◇寄稿記事は書いてます


こんにちは。
めっちゃ久しぶりのブログ更新です。

いや、ブログは書きたいんですよ。書きたいんですけどね。
全然書いてる時間が無いんですよー。。。(´;ω;`)

先月から今月にかけて、本当に大変だったのです。


「勤め先がとんでもないところだった」という話はすでに吐露しておりますが、過疎ってる地方に住んでいると、例え「ヤバい!」と分かったからといって、おいそれとは辞められません。
そこが人間関係の希薄な都会とは違うところです。


人口が少なくて、良くも悪くも人との関わりが密接な地域です。中途半端に投げ出したりしたら、色んな人間関係にヒビが入って、私と家族が今後この地で暮らしにくくなってしまう。
だから、今の勤め先がいつかダメになるにせよ、できるだけのことはしてからでないと辞めることもできないと思い、奮闘しておりました。



まだまだ一息つくには程遠いのですが、色んな面で少しずつ片付いてきましたよ。

ゴミ屋敷同然だった事務所は、軽トラ3台分くらいのゴミを捨てて、ようやく床が見えてきました。
今月中には業者さんにも来てもらうので、来月までには粗大ゴミもまとめて処分して、大分サッパリするはずです。

どんぶりにも程があった会計も、通帳をぶん取るようにして引き継ぎ、ようやく実態を把握。関係各所と問題を共有して連携し、今後に向けた話し合いを始めました。


引き継いだ当初は、「このまま行ったら年内に破産が確実やん...」と思われたのですが、収入を増やす努力をする一方で、固定費の削減にも取り組み、事業と取引業者の見直しにも励んだ結果、収支は大きく改善する見込みに。
少なくとも今年度は、なんとかなりそうな見通しがつきました。


はぁ〜〜〜〜〜、頑張ったよ、私。疲れた......。


家にも持ち帰って深夜まで仕事したりして(いただいてる給料に全く見合ってないので、夫に呆れられてますけどね)、毎日ドロドロに疲れてしまい、倒れるように寝ています。

まあ、当面の問題が片付くまでは仕方がないです。乗りかかった船だし、親世代(前任者さんや、主要な役員さんたちが私の親と同世代)の不始末を片付けてあげるのが、私たち氷河期世代の宿命かなという気がしています。


さて、ずっとブログは書けなかったのですが、寄稿記事の方はどうにか書いていました。

けっこうあちこちに書いているのですよ。
ただ、納品した記事が公開されても、必ずしもこちらに連絡をいただける訳ではない(そもそも納品した記事が、必ずしもちゃんと公開される訳でもない)ので、公開を把握してない記事はご案内できずにいます。


今回公開された記事は、割に納品してすぐに公開され、ご連絡もいただけました。
テンポよく公開してもらえるのは、大変ありがたいです。私は忘れっぽいので、書いてから何ヶ月も経過してからようやく公開されると、書いた内容と書いてる時の熱をすっかり忘れてしまいます。
こうしてブログで紹介しようにも、「覚えてないな〜」となると、筆が進まなくなってしまうんですよね。


今回公開されたのは、Money Canvasさんという資産運用の情報サイトに寄稿した、お金についての話です。
まだお読み頂いてない方は、どうぞ。

こちらから→無一文のシングルマザーのどん底で抱きしめた、あたたかい布団の思い出


「お金にまつわるコラムを書いてください」と言われても、実用的な記事は書けないので、結局「いつも通り」の読み物なんですけどね。こういうのしか書けないので。


今回は、お嬢さん育ちで甘ったれた考えで生きていた私が、辛酸を舐めていた頃の話を書きました。
書いた通り、貧乏になって、常にお金の心配ばかりしていた頃は、心身がおかしくなっていました。人生の暗黒期です。今でも当時の辛さを思うと泣けてきます。

離婚して、祖父が遺してくれた遺産のおかげで生活も安定し、人生を立て直すことができたのは、本当にラッキーでした。


断っておきますが、辛かった日々は前の夫のせいではないです。
私は夫が嫌いになってしまい離婚に踏み切ったので、私の側から見れば、どうしても「嫌いにさせるような原因を作った夫が悪い」ということになってしまうのですけど、結婚生活の破綻は双方に原因と責任があります。一方だけが悪いなんて、あり得ないんじゃないかな。

だから、当時の私の不幸や困難は、あくまでも私が未熟だったから。
未熟であったゆえに、わざわざ相性の悪い人を選んで結婚してしまったのでしょうね。


今になって振り返ればなのですが、私と前の夫はよく似ています。

性質とノリが似ているので気が合うけれど、残念ながら、お互いに足りない部分を補い合える関係ではありませんでした。だって、似たもの同士だから。

ゲームでパーティを組む時だって、同じ属性の仲間は選ばないですよね。自分ができないことをできる人こそパートナーに選ばないと、お互いにサポートできないじゃないですか。


色んな現実を知っていればこそ、祖父は私の結婚に、「上手くいきっこない」と反対していたのでしょう。
けれど、いつだって年長者の懸念が理解できるようになるのは、もはや色んなことが手遅れになってからなのです。


結局、最初の結婚生活は祖父が心配していた通りの結果を迎えてしまったし、謝りたいと思った時にはもう、祖父は他界してこの世に居ませんでした。
けれど、祖父が遺したマンションに住んでいる間は、家の中にずっと祖父の気配が感じられました。


私は祖父の生前、特に心配をかけていた孫だったのでしょう。祖父の孫の中で、女の子は私一人きりでしたからね。
だからなのか、亡くなってからも、折に触れて祖父は私の夢に出てきていました。孫のことが心配で、成仏しきれていなかったのかもしれません、
そんな祖父を最後に夢で見たのは、祖母が亡くなる前夜のことです。


祖母は長生きし、一人暮らしが難しくなると私の実家に引き取られ、娘(私の母)による介護を受けて、94歳まで生きました。
私も高知に住んでいる間は、祖母の身の回りの世話の手伝いに通っていました。長生きしてくれたおかげで、祖母には再婚して落ち着いた姿を見せることができたので良かったです。心配かけっぱなしのままにならなくて。


祖母が息を引き取る間際、久しぶりに祖父が夢に現れました。
朝が来て目を覚ますと、祖母が息を引き取ったと連絡が入ったので、「やっぱり、お爺ちゃんが迎えに来ていたのか」と思いました。

それを最後に、祖父は夢に出てこなくなりました。
祖母の手を引いて、ようやくドアをくぐったのだと私は理解しています。


私の身の回りから、祖父母の気配はもう完全に消えてしまっていますが、祖母が大切にしていた古い箪笥と、祖父が愛用していた木の椅子は、捨てることができません。
二人はとっくに成仏しており、遺品はただの抜け殻に過ぎないと分かっているけれど、それらの家具には彼らの思念が今でも残り、家と私を守ってくれているように思えるから。


今まさに仕事で苦労しているように、日々大変なことはあるけれど、現在の私はおおむね幸せです。
そしてこの幸せは、困難な境遇から立ち直るための資産と環境を遺してくれた祖父母のおかげだと、感謝しています。