ジャニーズの熱いファンともなれば。合宿所の存在は極めて大きいものだろう。そこに憧れのタレント達がいると思えばそれは玄関前に陣取って今か今かと待ちわびる気持ちも今となっては良く分かる。そこで今日は、決して皆さんが中に入ることが許されなかった合宿所の内部を語ってみたいと思う。

ご存知だとは思うが、私の言っている合宿所とは当時のものであり、現在はかなり前に転居したと聞いている。今現在、何処に誰が住んでいるのかは残念ながらまったく知らない。なので、最近の若いファンにとってはあまり興味のない話になるかもしれないが、昔はこうだったんだ、とそう思って読んでいただきたい。また、近隣住民への配慮も考えなければいけないので、転居したとはいえ具体的な場所をお伝えできないことをご承知置き願いたい。

その合宿所は、原宿駅から歩いて行ける範囲にあった、当時としては大きいマンションの6階にあった。ちなみに、その6階すべてが合宿所の敷地である。玄関は普通の自動ドアで暗証番号などはなかったが、その代わり常駐の警備員室があり、その警備員の許可がなければ入館が出来ない仕組みになっていた。また、ジュニアになったからといっていきなり誰でもが入れてもらえるわけでもなかった。ジャニーさんから声がかからないと、つまり許可が出なければジュニアと言えども中に入ることは許されないのである。

だから、合宿所に行ける、と言うのはジュニアの中でのステータスの中のひとつでもあった。また、はじめのうちはジャニーさんから許可があっても警備員はもちろん自分の顔など知らない。それ故身分の確認を警備員が取ってから初めて入館が認められるのである。もちろん、それも何度も通えるようになればさすがに警備員も顔と名前を覚えてくれる。そうなると所謂「顔パス」へと昇格する。無論、こうなるのもステータスのひとつであることは言うまでもない。

私が初めて合宿所に招かれた時は驚きの連続だった。まずいきなり驚いたのは、緊張してエレベーターに乗り、6階を押して待っていると、扉が開いたそこにはなんとドアが1つしかないのである。普通、マンションのエレベーターを登ったら廊下があって各部屋のドアがあって…というイメージを持つはずだ。ところが、ドアの開いた空間は車一台も置けないほどのスペースしかなく、ドアは合宿所と思われるもの1枚と、確か非常階段用に1枚の2枚しかドアがないのである。廊下なんてまるでない。恐る恐るベルを鳴らすと、誰かジュニアの子がドアを開けてくれた。

広い。とにかく広い。普通なら4~5件はあろうかと言うスペースが、すべてこの合宿所1件のために作られていたのだ。玄関を入るとまっすぐに長い廊下がある。それをはさんで様々に部屋があった。廊下は突き当たると左に曲がっている。玄関先から順に追っていくと、右から、まずはダイニングキッチン、その外に屋外プール、ダイニングに隣接して少年隊3人の部屋、風呂場、マッチの部屋と続いて右側は終わる。左側は、少なくともそこらの2DKのフロアすべて合わせても追いつかないくらいの馬鹿でかい広間があった。そこにはフィルム製で出来ている横に数人並んでレッスンできるほどの巨大な鏡が合った。また、10人は余裕で座れそうな本皮張りのくねったソファも置かれてあった。基本的なみんなの溜まり場はここである。

その隣は川崎麻世さんの部屋、その次にジュニアのみんなが泊まりに来た時などに使う16畳ほどの部屋があり、そこと繋がるようにしてジャニーさんの部屋があった。また、そこにはもうひとつのユニットバス(大きいですが)があった。意外に思うかもしれないが、一番狭いのがこのジャニーさんの部屋で、6畳ほどもあったかなかったか位の程度の細い部屋であった。ここまでが左半分である。そして残った廊下を左に曲がった部屋に、トシちゃんの部屋があった。ちなみに、私と同年代かそれ以上の方々は、「TOSHI LOVE FOREVER」という題名のドキュメンタリー映画が何か他のたのきん映画と同時上映で公開されていたのを覚えていらっしゃるだろうか。ぼんやりとだがこれには私も映っていたのでビデオ(ビデオ化されていました。でもベータです。VHSがあるかどうかはわかりません)を今でも持っているが、あの映画には田原俊彦のプライベートをつづる場面で実際の合宿所が使われている。まったくセットではなく、入浴シーンで使われたシャワールームもトシちゃんの部屋とされていた部屋も鏡の前でダンスを踊っていた大広間も全部すべて本物なのである。

合宿所のエピソードとして面白い話がある。ジャニーさんが言っていただけで本当かどうか知らないが、8階に矢沢永吉が、5階に永谷園の社長が住んでいたというのである。そこでよく問題になったのが、実はあれで案外床が響くらしく、バタバタ遊んでいようものならジャニーさんが「コラーッ!ユー達もう入れてやらないよっ!」と、しょっちゅうみんなを怒っていた。そうはいっても若い少年の集まりだからなかなか「はいそうですか」とはいかない。そのあたりのやり取りは傍から見てても面白かった。ただ、下からしょっちゅう苦情が来ていたと言っていたから、ジャニーさんも手を焼いていたのだろう。

と、そんな中で私的にはすごいものを見た、という印象の出来事なのだが、それだけ床にはうるさい合宿所で、ある日マッチが錦織君に、
「お前ソフトやってみろよ」
と言ったのである。私はそのときソフトの意味を知らなかったので何をやるのかなあ、と見ていたらいきなり錦織君がバック転をその場でやりだしたのだ。小走りするだけでもうるさく言われるのにバック転とは!これもマッチのいたずらかと思いきや、
「スッ…」
と、殆どまったくと言っていいほど音もなく着地までしてのけたのである。こんなことができるのか、と、改めて彼のすごさを目の当たりにさせられた。ちなみにマッチはその後何回もやらせ、最後には「もうかんべんしてください!」と泣きが入ったのを覚えている。ただのバック転と違い、体に負担が大きいらしい。あれはテレビでは伝わらないだろうから、皆さんには悪いがちょっと得した気分である。

ちなみに、先ほどトシちゃんのドキュメンタリーで大広間で踊りの練習をしているシーンがあった、と書いたが、実際あんなことやったらそれこそジャニーさんに大目玉である。さぞかしその日の5階の住人はうるさかったろうなあ、と変な視点で映画を見た私だった。

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