ゲームにハマった経験はあるだろうか?“寝食を忘れゲームに没頭する”そんな経験をした人も多いかもしれない。1983年に発売されるなり全世界で6000万台を売り上げ、大ブームを巻き起こした任天堂「ファミリーコンピュータ」、通称ファミコン。名だたるヒットゲームの中には、あの「ファイナルファンタジー」も名を連ねる。ゲーム画面を彩るのは、無数の正方形の集合体で描かれる「ドット絵」。主人公や敵キャラクター、背景にいたるまでがドットで描かれる世界は、今なお世界中のファンの心を掴んで離さない。

そんなファイナルファンタジー(以下:FF)の初代からドット絵を描き続け、今や35年以上ゲーム業界の第一線で活躍しているクリエイターがいる。株式会社スクウェア・エニックスの、渋谷員子(かずこ)さんだ。世の中に愛されるクリエイティブを生み出し続ける渋谷さんの情熱やキャリア論について、じっくりとお話を伺った。


「ファイナルファンタジーで人生変わりました」 今、届く声に感じる幸せ

画像: 「ファイナルファンタジーで人生変わりました」 今、届く声に感じる幸せ
ーークリエイターとして長年第一線でご活躍され、今では“匠”と呼ばれている渋谷さん。自らが生み出したドット絵が世界中の人々に影響を与えているというのは、どんな感覚なのでしょうか?

渋谷:「神って呼ばれる人生は、どんな感じですか?」とたまに聞かれますね(笑)。でも実は、ファンのみなさんからの声が私に届き始めたのはここ5年くらいのことなんです。

それこそFFのドット絵を描いていたファミコン時代には、「何百万個売れました」「海外でもこのくらい売れています」といった “販売数”でしか、ユーザーの反応がわかりませんでした。たまにファンレターをいただくことはありましたし、30年以上前のおたよりを今もずっと大切に持っていますけど……。でも本当に、ごく少数でした。

ここ数年で、SNSを通じて直接メッセージをいただくことが格段に増えたんです。それはまるで、「何十年も待ったラブレターの返事が、やっと届いた!」といった感覚ですね。

私がサイン会や講演など、表に立つことが増えてきたのもひとつのきっかけかもしれません。直接お会いしていただく感想がまた壮大で。「ファイナルファンタジーのおかげで、人生変わりました」「ドット絵が本当に可愛くて、小さなキャラクターが演技しているのを見て泣きました」「子どもの頃あなたのドット絵から多大なインスピレーションを受けて、今デザインの仕事をしています」って……。こちらがびっくりしてしまうくらい、本当に熱量が高い。そんな声を聞いて初めて、今までやってきた自分の仕事が多くの方に影響を与えていたんだって知ることができました。

今では純粋に「なんて幸せなクリエイターなんだろう」って思います。私がまだこの業界にいるからこそ、そういう声を直に聞ける。支えてくれている世界中のファンの方はもちろんのこと、FFのバトンを受け渡し続けてくれているスタッフにも感謝しかないですね。


「絵を描く仕事がしたい」 想いが導いた、ドット絵との出会い

画像: FFV © SQUARE ENIX CO., LTD. AllRights Reserved.

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ーーあらためて、ドット絵との出会いを教えてください。

渋谷:幼少期から絵を描くのが好きでした。高校生になった時には同人誌を作ったり、それを持ってコミケへ行ったりと、とにかく「オタク」街道まっしぐらでしたね。卒業後もそこはブレずに「私は絵の仕事をする」と決めて、アニメの専門学校へ進学しました。

漫画もアニメーションも学生時代に取り組みましたが、「仕事にする」というイメージができなくて……。「絵を描き続けるためにはどこかの会社に就職しないと」という気持ちがあったんですよね。

そんなことを考えていた卒業間近の冬、専門学校の紹介で、ゲーム制作会社のスクウェア(当時は株式会社電友社、現在の株式会社スクウェア・エニックス)のことを知りました。「絵が描けるならどこでも!」という気持ちで面接に行くと、面接官から「ドット絵、描ける?」って聞かれたんです。内心、「ドット絵ってなんだ!?」と思いましたが、軽い気持ちで「描けると思います」と答えると、その2日後には採用が決まりました。

就職したのは1986年。ゲームに対する印象もあまり良くない時代でした。だから「ゲーム会社に勤める」と伝えたとき、親からは心配されましたね(笑)。そして当時、女性は数年お勤めをしたら結婚して退職することが当たり前だったので、私も2~3年仕事をしたら結婚して退職するんだろうなと思っていたんです。最初からクリエイターとして何かを成し遂げたいと思っていたわけではありませんでした。

もしスクウェアに入社していなかったら、FFが誕生していなかったら、たくさんの才能ある同僚に出会えてなかったら、今の私はいなかったでしょう。奇跡のようなタイミングが積み重なったからこそ、今の私の絵を描く人生があるんだと思います。
※コミックマーケット。1975年から開催されている世界最大級の同人誌即売会


尊敬できる仲間と味わう“達成感”を追い求めて

画像: 尊敬できる仲間と味わう“達成感”を追い求めて
ーーそんな渋谷さんがドット絵に熱心に取り組めたのはなぜでしょうか?

渋谷:私にとっては「それが仕事だから」という意識が大きかったのだと思います。

ドット絵だから情熱を注げたというよりは、ずっと「絵を描く仕事をする」という想いを持っていた自分が、いよいよ就職して、絵を描いてお金をいただくという状況になったからかも。ドット絵を描くのは初めてのことでしたけど、「自分ができること、持っているもので精一杯やるしかないんだ!」って思っていました。

ーーそれから長年同じ会社に勤め、今もなおクリエイターとして活躍し続けられているのはなぜですか?

渋谷:これはね、楽しいから! やっぱりこれに尽きるんです。

入社した当初って、会社は今でいう “ベンチャー企業”だったんです。22~23歳くらいの、歳が近い仲間たちと小さなテナントビルの一室で毎日制作していて。いわば大学のサークル活動みたいな感じ。

ファミコンソフトの制作は、ゲーム設計からデザイン、テストプレイなど、最初から最後まで仲間たちと一緒なんです。FFⅥの最終締め切りの前日、プロジェクターのある会議室でプロデューサーが一人で最後のテストプレイをしていて。通りかかったスタッフ達がそれに気づいて一人、また一人と集まり始めたんです。全員で最後の戦いを見守り、エンディングを確認して拍手の中、ついに完成の瞬間を迎えました。とても感動的なシーンでしたね。一生忘れないと思います。

みんな個性が強く、仕事ができて、尊敬できる人たちばかり。各々がクリエイターとしてのプライドがあるので、しょっちゅう言い合いをしていましたね(笑)。その情熱の温度の高さが、ものづくりをする空間として心地よいし、だからこそ駆け抜けてこられたんです。

そんな尊敬できる仲間たちと団結し、「ゲームを作り上げる」という1つのゴールに向かい、たとえ夜遅くなったとしても、やり直しが重なっても、作り終えた後の達成感は何ものにも代えがたいから仕事をする。それが本当に快感で、楽しくてしょうがなかったんですよ。

ーーハードな制作期間で気をつけていたことはありますか?

渋谷:制作は毎回、ものすごく大変でした。クリエイターとして、ハードな環境下で高いパフォーマンスを保つには、メンタルもフィジカルもタフでないと続けられません。将来ずっとクリエイターでいるために、日常の小さなことですが、コンディションの管理には気を付けてきました。

例えば、煮詰まった時にはちょっと抜け出して体を動かしたり、メンタルが落ちてきたなと感じたらその日は早めに退社したり……。ずっと会社にいるばかりだったので、食事もなるべく健康的なものを選んでいましたね。20代、30代のうちは体力でなんとか乗り切れた部分はあります。でも40代を超えてからはそうはいかない。よりメンタルとフィジカルの双方に向き合うようになりましたね。最近は毎朝ヨガをしているんですけど、いつも心で唱えるのが「平常心」なんです。ずっと、毎日同じ(笑)

仕事を依頼してくださる方は「いつどんな時に、どんな仕事を振っても、必ず高いクオリティのものが返ってくる」と思って声をかけてくださるんです。それにはちゃんと応えたい。だからこそ、パフォーマンス維持は本当に大事にしています。


「チャレンジ」がキャリアを切り拓く。チャンスが来たら迷わず手を挙げてみて

画像: 「チャレンジ」がキャリアを切り拓く。チャンスが来たら迷わず手を挙げてみて
ーー渋谷さんは、女性ゲームクリエイターの権利や利益を守る「Woman in Games」名誉会員に選ばれています。ゲーム業界で女性クリエイターが活躍しやすくなるために期待することはありますか?

渋谷:後輩にはよく「チャンスが来たら、手を挙げて」と伝えています。これはゲーム業界の女性クリエイターに限ったことではないかもしれませんね。

テレワークが増えて会社に行く時間が減ったことで、家庭と仕事の両立がしやすくなるなど、今の時代だからこそチャンスがあると思うんです。実際、両立しながら仕事も本気で頑張りたいという後輩も多い。彼女たちには、臆することなく自分から手を挙げて成長のチャンスを掴みとってほしいなと。

例えばイベント登壇だったり、ライブ配信の出演だったり。今こうやって取材を受けていることもそう。どれだけ些細なことでも、チャンスがあれば迷わず「オッケー! やります!」って言うんです。
※2009年にWomen in Games Jobsとして設立され、2011年に非営利団体として法人化。ゲームとeスポーツにおける女性のための世界的な活動家による団体

ーー渋谷さんご自身はどんなことに手を挙げてきたのでしょうか?

渋谷:私は、仕事は拒まずなんでも受けていて。FFのCDジャケットや社内イベントのデザイン、インタビュー、社内カフェの店内デザイン……たとえ小さなバナーでも、頼まれたらやりますね(笑)

みんな「渋谷さんならできる。頼めばクオリティの高いものが上がってくる」と思って依頼してくれるんです。できると思って声をかけてくれるのだから、迷わず「やります」と言ったほうがいい。不安なら「わからないことがあれば、聞いていいですか?」と伝えておけばいいんです。

「ここがわからないな」「ちょっと1人では無理かも」と思った時、どんな人も、どんな業界でも1人だけで働いている人は少ないと思います。周りには助けてくれる仲間がいるはずです。どんな環境でも“チャレンジできる土台”があると思うんです。

そんな土台の上で挑戦を繰り返していくと、自分が知らなかった新しい可能性に気付けることもあります。元々興味はなかったけど、やってみたら「あれ、これ得意かも?」って思えたり。得意ってことは、それだけ自分が何かに貢献できることになりますから。

もしあなたが本気で頑張りたいなら、どうか考えすぎないでほしい。どんな結果になったとしても自分のキャリアの糧になるから、チャンスを楽しみましょうって伝えたいですね。

画像: ▲今回の取材現場では、渋谷さんの鮮やかな真っ赤なスカートがとても綺麗に映えていた。「ゲームって“エンタメ”なので、自分をうまく演出して、楽しむ気持ちで挑みたいですよね」

▲今回の取材現場では、渋谷さんの鮮やかな真っ赤なスカートがとても綺麗に映えていた。「ゲームって“エンタメ”なので、自分をうまく演出して、楽しむ気持ちで挑みたいですよね」


棚卸しして自分を見つめ直す。そして“好きの瞬間”を増やしていく

画像: 棚卸しして自分を見つめ直す。そして“好きの瞬間”を増やしていく
ーー例えば20~30代の方が、渋谷さんのように、楽しみながら自分らしく働いていくために大切だと思うことはありますか?

渋谷:20~30代、まだまだ若いじゃないですか!まずは“棚卸し”したほうがいいんじゃないかなと。もし今、何かモヤモヤを感じているのであれば、自分の中の問題なのか、それとも人間関係や会社の方針など自分以外の問題なのか。それによってまた話が変わってくると思います。

もしそれが自分の中の問題なら、仕事を始めた時のことを思い返してみるんです。仕事を始めた時には、嬉しい・楽しいっていう瞬間がどこにあったのかなって。

成果を認められたり、自分が好きな仕事ができていたり……どんな瞬間だったのか思い出していく。それを日々の仕事をする時に「自分が幸せに思う瞬間を増やすにはどうすればいいか」という思考に変えてみるといいんじゃないでしょうか。

ーーなるほど。棚卸しをして、自分を見つめ直すんですね。

渋谷:棚卸しをしておくと、次に自分がどんな一歩を踏み出したいか、ヒントが見つかるはずです。自分の幸せや楽しさを知るって難しいことだけど、例えば自分の生活や、“推し活”のためでもいい。無理に夢なんかつくらなくていいし、他人の意見に左右されないで、自分の中の“好き”を突き詰めていってほしいなと思います。

そういえば、今日ここに来る前に後輩にも聞いてみたんです。「今の仕事で何が一番幸せ?」って。

そしたら「こっそりスクエニカフェに行って、そこにいるお客さんがFFの話で盛り上がっているのを見るだけで幸せです。自分は、人に喜んでもらえる仕事をしているんだと実感できる」と返ってきました。

つまり、ファンの声を直接聞けるのが幸せであり、仕事の活力になっているんだそうです。後輩自身FFの大ファンだから、身分を隠してこっそりカフェやイベントに足を運ぶこともあるとか(笑)。ファンの気持ちもわかるクリエイターなんですよね。それってとても大事で、自分の“好きの瞬間”を増やしている例だと思います。
※秋葉原にある「スクウェア・エニックス カフェ」のこと

ーー自分から「取りに行く」姿勢が素敵です……!渋谷さんも“好きの瞬間”を突き詰めていったからこそ、今があるんですね。

渋谷:そうそう。そうやって自分の仕事に向き合っていれば、きっと自分の好きなこと・得意なことも見えてくると思うんです。そしたら「これができます」「こんなことがやってみたいです」と、普段からどんどん声に出していくといろんなチャンスに出会えると思います。

私自身、「画集を作りたい!」と何年も言い続けて、やっと叶いました。「FFのイベントで世界中に行ってみたい」と言っていたら、フランスにもロスにも行けましたし。

もし叶えたいことがあるのなら、ぜひ声に出してみてください。同僚とのランチでも、上司との会話でも、廊下でバッタリすれ違った違う部署の人でもいい。声に出してみることがとても大事で、そんな小さなことから夢が叶うチャンスって生まれてくるのかなと思います。

画像: © SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

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画像2: “ドット絵の匠”が歩むクリエイターとしての35年。渋谷員子さんの情熱の源とは

渋谷 員子
株式会社スクウェア・エニックスCGデザイナー/アートディレクター。旧スクウェア時代から『ファイナルファンタジー』や『ロマンシングサ・ガ』シリーズなどのキャラクタードット絵やデザインに携わる。近年はスマートデバイス向けタイトルや、『ファイナルファンタジー』初期6作品をリマスターした『ファイナルファンタジーピクセルリマスター』シリーズの制作・監修、2018年に4か国語で発売したドット絵画集『FF DOT.』など、『ドット絵の匠』として活動の幅を広げている。

取材・執筆:小泉京花
編集:山口真央
写真:梶 礼哉


新卒で入った会社を、10ヶ月で辞めた。

勤務時間は朝9時から翌朝5時まで。休日すらなく、もはや人間の生活ではない。半年も経たないうちに、心も身体も弱りきってしまったのだ。

無職になった僕は、オフィス街から逃げるようにして、高円寺駅から徒歩15分のアパートに引っ越した。高円寺という寛大な街なら、激務で心身とも傷ついた僕でも、優しく受け入れてくれると思った。

街の懐に甘えるように、引っ越してからはずっと寝ていた。起きていたのは食事とトイレと、趣味のJリーグをテレビで見る時くらいだったろうか。貯金が尽きるまでは、自堕落の底の底に寝そべろうと思った。北風でみしみし揺れる築40年のアパートに、じっと篭り続けた。

そうやって3ヶ月くらい寝ていたら、段々と体調はよくなってきた。リハビリのために近所の散歩を始めると、外はすっかり春だった。

ノートPCをリュックにつめて家を出て、有名な「純情商店街」じゃない方の、ちょっと寂れた商店街の錆びたアーチ看板をくぐる。喫茶店に入って、一番安いアイスコーヒーを頼んで、PCでメモ帳を立ち上げ、作業するふりをしながら周りの客の会話を聞いて、一日を過ごした。その喫茶店は不動産会社の営業マン御用達らしく、巧みなトークが四方から聞こえてきて、飽きなかった。最初は面白おかしく聞き耳を立てていた僕であるが、徐々に異変に気づいた。

紺色のスーツを着た営業マンの肩のあたりが、どこか光って見えたのだ。後光だった。営業マンたちに、一様に後光が差していた。不思議な光は、日に日に輝きを増していった。

彼らは自信に満ちた表情で、お客さんと話す。ツヤツヤにラミネート加工された資料を広げて、身振り手振りを交えてプレゼンする。仕事をしているなあ、と僕は思った。営業マンとお客さんは、ビジネスという関係性で結ばれている。店内のテーブルの数だけ取引があり、経済がある。対する僕のPCのメモ帳は、いつまでも真っ白だった。

視界の誰もが働いている。いつもアイスコーヒーを出してくれる店員も、キッチンでコーヒーを淹れているバリスタも、もちろん働いている。そのコーヒーの豆を輸入した人もいるだろうし、純情じゃない方の商店街のアーチ看板を作った人もいる。そんな当たり前の事実が、当時の僕には空恐ろしかった。

世界は誰かの仕事で構成されていて、需要と供給の網の目のマーケットで、必要と必要で結ばれている。そこに僕の居場所がない。社会のどこにも接続されていないのだと思った。だから周りが輝いて見えたし、後ろめたかった。

懐の深い高円寺でさえ、どこを歩いても自分だけが浮いているように感じた。満開に咲いた桜が、恨めしかった。

                     ◇

いつまでも営業マンの後光が眩しすぎるから、せめてもの対抗手段として、PCで実際に何かの作業をしようと思った。だが無職にはExcelで計算すべき数字も、PowerPointで発表すべき資料もない。そこで代わりに、「Naverまとめ」に手を出すことにした。

Naverまとめとは当時流行っていた、ユーザーが簡単に情報をひとつのページにまとめ、ブログのように公開できるWebサービスだ。PVに応じて広告収益も入る。最初は高円寺の街情報とか、Jリーグの選手まとめを作ってみたが、PVは最大で「30」だった。

だが無職の僕には、時間だけはあった。日々新しいまとめを公開し、何度も何度もチューニングを重ねた。そしてある日、とあるまとめへのアクセスが急上昇していることに気づいた。「イケメンJリーガー情報まとめ」だった。

当時、「イケメンのサッカー選手」まとめはあれど、Jリーガーに的を絞ったコンテンツはなかった。一方で内田篤人選手が大きな人気を博すなど、サッカー選手へのアイドル的な関心が高まっていた時期でもあった。そこで僕は「Jリーグなら会いに行ける」というコンセプトのもと、J1からJ3まで、全てのクラブのイケメンをまとめはじめたのだ。

Jリーグのほぼ全試合を鑑賞し、しらみつぶしにイケメンを探した。起きている時間をすべて費やした。もはや試合の勝敗よりも、選手のルックスの方が気になった。知られざるイケメンを掘り出し、ひとりひとりに詳細な紹介文を添えた。併せてプレイスタイルや最新の試合情報をまとめることで、PVは面白いように増えていった。ふとtwitterでエゴサーチをしてみると、このまとめの更新を心待ちにしているとか、このまとめを見て初めてJリーグの観戦にいったとか、そんなツイートがたくさん見つかった。その瞬間、切り離されていた社会と僕が、細い糸でぴっと結び直された気がした。

僕よりJリーグに詳しい人は、山ほどいるだろう。僕より文章を書くのが上手い人も、情報をまとめるのが上手い人も、当然ながら星の数ほどいるだろう。だがあの時期において、僕よりイケメンのJリーガーに詳しかった人は、世界に一人としていなかったはずだ。一日約8時間、みんなが働いている時間を、イケメンJリーガーまとめに集中投下していたのだから。普通の人はそんなことやりたいとも思わないし、やる意味もない。無職だけがなせる技だった。僕のまとめは、いつしかGoogle検索でも「Jリーガーイケメン」で最上位に表示されるページへ成長していった。

そうやって長い春が終わろうとしたころ、Naverまとめから一通のメールが届いた。いつもの喫茶店で開いたそのメールは、はじめての広告収益が振り込まれた、というお知らせだった。金額は、3万4千円。あれだけやって、3万4千円だ。時間単価にしたら、労基法の最低賃金を遥かに下回ることだろう。

だがその3万4千円は、まるではじめての給料のように思えた。喫茶店で広げたPCの画面に、小さな経済が生まれた気がした。店内を見渡すと、営業マンたちに差していた後光は、いつの間にか消えていた。

ほどなくして僕は就職活動を始め、その時に出会った会社で働くようになって、もう10年目になる。その後Naverまとめを触ることもなく、2020年にサービス自体が終了してしまったようだ。

ただ、今でも確信を持って思うことがある。あの3万4千円を稼ぐために過ごした春が、僕にとっての「働く」の原体験だった。


画像: イケメンJリーガーを毎日8時間まとめつづけた春の話 
岡田 悠<第1回>
岡田 悠

会社員としてIT企業でプロダクトマネージャーを務める傍ら、作家・ライターとしても活動。『0メートルの旅』(ダイヤモンド社)、『10年間飲みかけの午後の紅茶に別れを告げたい』(河出書房新社)、『1歳の君とバナナへ』(小学館)が発売中。オモコロで記事を、デイリーポータルZでPodcast「旅のラジオ」を更新中。

★岡田さんのエッセイは全3回です。来月もどうぞお楽しみに…!

夜にだけあらわれる、小さなクリーム色のワゴン。さまざまなパン屋さんで売れ残りそうなパンを集め、販売している「夜のパン屋さん」です。フードロスを減らしながら、雇用機会をも創出するための取り組みとして、料理家の枝元なほみさんがスタートしました。そんな枝元さんは、認定NPO法人ビッグイシュー基金共同代表を務めるなど、「食」や「働き方」の社会課題に大きな関心を寄せているといいます。

「AIがどれだけ進歩したってかぼちゃひとつつくれないでしょ?」と微笑む枝元さんにとって、食べることの根幹とは何なのでしょうか? 夜のパン屋さんに込めた想いや、今後目指していきたい社会のかたち、そしてその先にある「気持ちの豊かさ」について伺います。


「施し」ではなく「仕事」を提供する、対等な仕組み

画像: 「施し」ではなく「仕事」を提供する、対等な仕組み
――まずは、枝元さんが社会問題への取り組みに携わりはじめたきっかけを伺いたいです。

枝元:ホームレス状態にあったり、生活に困窮している方たちの社会復帰を支援するため、雑誌の発行・路上販売をしている「ビッグイシュー」という団体の活動がきっかけでした。駅前などで「ビッグイシュー」という雑誌を掲げている人を、見たことありませんか? 20年ほど前、日本でのビッグイシューの取り組みが始まったころにたまたま新聞でその紹介を読み、活動に共感して、料理の連載記事を担当させてもらうようになったんです。以降ずっと、団体のさまざまな取り組みに関わっています。
※The BigIssue Japan…市民が市民自身で仕事、「働く場」をつくる試み。生活困窮者の救済(チャリティ)ではなく、仕事を提供し自立を応援する事業。原型は1991年にロンドンで生まれた。

――枝元さんも、ビッグイシューが主に携わる「貧困」や「雇用」の問題について思うところがあったということですか。

枝元:そうですね。雇用にまつわる課題意識は、自分の日常でも感じることがあったんです。

たとえば、テレビのお仕事でギャラがとても安かったとき。「料理を仕事として認めていただけていない気がします」と正直に伝えたら「“交通費”という名目ならギャラが増やせる」と言われたんです。それじゃ結局、“料理の仕事”の価値は低いままですよね。公共施設での料理教室の講師を担当したときもギャラは安くって、だけど「せっかく頼んでくれたのだから一肌脱ごう」と思って伺ったら、会場がやけに立派で……ガラス張りのエレベーターや大きな噴水のあるロビーを見て憤りを感じました。

対して私は、たくさんの食材を買い込み、自分でタクシーで運び、すっかり赤字でした。労働に対して使われないお金の存在に、やるせなくなりました。日本社会は、人がどんな思いで仕事をしているか、そこにどんな価値があるかをきちんと理解していないんじゃないかしら、と感じていたんです。

そうした中で、私にとってはビッグイシューの取り組みはとてもすっきりしていて、わかりやすいものでした。困っている人に施しをするのではなく、仕事をつくって、賃金を得る機会を提供する。雑誌価格の450円を、半分は販売した方に、半分は雑誌制作費に回すというのも明快です。そのとてもわかりやすくてフラットな関係を応援したいし、自分も輪の中に入りたいと思いました。


雇用創出とフードロスに向き合う「夜のパン屋さん」

画像1: 雇用創出とフードロスに向き合う「夜のパン屋さん」
――2009年に立ち上げられた認定NPO法人ビッグイシュー基金では、理事に就任し、その後共同代表に。2020年には、フードトラックでパンを販売する「夜のパン屋さん」のプロジェクトを始められましたね。これはどのような取り組みですか?

枝元:さまざまなパン屋さんから、営業時間内に売りきれなさそうなパンをお預かりし、ほぼ値段を下げることなく販売するお店。同時にピックアップや販売などの雇用を生みだしています。
パンの売値はパン屋さんご自身に決めていただき、その半値から60%の価格でおろしていただいており、その差額でギャラを生み出すというサイクルです。ロスになるかもしれないパンを救出する気軽な窓口にもなっています。

立ち上げのきっかけは、ビッグイシュー基金で「衣食住」にまつわる新たなプロジェクトを考えていたとき、ある篤志家さんから「循環する使い方をしてください」と寄付を託されたこと。
北海道・帯広で6店舗を展開するパン屋の「満寿屋」さんが、各店舗で売れ残った商品を本店に集め、夜に販売しているというお話もヒントになりました。東京ならたくさんのパン屋さんがあるし、さまざまなお店でロスになるかもしれないパンを集めて、いい仕組みがつくれるかもしれないと思いたんです。

――まさに「食」にまつわる、循環するプロジェクトですね。

枝元:たとえばね、パンを焼くのは簡単じゃないし向き不向きもあります。職人さんをイチから育てるっていうのは大変なことです。けれど、集めて売る仕組みなら、私たちみんなで挑戦できるんじゃないかなって思いました。

オープンは2020年10月16日。世界食糧デーであり、本来なら東京オリンピックが終わってみんなが少し気落ちしているであろうタイミングを狙っていました。

画像2: 雇用創出とフードロスに向き合う「夜のパン屋さん」
――思い描いた仕組みを実現するには、多くのパン屋さんの協力も必要ですよね。そのあたりの相談や準備は、スムーズでしたか?

枝元:もうね、本当に大変でした! 売れ残ったパンを買い取らせてくださるお店が、なかなか見つからなかったんです。企画書と名刺と自分の著書を持って、毎日いろんなパン屋さんを回ったけれど、企画を説明しても店主さんからは「考えとくわ」って言われて、そのまま撃沈。
私ね、営業マンが仕事の終わったあとに「ビールでも飲まなきゃやってらんねぇよ!」っていう気持ちがそのときとってもよくわかりました!

そんな撃沈続きだったから、最初に承諾してもらえたときには涙が流れました。そうやって地道に提携先を増やしてきて、いまは約20店舗が協力してくださっています。夜のパン屋さん自体も田町駅前からはじまって、飯田橋、神楽坂と3店舗に増えました。

――店舗が増えれば、雇用も自然と増えていく。いい流れですね。

枝元:でも、必要なのは1店舗につき販売が3人、ピックアップが数人程度……ビッグイシューの販売みたいに、まだ多くの人に働いてもらうことはできません。提携しているパン屋さんに売れ残りが出なかった日は、ピックアップに行くはずだった人の仕事がなくなります。コロナが落ち着いてお客様が戻ってきたのか、近ごろはとくにそういう日が増えました。最近は原材料費の高騰によって廃業なさるお店もあったりして……運営を安定させるのは難しいなと感じています。


“夜パン”は非効率なお店。でもきっと、これからの本流になる

画像1: “夜パン”は非効率なお店。でもきっと、これからの本流になる
――ただ、料理家の枝元さんが、フードロスと絡めながら雇用創出に取り組むということには大きな意義があるように思えます。ご自身ではどのように考えていましたか?

枝元:料理の仕事を数十年続けてきた私ですが、もう「早い・安い・うまい・見た目がいい」みたいなことばっかり追求する時代じゃないよなぁって。未来を生きる子どもたちにちゃんとした「食」と「食の仕組み」を手渡せるように行動しなくちゃと思うようになったんです。

――「食の全般に関わること」とは、とても大きなテーマです。

枝元:私は、食べることに対してラディカル(根源的)でいたかったんです。食べることの原点って、毎日見栄えのする料理をつくることじゃなくて、人を飢えさせないっていうこと。誰もが飢えずに食べられる仕組みづくりのひとつとして、夜のパン屋さんを思いつきました。

さまざまな格差がこれだけ広がっているなかで、そこに目を向けないまま、社会がこれまでのように右肩上がりの成長を続けていくのはもう難しいでしょって思います。急坂のような発展を続けるために、斜面をギリギリで登っていく人とずり落ちてしまう人に分かれるんじゃなくて、社会をフラットな輪っか状にすればいい。みんながぐるぐる循環するような仕組みに移行していくべき時期が来ている、と思うんです。

画像2: “夜パン”は非効率なお店。でもきっと、これからの本流になる
――夜のパン屋さんは、まさにその仕組みを体現していますね。売上を最大化するためにぎりぎりまで各店にパンを残し、売れなかったときに捨ててしまうのではなく、残ったパンを循環させることで、雇用やお金も回していく……。

枝元:そうなんです! いちパン屋さんとしては超弱小もいいところなんだけど、これから本流になっていく仕組みだと鼻息荒く思っています。だって、1袋500円のパンを各250~300円で10袋買い取って、全部売り切っても5000円。売上の2500円をスタッフで分けたら、何も残りません。全然儲からない(苦笑)。でもこれだけ多くのメディアに取材をしていただけるのは、みんな心のどこかで“利益だけを追求するんじゃない、こんな仕組みがいまの世の中に必要だ”って思っているからかもしれませんよね。

ただ、いまのままではビジネスとして成立しないし、私も生活のためにもお給料をいただきたいから(笑)、やり方は改良していかなくちゃいけませんね。

だけど「いま良しとされている“効率的”な価値観」からずり落ちている感じが、最高で最強だなとも思うんです。効率が悪いからこそ、得られるものがあるんですよね。

「私たち、めんどくさいことやっているでしょー! でもねー、それが最強なのよー!」って胸を張ってるみたいな。

――立ち上げから2年が経ち、いま、どのような手ごたえを感じていらっしゃいますか?
画像3: “夜パン”は非効率なお店。でもきっと、これからの本流になる

枝元:じわじわとお客様の認知が上がっていて、取り組みを説明しなくても「テレビで見たわよ」「知ってるよ」と、やさしいお声をかけていただけるようになりました。パン屋さんのいいところは、お互いに頭であれこれ難しく考えなくても「おいしそうね」「おいしいんですよ」という会話で、やわらかくつながっていけるところ。これは、食べ物が真ん中にあるからこその“温かさ”だと思います。

夜のパン屋さんでレスキューしたパンは、この2年間で6万個を超えました。数字で聞くと、案外大きな成果を出せているなとうれしくなります。だけど、それだけじゃない。関わる人たちがみんなお店を自分事ととらえ、いきいきと働いてくれるようにもなっていて……そういう言葉にならない価値にも明かりをともしていけることこそ、夜のパン屋さんの意義です。だから数字にとらわれすぎず、自分たちや周りのやさしい変化に目を向けていきたいと思っています。


「シェア」や「利他」の精神で、できることを一歩ずつ

画像1: 「シェア」や「利他」の精神で、できることを一歩ずつ
――2022年末には、築150年の古民家にて「夜パンB&Bカフェ※」もオープンされました。どうしてカフェ業態にチャレンジされたのでしょうか?

※夜パンB&Bカフェ…毎月第二土曜日に開催し、カフェの他に、夜のパン屋さんやマルシェなども出店。“次に来る誰かの” 食事代などを先払いできる「お福わけ券」というしくみを用意するなど、金銭的に余裕がない人でも利用しやすいように工夫されているカフェ

枝元:きっかけは、夜のパン屋さんにシングルマザーのスタッフがいたことです。彼女は3人の子どもがいるから、夜働くのは難しい。そして、私たちがときどきポップアップカフェを開催している古民家は、彼女にとって通いやすい位置にある……だったら昼間、そこでお店をやったらいいんじゃないかと考えました。

夜のパン屋さんでは初期投資をかけないためにフードトラックを選んだけれど、カフェは私たちの取り組みに賛同してくださる企業がサポートしてくださって、実現にこぎつけたんです。

――パン屋さんには、食べ物を扱うからこその温かさがありました。カフェには、それに加えてどんな良さがありますか?

枝元:カフェは、誰でもゆったりとした時間を過ごしてもらえる空間です。パン屋さんでは買ってくださる方の接客が中心になってしまうけれど、カフェの縁側なら、どなたにでも座っていただける。ひらかれた空間だから、私自身も訪れるたびに「ここならずっといられる」「ずっといていい場所だ」と感じます。とっても素敵な場所なんですよ。

空間づくりへの想いは、「ビッグイシュー」で関わったイベント「大人食堂」などが原体験になっています。日払いの仕事がなくなって困っている方に食事を提供するのですが、あるとき厨房が本当に忙しく、お渡しするおにぎりを握る暇もないことがありました。でも、炊飯器をあけたら、もわんと立ちのぼった湯気の向こうにうれしそうなみんなの顔が見えて。おにぎりをつくるのが大変だったら、そうやって炊き立てのごはんをわかちあうだけでいいんですよね。食事をいっしょに楽しんだり、おしゃべりをしたり、ちょっとずつしかないおいしいものを分け合ったり、それでいい。そういう「シェア」や「利他」の精神が、夜パンB&Bカフェにもあるんです。

――次に来る誰かの食事代を先払いしておく「お福わけ券」といった制度もあるんですよね。まさに、シェアや利他の精神です。
画像2: 「シェア」や「利他」の精神で、できることを一歩ずつ

枝元:路上生活者支援に取り組む、つくろい東京ファンドさんが、「カフェ潮の路」でされていた仕組みに教わりました。お金や余裕があるかないかって時の運だから、なきゃないで仕方ない。だから、夜パンB&Bカフェはお金がなくても平気でいられる場にしたいと思っているのですが、やっぱり引け目を感じてしまう方が多いので、お福わけ券が活躍してくれます。凛とした佇まいで「お金はありません。この券でお願いします」と言ってきてくれるお客様を見たとき、まさに夜パンB&Bカフェではこういうことがやりたかったんだと、うれしくなりました。

――最後に、これからやりたいことや目標を聞かせてください。

枝元:私はビッグイシュー基金の共同代表ですが、与えられている役割は「考えすぎずに好き勝手言う係」だと思っています。だから、夜のパン屋さんをはじめるときにも「これはビジネスとして成り立つのか」「どう実現すればいいか」の具体的な部分はあまり考えていなかったし、だいたい見切り発車なんですね。でもこのままで、これからも困っている人の助けになるさまざまなことに取り組んでいきたい。活動をはじめてから何年も経つのに雇用や貧困、フードロスといった社会の課題は本当に解決に向かっているとはいいがたいけれど……それでも、ちょっとずつは変わっていると感じられるから、ネガティブにならないように。しぶとくいこうと思っています。


画像: 「夜のパン屋さん」の原点にある想い。考案者の枝元なほみさんが提唱する、循環する社会をつくる「第一歩」
枝元なほみ

横浜市生まれ。劇団の役者兼料理主任、無国籍レストランのシェフなどを経て、料理研究家としてテレビや雑誌などで活躍を続ける。一方で、農業支援活動団体である「チームむかご」を立ち上げたり、NPO法人「ビッグイシュー基金」の共同代表を務め、雑誌「ビッグイシュー日本版」では連載も。2020年に「夜のパン屋さん」をスタートする。著書は、『捨てない未来 キッチンから、ゆるく、おいしく、フードロスを打ち返す』(朝日新聞出版)など多数。

取材・執筆:菅原 さくら
編集:山口 真央
写真:梶 礼哉

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