あまりにもテーマが大きく、複雑なので、1回では語り切れないと思いますが、まずは概要だけでも述べたいと思います。

僕は、いじめた経験もいじめられた経験も両方持っています。比率としては、いじめられた経験のほうが圧倒的に多いです。いじめを受けていたのは高校時代前半まで、いじめた経験は高校の後半に一人です。

大人になった今は、誰からもいじめられませんし、いじめを受けていた人物にも見られなくなりました。もちろん、いじめる側にも立っていません。

では、僕はなぜいじめられ、いじめたのでしょうか。

いじめられていた頃の僕は、体も小さく病弱でありながら、自己中心的で、小ざかしく、謝ることや怒られることを嫌い、言い訳も沢山する子でした。父は離婚しておらず、若い母と祖父母に甘やかされて育ちました。家は裕福で、病弱な僕が欲しがるものは高いものでも何でも買ってくれました。その感覚で外の世界にも接していたので、体力のある子やその取り巻きなどから目障りに見えたことでしょう。大人になった今では、アレではいじめられても仕方がなかった、と考えています。

しかし、誤解しないでいただきたいのは、「いじめられた側にも責任がある」ということが言いたいわけでは決してありません。この説は僕は完全に間違っていると思っています。表面的に見れば、上記の通りいじめの要素となる部分を僕自身が持っていたことは確かです。しかし、それは子供にとっては「個性」あるいは「先天的性格」の範疇であり、指導者―この場合は家族を指しますが―が、幼少の頃から「しつけ」としてきちんと指導すれば多くの場合解決するはずなのです。

しかし、親には試験も免許もありません。親が親としてきちんと機能している家庭は決して多くはないと思います。しかし、では親にすべて責任があるかといえば、それも違います。親が正しく親であるようにそのまた家族や、環境(仕事、生活)が整っていなかった場合が多いのではないでしょうか。

最近は、「キモイ」「ウザイ」などと言う切り口からいじめがエスカレートしていく報道が目立っています。言われるからには何らかの原因がどこかにあるはずです。もちろん子供本人には何の原因もなく、冤罪的にそうなってしまうケースもあるでしょう。どんなに親が注意していても気づけないケースもあるはずです。子供とはいえ学校やクラスはオトナにとっての社会や会社と全く同じシステムで動いています。正しいものがすべて正しくは動いてくれないのが現状です。それを正すために教師が本来いるべきなのですが、その教師ですら「オトナ」の社会に巻き込まれているのです。そもそも、今教育基本法の改善などが叫ばれていますが、僕が最も早急に改善すべきと考えるのは教員採用試験の内容です。何百年も前の外国人が提唱した教育論を覚えて、いったいいつそれを現場で使うのでしょうか?お相撲が年何場所あるかが、一般教養として必要な知識なのでしょうか?僕はどうしても内容に違和感があり、勉強に身が入らず、結局合格することが出来ませんでした。しかし、現在現役の親友の教師からは、「お前は教師にならなくてよかったよ」と言われたことがあります。また、その彼にはこうも言われました。「でもお前のような教師が必要なんだ」とも。

まず親の防衛策としては、どうしたら「キモイ」「ウザイ」と言われようのない子供になるかを、早くから考えて対策やしつけをする事が必要でしょう。また、PTAでのコミュニケーションや、教師や生活指導担当教員、教頭、校長とも日ごろから交流を持つといいでしょう。ただし、下心を出すのは禁物です。ひいきに繋がること、特に贈り物などは禁じられているはずです。夫婦間や家族間でもそれ自体が一つのコミュニティであることを認識し、父の役割、母の役割、夫の役割、妻の役割、子供の役割、といったものについて、できるだけ話し合うことが必要でしょう。仕事などの関係でそうしたくても出来ない、という方々のお気持ちはよく分かります。しかし、家族あっての仕事ですから。究極の選択で、家族を亡くすのと仕事を失うのとどちらを取りますか?

ここまでは基本論的な意見を述べました。しかし、いじめは現在進行形のもので、いじめられている子供にとっては1分1秒を争う緊急事態なのです。大人はこれを忘れてはいけません。

今いじめにあっている子供たちに教えたいことは、どこの誰でもいいから信頼できる人を自力で見つけて、とにかく自分ひとりで背負い込むことをまず回避しましょう。また、休んだり転校したりすることは決して悪いことではありません。また、今ならテレビ局等に助けを求めるのもいいかもしれません。いじめられてしまっている現状では、恥も外聞もありません。世間体なども気にすることはありません。あなたは被害者なのです。堂々とチクりなさい。影でいじめられているなら、いっそ事を公にして話をでかくしてしまいなさい。違法な手段や非人道的な手段でなければ、何をしてでもいじめから脱却するのです。

あなたを助けてくれる人はかならずいます。死んだほうがましだと思うほど辛いかもしれませんが、そこまで思っているなら逆に正攻法で真正面からいじめ撲滅運動を起こしなさい。引きこもったっていいんです。その間に、自分を成長させられるなら。ゆっくりでも構いません。まずは逃げなさい。逃げて落ち着いたら、自分を見つめなおしなさい。冷静に、いじめの原因を分析しなさい。そこまで行けばもう大丈夫。改めて外へ出ましょう。

大人たちへ。

「最近の子供は」などというのは愚の骨頂です。子供に最近も昔もありません。子供が変わったのではなく、社会の環境が変わっただけです。誰がそれを変えたんですか?私たち大人じゃないですか。子供には責任はありません。大人が子供のせいにしているうちは、世の中は決して変わりません。子供は、大人の背中を見て育つのです。

自分が人をいじめた時のことを書くのを忘れていました。僕から見て、生意気で、そのくせどん臭く、体が弱いやつでした。文化祭で大事なパートを「自分がやる」といってきかないのでやらせたら、大失敗をしました。僕はクラスの責任者だったので猛烈に頭に来て、ボコボコに殴りました。それはみんなの前でやったのですぐに先生が来ましたが、僕は「こいつのせいだ」といって引きませんでした。それいらい、僕は彼をいじめて、最後には彼は学校を辞めました。

いじめの最中、ものすごい征服感と達成感があったことは否めません。他の生徒からも彼の人気がなかったこともいじめに拍車を掛けました。また、彼自身「チクる」事もなかったので、やりたい放題でした。

でも、文章に書けることはこの程度なのです。つまり、いじめているほうにはそれほどたいした事と認識していない場合が大いに有り得る、ということです。大人の感覚で分かりやすく言えば、タバコをポイ捨てするのと似ています。本人はそのことについて深く考えていないのです。しかし、自分の事ながら、いじめられた経験がありながら、人をいじめる快感に酔ってしまっていたことは、恐ろしくてなりません。

いじめを完全になくすには、タバコのポイ捨てや飲酒運転を完全になくすことと同じくらい難しいと思います。でも、飲酒運転はまだまだですが、タバコに関しては昔とは随分環境が変わってきたと思います。ですから、今いじめに会っている人には緊急避難を与え、根本的には長期的に社会全体で改革していかなければならないでしょう。

たとえば、学校に風紀委員会ってありますよね?だったらいじめ撲滅委員会のようなものがあってもいいのではないでしょうか?また、PTAにもいじめに関する役員会があっていいと思います。もちろん、教師にもいじめ担当主任がいるべきです。しかも単独ではなく、三権分立のようにそれぞれがそれぞれを指導し、監督するようにしてはどうでしょう?

死んでしまった人は帰ってこないのです。そのまえにぜひ全員でこの問題を考えて欲しいと思います。