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おいしい たのしい から 隣人へ ~難民・移民フェス 入管法改正審議の裏側で

記事公開日:2023年05月30日

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2023年5月、東京・練馬の公園が異国情緒に包まれました。日本に暮らす外国人が手作りの料理や手芸品を提供するチャリティーイベント「難民・移民フェス」です。出品者の中には、在留資格を失い一時的に収容を解かれている「仮放免(かりほうめん)」の人など、立場が不安定な人も少なくありません。折しも国会では、外国人の収容のあり方を見直す「入管法改正案」の審議が続いていました。日本に住む外国人を取り巻く制度が大きく変わろうとする今、「おいしい、楽しい」をきっかけに、遠いふるさとをもつ“隣人”たちのことをもっと知ろうという取り組みを取材しました。

多様な文化が大集合! 難民・移民の祭典

画像(「難民・移民フェス」で提供された世界各国の料理、手作りのバッグやアクセサリーの数々)

5月20日。東京・練馬駅に隣接した公園に、10を超える屋台が立ち並びました。スパイスが香り、鮮やかな色彩の手作りバックやアクセサリーが目を引きます。1日限定の「難民・移民フェス」。屋台の準備をしているのは、ミャンマー、スリランカ、チリ、コンゴ、ガーナ、トルコなどから日本に移住した外国人。迫害や紛争から逃れてきた人や、在留資格の期限が限定されている人、在留資格を失い一時的に収容を解かれている「仮放免(かりほうめん)」の人など、不安定な立場の人も少なくありません。祖国の人に居場所を知られることに不安を抱く人もいるため「限定的な範囲でなら」と取材が許可されました。

「難民・移民フェス」は、さまざまな立場の外国人が特技を活かして手作りした品物を提供したり、音楽など実演の場をつくったりするチャリティー形式のイベントです。実行委員会は研究者やライター、外国人や貧困の支援団体のメンバーなど10数人の有志たちで運営され、イベントの売上げやカンパはすべて、厳しい生活を送る外国人の支援に充てられます。

開場時刻の11時が近づくと、朝から降り続いた雨はやみました。多くの来場者たちが、各テントをまわりながら料理や品物を物色。どれも作り手の故郷の暮らしが垣間見えます。

画像(ガーナのシチュー「ワチェ」)

ガーナの定番朝ごはん「ワチェ」。豆ご飯にトマト味のチキンシチューがかかっています。ガーナでは、トマトスープをよく食べるそうで、出品者いわく「日本のみそ汁みたいなもの」とのこと。

画像(アフリカンヘアの体験コーナー)

アフリカ人に、ブレイズやコーンロウと呼ばれるアフリカンヘアを結ってもらえるコーナーもありました。「日本人の髪の毛は柔らかいので、編むのはちょっと大変」だそうです。

画像(クルド民族などの伝統的なレース編みでつくられたアクセサリー)

花がモチーフになっているアクセサリーは、クルド民族(中東地域に暮らす国をもたない少数民族)などの伝統的なレース編み「オヤ」。母から娘へ、代々技法が受け継がれてきた手仕事です。

画像(左・ゴスペルを歌う女性 右・ガーナの太鼓「ジャンベ」を演奏する男性2人組)

特設ステージでは、アフリカ地域出身の女性によるゴスペルの歌唱や、ガーナなどで伝統的に用いられてきた太鼓「ジャンベ」の演奏もありました。感情を揺さぶる響きに、観客からは自然と手拍子が。会場は一体感に包まれました。

思い出と誇りを包む ペニャさんの「エンパナーダ」

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左・開場前のテントで、徹夜で仕込んだ手料理を並べるペニャさん 右・ペニャさん作のエンパナーダ(写真提供 南阿沙美)

フェスが開始してすぐ、会場の一角に長蛇の列ができていました。チリ出身のクラウディオ・ペニャさん(62歳)のテントです。並ぶ人々のお目当ては、ペニャさんのつくる「エンパナーダ」。炒めた牛肉とたまねぎ、ゆで卵やオリーブを小麦粉の生地で包んで焼いた、食べ応えのある家庭料理です。

ペニャさんは100個近く用意してきましたが、なんと45分で売り切れ!頬張る人みんなに大好評のエンパナーダは、ペニャさんにとっても思い出深い一品だといいます。

「エンパナーダは子どもの頃は特別なごちそうで、日曜日や、チリの独立記念日に食べました。私は子どもの頃、母親にレシピを教わりました。小麦粉に牛乳とバターと塩を入れて生地をこねるんですが、母が受け継いできたつくり方だと、牛乳をあつあつにして混ぜるので『あちっ!あちっ!』と言いながらこねていたのがいい思い出です」(ペニャさん)

そんなペニャさんが来日したのは、1996年、36歳のとき。チリで開催された料理の国際コンテストで優勝するほどの料理人として腕を振るっていましたが、ある日本人の経営者に「日本でチリ料理店をオープンしたいから来ないか」と誘われたのがきっかけでした。熟練した技能が必要な仕事をする人に与えられる「技能」という在留資格を得て、シェフとして働きはじめました。

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来日当初チリ料理店で働いていたときのペニャさん

しかし、2011年、勤めていた店を辞め、他の日本人経営者と新たな店を構えようとしていた矢先、経営者が急きょ海外へ移住。予定していた仕事ができなくなり、ほかの就職先を探しましたが、見つかりませんでした。在留資格の更新ができなくなったペニャさんはその年に在留資格を失い、入管施設に収容されました。

日本での在留資格を失っても、ペニャさんにはチリに帰国できない事情がありました。1970年代、軍事独裁政権下のチリで、政府関係者の施設や住宅などのメンテナンス技師をしていたペニャさんの父親は、軍による”左派狩り”のための情報提供を求められ、強制的に協力させられたといいます。

その後、独裁政権が終わった90年代、父親は真相究明のためにと、新政権下に設置された「真実和解委員会」で、自身が見聞きしてきた虐殺などの実態を証言。すると、軍による迫害を受けた人たちからも、独裁政権を支持していた人たちからも反発を買ってしまいます。息子であるペニャさん自身も何者かに拉致されて石で殴打されるなど、命の危険を感じるほどの暴行を受けたといいます。

チリには怖くて帰れないと考えたペニャさんは、2013年に難民認定申請を行いますが、不認定処分とされ、異議申立ても棄却されました。のべ4年以上入管施設に収容され、現在は仮放免(一時的な解放)という立場になっています。

しかし仮放免の間は、働くことが禁止されています。いまは所属しているキリスト教会やNPO、友人たちの支援を受けて生活していますが、いつ再び入管に収容されるかわからないといいます。
かつて熟練した技能を持つシェフとして働き、「それが誇りだった」というペニャさんの生活は、誰かに料理の腕をふるう機会もない、先の見えないうつうつとした日々に一転しました。

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ペニャさんが描いた自画像。かつては料理人として活躍したが収容で一変

「目が覚めている間はずっと、これからのことを考え不安な気持ちが止まりません。特に、仮放免の期間を更新する手続きの前は、再収容されるかもしれないという恐怖が強くなって、定期的にパニックになる。冷や汗が止まらず震えて、食べられなくなり、眠れない日々が続き、苦しくて『死にたい』という衝動にかられてしまいます」(ペニャさん)

画像(ペニャさんがフェスのために用意したチリ料理)

そんなペニャさんにとって、自分がつくった料理を大勢の人に食べてもらえる「難民・移民フェス」は、特別な場となりました。

ペニャさん:いらっしゃいませ!
来場者:京都からペニャさんのエンパナーダを食べにきました
ペニャさん:本当?嬉しいよ!ありがとう!

忙しく立ち回る姿は、かつて誇りとやりがいを胸に生きていた料理人時代をほうふつとさせる、はつらつとしたものでした。
テントに立ったこの数時間は、厳しい現実を忘れられる、かけがえのないときとなりました。

「お客さんと(普通に)話せるのがすっごく楽しい!普段は仕事できなくてつらいけど、今日は主役になれた気分。最高に気持ちがいい。素晴らしい一日になった」(ペニャさん)

尊厳を取り戻す ここは“未来を先取り”する場

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発起人の2人 右が金井真紀さん・左が髙谷幸さん

「難民・移民フェス」を立ち上げたのは、文筆家・イラストレーターの金井真紀さんと、移民について研究する東京大学准教授の髙谷幸さんです。金井さんは、公園を埋め尽くす大勢の人々に、壇上から語りかけました。

「いろんなルーツの人、いろんな背景の人がごちゃ混ぜになって騒いだり、遊んだり、お茶を飲んだりする。得意なものを持ち寄って『いいねいいね』と笑い合う。今日この公園で繰り広げられる風景こそ、私たちが望む未来だ、と思っています。“ほしい未来を1日だけ先取りするイベント”だと思っています」(金井さん)

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実行委員会の金井真紀さん

金井さんが、このチャリティーイベントを企画したきっかけは、2年前、本を執筆するための取材で仮放免の状態だった人と出会ったことでした。2022年6月に第1回の「難民・移民フェス」を開催した時、ペニャさんのように、出店する人たちが当日いきいきとした表情をみせることに心を動かされたといいます。

「普段日の当たらない生活や孤独のなか、母国の厳しい状況に気持ちが沈んでいた人たちが、自分の作ったアクセサリーを誰かが目の前でつけてくれたり、おいしいといって料理を食べてくれたりするのを見ると、元気になる。自分にやる任務があって、ヘトヘトになって『ああ、お疲れさまでした』っていうことが(ふだんは)ないですもんね」(金井さん)

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実行委員会の髙谷幸さん

20年近く、日本に暮らす移民の人たちについて研究してきた髙谷幸さんは、フェスの目的のひとつは、仮放免の人たちの「尊厳」を守ることだと言います。

「(仮放免の人たちは)生活もすごく大変なんですけど、同時に『用なし』とか『不要な存在』みたいに日々感じさせられているっていうことが気になっていて。仮放免の人たちが何らかの“持ち場”というか『自分は何かここでできることがある』という場をつくる。社会の中でその人の役割があって、役割を果たすことによって承認を得られる場が、重要だと思っています」(髙谷さん)

入管法の行く末 募る不安

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左・開場前のテントで準備するミョーさん 右・ミョーさんの祖国で食べられているココナッツミルクスープヌードル

今回のフェスに、大きな不安を抱えながら臨む人がいました。ミャンマー出身で少数民族ロヒンギャのミョーさん(37歳)です。

ミョーさんはミャンマーにいた幼い頃から、ロヒンギャであることを理由にした差別や、軍による武力弾圧を受けてきたといいます。15歳のとき、世の中を変えたいと民主化運動に参加。何度も投獄された経験があるそうです。家族の命をも危険にさらしていることに耐えきれなくなり、20歳のとき海外に避難することを決意しました。頼ったのは、海外へ避難しようとする人たちの各国への渡航を手配するブローカーです。ブローカーから伝えられた行き先は、日本でした。

来日後、難民認定の申請を3回行いましたがいずれも不認定でした。2023年3月、ミャンマーにおける国軍のクーデターなど情勢不安を理由に在留資格が付与されます。しかしそれは、「特定活動」という6か月ごとに更新が必要な資格でした。ミョーさんは、複雑な気持ちを抱えています。

「この在留資格は一定期間だから、やっぱり不安な気持ちは変わらないです。私の希望は、難民として日本に認めてほしい。今は3回目の難民申請の再審査を申し立てています」(ミョーさん)

そんなミョーさんがいま心配しているのが、国会で審議が続く日本の入管法改正の行く末です。
いわゆる入管法、正式には「出入国管理及び難民認定法」は、2021年、強制退去を命じられた外国人の長期収容問題の解消を目的とした改正案が、国会に提出されました。しかし、スリランカ人女性が入管施設内で死亡した件の真相解明が図られていないなどの批判を受け、一度廃案となっています。2023年3月、その法案の骨格を維持した改正案が、再び国会に提出されました。今回の改正案では、難民申請の「誤用・らん用」を防ぐことなどを理由に、難民申請者のうち「3回目以降の申請者の送還を可能にする」「過去に3年以上の実刑を受けたりテロの恐れがあるとみなされたりした人は1回目でも送還できる」という規定が打ち出されました。

これに対し、弁護士や市民団体からは「複数回の申請で認定される人も少なくないなか、本来保護されるべき人が保護されないのでは」「迫害のおそれがある本国に送還するのは難民条約違反だ」といった反発の声があがっています。

フェス開催の8日前、この改正案は国会の参議院本会議で審議入りしました。ミョーさんは、この法案が可決されたら自分の将来はどうなるのか、恐怖を感じるといいます。

「不安がある。なぜなら3回目の難民申請を却下されているから。(改正案では3回目以降の申請者は)送還可能っていうことなので、私も対象になる。どうしても帰国できない理由があって長期収容された人が、何人も死んでるのに、それを知っていて、(そうした人を送還可能にする今回の改正案は)ありえないです。政府がやってることは、本当にありえない」(ミョーさん)

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来場者に自分の思いを伝えたいと壇上で話すミョーさん

ミョーさんが抱える危機感は、チリ人のペニャさんをはじめ、フェスに参加した他の人々からも聞かれました。
ステージでミョーさんと対談した実行委員会の金井さんは、多くの人たちが身に迫る危険を感じている状況に、涙を浮かべながらこう語りました。

「今日歌っていた人、料理や品物を作っていた人たちがみんな(本国に)帰されるはめになったらたまんないですよね・・・一緒にこうやってね、“文化祭”をした仲間が帰されて殺されるかも、何十年も拘束されるかもしれないなんて・・・」(金井さん)

もう一歩先へ 隣人としてできること

画像(フェス会場に集まった大勢の来場者)

実行委員会によると、この日のフェスには、東北から沖縄まで全国各地からおよそ3600人が訪れたといいます。実際に足を運ぶことで、新たな気づきを得たという人がいました。名古屋からこの日のために来たという母親と、神奈川に住む大学生の娘の親子です。

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来場者 左・母の緒方暁子さん、右・娘の茉里さん ブレスレットを購入

「入管法改正案の問題は情報としては知っていましたが、今回フェスに来て、初めて難民・移民の人と笑いあって、明るくたわいもない会話なんかもして、“生の交流”ができたことで、知識から実感に変わりました。3回難民申請したら送還されてしまう(可能性がある)ということの問題が、当事者の方とおしゃべりできたことでリアルに感じられました」(母・緒方暁子さん)

「新しく知ることばかりで、知らなかった自分が恥ずかしいです。日本って平和な国だなと思っていたけど、同じ国の中で働きたくても働けない人がいるということに気づきました。自分が進路に悩んでいるのはぜいたくな悩みなのかもしれない。何ができるのか、考えたいと思います」(娘・茉里さん)

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難民・移民フェス実行委員会のみなさん

日本に暮らす外国人に関する枠組みが大きく変わろうとしているいま、私たちにできることはなにか。

「共通点がないようにみえる“圧倒的な他者”に、どういうふうに関心をいだくか。これは日本社会の苦手なところだと私は思います。どうしても、関心が身近なところから同心円状に広がることが多い。でも、一人一人の人生を知る機会が増えたら、問題意識も培われると思うので、まずはそれが大事なのかなと思っています」(髙谷さん)

「おいしい、楽しい」のその先へ。ひとりひとりと“隣人”として関わってみることが、第一歩なのかもしれません。

【2023年6月15日 追記】
政府の入管法改正案は、6月9日の参議院本会議で可決され、成立しました。
審議中、一部の難民審査参与員が年間1000件を超える審査を行っていたことに対して、その偏りが指摘されたり、大阪入管の勤務医が酒に酔った状態で収容された人の診察をしていた疑いがあることがわかったりしました。立憲民主党などの反対派や、支援にあたる市民などからは「立法事実に疑義が生じているにも関わらず、審議が尽くされていない」「難民認定審査のプロセスの課題が解消されていない」といった抗議の声があがっています。

「難民・移民フェス」実行委員会の金井真紀さんは、「(強制送還される可能性のある)難民申請3回目の友人がたくさんいて、彼らになんと声をかけたらいいのか…言葉が出ません。一方で先日、他団体のイベントに『難民・移民フェス』が出張参加したのですが、そこにも大勢の人が来てくださり、難民申請をしている親子たちと『おいしい・たのしい』ひとときを共有しました。顔の見える"隣人"となっていくと、『この親子がもし離れ離れにされてしまったら大変だ』と想像できると思います。"ほしい未来"に最短距離で行けなかったとしても、今後も『難民・移民フェス』を続けながら、"隣人"のことを考えるための糸口をつくっていきたい」と話しています。

執筆者:辻陽子(ライター)/乾英理子(NHKディレクター)

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