ステーキパイ

アリズリーの街は、家から割と近い。

5kmくらいで、これが日本の町なら「近所」とは感じないかも知れないが、オークランド・セントラルのなかでも東部は、いまでも昔のニュージーランドとあまり変わらないクルマ社会なので、感覚的に「すぐ」です。

特に地元のリミュエラの商店街が、やや古びて、近所の人たちも、あまり行かなくなってしまったので、ちょうど東京のように駐車場がオーガナイズされて、appをセットして駐車したりする手順が面倒くさい気分のときは、家から2kmほどのオークランド最大のダウンタウンNew Marketよりも、アリズリーのほうが手軽だと感じる。

「昔のニュージーランドの感覚」と言われても、日本語の人に判りにくいに決まっているが、

自分の家のロータリーに駐めてあるクルマに乗って、ダウンタウンに着けば、探さずとも必ず空いている駐車スペースに駐めて、歩いて、お目当ての店に行く。

日本で似た体験を探すと、ちょうど、軽井沢から追分や佐久平の店に出かけるときの調子と、気楽さが、ちょっと似ているかも知れません。

片手で食べられるものが、やたらと好きなのは、このブログ記事を読んできてくれているひとは誰でもが知っている。

日本にいるときは、たいてい、おにぎりで、からあげクンがお伴で、モニさんが運転していれば助手席(←なんて、おもしろい名前!)のわしが、なにを欲しいか察して、間髪をいれずに差し出す。

差し出すものを間違えて、からあげクンを求めている気持ちのときに、おにぎりを差し出すと、怒られます。

ガメは、気が利かないなあ、とふくれている。

助手と運転手の立場が入れ替わると、出されたものを喜んで食べないと、(もちろん、ふざけてだが)睨まれて、わたしが差し出したものが食べられないのか、と迫られます。

ニュージーランドにいるときは、韓国巻寿司のギンパッやサモサのこともあるが、基調は、子供の時から大好きなステーキパイで、ステーキパイに代表させているが、詳細を記せば、

ステーキ&チーズ

ステーキ&マッシュルーム

ミンス・パイ

という例の「あれ」です。

昔は、というのは21世紀に変わるまでは3ドル以下が相場の食べ物だったが、最近では8ドルくらいが普通になった。

もともとがビンボな英語町のご多分に洩れず、ニュージーランドにも「ベーカリー」が至るところにあります。

ベーカリーというのは広汎な範囲に渡る店の総称で、要するに「bake」してつくるもの全般で、

パンなどまったくおいてなくてクリームドーナッツやパイだけ置いてある店もあれば、逆にステーキパイなどはおいてなくて、日本でいう「食パン」だけ十何種類か並べて売っている店がある。

オリーブオイルに浸して食べるように設計されたフォカッチャを始めイタリアのパンばかり並べている店もあればバゲットを中心にフランスものばかり焼いて並べている店もある。

実は腕のいいパン焼き職人の長い伝統がある中国系の人には中国系の人の好みがあるので、チャイニーズベーカリーも、チェーンがいくつか存在して、カリーパフの腕を競うマレーシアンベーカリーが西のほうに行くと点在している。

最も最近のトレンドは、多分、インドのおおきな街には昔からあるのでしょう、

インディアン・ベーカリーがあって、欧州系人はあんまり喜ばない、日本風のショートケーキそっくりのケーキが並ぶ横には、チキンティカマサラパイやなんかの、スパイスどっちゃりのパイが並んでいる。

こういうインド系ベーカリーがある街に行くと、スリランカの人たちがやっているベーカリーもいくつかあって、例のstring hopperがプラスチックの弁当箱に収まって整列しています。

カリーパフのカレーの代わりに、めっちゃ辛いプルドチキンが埋め込んである「デビルド・チキン」は、わしの大好物でもある。

書いていると、キリがないので、この辺で止すが、ともかく、ベーカリーが数多あるなかで、

どうも、やはり、齢を重ねて、四十歳になんなんとしてくると、嗜好はガキわし時代に戻るようで、結局、サモサやギンパに浮気していたのが、放蕩夫よろしく、ステーキパイに戻ってきてしまっている。

ニュージーランド人は、ステーキパイに対する執着がひときわ強い国民性だが、ビッグ・イベントとして、真冬のパイ・アワードがあります。

https://www.pieawards.nz/pie_awards_2023.cfm

店のひとたちにとっても年中行事だが、客であるこちらにとっても、受賞ベーカリーのリストに近所のベーカリーを見つけると、さっそくクルマで出かけて、「おお、見たぞ見たぞ、おめでとう」と述べて、もうなんだか天使と面会を果たしたような至福の笑顔の店主に「さんきゅさんきゅ」と連発されながら、紙袋にパイを入れてもらう。

たいてい、東南アジアのひとたちで、むかしはベトナムの人が多かったが、このごろはラオスやカンボジアの人が増えている。

ベルギーから来た、とか、フランスのひとたちもいるが、パイに関しては東南アジアのベーカーに一日の長があるようでした。

買って来たパイを駐車したクルマのなかで、あるいはオークランドの町のあちこちにある、鬱蒼と樹やブッシュが茂る、あるいは海辺にある公園のピクニックテーブルに座って食べながら品評会を開く。

今日、食べたパイはグレイビーの味がくっきりと濃くて、へええ、こういう手があったか、おいしいね、ということで意見が一致した。

ビーフも量は少ないが、よいものを使っていて、5ドルを超えるといい気持ちがしないわし世代の人間でも、7ドルでも、まあ、納得しなくもない、とおもう。

片手で持って食べられるパイは、もともとはビンボ人の食べ物で、子供のころは、都会ならば、ビンボ地区に行くほどおいしい店があった。

サーファーズパラダイスに行くと、わしガキのころは、表通りは日本の資本がドカドカと投下されていて、たしか「札幌」という名前の日本レストランや、ニュージーランドの日本の人とマレーシアの女の人が経営していた「山玄」も、あったかな?

ホノルルのような雰囲気をめざして、いかにもオカネモチな日本のひとたちが歩いていたが、一歩、路地にはいると、なあんとなく灰色に薄汚れた地元のクイーンズランド人が胡乱な目で屯していて、ビンボビンボなリズムが流れていた。

ガキといえど、イギリス式世界は慣れたもので、鼻が利いて、よしよし、この辺ならばビンボ人めあてのベーカリーがあって、ソーセージロールやステーキパイの、ちょーうめーのがあるに違いない、と睨んで分け入ると、はっはっは、ちゃんとある。

パイは、そういう食べ物で、最近は、10ドルを超える「グルメパイ」も存在して、恐ろしいが、もともとは、ずっと前、20年以上前にニュージーランドのミンス・パイのチャンピオンに輝いたカイアポイのベトナム系じーちゃんがいみじくも述べたように、「パイは3ドルを超えてはいけない食べ物」なのでした。

このころのNZD3ドルって、3x55=165円なので、150円くらいでないとダメだ、と言っているわけで、そ、日本でいえば、価格の点でもおにぎりなんです。

いまはNZD8ドル、8x85=680円で、少なくとも日本の人の視点からいえば、到底おにぎり族とは言えない食べ物になってしまったが。

もうこのごろは、そんな質問をする人は日本にもいないが、むかしむかしは、ネットがなくて、情報が二桁違いといいたくなるくらい少なくて、アメリカでさえ、よく「イギリスって、どんな国ですか?」と訊かれた。

そういうときは、テキトーに応える以外に対処法はないので、テキトーを極める答えで、

女王とかいう、ヘロいおばちゃんがいて、家にいるときは、家のてっぺんにでっかい旗を翻して「わしはここにおるぞ」をやっている国です、とかなんとか、述べていたのだとおもうが、

内心では、最も適切な答えは「ビンボ臭い国」であることは判っていた。

特にアメリカと較べると、壁紙ひとつとってもチョービンボ臭くて、なにしろイギリス人くらい例えば花柄をビンボ臭くする才能がある国民はない。

上流階級のなかには、階級が上な癖にオカネまでいっぱいあるという、とんでもない家柄もなくはないが、これはこれで、なんだか派手なだけで、ひらたくいえば悪趣味で、おなじ洪水のような装飾でも、ローマのように、天国から花々があふれ出して来た、という趣にはならないもののよーでした。

世界でいちばん惨めな気候の国、という項目があれば、断然首位として記録されそうな、冬の冷たい雨に打たれながら、傘なんかさしはしないので、そぼ濡れて、衿を立ててもなお首筋を伝って背中に流れ込む雨に悩まされながら、ステーキ&チーズパイを食べるのは、ニュージーランド人の特権的な楽しみだが、むかしの移民がぜんぜん来ない、ド退屈な「白い連合王国」を知っていれば、この惨めさという娯楽の淵源は、イギリスであることは、どんな人でも納得がいく。

最近は、ステーキ&ハラペーニョが好きだが、おにぎりにも、新しい種類が出来ましたか?

日本のことだから、海苔がぺったりと貼り付いているおにぎりを食べていくと、GODIVAのチョコが白いご飯に埋もれていたりしないだろーか。

10年くらい前までは、ポンソンビーという町のスーパーマーケットのデリで、

でっかいマオリのおばちゃんが、日本でもちょっとお目にかかれないような、むちゃくちゃおいしいサーモンのおにぎりを握ってくれたんだけど、おばちゃんがやめちったのでしょう、おばちゃんと一緒に、あの極上おにぎりも姿を消してしまった。

グレイビーをこぼしそうになりながら、クルマのなかでステーキパイを食べていると、

片手におにぎりをもって、テーブルのまんなかに「からあげクン」を置いて、モニとふたりで、ニコニコしながら、「おいしいね」と述べあっていた軽井沢の日々が、ほんとうは存在しなかったような気がしてきます。

モニもぼくも、ほんとうに、あんなに遠い国にいたことがあるのだろうか。

ほんとうは白人だけの世界が嫌で、夢を見ていただけなのではないか。

ほら、その証拠に、きみはいまも英語社会にいて、おにぎりではなくて、ステーキパイを片手に、まるで他の世界を知らない人のような顔をして、英語とフランス語で、冗談を言って、笑い転げている。

ときどき、すっと、胸を刺すように、楽しかった日本での記憶が、身体を通りぬけていくのだけど。

その身体を透きとおる光も、ほんとうは架空のものなのかもしれません。



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