空襲により落ちる士気
米軍は捕獲した日本兵たちの日記から「日本兵は我々の兵器、特に爆撃機をかなり恐れており、これで彼らの士気を動揺させうること」を読みとった(IB1943年1月号「個々の兵士」)。確かに手も足も出ないまま一方的に爆撃されるのは怖かっただろう。
この記事に引用された日本兵の日記には「我が対空砲火に効果がないため、敵(米国飛行機)が旋回しては重要地点に爆弾を投下する。我々は小銃しか持っていないので、唯一できるのはその場から逃げることだけだ。飛行機をみて逃げるとは、軍人らしくもない」、「数発の爆弾が落とされた。爆撃はほとんど被害はないにもかかわらず、非常に恐ろしい。人としての不安な心を思い返しただけでも恐ろしくなる。労務者たちは警報が鳴り響くと同時に蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまう。兵士も敵の飛行機を見たら内心では逃げたいのは間違いない。高級将校も、誰よりも先に逃げるだろう」といった嘆きの声が並んでおり、航空戦力の劣勢こそがもっとも日本兵の士気を低下させたことがわかる。
とはいえ、IB1944年6月号「日本兵の士気と特性」に出てくるある日本軍中尉のように、
我々は空軍について、米独より要するに1世紀遅れていた。ニューギニアの戦いで我々は空軍の価値を第一に認識した。平和な故郷で暮らしている人々は中国における我が空軍の優越について語っていた。実に子供じみた会話であった。ロッキードやノースアメリカン、もしくは50~60機の爆撃機編隊による連続爆撃を受けずして、空軍の重要性を真に理解することは不可能だろう。この戦争は補給戦であることもわかった。船舶輸送が勝敗の鍵を握っている。通常の補給線を維持するだけでも空軍が重要となる。ああ、空軍さえあれば! 兵卒ですら同じ意見をいっている。
と航空戦力の劣勢が自軍の劣勢に直結していることを認めつつも、続けて「米軍と豪軍はどうか? 彼らが自慢してよいのは物質力だけだ。みているがいい! 我々は絶滅戦争(a war of annihilation)に突入するだろう。全陸軍の将校と兵がこの思いで米豪軍を皆殺しにする欲求をかき立てている」と語り、改めて闘志を燃やす者もいた。
彼にとってこの戦争はまさしく「絶滅戦争」であった。日本軍のなかには確かにこうした烈々たる戦争観、敵愾心を抱きながら対米戦を戦っていた者もいたのだが、それがすべてだったと断じるのは米軍側の分析をみる限り難しい。