましたが、コメント依頼や投稿ブロック依頼に関わって、実態は共産主義的で人治主義・情治主義的なコミュニティだったと気付かされた。方針・ガイドラインなどはあるようで、実際には特定の人物をターゲットにいじめるため、都合良く無視されたり拡大解釈され、「なんかこいつムカつくからブロックしちゃえ」的なノリで、適当にやっているようです。まあ、冷静に見てみればWikipediaの方針・ガイドラインなど矛盾だらけで、ルールなどあってないようなもの。1984年の二重思考そのものではないですか。
投稿ブロック制度にしても、裁判ごっこのレベルにも達していない文字通りの「人民裁判」「人民法廷」であり、司法試験どころか法律の勉強もしたこともない人間が裁判官を気取って、「こいつムカつくから死刑!」とばかりに情治的な私刑行為を行っているように見えます。
コメント依頼にしても、投稿ブロック依頼にしても、いくら事実関係を説明しても、
・方針に基づいた注意・指摘→「個人攻撃だっ!」 ・ろくに事実関係を把握しない人への丁寧な説明→「長文の反論!迷惑!」
といった感じで、特定の人物を集団で追い詰め悪者に仕立て上げる卑劣な話法の数々には驚愕しました。コメント依頼にしても、実態は共産主義者の組織が行う自己批判、北朝鮮における生活総和の類であり、非常に不気味な儀式のように思えました。1984年の「愛情省」を実体験したかのようです。
投稿ブロック制度は、連合赤軍の山岳ベース事件のようなものであり、総括とは、まさにこのような感じなのでしょう。というか「騙された」というのが正直な感想です。最初から書いておいて欲しかったですね。日本語版Wikipediaはろくに記事も書いていない癖に、三大方針も無視した低質な編集を繰り返しながら、コメント依頼やブロック依頼に入り浸っている少数の管理者気取りがやりたい放題やっている人治主義の閉鎖的なコミュニティだと。Wikipediaなんて記事を書く人間がいるからかろうじて価値を保てるサイトなのに、記事を書いている人間より、中途半端な管理作業ばっかりやってる連中にやりたい放題やらせるんですから。
第一、信頼できる出典を引っ張ってきて、記事を加筆することは面倒で足を使う必要もあれば時間もかかる。それが片手間で済ませられるリンクやカテゴリの付け替えで編集回数を水増ししてベテラン気取って、コメント依頼やブロック依頼に入り浸っている連中に生殺与奪を握られるんだからたまったもんじゃない。無出典どころか機械翻訳の結果をそのままぶち込んでた奴もいましたよ。そんな連中に偉そうに説教されるんだから、馬鹿馬鹿しくてやってられない。日本語版Wikipediaで記事を書く人間が少なくて困ってるって話聞きましたけど、そりゃそうですよね。実態はこれなんですから、まじめに記事を書く人はみんな呆れていなくなってしまいますよ。
まあ、Wikipedia財団本体の監視が行き届いていない日本語版Wikipediaの閉鎖的な運営の実態はかなり問題視されているようですし、中国語版・クロアチア語版のようにメスが入ってまとめて追放されることを願いましょう。これからはWikipediaの外部でこの問題の啓発活動に積極的に関わろうと考えております。日本語版Wikipediaの実態が知れ渡れば私のような被害者も減るでしょうし、いろいろとその方面で活動されている方とも連携しようと思います。
例えば、佐藤由美子さんはすでに日本語版Wikipediaの偏向的な編集者の問題に、本国のWikipedia財団と連携して取り組んでいらっしゃるそうです(リンクをご覧ください)[1]。もっとも、私は保守主義者なので「歴史修正主義」よりも、日本語版Wikipediaで投稿ブロック制度が一部の編集者によって恣意的に運用され、私物化されている現状を問題視したいのですが。こういった問題は4chanといった海外のコミュニティサイトでも問題になり、4chanの偏向したモデレーターの問題がWIREDなどで報じられる例もありましたね[2]。
というか、本当は日本語版Wikipediaは問題ばかりだと気付いてますよね?でも、それを指摘すると「コミュニティへの侮辱だ!」「Wikipediaを馬鹿にしているのか!追放!」となってしまうので誰も指摘できない。だから指摘してあげますよ。王様は裸だって。
あと、まさかとは思いますけど、日本語版Wikipediaに統一教会の関係者とか入り込んでいませんか?正直、自分が何の方針に違反しているかもよくわからないですし、結局そういった線も疑わざるを得ない。
自警からすれば私は「コミュニティを消耗させる利用者」だそうだが、こんなのいくらでも恣意的に解釈できるわ。共産主義国の「反革命罪」と何が違う?
巽光太郎の編集に興味を持った方へのご挨拶
はじめまして、このページを通じて日本語版Wikipediaの重大な問題を知っていただければと思います。
私への投稿ブロック依頼が依頼が提出されました。いわゆる「自警」ユーザーのタブーを犯してしまったためです。また、私の編集が気に食わない人間が共謀して、投稿ブロックを試みているようです。
再度、「自警」ユーザーの問題を提起したいと考えます。私への投稿ブロック依頼に参加しておられる方は、ほとんどが標準名前空間の加筆編集が少なく、管理者でもないのに、管理作業ばかりに専念されておられる方です。
こういった編集者を問題視する声は過去もありましたが、一部の「自警」ユーザーが投稿ブロック依頼制度を私物化して、方針・ガイドラインを完全に無視して、なんとなく気に入らない編集者を追放しているのが、今のWikipediaの現状のようです。
特にWikipedia:中立的な観点・Wikipedia:検証可能性・Wikipedia:独自研究は載せないの三大方針は相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではなく、絶対なのですが、いわゆる「自警」はこれを軽視する傾向があり、投稿ブロック制度を悪用しているようです。
こういった指摘は過去にもありました。「Wikipedia:井戸端/subj/管理行為のみ行う利用者を「目的外利用者」と断じることは妥当なのか?」では、自警ユーザーの問題点が多くの方から指摘されております。
ろくに記事を書いたことの無い人間が(この場合今現在書いているかは問題では無い)、記事について、或いは方針の解釈や削除の妥当性などについて正しい判断が行えるのか?と言う点は、甚だ疑問と思います。「現場を知らない」って奴ですね。そういう方は同じキャリアを持つ人より相当に精度が劣ると考えるのが自然である、と見なします。そして低品質の管理行為は時として非常に迷惑です。IP利用者の議論参加権や、新規利用者が各種投票権や動議提出権、半保護ページの編集権を得るためのハードルがあまりにも低い事を含め、一度考え直してみるべきかもしれませんね。 — Hmanさん - 2014年9月13日 (土) 01:32 (UTC)
編集経験が少ないひとはWikipediaへの理解そのものが不十分で議論してて疲れるというのも間違いなくあります。 そういう人は自分の属するコミュニティの価値観や自分の感覚でものをいうので大変です。そういう人はガイドラインを読んでもピンと来ず、自分に都合のよいように解釈してしまいます — Littlefoxさん
やはり削除依頼やブロック依頼といった記事や編集者を殺せる武器を使う利用者は攻撃者であり、警戒されて当然でしょう。ましてや編集活動をしていない利用者は外聞を恐れず、争議を乱発しても失うものがない。 私もCU依頼だのブロック依頼だのを出されることはあります。いまはコミュニティの良識が信頼できるので、不当なブロック依頼はまず通らないと信じることができます。しかし今後ブロック依頼専用アカウントみたいな人が増えたらその信頼も揺らいでしまうかもしれません。活動歴がほとんど無いアカウントでも一票は一票なので不安材料です。 — Littlefoxさん
削除依頼でもブロック依頼ででもですが、「活動歴がほとんど無いアカウントでも一票は一票」と言う現状は末恐ろしいお話でございますね — Hmanさん
Littlefoxさんご指摘の最初の一文(やはり削除依頼~警戒されて当然でしょう。)は某巨大掲示板では「自警」と言われているようです。WP:ANに頻繁に顔を出すような人の多く(特に対処を急かすユーザー)は記事もろくに書かずに管理系を中心に活動する傾向が強いようです。記事を書かないならWP:ANで「誰々をブロックしろ」「早急に対処しろ」なんて言う資格はないと思います。 — YBK75さん
執筆を通じて「執筆者」としてのセンスを磨いていない利用者については、経験則的に警戒せざるを得ませんし、問題を起こしたものにだけ対処するのでは不利益が無視できません。 このような利用者が日本語版で跋扈する原因の一つには、各種の議論参加・意志決定への参加に対して求められる基準があまりに低い、もしくは存在しないことに原因があると考えます。 — Open-boxさん
どうも私はパンドラの箱を開けてしまったようです。私に対して投稿ブロック依頼が提出されましたが、おそらく、この投稿ブロック依頼の参加者は自警ユーザーを問題視する私のコメント「メリースさんは過去にも対話させていただきましたが、少し違和感を感じました。あなたは標準名前空間への加筆が極めて少なく、削除依頼やノートでの活動がメインでおられるようで、標準名前空間でも大半はリンクの修正など軽微なものにとどまっています。過去にそのような使い方について議論がありましたが、そのような使い方にも疑問を呈したいと考えております」[3]等の私の指摘に逆上しておられるのでしょう。
これからも別の編集者が「自警ユーザーの問題点」を指摘しようものなら、たちまち今の私のように逆上した自警ユーザーの袋叩きに遭い、「個人攻撃」をでっち上げられ(そもそも、方針に違反する編集を指摘することは個人攻撃に当たりません)、「いつまでも納得しない」編集者に仕立て上げれてしまうことでしょう。
Wikipediaは多数決ではないと書かれていますが、実態は違うのでしょうか?仮に私がブロックされたとしても、自警ユーザーが蔓延る今のWikipedia運営の重大な問題提起には役に立つでしょうし、Wikipediaの改善を訴える良い試金石になるでしょうし、「殉教」あるいは「殉職」することもやぶさかではありません。