30 「進路」
「もー、やだ。恥ずかしい……失敗した……」
クリスは乾杯の挨拶が終わってすぐ、俺の所にきてそう言った。
顔は真っ赤だった。
それもそうだろう。
王子様に推薦されて前に出てきたはいいものの、しどろもどろの詰まり詰まりで、卒業生らしくない姿を衆目に晒すことになったのだから。
とはいえ、内容は素晴らしかった。
実力と才能のある者が、高度な教育を受けられるためにあるはずのアスラ王立学校。
それがアスラ王国の貴族学校と似たような「家柄重視」の風潮に支配されているというのを、真っ向から批判した。
自分は家柄と親の力で入学をしたが、真に優遇されるべきは、実力だけでのし上がってきた者たちだと。
現に、自分やヴィオラ、エリザベートよりも勉強ができて、情熱があり、成果を残した者は大勢いる。
そうした人たちがもっと評価され、主席として讃えられるような学校になれば、ラノア魔法大学を大きく引き離し、世界最高の学び舎になるはずだ……と、言い切ったのだ。
アスラ王国の貴族たちにとっては、あまり面白くない話だったろう。
彼らの中には、貴族であることそのものをステータスだと思っている者もいる。
実際、何人もの貴族たちが、ムッとした顔をした。
「もー、挨拶なんて予想してなかったし、そんな突然言われて、うまく言えるはずないよぉ……」
「いや、よかったよ」
だが、俺は感動した。
親の贔屓目もあるだろうが、あの小さくで泣き虫で、幻想と理想しか見えていなかったような子が、そういう現実的なことまで考えられるようになったのだと思い、泣きそうになった。
「本当?」
「ああ、なんていうか。立派になったよ。正直、もっと子供だと思ってた。王立学校に通っても、すぐに思ってたのと違うって、泣いて帰ってくるって思ってた」
素直にそう言うと、クリスはきょとんとした顔をした。
そして、頬をぽりぽりと掻くと、ゆっくりと首をふった。
「ううん。私、子供だったよ。パパの言うとおり、思ってたのと違うって、実際に言ったし……」
「言ったのか」
そう言うと、クリスは「うん」と頷いた。
「私ね、アスラ王国って、もっとずっとすごくて、自分の想像よりも綺麗な場所だと思ってたんだ。場所も、人も……うん。住んでいる人は、みんな神様ぐらいに思ってた」
クリスはそこでかぶりを振ると、俺の方をまっすぐに見てきた。
「でも違った。全然、全然違ったの。だから、すごく焦っちゃって、どうしていいかわかんなくなっちゃって……でもね、すぐにわかったの」
「うん」
「暮らしている人たちは、そんなに変わらないんだなって。やらなきゃいけない事も一緒だし、考えなきゃいけないことも一緒。悩むことも一緒だし、辛いことも一緒だって」
3年か。
早いな。
実に早い。
俺はそれと似たようなことに気づくのに、十年以上かかった。
それに比べれば、十分すぎるほど、早い。
「パパとかママに教わったことが、ここでも通用するんだってわかって、なんとかやってこれたけど、でも結局、この3年間、パパやママに教わったこと以上のことはできなかった。さっきの、ヴィオラとの事だって、パパだったら、もっとうまく、もっとスムーズにやったと思う。なんていうか、改心させる、っていうの? こんな日にこんな惨めな思いをさせずに、その前にちゃんと反省させて、仲良くなれたと思う」
「それはどうかな」
と、言いつつも内心でちょっと動揺していた。
こういう言い方をするってことは、先程の寸劇は、クリスがある程度自覚的に引き起こしたものだってことだ。
策略をめぐらして、裏であれこれと動いて、一人の少女をハメたのだ。
「私にはできなかった……」
その言葉は、まるで「出来たのにやらなかった」という風にも聞こえた。
もしかするとクリスには、あそこまでやらずとも、事前に、それこそ卒業式が始まる前に、決着を付けることが出来たのかもしれない。
「どうしてできなかったんだ?」
「ヴィオラが許せなかったし、それに嫉妬もしてたから……」
あのヴィオラという女生徒が、具体的にどんなことをしてきたのか。
それは俺にはわからない。
先程の騒動の流れである程度は理解できたが、全てを把握しているわけではない。
確かに、最後の退場する場面は、可哀想にも思えた。
でも恐らく、ヴィオラは多くの人を見下し、傷つけてきたのだろう。
クリスが許せない、と言うぐらいには。
こんな晴れの日に、ああいう仕打ちをされて当然だと思われるぐらいには。
もし俺が王立学校にかよっていて、彼女のやり口を近くで見ていたり、被害を受けてきたなら、やはり彼女を許せず、今回のような形に落ち着いたかもしれない。
いや、俺だったら罠から抜けきれず、退学してたかな?
どちらにしろ、改心なんて、させようと思ってできることじゃない。
「嫉妬もしてたのか?」
「え? え~~~~っと、う、うん。えっとね、ヴィオラって、ちゃんと努力すれば、一番になれるぐらい優秀なんだよ。礼儀作法とか、着付けとか、芸術審美とか、計算とか、限りある資源を分配する技術とか、授業でも一番だったの。なのに、苦手な科目では全然努力しなくて、ズルして一番取って、主席卒業にまでなっちゃってさ」
なんだか唐突にしどろもどろに言い訳臭くなった。
何か隠しているな。
男関係かな? いや、まさか。
でもクリスの周囲にはイケメンばっかりだし……あのエドワードとかいう馬の骨を精巧に削り出して作った芸術品みたいな奴が関係しているのかもしれない。
っと、落ち着け。
今は父親として、何か実のあることを言わなきゃいけない場面だ。
「まあ、なんだ。自分で言うのもなんだけど、確かにパパは、色んな人を改心させたと思う。青ママや赤ママ、ザノバに、クリフ……多くの人がパパに出会って心を入れ替えたって言ってた。けど、別にパパが改心させようと思って行動したから、彼らは改心したわけじゃないんだ」
結局の所、なんで彼らが心を入れ替えたのか、なんて、俺にわかるわけがない。
彼らが、彼ら自身で、自分の悪い部分に気付いたのだ。
俺の存在はそのきっかけにはなったかもしれないが、それだけだ。
口が裂けても、俺が改心させてやったなどと言うつもりは無い。
結局は、自分で変わろうと思って変わったはずなのだから。
「確かに、ヴィオラはダメだったかもしれない。けど、もしかするとヴィオラも、今回のことがきっかけで、心を入れ替えるかもしれないだろ? お前の近くに、そうやって時間を掛けて改心していった子はいないのかい?」
「え~? どうなんだろ?」
そう言いつつも、クリスはチラリと後ろを振り返った。
その視線の先には、一人の少女の姿があった。確か、エリザベートと呼ばれていた子だ。
ヴィオラを糾弾する時、鬼の首を取ったように喜んでいた子だ。
現在、彼女は数人の生徒と談笑している。表情は穏やかだ。
ヴィオラはエリザベートのことを「クリスの敵だった」と言っていた。
てことは、つまり、そういう事なんだろう。
「あのエリザベートって子の借金を返す方法、見事だったな。お前が考えて、実行したのかい?」
「え? えー……と、あれはアイシャ姉さんの入れ知恵だから、私が考えたわけでは、ない、かな?」
ああ、やっぱりか。
そんなこったろうと思った。
聞いてて思ったが、さすがにクリスが考えつくにしては、手が込みすぎてるもんな。
「でも、実行したのはお前だろ?」
「まぁ、うん。それは、そう。その通り」
クリスは微妙な顔をしていたが、すぐに首を振った。
「だけどパパ、あたしはあれをやるのに、色んな人に助けてもらったんだ。本当に、色んな人に……。それだけじゃない、学校にいる間、自分一人の力だけでやったことなんて、ほとんど無いんだよ。やっぱり子供……っていうか、未熟だと思ってる」
「確かに、お前は未熟かもしれないね。でもあのエリザベートって子は、最後の最後で、お前を助けてくれた。なんでだと思う」
「……私より、ヴィオラの方が嫌いだったから」
「はは、それもあるだろうね。けど、お前が、親身になって借金を返すのを手伝ってくれたから、じゃないかな?」
まぁ、実際の所はわからんが。
どうであれ、エリザベートはヴィオラとの戦いにおけるキーパーソンとなった。
詳細がわからないので、確かな事は言えないが、あの子の立ち位置なら、ヴィオラとクリス、両方まとめて陥れることが出来たんじゃないかと思う。
なにせ、借金はすでに完済しているのだから。
でも彼女は、最後までクリスの味方として行動してくれた。
それが結果だ。
「クリス。お前は、まだまだ自分の力に不満があるようだけど、それでいいんだ。人はどこまでいっても、一人でなんでも完璧に出来るわけじゃない。力が足りない時は誰かに助けてもらい、逆に誰かが力不足で困っている時は助ける、それを繰り返しながら生きていくんだ」
「……」
「お前は、この三年で、それが出来るようになった」
クリスは、ヴィオラの圧政に苦しんでいた生徒たちを救った。
アスラ王立学校に憧れ、しかしそこの空気に染まらず、自分の意志で、自分の正しいと思うことをやった。
その結果か、クリスは卒業生の中で一番慕われているように見えた。
一番ってのは親の贔屓目もあるだろうが……。
ともあれ、だ。
「もう立派な大人だ。だから胸を張って卒業しなさい」
そう言うと、クリスは顔をくしゃっと歪め、泣きそうな顔になった。
昔のように、わーっと泣きながら抱きついてくると予想した俺は、両手を広げて待つ。
数秒ほどそのまま静止し……しかしクリスは、じわじわと目に涙がたまるも、すぐに手で涙の溜まった目を拭い、
「はい」
と、頷いた。
とてもいい返事で、こういう返事が出来るようになったことをれしく思う。
けど、この広げた両手はどこへ持っていこうか……。
---
その後、すぐ後ろで黙って俺とクリスの話を聞いていた妻たちを交え、しばらくクリスと話をした。
この三年間の学校生活の話だ。
辛い事も多かったが、やはり嬉しいこともいっぱいあったようで、友人の話や、起きた出来事を楽しそうに話してくれた。
最初にイジメられている少女を助けたという話を聞いた時の、あのエリスの満足げな顔といったらなかった。
シルフィは最初は無自覚に、しかし後半は自覚的に派閥を運営していったという話を聞いて、驚いた顔をしていた。
ロキシーの教えに従い、派閥の運営方法を他国の王族に聞いて学んだという言葉が出て、ロキシーも嬉しそうだった。
そんな話がある程度収束し、妻たちが「じゃあ、ボクらは挨拶回りをしてくるね」と俺たちの側から離れていき、俺もまたクリスを独り占めするのはよくないなと思い始めた頃。
ふと、クリスの背後に一人の少女がいるのが気づいた。
すわ背後霊か、と思ったが、見覚えのある子だった。
確か、あの騒動が起きる前に、クリスの口元を拭いていた子だ。
彼女はおずおずといった感じで、俺とクリスの会話に割り込もうか、割り込むまいか、迷っているように見えた。
「こんにちは、お嬢さん。ルーデウス・グレイラットです」
なので、俺がにこりと笑いつつ話しかけた。なにせクリスの友達だからな。
友達のパパが暗くて陰気なキャラだと思われたら、クリスも辛かろう。俺はできれば気さくなお父さんを演じるのだ。
「っ!」
きさくなつもりだったが、彼女はビクリと身を震わせて、クリスの後ろに隠れた。
おかしい。
俺もこの十数年で、笑顔が上手になったはずなんだ。
鏡の前で毎日のように笑顔の練習をしたのに……。
「あ! パパ、紹介するね!」
と、クリスが少女の存在に気づいた。
己の体をグルリと回転させ、背中に隠れた少女を前へと持ってくる。
「この子はベル。私の一番の親友で、卒業した後はフィットア領の領主様の所の文官になるの」
「ど、どうも……」
ベルと呼ばれた少女は、クリスの後ろに隠れたくて身じろぎをしていたが、パワーで負けているのか、それは叶わず、視線をキョロキョロと落ち着かなげにうろつかせながら、頭を下げた。
「ベルはね、パパのすっごいファンなんだよ!」
「やっ! ちょ、クリス、やめてよ! 言わないでよ……!」
「なんで? 会ったら絶対にお話を聞きたいんだって言ってたのに……」
ベルは俺のファンらしい。
俺もアスラ王国では有名になってきてるせいか、毎年一人か二人ぐらいは、こういう子がいる。
ただ、主に魔術師関係の男の子なので、こういうタイプは珍しい。
なんか照れるぜ。
「あ、あの……ベルと申します。雷魔術に関する論文、読みました……今の時代に新しい系統の魔術を生み出せるなんて、すごいです……! そ、尊敬、してます!」
「あ、はい。ありがとうございます」
雷魔術に関する論文。
確かに書いた。
いや、俺は書いてない。
アンに口述筆記を試させていた時に出来た文章を、ロキシーが「これはすごいものですよ!」つって編集して本にした奴だ。
だからぶっちゃけ、半分ぐらいはロキシーが書いたようなものだ。
クリスの手前、俺の手柄にして威張り散らしたい所だが……。
「……素晴らしい出来だっただろう?」
「はい!」
「なにせ、あれの半分ぐらいは、俺の先生が書いたものだからね」
「師匠! ロキシー先生ですよね! あの方の『近接戦闘における魔術構成理論』も読ませていただきました! 今日はお見えに?」
「娘の卒業式に来ない人じゃないさ。ほら、あそこにいるよ」
「どこでしょうか? 見えませんけど」
「背が小さいからね。隠れちゃってるんだ。確かにあそこにいるよ。俺にはわかるんだ」
「えっと、あとで紹介してもらっても……」
「もちろんさ」
そうか、この子はロキシーの素晴らしさがわかる子か。
さすが我が娘、良い子を友達に選んだようだ。
ベルという子は、俺も個人的に憶えておくとしよう。
国立学校の卒業生は優秀だ。だが、同時に身分の低い子も多い。何らかの原因で、アスラ王国を出奔せざるをえない状況も出てくる。そう、かつてのリーリャのように。
その時は、我が社へようこそ、だ。
「クリス!」
ベルと話していると、またひとり、近づいてくる者がいた。
かなりのイケメンボイスだ。
このボイス力、ルークよりも上だな。
そう思って見ると、先程の騒動でヴィオラ嬢に婚約破棄を叩きつけたエドワード王子だった。
「酷いじゃないか、ルーデウス卿に紹介してくれる約束だったのに」
彼も俺とお近づきになりたいらしい。
もしかすると、クリスがいい感じに話してくれていたからかもしれないが、それにしても今日は随分と人気だ。
歳を取るにつれて、若者に人気が出るのが嬉しくなる気がする。
「え、エド!? まっててって言ったでしょ!?」
「君はそう言って、いつもはぐらかすじゃないか」
「今日ははぐらかさない、でももうちょっと、もうちょっとだけ、待ってて、ね」
そう思っていると、いきなりクリスとエドワードはイチャつき始めた。
会話自体は普通のものに見えるが。
かなり距離が近い気がする。
別にイチャつこうが何しようが構わないが、親の前でってのはどうかな。
微笑ましいと言えば微笑ましいが、パパとしては、先に紹介をして欲しいものだ。
「まったくクリスは……やれやれ、その調子だと、あの話もまだしていないみたいだね?」
「だーかーらー、順序ってものがあるでしょ」
「あの話?」
思わず聞き返すと、クリスとエドワードは弾かれたようにこちらを向いた。
クリスが焦っている所を見ると、何か重要な話があったようだ。
「だから……あー、もう……」
クリスは全て台無し、って感じで手を振った。
どんな話をするつもりなのかはわからないが、まぁ、俺の許可が必要な話をするつもりだったんだろう。
そのための前準備を、会話の中でしているつもりだったのかもしれない。
いわゆるムード作りって奴だ。
俺がエリスに「今日は一段と綺麗だね」と褒めたり、「エリスの手は好きだよ。努力している人の手だ」といって手を握ったりして、最終的に「おっぱい揉んでいい?」と聞いてイエスという返答をもらうのと、同じことだ。
「ええと、本当はパーティが終わってから、改めて話そうと思ってたんだけど」
「うん」
クリスはそこで、コホンと、ロキシーのような咳払いをした後、改めてといった感じで、背筋を伸ばした。
スッと、まるで淑女のような……いや、『まるで』なんて言ったら失礼か。
淑女らしく立ち振る舞い、俺の方を向いた。
それにつられて、俺も背筋を伸ばした。
「私、学校を卒業したら、アスラ王国で暮らそうと思っています」
ああ、そういう話か……。
なるほどね。
「パパは反対するかもしれませんが。この3年で、私はアスラ王国のことが、好きになりました」
パパは反対なんてしないさ。
そりゃ、ラノアでずっと一緒に暮らせればと思う。
ずっと小さくて可愛いクリスのままでいて欲しいと思う。
でも、それは叶わない。
叶えようとしちゃいけない。
人は成長する。
成長とは、変化だ。
人は出会った人物や、起きた出来事によって、少しずつ変化していく。
その変化は、良い変化ばかりとは限らない。
俺から見て、悪い方向に変化することもある。
思わず、そっちに行くのはダメだと怒鳴り、連れ戻したくなる。
だが、それはやってはいけないのだ。
なぜなら、悪い変化が悪い結果をもたらすとも限らないからだ。
悪い変化を経るからこそ、良い人間に成長する例だってある。
現に俺だってそうだ。
しかし、前世でクソニートだったという、悪い状態があったからこそ、今に至れたのだと思っている。
今が良い人間かどうかはさておき。当時よりは、マシになったと思っている。
アスラ王国に暮らすことは、クリスに悪影響を与えるかもしれない。
クリスは、俺の望まない方向に成長するかもしれない。
しかし、それでいいのだ。
クリスの人生はクリスのものだ。
クリスが自分でそっちに行く、そう変化すると決めたのなら、俺は反対すべきではないのだ。
が、親として、最低限確かめておきたい部分はある。
本当にクリスが自分でそう変化すると決めたのだと、自分で認識しているかを。
なにせ、俺もクリスに会ったのは三年ぶりだからな。
もう憧れだけでアスラ王国に住みたいと言っているわけじゃないのはわかるが、念のためだ。
「昔から好きだったじゃないか」
「はい。でも先程も言ったとおり……昔の『好き』は、私の想像の中の国に対するものでした。でも、ここで3年間暮らしている内に、本当のアスラ王国を知って、本当のアスラ王国の人と知り合って、それで本当の意味で好きになりました。この国に住んでいる人も、気候も、文化も……」
「文化も? さっきのヴィオラみたいなのも多いのに?」
「もちろん、この国にも悪い所、悪い人はいます。むしろ、他の国よりも多いです。でもアリエル陛下や、この国の人々は、それをよくしようと努力している……私はここに住んで、仕事をして、そのお手伝いが出来ればと思っています」
「お手伝いか。どうお手伝いをするつもりなんだい?」
「文官として、王宮で務める資格を得ました。しばらくはルーク様の部下として働くことになります……といっても最初は見習い扱いですが」
おっとルーク君。
俺はそんなこと、聞いていないぞ。
「あ、ルーク様には口止めをさせてもらいました。私からパパに話したかったので」
「ああ、そう」
それについては、そのうちルークにも話を聞くとして……。
しかし、そうかルークの部下か。
ルークはアリエルの腹心で、もうほとんど宰相みたいな立ち位置にいるから、その下となれば、見習いといっても中枢部。
ゆくゆくは、アリエルや、あるいは王族の直接的な補佐をする立場になっていく感じか。
完全にエリートコースの幹部候補生じゃないか。
勤め先としては文句ないし、順当に出世すれば、彼女が望むこともできるだろう。
彼女なりに、きちんと人生設計を立てたってことだ。
あの、クリスが、まともな人生設計を……。
俺としてはもうそれだけで十分だ。
だが最後に、意気込みだけは聞いておこう。
「きっと大変だよ? やっていけるのかい?」
「はい」
クリスは大真面目な顔で、そう言った。
そうか、即答か。
それは少し不安だな。
きっとこの先、彼女が想像もつかないような、キツいことも起こるだろう。
この3年間では起こり得なかったようなことも……。
そう考えると、アスラ王国に行く前のクリスを思い出して少し不安になる。
でも、熱意があるのはいいことだ。
情熱はあらゆることを可能にしてくれる。
この3年間で、クリスがこんなことを言うようになったように。
「ルーデウス様」
と、そこで背後から声がした。
振り返ると、そこには絶世の美女がいた。
彼女は俺より年上だから、もう結構いい年齢だと思うのだが、その美しさは、年を経てもなお、損なわれない。
長耳族の血でも流れているんじゃないだろうか。
いや、長耳族と違って、年相応の綺麗になりかたをしているとは思うけど……。
アリエルだ。
脇にはいつも通り、イゾルテとドーガの姿もあった。
イゾルテは礼服と剣の身軽な格好だが、ドーガはいかつい全身甲冑に身を固めている。
だが、その兜の奥には温和すぎる顔があり、俺に向かって微笑んでいるのがなんとなくわかった。
ふと見ると、アリエルのすぐ後ろには、ルークの姿もあった。
ルークの後ろには、遠巻きに見つめる生徒たち。
話しかけたくてウズウズしている彼らだが、近づいてはこない。
「話は聞かせていただきました」
多分、聞かせて頂いたのではなく、事前に聞いていたのだろう。
そして、良いタイミングで出てこようとしたのだ。
「ルーデウス様の心配もわかりますが、彼女はアスラ王立学校という場に置いて、十分すぎるほど、アスラ王国でやっていく術を学びました。先程の"成果"が、その証拠でしょう。ねぇ、ルーク?」
「その通りだ。クリスティーナはアスラ王国に
まぁ、そういう所で心配してるわけじゃないんだがね。
ともあれ、日頃からアスラ王国の中枢でバチバチやってる二人がそういうなら、そうなんだろう。
お世辞じゃないことを祈りたい。
「……」
はー……。
それにしても、あのクリスが、そうか。
「パパ……どうでしょう」
クリスは、真剣な目でこちらを見ている。
その姿に、俺はふと、昔のことを思い出した。
遠い遠い昔だ。
俺がこの世界にきて、10年経つか経たないかという頃。
俺は、ある人物に出会った。
その人は、知略に長けていて、俺が何やらこそこそとやるのを、いつも楽しそうに見ていた。
野望に燃えていて、いずれはアスラ王国の中枢に行こうとしていた。
結局、転移事件が起きて、その野望は果たされずに終わった。
今のクリスの佇まいや雰囲気は、あの人に、なんとなく似ている気がした。
もう、二度と会えない、あの人。
フィリップ・ボレアス・グレイラットに。
考えて見れば当然か。
エリスはフィリップの娘。
クリスはエリスの娘。
血は色濃く受け継がれていたのだ。
そう考えると、俺の中での答えも出た。
いや、答えは最初から出ていたのだが、最後の取っ掛かりが取れた気がした。
「アリエル様、ルーク様」
「はい」
「娘を、よろしくお願いします」
そう言って頭を上げると、二人は柔らかく微笑んだ。
「もちろんです」
改めてクリスの方に振り返ると、彼女は驚いたような、期待したような顔でこちらを見ていた。
「クリス。頑張りなさい」
「やった! パパ大好き!」
クリスはガッツポーズをした後、俺に抱きついてきた。
真面目な話の時には、最後まで真面目な態度を取ってほしいものだが、まぁ良しとしよう。
先程行き場を失った両手が、ようやくクリスの背中に着地できたのだから。
それに、クリスに抱きついてもらうのも、これで最後かもしれないからな。
「ゴホン!」
と、俺が娘の感触に酔いしれていると、アリエルの隣の方から咳払いが聞こえた。
見ると、おお、絶世のイケメン、エドワード君じゃないか。
「クリス、話もまとまったようだし、そろそろ僕のことも紹介してくれないか?」
「あ、そっか! そうだね、ごめんごめん」
クリスはパッと体を放すと、エドワードの隣に移動した。
エドワードは自然な作り笑い……いわゆるアルカイックスマイルで、スッと前に出てきた。
同時に、クリスが手のひらでエドワードを指し示す。
「パパ、こちらはエドワード王子。私の同級生で、在学中は何度も助けてくれて、それで、えーと……」
「エドワード・アネモイ・アスラです。以後、お見知りおきを」
イケメン君は、完璧な作法で挨拶をしてくれた。
俺もなんとか返礼する。
ルークでかなり慣れたつもりだったが、いやはや、若いイケメンというのを前にすると、緊張してしまうな。
一応王子様だし、若者の前でもあるし、ここはきちんと敬語で、王族への対応も出来るんだって所を見せてやらないとな。
「ルーデウス・グレイラットです。エドワード王子、お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ! ルーデウス卿には、ずっとお会いしたいと思っていました」
先程のベルといい、このエドワードといい、今年は俺に興味のある学生が多い。
いやはや、参っちゃうぜ。
「ほう、それは嬉しいね。でも、アスラ王国では私の話題など滅多に出ないでしょうに」
「クリスが言うんですよ。ルーデウス卿はすごい人だって。その話を聞いているうちに、なんというか、勝手に親しみのようなものを憶えてしまって……」
エドワードは屈託なく笑いながら、クリスから聞いたエピソードを話してくれる。
ロキシーと魔術について話している時は目がキラキラしているだとか、魔術師なのに剣士みたいに肉体的な修行も欠かさない事だとか、休日はレオと一緒に暖炉の前でゴロゴロしている事だとか、よくエリスにぶん殴られて気を失っている事とか……。
ちょっと恥ずかしい。
クリスったら、そんな事まで話さなくてもいいのに!
そう思ってクリスを睨むと、クリスは口笛を吹きながら明後日の方を向いた。
それを見て、俺は反撃を決断した。
クリスにも恥ずかしがらせてやるのだ。
「なるほど、それで君は、クリスとはどんな関係なんだね?」
意趣返しのつもりだった。
クリスを恥ずかしがらせてやろうとの発言だった。
だが、エドワードは一瞬だけ呆気に取られた後、唐突にキリッと真面目な顔になり、言った。
言いやがった。
「クリスとは、結婚を前提としたお付き合いをしたいと考えております」
俺の笑顔が凍りついたのは、言うまでもない。