2015.08.11

米軍から見た帝国陸軍末期の姿〜本当に天皇や靖国のために戦っていたのか?

【特別公開】一ノ瀬俊也=著『日本軍と日本兵』1

規律の乱れ

多くの日本兵は負け戦が込んでくると、米軍側に奔らないまでも士気をひどく低下させ、各種の犯罪も多発した。

IB1943年6月号「日本軍についての解説──その文書から」は「ニューギニアのある地域における日本軍の軍紀は、完璧にはほど遠い状態だった」と断じ、その理由として、ある日本軍の小冊子に「作戦中、軍紀にふれる犯罪が多数発生した。精神力の弛緩と気力不足のためである。軍紀にふれる犯罪は以下のもの。略奪・強姦(もっとも多い)、住居侵入(次に多い)、命令違反(多くは酒に酔って)、軍装備品の破壊、脱走、立入禁止区域への侵入、無許可の歩哨位置離脱、秘密文書の紛失、特に暗号書」と書いてあったことを挙げている。

またIB1943年4月号「日本軍についての解説─その文書から」が「1942年9月11日、ニューギニアのある日本軍司令官が発した指示の要約」として「嫌な事は忘れ、よい事だけを覚えておくように努めよ。ヒステリー女と同じようにくよくよしても無駄だ。我々は皆食糧不足でやせ細っているが、乗船時にやつれた表情を見せてはならない。「武士は食わねど高楊枝」というではないか。[解説・彼はあまりに自尊心が強いので、食物不足に苦しんでいることを認められない]。これは、現在でも見習うべきことだ」との一文を載せたのも、日本軍が負け戦という現実を精神論で克服ないし糊塗しようとしたことの現れだろう。

同じ記事に、42年12月1日ニューギニアのある日本軍司令官が出した「会報」が引用されている。そこでは、

我が部隊の一部は昨日(30日)、敵が固定無線通信所の地域に侵入したので退却したとの報告を受けた。分遣隊の全憲兵が徹底的に調査中である。

命令もないのに守備地を離れる者は陸軍刑法に照らして厳重に処罰、もしくはその場で処刑されることを忘れるな。容赦はしない。軍紀を振作し勝利の基礎を固めるため、逃亡者は厳しく処罰する。

銃や刀のない者は、銃剣を棒に結びつけよ。銃剣もない者は木槍を常時携帯せよ。銃剣のみで、何の武器も持たず歩いている者がある。各自すぐに槍を用意して、まさに突撃せんとしつつある部隊のごとく準備を万全にせよ。患者にも準備させよ。

と、士気の低下や多発する逃亡に重罰で対処しようとした日本軍の姿が浮き彫りにされている。今日、我々の抱く日本陸軍イメージが「ファナティック」とされているのはこうした精神論の跋扈をうけてのことであり、それはけっして間違ってはいない。

ただ、日本軍将校たちは空虚な精神論のみで兵の士気を鼓舞しようとしたのでもない。

IB1944年6月号「日本兵の士気と特性」は「ブーゲンビル島タロキナにおける対米総反撃の直前、日本軍将校たちは部下の士気を高めるべく、部下に米軍の戦線内にはもし手に入れば3年間は持つほどの糧食と煙草があると言った」し、「将校たちはその他の機会にも同じ目的でこの種の発言をしている」と報じている。将校たちは食べ物=実利で釣ることによっても、部下たちの戦意を何とか奮い立たせようとしていたのだ。

しかしこのブーゲンビル島の日本軍守備隊は精神論を行き着くところまで行かせてしまい、なんとも奇矯な行動をとるに至った。IB1944年9月号「(短報)ヤルゾ!(Yaruzo!)」によると、同島トロキナにいた日本軍司令官は戦意の低下を防ぐため、次のような奇妙な命令を出した。おそらく捕虜の証言だろう。

米軍撃滅のため、朝夕の点呼時に次の訓練を行うことにする。
一 眼を閉じ、片方または両方の拳を握りしめて振り上げ、〝チクショー!(Damned animal !)〟と叫ぶ。そうすればヤンキーどもも怯えるだろう。
二 続いて上級将校が〝ヤルゾー!(Let's do it !)〟と叫び、部下が〝ヤリマス!(We will do it !)〟と唱和する。
三 最後に、将校が刀を右手に握り、決然たる袈裟斬りの構えを取る。刀を振り下ろし〝センニンキリ!(Kill a thousand men !)〟と叫ぶ。

「チクショー!」と絶叫する将校たちは真剣だったのか、上から言われて渋々やっていたのか。部下はそれをどうみていたのか。何とも戯画的な帝国陸軍末期の姿であった。

第2回「米軍はいかにして日本兵を投降させたか」はこちら→

一ノ瀬俊也(いちのせ・としや)
1971年福岡県生まれ。九州大学文学部史学科卒業、同大学大学院比較社会文化研究科博士課程中退。博士(比較社会文化)。現在、埼玉大学教養学部准教授。専攻は日本近現代史。