2009年03月

残念!次回持ち越し

今日、妻が病院で診察を受けたが、卵子が4つしか採取できず、顕微授精は持ち越しとなってしまいました。

もちろん、妻のせいではありません。

ただ、治療が「中程度」の治療だったのは前から引っかかっていたのですが…次は「強程度」の治療に変えるそうです。

強度が上がるほど、当然リスクも上がるので、心配です。
また、僕が今仕事が出来ない状態なので、お金の面からも
今回の顕微治療を「一発勝負」にすることを話し合って決めました。これでだめなら、二人で一生楽しむ人生を歩こうと思います。

ただ気がかりなのはご両親。孫の顔が見たいと、どれだけ願ってるか想像に難くありません。だからなんとしても一発でしとめたいのですが、こればっかりはわかりません。出来る努力はやっていますので、あとは神様に祈るだけです。


みなさん、パワーを送ってください!

【アーカイブ特選】ジャニーズのダンス

今日はジャニーズのダンスについて。最近はやや昔より分かりづらくなっているかもしれないが、ジャニーズのダンスは他のダンサー達と比べると独特なものがあることにお気付きだろうか。結論から言ってしまえば、ファンに受ければ良い意味で「何でもあり」なのである。

私の時代には、M・ジャクソン全盛の時代でもあり、フットルースやフラッシュダンスなどの映画の影響で激しいダンスやブレイクダンスなどが流行った時代でもあった。当然、ジャニーズの振り付けにもそれはいち早く導入された。今で言えばヒップホップ系やストリート系のダンス要素が随所に散りばめられているように見受けられる。

現在ジャニーズでは誰が振り付けを担当しているのかは知らないが、我々の時代は9割以上はボビー吉野氏の振り付けだった。あとはごくたまに西条先生や南先生が振り付けをされる時があるが、それは何らかのテレビ用の振り付けの場合で、レッスンではほぼ100%ボビー氏だった。

現状が分からないのであくまで「恐らく」ではあるが、ジャニーズのダンスの基本は今も昔も変わらず「バレエ」のはずである。そのバレエに背ヒレ尾ヒレがついて、最終的に振り付けが完成しているのである。何かの番組で、高校生がV6の振り真似を競う企画があった。最近は昔と違い一般の子供達も歌やダンスの感覚がいいのでどれくらい出来るものかと期待してみていたが、やはり明らかに本物とは格差があった。

その格差の根本こそが「バレエ」の要素なのである。私の時代の場合ではあるが、レッスンは週1回平均約6時間前後行われていた。レッスンは前半と後半に分かれており、休憩はその間の1回だけ。30分ほどだったと思う。前半はストレッチ、バレエの基礎などをみっちりこなす。ストレッチも5分やそこらではない。相撲の世界で「股割り」という稽古があるが、それに近い内容である。それについて私が原因でなくなった練習がある。まず床に腰を下ろし足を広げる。そして前からは両腕を引かれ、両足は相手の足を使って限界まで広げられる。さらに上から3人ほど乗っかり上体を床に押し付けるのである。私はこの練習で太腿の付け根の筋を痛め、(バキバキバキッ!と骨が折れたような音がした)病院に運ばれた。この事故以来、この練習はパッタリ無くなった(笑)。

前半の練習でもっともきつかったのは、手は広げたまま、背筋も伸ばしたまま、この体勢を保ちながら音楽に合わせてちょうど足のサイズ位の床タイルを1枚に1歩ずつ進んでゆく練習である。ただし、1歩に1回必ずしゃがんで立つ動作を加えなければならない。そして立った姿勢では片足をつま先まで伸ばしてキックする。キックした足で一枚前のタイルに足を置きそこに軸を移してまたしゃがむ。つまり次は逆の足で立ってキックする。この要領である。距離は車3台分くらいはあったろうか。バランスを崩してもダメ、リズムが狂ってもダメ、もちろんきちんとしゃがんできちんと立てねばダメ。失敗したら戻って最初からやり直す。ちょっとイメージしづらいかもしれないが、もしお分かり頂ける様ならぜひ1回試してみて頂きたい。曲はマイケルジャクソンの「ステイトオブショック」で行う。大抵は2メートルもやればへとへとになるはずである。初心者も基本的に特別扱いはない。

後半は振り付けのレッスンである。適当な曲に練習用にその場で振り付けをし、その場で覚え完成させるのである。次週に持ち越し、などというスポーツクラブのエアロビみたいな甘さはない。また、レッスン場には鏡がなく、初心者ほど後ろに列を作るので先生はあまり見えない。だからそのままレッスンを受けていても見えるのは数列前のそれほど上手な子ではないから、初心者ほど良く分からないまま進んでいく。そういった環境の中で、自力で努力して少しでも先生の見える位置に、前の列にと意欲を燃やさねばならないのである。もちろん前の人は場所を譲ってやったりなどはしない。誰もが一番前の列の先生の目の前の位置を目指して努力しているのである。基本的には先輩から前に並ぶが、実力があればどんどん抜いていける。それは暗黙の了解でもあったが、決して安易にはできない。

私が入った頃は全員でも3~40人だったが、関東以外からも人が入り始め(恐らく成田が最初だったと思う)、辞める時には150人ほどに膨れ上がっていた。その為レッスンがやや雑になってきた記憶がある。確かそれ以降、キャリアのある者やコンサートなど他にレッスンのある者は日曜レッスンを自粛するよう求められた覚えもある。

色々書いたが、カラオケや文化祭などでもしジャニーズの踊りを上手く見せたいなら、バレエの基礎を少しでも練習するのが近道と思う。ただビデオを見ただけでいくら練習してもまず彼らには近づけない。それだけ基礎基本とは、ジャニーズのダンスにとっては命なのである。

19:15 涙腺活動開始

昨日書くべきだったのだが…

見ましたか?ドラえもん30年記念番組!(笑)
いやあ、もう泣きっぱなしでしたよ、号泣しましたよ!
最初に泣き始めた時間、19:15(早っ!)
ベスト30では、我々の世代は間違いなく「のび太のおばあちゃん」を想像していたのではないでしょうか

しかし…惜しくも2位!1位は最近のドラえもんの話でしたが、
まあ内容的には確かにいい話だった…それは認めましょう。

現在公開中の宇宙開拓史のリメークも、ラストシーンが同じなら
必ず泣けます

今のガキどもに、本当のドラえもんのよさがわかってたまるかってんでぃ!グズッ

KAT-TUNとNEWSの苦悩

どうですか?今回、両方良かったと思いませんか?
ま~レスキューは252とかぶった痛手はありますが、神の雫の終わり方は「20億の財産の行方は????」という部分以外は予想よりずっと良かった。

春からはまた「嵐」が吹き荒れそうですね。

素材がいいだけにKAT-TUNとNEWSには運が向いて欲しい!

【アーカイブ特選】夜明け前~2006年01月26日

ちょっと原点に戻って、過去の記事の再掲載をしてみます。
長いですが、なつかしいなあ…


よくある話だが、芸能界、特にジャニーズに入ったきっかけに「家族が勝手に履歴書を送った」というのがある。私の場合は完全に自分一人の意思で履歴書を送った。今回は、なぜ芸能界、しかもジャニーズを目指すに至ったかの背景を語ってみたい。少々昔話、長話になるが、気楽に読み進めて頂きたい。

私の父方の祖父は加賀百万石と云われた前田家の江戸詰めの家臣の子孫だったようだ。墓には寛永何年、などと昔の年号がやたらと刻まれており、寺の紋章も前田家に縁のある紋章なのでまず真実と見ていいだろう。有名なC大学法学部の出身だったらしく、戦争には学徒出陣で臨時将校として参戦したようだ。いわば「キャリア組」である。

母方の祖父は長野の山奥の出身で、戦争には一般兵として参戦したらしい。こちらは「ノンキャリア組」というところだろう。南方の相当な激戦地に配置されたようだ。幼い頃、祖父の背中に残る2つの銃弾の後を見せられ、その当時はポカンと見つめていただけだったが、今考えると恐ろしいことである。

ところが、戦後二人の運命は逆転する。父方の祖父は戦後一流企業に入社したが、上司に恵まれず出世コースに乗ることができなかったようだ。そのため、家も裕福にはなれなかった。一方母方の祖父は命からがら帰国し、ほとんど無一文の状態から商売を始め、見る見るうちに裕福になっていった。私の母が幼い頃にはもう外国車に乗っていたから、かなりの勢いがあったのだろう。

そして父とは母それぞれの環境の中で戦後直後の同年に生まれた。父はすこぶる頭がよく、有名進学校へと進んでゆく。一方母は所謂「お嬢様学校」へと進学する。しかし、二人とも相当な個性を持った人物だったようだ。

父は若い頃から女性にもてていたという。ルックスも当時としてはいい方だったようだ。それにも増してとにかく頭が切れ、弁舌に関しては仲間の追随を許さなかったという。母から聞いた逸話として、一人で飲み屋で友人を待っていると、見知らぬ女性からしょっちゅう声をかけられて困っていたというから、正直信じられぬが男女ともに人気者だったのだろう。

一方母といえば、「お嬢様学校」に似つかわしくないほどのお転婆ぶりで、高校の授業を仲間とサボっては有名高校の男子生徒らと遊んでいたようだ。写真にもその様子が残っているからこれも本当なのだろう。また、ビートルズなどに影響を受けていたのか、バンド活動にも手を出す。制服の着方も当時の最先端を行くもので、大人たちはきっと眉をひそめていたことだろう。しかし、母はまるでそんな周囲の目を気にすることなく、自由奔放な学生生活を送っていた。祖父や祖母にはそうとう目の敵にされてはいたようだが。

ようするに、二人とも遊び人だったわけである(笑)。ただし、二人に言わせれば決して不良だったわけではなく、イケてる高校生活を送っていたらしい。

その後、母は付属の大学には進まずN大学の芸術学部に進学する。このときの専攻は演劇学科だった。ただしどうやら芸能方面を目指していたわけではなかったらしい。なぜなら、母は職業としてデザイナーを選んだからだ。ただ母に言わせるとそれも望んだ仕事だったわけではないらしく、「デザイン出来ちゃうから仕方なくやってる」と聞いた記憶がある。目指して一生懸命な人たちにとっては悪魔のような発言ではないか(笑)。

一方父は有名国立大学を目指し、合格確実と言われ、受験前日に前祝と称して大酒を飲んだ。結果ひどい二日酔いで受験する羽目になり、見事に不合格となる。最終的に母と同じN大学の建築学科に進むこととなった(ちなみにN大学は大変大きな大学で、各学部で校舎があちこちに分かれていたので、大学内での父母の交流はなかったようだ)。

そんな二人は、六本木にあるジャズ喫茶で偶然出会うことになる。意気投合した二人は恋人同士になるのにそれほどの時間はかからなかったと推測される。なぜなら、二人は学生結婚をすることになったからである。しかも、いわゆる「できちゃった婚」で、母の20歳の誕生日が結婚式で、その時すでに私は母のおなかに4~5ヶ月の状態だった。

ちなみにこの件に関し私は少しも恥には思っていない。むしろ、まあよくこの時代に先端行っていたこと、と感心するくらいである。

しかし、現実はそうは甘くない。学生結婚ということには祖父母は大いに不満を持ったことだろう。そんな中で、1967年、ついに私が生まれたのだった。不思議なことに、名前は父と母でそれぞれ別に考えていて、それを見比べて決めよう、ということになっていたのだが、なんと二人の出した第一候補は文字も読み方もまったく一緒!しかも当時としてはかなり珍しい名前で、それに関してはいまだに新しい人と知り合うと「いい名前ですね」といわれるくらいだから、まさに芸名のようなものである。

そうして、私の人生は初めから波乱含みで始まってゆく。

レスキューと雫はなぜ低い?

正直、両方悪くないドラマだと思います。

でも、この二つがどうこうではないのでしょうか、やっぱりドラマはほぼ全滅…

とくに、中丸君も亀ちゃんも、今回はいいと思ったんですが…
なんか、KAT-TUNはドラマに恵まれない感じがします。

当りさえすれば、きっと嵐のようにジャンプアップできるのに…

まだまだ頑張れ!

打倒韓国チーム!

WBCです。

中国に勝つのは今はまだ当然として、今日当る韓国との結果と内容が非常に問われる一戦です。

ここの読者の方はあまり興味が無いかもしれませんが(テニスよりはいい?)、非常に熱く燃えております!

ただ、今日は夕方から病院で体外受精の事前勉強会があって、終わるのが何時になるか…まあ7,8回くらいからでも見られればいいんですけどね

不妊治療についてはいよいよ13日に治療方法を具体的に決定するカウンセリングがあります。こちらも気合が入ります。金銭的、年齢的にもチャンスはたぶん2回。まさに夫婦揃って決戦だっ!
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プロフィール

石丸志門

1967年9月5日生まれ O型

元ジャニーズJr.
主なレギュラー活動履歴:

テレビ
TBS「年頃家族」
テレ東「ヤンヤン歌うスタジオ」

ツアー
少年隊全国ツアー帯同

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