自分ゴト化と正当化
こんにちは。
私は、運動会サッカー部(以下ア式)のマネージャーをやっている大学3年生です。
たぶん新入部員のみんなには、この字面ほどの存在感しかないと思うけど、そんなみんなも含めて、これから大学に進学する高校生や、何かを理由に部活に入るという選択肢を諦めた大学生に捧げます_____。
胡散臭いかもしれないけど、自分なりに考えた、
「やりたいことができる環境にいるためのマインドセット」
「行動を自らの価値向上に繋げるためのマインドセット」
的なね。
まぁ、当たり前のことしか言ってないのかもしれないけど、自分の経験から導いたという点に価値を置いて、誰かの1サンプルとして参考なればいいのかな。
ちょっと想像しにくいこともあると思うけど、そこは想像力を働かせてね。
改めまして。
今年の新入部員はまだ部室にも入り浸れず、そもそも受験生のとき夢に見たキャンパスにも入れず、本当に実感の湧きにくい今日この頃だと思う。
だが、時は残酷にも過ぎていくもので、唐突だが、いずれ部活で所属したいユニット(広報、リクルート、協賛などピッチ外でやることをざっくり分けてる部署的なのを想像してほしい)を聞かれる日が来る。
1年生の頃、ユニットの様子を見て、なんか会社みたいだなって思った。いわゆる事業部制組織というやつ。
透明化やフラット化が進み、その形態は変化したが、当初のイメージは変わらない。むしろ、機動力も高まり外部の目も意識し、協賛活動などにより金銭的義務感のようなものも生じてくるなかで、よりそちらに近いものになっている気がする。
かといって、「めんどくさい仕事」とは思わないで欲しい。やりたくないなら拒否権は認められるし、興味があるユニットに入ればいいと言われるはずだ。
けど一つ、自分が成長できる「機会」になるかもしれない、という事を頭に留めておいて欲しい。
最初はよく分からなくて、モチベーションも上がらないかもしれない。
けど、そんな時はユニット長とか、他のメンバーに聞いてみたらいい。きっと、今までの歴史とか、もう卒業した先輩の話とかをしてくれて、ぼんやりとでも大枠が掴めるようになると思う。
モチベーション。
これは昨年のfeelings(部員ブログ)でも触れた内容だが、私はもはやあの時とは別人である。今読んでも、なんて狭い視野しか持っていないんだとしか思えないので読まないでほしい。(フラグではない。)
たまに、選手とかから、「自分のことでもないのに頑張れるスタッフってすごいね」「こっちはサッカーが好きでやってるけど、スタッフは違うじゃん?」って言われることがあるのだが、私に限って言えばそんなことはない。モチベーションが薄れることも、ないと言えば嘘になるが、端からみると推進力があるように見えるのには理由がある。
結論から言うと、それは、いかに「自分ゴト化」できているかだ。
私は感情的にしろ論理的にしろ理由がないとなにもやる気が起こらないので、楽しさが逓減したらバイトはやめるし、興味が湧いたらすぐに行動に移すが、もうここから得るものはないと悟れば身引きも早い。
そんな私が部に所属して3年が経つというのは俄か信じられないことで、まぁ、感情的な理由がかなり大きいのもあるのだが、自分がここに所属することの継続的な「正当化」を行っているのは大きいと思う。
他の部員のfeelingsを見ても、東大でサッカーをすることの「正当化」は常日頃行われているわけで、そこに関しては私も同じである。何かのインターンに没頭する道もあったろうし、デザインサークルでWebデザインくらいサクサクできるようになっていたかもしれない。
ここからは、あえて、先に述べた感情面を切り離して考える。
私がもしア式を続けていなかったら…
ブランディングの面白さと困難さをここまで実感をもって知ることはなかった。
ブランド・マネージャーとしてのキャリアか、マーケティング戦略部門か、はたまたスポーツビジネスの世界に飛び込むか、それとも2年生のうちから勉強していた会計士の道にそのまま進むか、半年近く頭を悩ませることもなかった。
悩んだ挙句アメリカまで行ったり、その繋がりでスタートアップのブランディングとSNS運用のインターンの話が来ることもなかった。
これまでみたいにレールに乗っかって、外資コンサルの就活に勤しんでいたかもしれない。
「学生のうちは、失敗しても何とかなるんだから、いろんなことにチャレンジすれば良い。」
私の中で、ア式はこのプラットフォームになっている。
他にたくさんやりたいことがあっても、他のコミュニティに所属するのは体力もいるし、スケジュールや時間的制約から難しいこともある。
経済学部に進学した私の中で、それはブランディングであり、統計学であり、マーケティングであり、はたまたデザインやカメラマンでもあった。
もちろん、これらは手段として大変落とし込みやすい学問分野であり、汎用性が高いことも大いに関連するのだが、私にとってア式は、身近にそれらを実践できる、実体を伴った運用可能な一事業部制組織だった。
実際、私はア式での実践を通して、実証的に考える機会を作り、失敗から学び、また、職としての向き不向きの「ふるい」としても活用し、自らの実績の積み上げ・スキルアップの場としても活用させて頂いている。
そう、「自らのため」に「活用」させて頂いている。
特に、最近は興味のある人で集まって勉強会なんかも開催してて、知見を広げ、議論できる環境も整っている。マーケティング班とか、手段として必要だったのもあって勝手に立ち上げたのだが、それなりに人数も集まったおかげで毎回違う視点で学びが得られるのは、絶対に1人で本を読むだけじゃできなかったことだ。
先述したインターンでそこらへんの知識を活用したプレゼンをしたら、高評価を頂けたのでまじで感謝しかない。
つまり何が言いたいかというと、社会から評価を得られる水準のスキル獲得の機会も、ちゃんと部内に存在するということだ。
もちろん、すべての人にこのようなケースが当てはまるわけでは無いし、部活を回すには好きじゃなくてもやらなければならないことも絶対にある。
それに、必ずしも私みたいに、興味とそれを発揮できる場所が揃っている訳ではないことも、紛れもない事実だ。
けれど、これだけは言えるのが、組織の課題を、いかに自分の興味のある分野に引き込んで「自分ゴト化」できるか考える意味はあるということだ。
また、自分の興味が湧いたことを、いかに「他人ゴト化」、強いては、組織の目的とベクトルを一致してさせることができるか考えるのも意味があるだろう。
個人と組織の利益が一致した時、その効果が最大化するのは言うまでもないことだが、そこを一致させる努力は欠かせないと思う。
逆にこれができれば、嫌なことも比較的プラスに、好きなことは周りへの利益に昇華することができる。(これが無理なら、「これを乗り越えた先に自分の成長があるのだ〜」と思い込むことにしてる。)
だから、私はやる事やるべき事を自らの利益に則して「正当化」するし、結果的に、それは組織の利益の最大化にも繋がると信じている。
もし、私みたいに一度正当化しちゃえば突き進んでいけるタイプ、自分に何かを思い込ませることが得意なタイプなら、これはかなりの原動力だ。
自分がやりたいことを明確に持って、そして、それをちゃんとスキルとして使えるようにしておけば、いつのまにか好きなことができている、というのは、少なからず起こりうると思う。
そうやって経験の機会を自ら生み出せれば、成長サイクルは自然と回り始める。
やりたいことを見つける話とか、何を持つべきスキルとするのか私が半年近く悩んだ話はまた今度。
大学の4年間で何をしてきたの?
この問いの答えで、自らの価値の向上を証明できなければ、私にとって大学で4年間過ごした意味は無い。
どうしてここにいるの?
その問いに明確に答えられなければ、私にとってそこにいる意味はない。
人によって、その「場」はそれぞれである。
ある人はサークルやゼミかもしれない。
ある人は研究室かもしれない。
また、ある人はインターン先かもしれないし、これらの人にとっては、その「場」として部活は当てはまらないかもしれない。
だだ、私のように、部活をその「場」にするという選択肢もあることを知っておいて欲しい。
「場」は人それぞれだろうが、ある場所をその場に「する」という意識は持っていて損にはならないのではないだろうか。
誰よりも自分のために。
結局ゼミには会計学を選んだが、それも、そこに自分の他の興味を結び付けられる可能性を見出したからだ。「自分ゴト化」の余地を見出し、ア式に次ぐ第二の「場」になると思えたからだ。
ゼミでの卒論が一種の学問的証拠となるわけで、その分野を選択することにより、他の興味のある道は自分のキャリアから消えてしまうのではないかと危惧していたが、ア式の中でまだまだその挑戦は続くし、現にインターン先でもマーケやブランディングとの繋がりは保てている。実績があれば消えることはない。
繰り返すが、自らの活動になにを求めるかは本当に人それぞれなので、1サンプルとして参考にするくらいで読んでもらえたらと思う。気分屋で、やりたいことがいっぱいある人には、ちょっとは共感してもらえるのかな。
あと、私のこの自分尺度の利己的行動により、組織の利益の最大化でも何でもなく、ただ周囲を振り回しているだけなら、そっと私に伝えて欲しい。自分でも周りを見えていないなと思うことはとても沢山ある。
書いていて、やはり自分はかなり自己中心的だと思った。けど、ヒトってそんなもんでいいんじゃないかな。自分の人生だし。
あと、結局言ってることは単なる「正当化」なんだよね。書いたはなから、冷めた目で見てしまっているけど、まぁいいや。とりあえず続けます。
この文の中程で、感情面な面を切り離して考えていたのを覚えているだろうか。
誤解しないで欲しいのは、ここまでグダグタ述べたことは結果論であって、ア式に所属する理由でもなんでもない。
理由ならもっと単純だ。
部員の誰もが口を揃えて言うことだけど、本当にそこが核心なのだと思う。
感動の瞬間にいれるから。
それだけで十分すぎる。
いかに生きたかとか、何をしたのか、とかは、生きているときは自己肯定感だったり、生きる意義を感じれることなのは間違いない。
けれど、私が思うに、死ぬ直前の朦朧とした頭で思い出されるのは、そんなコンテンツ的なことじゃなくて、もっと感情的なもの、あのときどう思ったとか、その感情が湧いた時に見た情景だと思う。
高校時代はまったりと文化部で青春を体験することもなく、受験勉強に費やし、自分が涙するような、震えるような感動といえば、ミュージカルの舞台の上から見た景色とか、高3の体育祭の応援で優勝した時とか。
たぶん、学生時代が終わったら、そんな経験はもっと少なくなってしまう。
けど、大学1年の時の駆け抜けるような勝利の体験とか、ファインダー越しに見た皆んなの死ぬほど嬉しそうな顔とか、昨シーズンの最終節の応援席の歓喜の震えとかは、どんなにボケても、死ぬ直前まで記憶に刻まれている自信がある。
そんな思い出を作るのに、大学の時間を費やすのも、あり、なんじゃないかな。
これも、私がやりたいことの大事な一部。
Stay hungry. Stay foolish.
- Steve Jobs
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
書いたあと、何日か読み返す度に、なんだか全てが単なるこじつけに思えてきてしまっているし、誰かを励ましたり悩んでる人の助けになる文章になってるのかも謎だけど、分かる〜と思ってくれる人がいたら嬉しいな。
一歩引いて見ると、自らの行動原理を事細かに正当化せずにはいられない、私の人間性がありありと現れているようで何とも言えない恥ずかしさだけど。
たぶん、ここに書いたことも、1年経ったら「なんか言ってたなあの時は」とちょっと大人になった気分で見返すことになるんだろうな。今の次元を見つめるという意味で、無意味ではないと信じたい。
後悔なく好きな事をして生きる人生のために。
I’m convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You’ve got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers.
- Steve Jobs
今日の写真のコーヒーは、表参道にあるRalph's Coffee。
コーヒーをオーダーしにレジに進むと、大きなケーキケーキが誘惑してくるはず。
テラス席が気持ちいい。
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