◇大好きな和華子さんの話


こんばんは。
前回のブログでお話しした通り、勤め先の惨状に慄いて、白目を剥く日々を送っておりましたが、そんな状況にも次第に慣れてきてしまいました。
恐ろしいですね、人間って。



慣れてしまうのですよ。(`・ω・´)



現在の職場は、あらゆる面で昭和から時が止まっているし、事務所の中にあるものの9割が不用品(映らないブラウン管テレビとか、壊れててまともにコピーがとれない複合機とか、古すぎてネットに繋がらないパソコンとか、フロッピーディスクの山とか、音が割れてる固定電話&Faxとか、「裏紙として使えるから」と大量にストックされてる古いチラシとか、捨てられていない平成31年分の書類とか...)なのですが、



なんかもう、慣れちゃった。(´∀`*)



これまでの数十年ずーーーーっとアナログでしてきた仕事。無駄に広い部屋に30年以上かけて積み上がった不用品。早く処理しないといけないのに、放置されてきた案件の山。
一度にどうにかしようとしても、簡単には片付かないことばっかりです。

なので、さっさと片付けようとすることは、もう諦めました。
業務のデジタル化も事務所の片付けも、地道にコツコツやっていきます。
どんなにのんびりやっていても、年内には出口が見えることでしょう。


もう「諦めた (´・ω・`)」ことで、ちょっと時間と気持ちにゆとりが生まれました。


これからはブログもコンスタントに書いていきたいですね。


さて、寄稿記事の宣伝を全くしていませんでした。
公開されてから随分と時間が経ってしまいましたが、まだお読み頂いてない方はどうぞ。


こちらから→「歳を取るのは、幸せなこと」和裁教室で出会った、生きがいあふれるお婆さんたちとの思い出


大好きな和華子さんについて書きました。
ほんっとに素敵な人だったんですよね。お亡くなりになって、訃報が高知新聞に載った時には何とも言えず寂しかったです。


和華子さんについては、以前にも一度書いているのですよ。
だけど、寄稿した先のメディアが無くなっちゃったんですよねー...。記事も消えちゃいました...。
自分でも気に入っていた記事だったので残念ですが、Webメディアとは儚いものなので、仕方がないです。


また機会があれば、消えた記事のアレンジバージョンを書くかもしれません。
そうやって何度でも書きたいと思うほど、チャーミングな人でした。

「こんなふうに年齢を重ねたいな」と思う、私の中のお手本です。