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SPECIAL INTERVIEW

SWEET LOVE SHOWER 2023
光村龍哉(ZION)インタビュー

光村龍哉(Vo,Gt)、櫛野啓介(Gt)、吉澤幸男(Gt)、鳴橋大地(Dr)、佐藤慎之介(Ba)によるロックバンド、ZION。北海道に拠点を置いている彼らは、2022年12月に1stアルバム「SUN'n'JOY」をリリース。ライブ活動も徐々に活性化するなど、活動のペースを確実に上げている。
「SWEET LOVE SHOWER 2023」への出演を記念して、光村龍哉にインタビュー。NICO Touches the Wallsとして11回出演した「SWEET LOVE SHOWER」の思い出、ZION結成の経緯などについて語ってもらった。

取材・テキスト / 音楽ライター・森朋之

――「SWEET LOVE SHOWER」にNICO Touches the Wallsが初めて出演したのは2008年でした。

メジャーデビューした翌年ですね。それから毎年のように出させてもらってたんですけど、山下達郎さんが初めて出演した2012年だけなぜか呼んでもらえなくて。僕は大の達郎ファンなので、「ひどいじゃないですか」ってずっと文句言ってました(笑)。2014年に達郎さんが出たときは、自分だけ前ノリしてライブを観たんですけど、すごく感動しましたね。あと、2009年に桑田佳祐さんと共演できたことも印象に残ってます。「希望の轍」を出演者全員で歌ったんですけど、桑田さんは自分にとって永遠のアイドル的な存在だし、めちゃくちゃ緊張して。ご挨拶させてもらった時点で舞い上がっちゃって、ステージに上がるまでにワインをかなり飲みました(笑)。

――めっちゃいい思い出じゃないですか。ラブシャ自体に対しては、どんなイメージがありますか?

まずは富士山が見えるということですよね。富士山は日本人にとっていちばんシンボリックな存在だし、そういうロケーションで自分たちの曲を演奏できる、でかい音を鳴らせるのがいちばんの魅力じゃないかな。スペシャのスタッフの方々も"富士山が見えるかどうか"をすごく気にしてますからね。会場に着くと、「昨日はよく見えたんですけど、今日は〇%くらいですかね」って(笑)。

――NICO Touches the Wallsとしての最後の出演は2019年。結局これがNICOにとってのラストライブになったわけですが、今振り返ってみるとどんなステージでしたか?

「これが最後のライブになるかもしれないな」というのはほぼ分かってたんですよね。
実は夏フェスに出る予定もなかったんですよ、あの年は。「バンドが終わってしまうのに、何をやったらいいんだ」という気持ちもあったんですけど、「どうしても出てほしい」と言っていてだいて。いろいろ考えて、「"フェスのNICOのベスト版"みたいなセットリストにしよう」と思ったんですよね。自分たちがやりたいことというより、"自分たちは何者だったか"を意識したというか。それまでの道のりを確かめながら歌ってる感じがあったし、1曲1曲、メンバー、スタッフ、お客さんに対して「ありがとう」と思えたんですよね。迷いながらやってた時期もけっこうあったんだけど、「やってよかったんだな」と。

――そして今年はZIONとして初出演。本当に縁が深いフェスですよね。

そうですね。今回、お誘いがめちゃくちゃ早かったんですよ。去年の年末にお話をいただいたんですけど、「ZIONのアルバムを聴いて、ラブシャのロケーションで曲を聴きたいと思いました」と言っていただいて。その言葉が単純に嬉しかったんですよね。やっぱり、その場所でどんな音楽を聴きたいかというのが大事というか。ZIONを始める前も、自分のやりたい音楽がどういう景色にマッチするか、ずっと考えてたんです。
その頃に思い浮かべていたのは、何もない、だだっ広い土地を車で走ってるときにグッとくる音楽だったんですけどね。

――"広大な土地に似合う音楽"というイメージを得たきっかけはあるんですか?

2019年のラブシャが終わって、次の日からアメリカのアリゾナに行ったんです。リセットというか、ちょっとした夏休みみたいな感じだったんですけど、アリゾナって砂漠なんですよ。"本当に何もない一本道を車でずっと走る"みたいな旅だったんですけど、それがすごく良くて。向こうってめちゃくちゃFM局があるじゃないですか。いろいろ探してるうちに「これはいいな」というステーションが見つかって。その名前が"ZION"だったんです。選曲のテーマが"ワールドクラス・ロック"っていうザックリした感じで、古いのだとビートルズやストーンズ、そこからいきなりヴァンパイア・ウィークエンドにつながったり。新旧のロックがずっとかかってるんですけど、それがすごく心地よかったんですよね。
そのときに「これだ」とピンときたというか。

――インスピレーションを得た、と。ちなみにアリゾナに行ったのは何か目的があったんですか?

はっきりした目的は全然なくて、ZIONのメンバーの櫛野啓介(Gt)と一緒に行ったんですよ。櫛野とは15年くらい前に知り合って、ずっと仲いい友達で。彼が毎年アリゾナに行ってて「いつか(光村)を連れていきたい」と言ってたんです。2019年にそれが実現したんですけど、旅行中もいろんな話をして、「一緒にバンドをやってみようか」ということになって。それもきっかけの一つですね。メンバーは櫛野が集めて、僕はそこに入るだけみたいな感じだったんですけど。ちなみに櫛野を紹介してくれたのは、GRAPEVINEの田中(和将)さんなんです。「お前ら同い年で、二人とも音楽観が謎だから仲良くした方がいい」って言われて(笑)。

――拠点を北海道に移したのも、"広い土地で音楽を作りたい"という理由だったんですか?

北海道は"たまたま"だったんですけどね。茨城で土地を探したこともあったし、とにかく都内じゃなければいいというか。何て言うか、自分が作りたい曲や好きな曲って、東京では映えない気がしたんですよ。いろいろと場所を探しているなかでメンバーの縁から「北海道の古民家はどうかな?」という話が出てきて。北海道の十勝なんですけど、本当に広い平野で、遠くのほうに日高山系が見えて、「ここだな」とピンときたんですよね。それが2020年6月くらいですね。

――DIYで古民家を修復して、スタジオとして使えるようにしたとか。

バンドメンバー5人と友達にも手伝ってもらって、壁を壊して、床を貼って、ペンキを塗って。芝生とかも刈って、焚き火できるところを作ったり。その後、楽器を入れて、音を出して、リフォームし始めてから1週間くらいで音が録れるようになったのかな。古民家と言っても築40年くらいだし、中はけっこう快適なんですよ。ただ寝床が限られているので、布団を並べてメンバー川の字で寝ていて、、、この年齢になってメンバーと雑魚寝する生活が待っているとは思ってなかったけど(笑)。

――(笑)そこで制作が始まった、と。

ただ、NICOが終わってからしばらくは曲が書けなかったんです。"書かなかった"と言ったほうがいいのかな。「NICOとは違う感じがいいのかな」「もっとわかりやすいほうがいいのかな」みたいなことを作為的に考えて作るのがつまらなくて。気持ちが乗ってくるまで書かないようにしようと思ってましたね。櫛野とか吉澤(Gt)とかが僕にカンフル剤を打ってくれてたというか、「こんな感じの曲を作ってみたいんだけど、どうすればいいかな」みたいなことをずっと聞いてくれたんですよ。「だったらこういうメロディかな」っていう感じでお手伝いしたというか。もちろん音楽はやり続けたいと思っていたし、またバンドをやりたいという気持ちもあったから、全然止まるつもりはなくて。ゲリラライブをやり続けたり、とにかく"なまらない"ようにしてました。今もそうなんですけど、"こんなもんじゃねえ"というのもずっとあって。「ここで死ぬ気はねえぞ」というつもりでいましたね。

――また曲を書き始めたのはいつ頃だったんですか?

1年後くらいかな。最初に書いたのが、アルバム(「SUN'n'JOY」)の最後に入ってる曲(「Leaves」)だったんです。バンドやりてえとか言いながら、最初に弾き語りの曲を書いちゃったから、メンバーがビックリしてましたね(笑)。でも、それでいいと思うんですよね。今もそうなんですけど、気持ちの高ぶりだったり、ピンときたものを曲に落とし込んでいけばいいと思うので。それ以外のことは考えないようにしてますね。

――1stアルバム「SUN'n'JOY」は2022年12月にリリース。確かに広大な大地に似合うロックだし、メンバー全員の演奏センスが活かされているのもすばらしくて。曲にもよりますが、J-POPの要素が少ない印象もありました。

そのあたりはあまり意識していないですけど、やっぱりバンドが好きなんですよね。ロックも好きだし、ギターも好き。音楽自体が好きなので今イケてるものも色々と聴きますけど、自分自身が「いいな」「好きだな」と思える音楽を作らないと意味がないと思うので。思考はどんどんシンプルになってますね。

――純粋の創作に向き合う環境がある、と。どうすれば売れるか?とか、マーケティングみたいなことは考えてなさそうですよね。ZIONはSNSのアカウントもないですが......。

ないですね(笑)。ラブシャの出演バンドの紹介を見ると、Twitter、Instagram、YouTubeのアイコンがあって。僕らはYouTubeしかない(笑)。類は友を呼ぶというか、そういうのが得意な人がメンバーにいないんですよ。誰もやりたがらないし、「みんなやってるんだから、俺らはやらなくてもいいんじゃない?」って。もちろんいろんな人に聴いてもらいたいし、ライブもやりたい。その瞬間を大事にしたいというだけなんですよ。あとね、みんなも東京を離れたらいいと思う。

――東京の一極集中はよくない?

それぞれの考え方があるだろうけど、東京は情報も多いし、不安になりがちだと思うんですよ。北海道に移る前は東京のリハスタに入ってたんですけど、そこにもいろんなバンドがいるじゃないですか。視線をバチバチに感じるし、そういうところで活動していると「どうやったら目立てるか?」みたいなことを考え始めると思うんです。スタジオ代を毎回払うのももったいないし、だったら自分たちの根城を作ろうと思ったのも、(北海道に移った)きっかけでしたね。北海道でもお金はかかりますけど、周りの環境がぜんぜん違うし、のびのびした雰囲気のなかで作るものはやっぱり違うので。

――ライブ活動も徐々に増えてますが、今の手ごたえはどうですか?

僕もそうですけど、じゃじゃ馬プレイヤーが集まってますからね。「毎回同じようにやるのはつまらない」という人ばかりだし、リハーサルでも聴いたことがないような音を出したり、「すげえギターソロ弾くな!」ということもあって。何が起こるかわからないんですよ。そういうバンドをやりたかったから、めちゃくちゃ楽しいし、僕も火が付きますね。

――「SWEET LOVE SHOWER 2023」のライブもめちゃくちゃ楽しみです。どんなステージにしたいと思ってますか?

今、作戦を考えているんですよ。自分たちの王道というか、「これがZIONです」という名刺のようなライブをやるというのが一つ。アルバムももっといろんな人に聴いてもらいたいので。ただ、今も新しい曲を作ってるので、そっちもやりたいなという気持ちもあって(笑)。どっちにしても山中湖のロケーションには合うはずなので、ぜひ楽しみにしててほしいです。

――夏以降もライブは続くんですよね?

そうですね。フェスはラブシャだけなんですけど、北海道のいろんなイベントに出て。10月からツアーなので、ずっとライブしている感じですね。場所にこだわっているわけではないんですけど、アリゾナでラジオを聴いたときに「こういう場所で聴くと気持ちいいな」という感じをまずは北海道の人たちに感じてほしかったんですよ。北海道のロケーションで聴いて最高だったら、どこで聴いても、いろんな最高になるはず。それを日本中に広げたいという気持ちが強いんですよね。僕も普段、いろんな音楽を聴いて「気持ちいい。癒されるな」と思うし、自分たちの音楽もそうであってほしいので。