2006年08月

キリスト教と仏教の違い

まず断っておくが、私は決して宗教学者ではない。これから書かせていただくことに異論などあるかもしれないが、中立の一般人として客観的に見た視点で述べてみたい。

ただ、キリスト教は学校がミッション系でもあったし自分の名前もそこから来ているから、聖書はよく読んだ。今は英語との対訳本も出ているから、英語の勉強もかねて愛読書の一つとしている。

仏教については、これは心もとないのであるが、手塚治虫の「ブッダ」を取っ掛かりとして、般若心経の解説本や釈迦の生涯を簡単に綴った入門本でしか知識がない。

宗教問題は軽々しく語っていいものではないのはよく分かっている。しかし、世界に出てみると日本人の無宗教ぶり、ごちゃ混ぜぶりがよく分かる。例を挙げれば、12月25日にはクリスマスを祝ったと思ったら、その数日後には神社仏閣に初詣に行く。

私は浅草で生まれ育ったが、意外にも「浅草寺」と「浅草神社」の違いを知る人は少ない。ちなみに、三社祭とは浅草神社でのお祭りであって、決して浅草寺のものではない。ただ、同じ敷地内にあるから素人には分かりづらいのである。

話を元に戻そう。

私は聖書(この場合は新約聖書)と釈迦の教えに関する本を読んだ上で気づいたこと、分析したことがある。

まず、どちらも「本人が書物として教えを残していない」点は注目すべきだろう。ことに新約聖書では明らかに使徒の経験の伝承でしかない。また、どちらも偶像崇拝を禁じており、正しい教えを自分のものに取得し、その自分自身を心の拠り所にせよ、と言う点でも一致している。

また、ごく単純に見てみると、どちらも「如何に生きるべきか」と言うことに対する教えであり、決して「死んでから天国に行くには」と言うことに主眼を置いていない。それはあくまで教えの中では「結果論」にすぎないのではないだろうか。

改めて言うが、私は専門家ではない。だからこそ主観に縛られず、誰からの強制も受けず、客観的に話が進められていると思う。どちらが優れているかを断ずるつもりは毛頭ない。

ただ、イエスと釈迦の生涯を見るときに、大きな違いはその教えた期間の長さである。

イエスはヨハネから洗礼を受けたあと、早速伝道活動に入る。しかし、その行動はあまりにセンセイショナルで、例えば病人を治した後に口止めしたにもかかわらず、あっという間に世間に広まっていく。また、当時はユダヤ教(旧約聖書)の天下であり、それに反するのは神への反逆だとされていた。その中で「私は神の子」と公言していたのだから、当然反発もあったろう。結局、布教開始から僅か3年程度で十字架に上ることになる。

一方釈迦は元はシャカ族の王子であり、王の座を捨てて修行への道に入る。ここでポイントなのは「布教」ではなく「修行」であるところに大きな違いが見えると思う。

その後、あらゆる修行を通して、特に当時流行っていた「苦行」では何も得られない、という結論に7年かけて達し、独自の修行を始める。その後、ついに「悟り」を開くのだが、彼は思い悩む。自分でさえここまでかかったこの悟りを、果たして人に伝えることなど出来るのだろうか?という疑問に突き当たる。その後、約50年に渡り布教活動を続けていくのだが、面白いことに「悟った」はずの釈迦の教えは知られているだけでも5段階に分別できる。つまり、彼は悟ってからも常に真実に向けて答えを、伝え方を最後の瞬間まで模索していたことになる。

この話は日本人にとって非常に重要な話なので、もっともっと語っていきたいが、どうやらまた長くなりすぎたようだ。この続きは、またの機会に。

くれぐれも、誤解していただきたくないのだが、宗教の優劣や正邪を論じているのではない。しかしながら、つたない知識の上での話しなので、間違っていること、誤解を生む表現などあるかもしれない。そのあたりは、ご理解いただきたい。

親の呼び方(妹による改訂版)

ちち、はは、(お)とうさん、(お)かあさん、パパ、ママ…両親を表現する言葉は幾つかある。ただ、改めて見てみるといろんな不思議さがあることに気づく。

「父」と書いて「ちち」あるいは「とう」、「母」と書いて「はは」あるいは「かあ」。

ちち、はは、はそれだけで意味が通じるが、「とう」「かあ」では、「おっとう」「おっかあ」など、何か言葉を付け足さないと非常に分かりづらい。

また、「親父」という言い方はあってもなぜか「親母」という言い方はない。これに相当する語としては「お袋」となってしまう。

もう一つ、同じ音を2回させている点では、ちち、はは、パパ、ママは一致している。偶然なのだろうが、非常に面白い点ではないだろうか。

ちなみに、英語においてパパ、と言うのはその語源として「pope(ローマ教皇)」があり、「papa」でも同じ意味で今でも使えるようだ。

ところが、ママになると、事情が随分違ってくる。

英語において「mama」というと、教皇どころか「尻軽女」「エッチな女」と言う意味が色濃く、基本的にあまりいい意味では使わないようだ。良くても幼児語、というところらしい。

英語では一般的に「Dad(dy)」「Mom」「Father」「Mather」あたりを使うようである。

それでは、日本語の「ちち」「はは」は、その語源はどうなっているのだろうか。残念ながら調べてもよく分からなかった。ただ「親父」は「おやちち」からの変形で、旧仮名遣いでは「おやぢ」であったこと、「おかあさん」は「御方様」の変形らしい、ということまではわかった。

日本語の語源に詳しい方がいらっしゃったら、是非教えていただけないだろうか。

志してこそ

以前、「挑戦していることがある」と書いたことを覚えておられる方も少しはいらっしゃるでしょうか。

その挑戦は、儚くも散ってしまいました。

何をしていたのかと言うと、実は民主党の議員公募に応募したのです。希望は参議院の全国区比例代表に絞ってお願いしました。

履歴書、職務経歴書、2000文字の論文を提出しました。

1300人が応募したそうです。

一人でも多く会いたい、という党の姿勢に「挑戦したい」と思いました。

これをご覧の方には、「お前なんかが出来るわけない」と思われる方もいることでしょう。

しかし、私の人生は「出来るわけない」と言われることへの「挑戦」に溢れているのです。

無論、政策も考えました。僕の専門は教育学ですから、特に学校教育に関しては細かく考えていました。

勿論、医療、年金、景気回復、消費税率などなど政策として掲げるべき分野は多いのですが、たった2000字では何も語れません。ですから、「なぜ今民主党に応募するのか」という出題に忠実に答えることにしました。しかし、書いていて自分でも感じてはいましたがどうしても総論的、抽象的になりやすく、情熱的ではあるけれども具体的ではない論文になってしまいました。

それでも、これは自分との「勝負」でもありますから、決めた方針は貫こうと、あえて具体論には直さずに、そのまま提出しました。

結果は「サクラチル」。

でもいいんです。100の失敗がなければ1つの成功も生まれないと思っています。今回は失敗に終わりましたが、まだまだ様々な夢に溢れています。

きっと、僕は死ぬまで大胆な挑戦をし続けるでしょう。

そうでなければ、せっかく生まれてきたのにもったいないですから。

彼は知っていた!

彼とは、そう、あの上司。

先日、会社の飲み会があって、その席で。

「俺、最初から知ってたんだよぉ~

はっ

なぜ

どうやら、入社した時から上から教えられてたらしい。

どうもおかしいと思った、確かに。

いくら芸能界好きで、例えジャニーズ好きだとしても、なぜあそこまで僕に聞いてくるのか。

「お前が口割るの待っていたんだよぉ~

割れるかっっ

この苦しかった数ヶ月、まるで大バカだった

しかし、当然知らない社員も沢山いたわけで、男ばかりの会社だがそりゃもう「大騒ぎ」。

どうも昔から感じることではあるが、女性よりむしろ男性のほうが知った時のリアクションが大きい。んで、さらに「しつこい」。

その後のカラオケでは、予想通り「歌って踊らされた」

慣れっこだからいいんだけど…

「金取るよ!」

と言うのが精一杯でした…

リニューアル完成いたしました

沖縄にて

みなさん、こんにちは。まずは、携帯の方のためにPCでしか見れないプロフィールとブログ紹介文から。

プロフ:
妻曰く、僕は「天然キャラ」だそうだ。僕はこれまでずっと「2の線」で頑張って来たはずが…しかし、すっかり今では妻の「ペット」状態(笑)ハウス!と言われると「ワン!」といって部屋の隅に座り込む自分が、「結構好き」

紹介文:
僕の名前は聖書の中に出てくる12使徒の名前に由来しています。家族的には僕も含め全くクリスチャンではないのですが。ただ、信じる信じないでなく、「人生の教科書」としては聖書も、仏教の経典なども非常に興味があります。といって何も重苦しい話ばかりはしません。徒然なるままに、日々感じたこと、疑問に思うこと、楽しいこと…いろんなことを書き綴っていきます。さあ、あなたを夢の世界に誘(いざな)いましょう…

と、こんな感じで再出発です。

今日は、嬉しい報告から。

妻が、自発的に骨髄バンクに登録してくれました。

ちょうど暇だったので「献血に行くから付き合って」と街に外食やウインドウショッピングがてらに誘いました。

そうしたら、バンクに登録したい、と言ってくれたのです。

終わった後に、ショッピングして新しい靴を買ってもらいました。

この日は、二重の喜びの一日になりました。

夢のまた夢

このタイトルは、少々こじつけです(笑)

今日が豊太閤(豊臣秀吉)の命日で(これは厳密に言うと旧暦なので実際は9月18日なんだけど)、その辞世の句の結びからちょいと拝借仕りました。

何にも関係ないんだけど…

ただ、この記事を最後に「元ジャニーズのultra soul」は店じまいいたします。

僕が「元ジャニーズ」だからこそ皆さんにお伝えできるお話は、もうおしまいです。あ、もちろんこれまでの記事全てが「だからこそ」ではないんですが…もちろん、ジャニーズブログランキングからも撤収ですね

現役でも端っこでもないちょうど「中間」位の立場にいた人間が語る「ジャニーズ」の世界観は、これまでにあまりなかったのでは、と、一応自分では納得いっております。

あ、このブログ自体は続けようと思っています。次回更新から題名も内容も変えて、新しくリニューアル致します。

といっても、ホントただのブログになっちゃうだけで…ダイアリーだったり、エッセイだったり。写真も載せたいな。旅日記とか。風景写真とか。

一応、これまでに書いた記事はそのまま残そうと思っています。

よかったら、再放送でも見るつもりで、覗いてみてくださいね

では、これまで長い間見守ってくださった大勢の方々、本当にありがとうございました。ここまで長続きできるとは初めは思ってもいませんでした。これもひとえに皆様のおかげです。

どうかこれからも、ジャニーズを応援してあげてください!

本当に、ありがとうございました。

夏休み特別企画:「生きる」最終回

8月15日を前にして、今回の企画の最後の記事を書きたいと思います。

「生きる」事を「人為的に」「無作為に」奪われる「戦争」。

人は、なぜ今も戦争を止められないのか。

その答え、いや、正確に言えば答えに近づけるもの。

それは、日常僕らがついつい起こしてしまう「けんか」。

あなたは、もう二度と人とけんかをしない、と誓えますか?

僕もまだ、誓えません。

目指してはいるけれども。

例えば自分の妻が、強盗殺人にあったとする。

僕は果たしてその犯人を、許すことが出来るだろうか?

笑って話し合える日が、来るのだろうか?

いや、それは無理だ。

しかし、あらゆる憎しみや恨みがこの世からなくならない限り、この連鎖は続いていく。

だからせめて、自分からは人を辛い目に合わせない

人に恨みを買うことをしない

人を下に見ない

相手の都合をまず考える

相手の気持ちをまず考える

こういったことから、はじめていくしかない。

身近な小さな争いごと、「けんか」から、まずはなくす努力をしていくしかない。また、それを人に伝え続けていくしかない。

例えどれほど訳があろうとも、決して争わない、という状況を作るよりも、

その「訳」自体を作らないように、生み出さないように、僕らが進化していくしかない。

きっと、今はこの答えが見つからないだろう

生きているうちに、その世界を見ることは出来ないだろう

でも、僕の子孫が、あなたの子孫が、1000年後、1万年後に見ることが出来るかもしれない。

その日が来ることを信じて。今を「生きる」ことから創め(はじめ)ませんか!

8月15日は

「日本人が今を「生きる」日本人として、歴史上の、世界中の、あらゆる戦争被害者に対して追悼の念を手向ける日」です。

今この瞬間にも、戦争は現実のものとして、世界各地で、幼い子供までが銃を取って、行われています。

厚生労働省は、明日、8月15日正午に、

日本国民に対し

それぞれの場所で

1分間の黙祷を捧げるよう

呼びかけています…

夏休み特別企画:「生きる」3

「天国からの手紙」で涙した人が多いのではないでしょうか?

僕も、妻も泣きました。

僕ら夫婦は、二人とも命に関わることを経験しているからです。

僕らは、年は違えども、全く同じ日に入院しました。それは驚きの事実でした。

しかも、お互いに決して軽い状態ではなかった。入院期間は僕のほうが短かったけれども、それでも1ヶ月、彼女は4ヶ月も入院していた。

僕の病気は、その病院でもまだ完治した症例がなく、新薬の投与を打診された。その新薬でも、過去に投与された事例は僅か400人足らず。完治例は「0」。

それでも、これは実は退院直前の話。入院当初の1週間は自分でも「死線」をさまよっているのが分かった。

「こりゃあダメかもしれないな…」

心の中で覚悟を決めて、万一のために親や妹に託す言葉などを考えていた。

僕は医学書を読んだりするのが昔から好きだったので、自分の状態がいかに危険な状態か、検査の結果を聞くだけでよく分かった。担当医が3人もついていたことからも、事の重大性は見て取れた。

幸い、最悪の事態に陥るリミットの1週間を乗り切り、後は慢性化しているこの病気とどう付き合っていくか、この病気にかかると25年以内(これは25年後、と言うことではない。明日かもしれないし、5年後かもしれないということ)に6割がガンにかかり死亡する、と言われるこの病気と…

そこで新薬を勧められた。ただし、最低1年は服用し、それで効果がなければそのときの医学では完全な治療法がない、と言われた。

もちろん、その薬に賭けた。副作用がひどいかも知れない、と言うことなど気にも留めなかった。25年以内に死ぬことが分かっていて、挑戦しない理由はない。僕は、その病院で32人目の治験患者になった。

ところが、たった半年で僕の体から病魔は去っていった。病院でも初の「完治」患者だったと言うから、本当にびっくりした。正直信じられない部分もあったので、日を改めて別の病院で検査もしてみた。

治っていた!

この病気になったのが、僕の人生の中で5回目の、最後の「死線」だった。

ちなみに、妻のほうは彼女のプライバシーもあるので詳しくは述べないが、入院は交通事故によるものである。自転車で車にはねられた。僕らはテニスを通じて知り合ったが、その内容を聞けば聞くほど、「よく命があったものだ」と思わずにはいられない。ましてテニスが出来るまでに回復するとは…僕と彼女の出会いは「必然」であったとしか思いようがない。

生きている幸せ、自立した生活のできる幸せ…決して贅沢な暮らしではないけれども、「普通の」生活が出来るありがたさ…

苦しいこともある、悲しいこともある、もがき苦しむことも絶望することもあるでしょう。

でも今あなたは、「生きている」じゃありませんか!

どんなに辛くても、先が見えなくても、今あなたは生きているじゃありませんか!

なんと幸せなことでしょう!

いっそ死んじゃったほうが楽なんじゃないか…

そんな馬鹿なこともう二度と考えないでください。

あなたは今「生きている」!

「生きている」んですよ!

生きていることは、すなわちすべてが「挑戦」なのです。すべてが「試練」なのです。辛いのも、苦しいのも、悲しいのも、「生きて」いればこそなのです!

あなたの人生は、その試練に打ち勝つために与えられているのです。乗り越えられない苦しみ、悲しみなどこの世に存在しません。

お金があるのが幸せじゃない。

なにもかも自由なことが幸せじゃない。

「生きて」今この試練に立ち向かえていることこそが後の人生の糧となっていくのです。

「死んだほうがいい」などと思うのは本当に死にそうになったことがないからです。「死」を目前にしたとき、人間は無力です。それが定めであれば。だが生きることを諦めなければ、運は初めて自分のほうに向いてくれるのです。

あなたは努力していますか?

他人を思いやっていますか?

自分のことだけに目が行っていませんか?

家族を愛していますか?

誰かを愛していますか?

「死」に比べれば、生きる努力など楽なものです。

そのことを、どうか忘れないでください。

夏休み特別企画:「生きる」2

666…さて、何の数字でしょう?

こう聞くと、大抵は「オーメン」か「ヨハネの黙示録」と言う答えが返ってくるだろう。僕自身、そう思ったくらいだから。

でもこれは、違うんだ。

日本国民の666人に一人が、ウンと言ってくれればいいという数字…

それが、「骨髄バンク」の不足しているドナー数だという。

9万人足りないそうだ。

日本国民のうち、半数が年齢などをクリアしている「有資格者」として、6000万人を9万人で割った数字。それが「666」

ザックリとした計算だけども、これがクリアできないで何年も経っている。

バンクが出来てから約15年が経つ。集めたい数は、30万人だそうだ。

ということは、この15年ほどで21万人を集めたことになるが…

あと666人に声をかければ、一人くらい賛成してくれてもよさそうな気がするのに。

リスクや「選ばない自由」も与えられてるのを十分考慮しても、もう少し何とかならないものか。

街に出れば、しょっちゅう目にする「献血車」

そこで声を張り上げ、献血を呼びかけるのなら、一緒にドナー登録も呼びかければいいのに、と思う。

生きたいのに、生きられない。そんな人の役にたつなら…

十分に理解してもらったうえで登録して欲しい、というのが財団の考えのようだ。確かに、登録自体はごく簡単だが、いざ移植となると、全身麻酔や入院などといった「リスク」がある。また、途中の段階でいつでも「取りやめ」出来るシステムにもなっている。そのうえ、自分の骨髄が誰に移植されるのか、知ることは出来ない。

臓器提供と同じく、僕も「選ぶ自由」は与えられるべきだと思う。拒否したからといって、その人が非難されるいわれは全くない。それでも、666人に声をかける努力が本当になされているのか、気にかかっている。

待っていてはいけない。待てない人が、求めている人が3000人以上いるのだから。



夏休み特別企画:「生きる」

ちょっとね、大切なことに触れておきたくなって。

「生きる」ことの話。

どうして急に、って?

うん、今日帰りの電車の中で、ポスター見たんだ。

本田美奈子.の。

ついこの前も、さらにそのちょっと前にもテレビでやってたでしょ。それでまた、今日も見て、書かなきゃいけないなって思ったんだ。彼女、同い年なんだよね…全然会ったことはなかったと思うけど。

僕もね、そうだなあ、大げさでなく命に関わるような病気や事故がこれまでに…5回あったんだ。その5回全部を切り抜けて、今生きているこの僕。

大切だ、と思うから、「伝えなきゃ」って思う。

でも、かしこまって聞いて欲しいわけじゃないし、増してやお説教する気なんぞさらさらない。

ジャニーズとは全然関係ないって?ううん、僕にとっては、ものすごく関係のあることなんだ。そういうことも含めて、これから何回かに分けて、みんなに想いを伝えていきたい、って思う。

今、もし「生きてること」に意味を見出せない人がここの読者の中に一人でもいるなら、これからの僕の話を聞いてみてくれるかな…もしかしたら、すこ~し、だけかもしれないけど、役に立てるかもしれないから。

ようやく暑い夏らしい日々がやってきた。

扇風機の風にでも当たりながら、らく~な気持ちで、お付き合いくださいね。

結局今は何人いるのかなあ?

前にも書いたが、僕が入った頃は「全員で」30人くらいのものだった。3年半経って、150人まで膨れ上がった。

でも今は、「カウントダウン」に100人出ている時代だ。

昔のイメージで計算すると、恐らく東西合わせて500人くらいのジュニアが居てもおかしくない。

本当のところ、いったい何人のジャニーズメンバーが居るんだろう…

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プロフィール

石丸志門

1967年9月5日生まれ O型

元ジャニーズJr.
主なレギュラー活動履歴:

テレビ
TBS「年頃家族」
テレ東「ヤンヤン歌うスタジオ」

ツアー
少年隊全国ツアー帯同

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