今年もさまざまな「アイドル」が登場し、芸能界を席巻した。その移り変わりを淡々と見つめる「元アイドル」がいる。児童養護施設出身のアイドルとして、「星めぐり」などのヒット曲で1970年代後半に一斉を風靡(ふうび)した豊川誕(53)だ。人気の絶頂を極めながら、覚醒剤事件での服役を経験した男が語る芸能界の表と裏-。
デビューして今年で37年になります。十年一昔と言いますが、この間に芸能界は様変わりしました。…かくいう僕もいろいろとあったんですけどね。
そんななかでも変わらないのが、僕を育ててくれたジャニーズ事務所。光GENJIにSMAPに嵐-。浮き沈みの激しい業界で、ヒットを連発し続けています。
僕は養護施設で育ち、16歳でデビューしました。大阪のゲイバーでアルバイトしていたときに知り合った高校生に連れられて上京したのがきっかけです。
当時の事務所は六本木5丁目にありました。初めて事務所に行ったときのことは今でも覚えています。社長室で6時間ぐらい待たされ、やってきたのが副社長のメリー喜多川さんでした。
メリーさんはその場で「あなた、合宿所に行きなさい」と即決。その足で、ジャニー喜多川さんがタレントの少年たちと住む合宿所に入りました。メリーさんは後日、「待っていなかったら、あなたを歌手にはしなかった」と言いました。待たせるのが試験代わりだったんですね。
5カ月後にデビューが決まったんですが、芸名もメリーさんが付けてくれました。事務所近くにあった赤坂の豊川稲荷が水商売や芸能の神社だったので、その「豊川」と、ここから誕生するという意味で「誕」。僕と同じく孤児院出身の「あしたのジョー」から、ジョーという読みをもらいました。
ジャニーさんとは、合宿所でよく話をしました。いつも言われたのが、「勝てば官軍」という言葉。勝つか負けるか-。芸能界の論理をよくわかっているからこそ出てくる言葉ですよね。
僕は結局、19歳で事務所を脱退したのですが、その後もメリーさんは何かと気にかけてくれました。覚醒剤で逮捕された僕が出所してきたときには、息子の誕生日パーティーの資金を出してくれたりもしてくれました。
「できの悪い息子ほどかわいい」って感覚でしょうか。迷惑をかけっぱなしで顔向けできませんが、本当に感謝しています。
■とよかわ・じょう 1961年10月、推定3歳のときに兵庫県姫路市の公園で保護され、同市の児童養護施設に。75年に「汚れなき悪戯」で歌手デビュー。98年、覚醒剤使用などで逮捕。薬物依存症を克服し、現在は歌手として活動。今年1月、「愛は咲き頃」をリリースした。