19 「巌しき大峰のタルハンド」
『巌しき大峰のタルハンド』は51人兄弟の37番目だった。
炭鉱族の一般的な家庭に生まれ、多くの兄弟姉妹に囲まれて育った。
51人。
無論、これは一人の女性が産んだものではない。
一般的にあまり知られていないことであるが、炭鉱族の集落においては、同世代の子供たちを一つにまとめるのだ。
いわば学校のようなものであるが、彼らはその集団から抜け出た後も、死ぬまで兄弟として扱われる。
こうして同世代の子供たちを兄弟として生活させることで、家庭間の貧富の差の意識をなくし、将来、集落を背負う立場になった時にスムーズな関係となることを目指している。
兄弟の内、誰かが長となり、誰かがそれを支え、誰かが妻となるのだ。
もちろん、これはあくまで炭鉱族の集落という、恵まれた環境のなかでのことだ。
集落の外に出た炭鉱族には、こうした風習はない。
ともあれ、タルハンドは数十人の兄弟と共に育った。
普通の子供だった。
土と鉄に興味を持ち、酒の香りを好み、鍛冶師と建築師に憧れる。
普通と少し違うところと言えば、女より男の方が好きだったことぐらいか。
さて、そんな彼の兄弟には一般的でない者がいた。
彼の弟、51人兄弟の38番目。
名を『誇らしき天頂のゴッドバルド』と言う。
ゴッドバルドは、才があった。
炭鉱族の子供は物心がつくと、すぐに鍛冶や手芸、簡単な土魔術といったものを叩き込まれる。
その中において、ゴッドバルドは他を圧倒した。
金槌を握れば大人さながらに頑強な鋼を生み出し、手芸をさせれば目を疑うような素晴らしい装飾品を作り、建物を見せればあっという間に悪い箇所を直してしまう。
炭鉱族の寿命は人族よりも長い。
ゴッドバルドが才を見せるようになった頃には、まだラプラス戦役を知る老人が生きていた。
彼らはゴッドバルドを見て「ラプラス戦役で死んだ先代の鉱神様の生き写しだ」と言った。
老人の言葉で、ゴッドバルドは次期鉱神候補として、特別扱いされるようになった。
子供たちも彼を将来の長となる人物として敬うよう、強要された。
タルハンドが変化しだしたのは、それからだ。
鍛冶や手芸に興味を持てなくなった。
自分がどれだけ丹念に作っても、ゴッドバルドが適当に作ったものに見劣りするのがわかったからだ。
決して誰かに比べられたわけではない。
そもそも、大人はゴッドバルドの制作物しか見ないのだから、比べられるも何もない。
ではタルハンドは一番になりたかったのか。
違う。
一番になりたかったわけではない。
では、ゴッドバルドを敬うことが嫌だったのか。
それも違う。
タルハンドはゴッドバルドと仲が良かった。
兄弟になった時、最初に仲良くなったのもゴッドバルドだった。
タルハンドの初恋もゴッドバルドだった。
そんなゴッドバルドが鉱神となることは、喜ばしいことであった。
つまるところ、タルハンドはどうにかしてゴッドバルドの役に立ちたいと考えたのだ。
ゴッドバルドの足りない部分を補い、彼の片腕になりたいと思ったのだ。
そんなタルハンドが傾倒したのは魔術であった。
特に、炭鉱族の中で不要とされる、水魔術と風魔術を重点的に会得しようとした。
初代鉱神は神級土魔術の使い手であり、己が魔術で生み出した鉱石から、素晴らしい剣を生み出したという。
だが、鉱神が名剣を生み出した時、風魔術と水魔術に長けた長耳族の存在があったとも言われている。
鍛冶は土と火だけで出来るわけではない。
火を大きくするには風が必要で、鋼を冷やすには水が必要だ。
そのことは間違いないはずなのに、炭鉱族の大人は理解しようとしなかった。
伝統が、格式が、今までの先祖は、炭鉱族は水と風は苦手で……。
あらゆる理由を付けて、タルハンドが水魔術と風魔術を会得するのを邪魔しようとした。
実際、タルハンドも水や風より、土魔術の方がずっと得意であった。
だが、ゴッドバルドは言った。
「俺はいいと思う。集落の大人は頭が硬すぎる」
タルハンドはその言葉に勇気をもらい、さらに魔術に傾倒していった。
そうしてタルハンドは炭鉱族の一般男性から、離れていった。
そうなると、兄弟たちの中からもタルハンドを批判する者が現れた。
タルハンドは軟弱だ、鍛冶をしないなど炭鉱族の男に有るまじき女々しさだ。
魔術など、硬い岩盤を緩くする程度に使えればいい、鍛冶に使うものも自然から生み出されるべきだ。
タルハンドはそうして批判に嫌気を覚えながらも、少しずつ研鑽を積んでいった。
全てはゴッドバルドのため。
鉱神となる彼が成長した後、必ず自分の力が必要となる。
そう信じていた。
成人し、批判の声が呆れに代わり、集落の兄弟から爪弾きにされ、 集落でもっとも偏屈な狂人と言われるようになっても、ずっとそう信じていた。
そして、その日がきた。
ゴッドバルドが鉱神に任命される日だ。
鉱神の襲名は言い伝えに乗っ取り、鉱神候補者が五本の剣を打つ。
五本の剣を打つときはそれぞれ、鉱神候補者が選んだ、最も頼れるものが補助をする。
妻や親友、将来自分が鉱神となった時に炭鉱族の集落を支えていく幹部を、鉱神自らが選出するのだ。
タルハンドは、当然のようにそれに名乗り出た。
この日のために研鑽を積んできたのだ、と。
だが、驚いたことにゴッドバルドはタルハンドを選ばなかった。
当時、集落の中で最も腕が良いとされていた者達や、ゴッドバルドの恋人……それはまだいい。
最後の一人に、タルハンドを愚か者と叩いていた、頭の硬い老人を選んだのだ。
タルハンドは抗議した。
こんな馬鹿なことがあってたまるか、俺はお前のためにやってきたんだ、と。
だが、ゴッドバルドは言った。
「お前は、まともな剣を打てるのか?」
無論、タルハンドは言った。
「打てる、自分には出来る、だからチャンスをくれ」
ゴッドバルドはその懇願に苦い顔をしつつも、提案を受け入れた。
頭の硬い老人と、タルハンド。
二人が一本の剣を打ち、その出来を競う勝負となった。
その他、公正を期すため、我こそはと思う者はこの勝負に参加せよと呼びかけた。
参加者は大勢集まった。
タルハンドは愕然とした。
水魔術も、風魔術も、この時のために鍛えてきた。
だが、自分は鍛冶の修行など、子供の頃からほとんどしてこなかった。
まともに剣を打ったことなど、数えるほどしかない。
不利すぎる。
「待ってくれ、俺はお前の補助で剣を打ちたいんだ」
そんな懇願は、
「一人でまともに剣を打てない奴に、俺の意図がわかるものか。意図がわからねば、補助など出来るはずもなし」
という言葉で否定された。
意味がわからなかった。
自分以上に、ゴッドバルドの意図を汲める者などいないと思っていた。
それがなぜ……。
混乱の只中にあったタルハンドは、その後、策も無く勝負に挑み……。
負けた。
打ちひしがれたタルハンドは、白い目で見られながらその場を後にした。
そして後日、鉱神の襲名の儀を見ながら、集落を出た。
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それから、タルハンドは冒険者として各地を転々とした。
基本は一人だった。
ゴッドバルドの件があってからというもの、人をあまり信用できなかったというのもある。
長いこと爪弾きにされて生きてきたため、人とどう接すればいいのかもわからなかったのもある。
男色であることも引け目の一つだった。
鍛冶は炭鉱族の中で最低レベルだったとはいえ、長く研鑽を積んできただけあって魔術師としてはそれなりだった。
あくまで、それなりだ。
そのため、重い装甲に身を包み、戦士と魔術師の中間のような戦い方しか出来なかったが。
しかしそれでも、タルハンドがソロで冒険者をしていくのはそう難しいことではなかった。
タルハンドがB級に上がった頃、ある人物と出会った。
エリナリーゼ・ドラゴンロードだ。
当初、彼女はタルハンドの体が目当てだった。
たまには炭鉱族の若造でも食ってやるか、という意識もあったろう。
とはいえ、タルハンドは男色である、エリナリーゼに興味は無かった。
いくら誘惑されても乗ることはなかった。
それでもうっとおしかったため、最終的には自分が男色であることを明かした。
エリナリーゼはポカンとした顔をして、その後、けたたましく笑った。
タルハンドはその笑い声が不快であった。
だが、これでこの好色なエルフともおさらば出来るだろうと我慢した。
しかしエリナリーゼはタルハンドからは離れなかった。
理由はわからない。
あるいはエリナリーゼは、タルハンドとであれば、トラブルが起きないと考えたのかもしれない。
それから何度か、タルハンドとエリナリーゼは臨時でパーティを組んだ。
優れた戦士であるエリナリーゼは、重い装備に身を包んだ魔術師であるタルハンドと相性が良かった。
うっとおしいと思っていた人物とのパーティ。
だが、不思議なことに、居心地は悪くなかった。
エリナリーゼが、常識や伝統、しきたり、ルールに縛られない人物だったからかもしれない。
とはいえ、固定でパーティを組もう、という話は出なかった。
だが、一人の少年が登場したことで、少し流れが変わった。
パウロ・グレイラット。
彼は当時バラバラだったエリナリーゼ、タルハンド、ギース、ギレーヌといった面々に声を掛け、パーティを結成した。
『黒狼の牙』である。
その結成にも一騒動あったが、まぁ、それは置いておこう。
『黒狼の牙』のメンツは、自分たちの生きている世界から爪弾きにされた者ばかりだった。
男色はいなかったが、どいつも自分の欲望に忠実に生きていた。
特にパウロは独創的で、奔放だった。
タルハンドが男色であると知っても笑い飛ばし、俺が女を、エリナリーゼが男を、お前が余ったのを食えば無駄が無いな、なんて言った。
パウロはわかりやすい悪ガキで、ため息を付きたくなるような行動ばかりとっていた。
だが、その行動が何かに束縛されるものであった試しはない。
常識から生まれた行動でもない。
世間的に悪徳とされることであっても、パウロは自分の意思に従い、「知ったことか」と唾を吐いた。
タルハンドにとって目から鱗が落ちそうな行動を、パウロは笑いながらやってのけたのだ。
パウロの行動は、『黒狼の牙』と、そのメンバーの悪名を高めることになったが、しかし楽しかった。
パウロが何かをする度に、タルハンドは炭鉱族らしく、ガハハと笑った。
パウロ達に対する感情は恋慕によく似ていたが、少し違った。
恐らく、信頼だろう。
タルハンドにとって、彼らは生まれて初めて信頼できる、仲間だったのだ。
しかし、その信頼は砕かれた。
ゼニスがパーティに入ってきたことで、砕かれた。
今まで奔放だったパウロが、ゼニスに気に入られようと常識的な事を口走るようになった。
それは確かに、パウロを人として成長させたのだと思う。
だが、パウロは最後に間違いを犯した。
パウロがゼニスと結婚するために起こした騒動は、その場にいた全員の心に大きな傷跡を残した。
端からみると些細なことだったかもしれない。
だが、タルハンドは思った、もう二度とパーティなど組まない、と。
その後、しばらく一人で旅をした後、フィットア領の消滅事件が起こった。
エリナリーゼと再会し、ロキシーと知り合い、彼女らとパーティを組んだことで、パーティは組まない、という気持ちは薄れたが……。
ともあれ、パウロという男に対する思いの強さは残っていた。
パウロと再会したのは、魔大陸を往復してからだ。
久しぶりに見たパウロ、そこにはもはや、タルハンドの知る悪ガキはいなかった。
一人の大人、一人の親となった男が、必死になって家族を探していた。
この男は変わったのだ、大人になったのだ、とタルハンドは思った。
パウロの息子と出会ったのは、ベガリット大陸が初めてだ。
あのパウロの息子。
ルーデウス・グレイラット。
どんなドラ息子だと思っていたが、思いの外、しっかりした子だった。
とはいえ、成長したパウロの子供であれば、そう不思議なことではなかった。
パウロとルーデウス。
彼らを見ていると、なぜだかタルハンドの胸は締め付けられるような感覚に陥った。
理由は、分からなかった。
そして、パウロは死んだ。
あっけない最後だった。
ショックもあった。
だが、自分以上にルーデウスがショックを受けているのを見ると、態度に出すのははばかられた。
いつも通り、泰然とした態度で酒を飲んだ。
その後、ベガリット大陸を出て、パウロの息子の家族を紹介され、
あのパウロの息子が、一端に家族を作り、家を立てて生活しているのを見て、
パウロの墓が建てられ、その前で酒盛りをして、魔法都市シャリーアから旅発った。
その時、タルハンドの中で、何かが終わった。
冒険者を始めた時から続く何かが。
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虚無感の中、タルハンドはふと思い至った。
鍛冶の修行をしよう、と。
なぜそう思ったのかはわからない。
だが、タルハンドはアスラ王国へと赴き、冒険者としての活動をしながら鍛冶場を借り、訓練を重ねた。
ギースが賭博でつかまり、ほとんどの財産を失って、
金稼ぎのためにミリス大陸方面に行った時も、休まず続けた。
使える全ての魔術を使っての鍛冶だ。
火を、土を、水を、風を。
全て魔術で補った。
剣を打ち、小手を打ち、盾を打ち、剣を打ち、鎧を打ち、兜を打ち、剣を打った。
すると不思議な事に、かつてゴッドバルドに言われた言葉の意味がわかってきた。
言葉では言い表せない呼吸やタイミング、テンポ、力加減といった、繊細な何かがわかってきた。
上達は早かった。
ゴッドバルドの鍛冶の手付きが脳裏に焼き付いていたというのと、
冒険者として生きてきて、どういった武具がより優れていることを知っていたのが大きかった。
魔術の使い方も、集落にいた頃とは段違いだ。
そうして活動を続けていると、タルハンドの武具を購入してくれる者も現れた。
ルード傭兵団だ。
ルーデウスの知り合いということで、傭兵団の支部長がタルハンドのスポンサーになってくれたのだ。
おかげで、ミリシオンの端に、自分の鍛冶場を構えることもできた。
しかし、相変わらずタルハンドは、何のために自分がこんなことをしているのかわからなかった。
冒険者の片手間に鍛冶師の真似事をする意味が、わからなかった。
わかったのは、ルーデウスが家族全員を連れて、魔法都市シャリーアからやってきた時だ。
あのパウロの息子が、ラトレイア家と対等以上に接しつつ、子供たちを育てている。
そんなものを見て、タルハンドは悟った。
理解した。
自分はあの集落に戻らなければならない。
あの頃の決着を、つけなければならない。
そのための鍛冶だ。
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ルーデウスから黒石塊を貰った後、タルハンドは己の鍛冶場に戻った。
昔から、もしこういう石を魔術で作れたら、こう作ろう、という発想はあり、理論も考えていた。
かつては夢物語だったが、今はそのための訓練も十分に積んだ。
「……」
まずはルーデウスの黒石塊を土魔術と金槌で分解した。
それを砂鉄と混ぜて炉で熱する。
通常の炉では溶けないため、火魔術と風魔術を用いて上げられるだけ、温度を上げる。
芯金にも玉鋼にも、ルーデウスの石塊の粉末と砂鉄を混ぜたものを用いる。
比率は変えるが、基本は同じものである。
あるいは赤竜の鱗や、ヒュドラの硬骨を使えば、より凄まじい剣が生み出せただろうが、タルハンドは使わなかった。
それでは、意味がないからだ。
その後、じっくりと焼き入れ、一晩休まずに、力強く鍛え続ける。
気力と魔力を少しずつ使いながら……。
その結果、一本の剣が生まれた。
黒い刃を持つ、頑強な剣だ。
特殊な装飾は無く、特殊な効果も持たない。
だが、タルハンドはその一本に満足し、鞘を作り、上等な毛織物で丁寧にくるむと、背中に背負った。
さらに残った黒石塊を袋に入れ、ミリシオンを出発した。
目的地は、炭鉱族の集落である。
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久しぶりに訪れた炭鉱族の集落は、何も変わっていなかった。
崖の脇に造られた石造りの村。
高い石壁に囲まれた町中からは、鉄を打つ音が絶えず響いている。
タルハンドは入り口では特に咎められず、通過できた。
すでにタルハンドは集落の者ではないが、人族でもない。
炭鉱族が出入りするのを見咎めるほど、炭鉱族の見張りは細かくはなかった。
「……」
崖には大きな穴が開けられ、中からはひっきりなしに滑車が出入りしている。
上半身裸の男たちは汗だくになりながら炭や鉄鉱石を運びだし、女たちは両肩に大量のふかし芋を抱えて鉱山前の休憩所へと歩いている。
それを見て、タルハンドは懐かしさを憶えた。
まるで時が止まったかのように、そのままだったからだ。
ただひとつ変わっていることがあるとすれば、タルハンドを知らない者が増えたぐらいか。
歩いていて、訝しげな目を向けられることはあっても、白い目を向けられることは少なかった。
ほとんどの者が、タルハンドを知らないか、憶えていないのだ。
タルハンドはそのことにまゆ一つ動かさず、族長の家へと急いだ。
目指す場所は一つだ。
「……久しいな、『巌しき大峰』の、何をしにきた?」
だが、当然ながら憶えている者もいる。
タルハンドの前に立ちふさがったのは、兄弟の一人だった。
幼き日にタルハンドを笑い、鉱神の腹心として選ばれた男である。
「鉱神様に会いにきた」
「身の程をわきまえろ、貴様のような者にお会いになるか」
「……」
その言葉に、タルハンドは無言で背中のものを取り出した。
上等な毛織物を取り去り、鞘から抜き放った瞬間、男はハッと息を飲んだ。
漆黒の刀身が、そこにあったからだ。
光すら吸い尽くすような漆黒であるが、しかし禍々しさや卑しさは一切感じず、逆に清々しさと誇らしさのようなものさえ感じられた。
背筋がぞっとするような美しさであった。
「それは……?」
「わしが打った」
「馬鹿な……」
炭鉱族の鍛冶は、剣で全てを語る。
素晴らしい炭鉱族は、素晴らしい剣を打つ。
ゆえに、それをあのタルハンドが打ったとは思えなかったのだ。
「献上する」
鉱神という名は、世界中で最も優れた鍛冶師の称号の一つであり、炭鉱族の誇りであるとされる。
鉱神には、世界中に散る鍛冶師が、これぞというものを打った時、その出来を見る義務があるとされている。
無論、半端なものであれば、目利きの炭鉱族が篩にかけ、弾く。
そして目の前の男は、その目利きであった。
「……」
男はタルハンドのことが好きではなかった。
だが、剣は嘘をつかない。
この黒い剣には装飾もなく、特殊な技術が使われているわけでもない。
だが恐らく、硬い。
生半可な戦いでは、決して折れぬであろうことを見て取った。
すなわち、業物である。
炭鉱族たるもの、この剣に嘘を付くわけにはいかない。
「許可する。行くがよい。巌しき大峰のタルハンドよ」
「感謝する。炎の刃金のドートルよ」
タルハンドは古き兄弟の名を思い出し、頭を下げ、剣を鞘に戻し、毛織物に包んで背負いなおした。
鉱神の元にたどり着くまで、何度か同じように呼び止められた。
しかし、剣を見せると、誰もがタルハンドに道を譲った。
---
『鉱神』誇らしき天頂のゴッドバルドは、タルハンドの記憶よりも若干老けていた。
当然だろう。
タルハンドがこの集落を出てから、長い年月が経っているのだから。
「老けたな、タルハンド」
「お主もな」
「とっくにどこぞで野たれ死んだのかと思ったぞ」
「儂も、そのつもりじゃった」
短い挨拶。
ゴッドバルドの脇には、彼の妻と腹心が控えている。
久しぶりに現れた集落一の狂人に、彼らは警戒心を露わにしていた。
だが、タルハンドとゴッドバルドの間にピリピリとしたものはなかった。
タルハンドが、心穏やかな気持ちでゴッドバルドと相対したからだ。
「……」
「……」
とはいえ、ゴッドバルドと何かを語るつもりもなかった。
話せることはたくさんあった。
自分が集落の外で何を見、何を経験したのか。
だが、言葉は不要であった。
タルハンドは己が持ってきたものを、無言でゴッドバルドへと差し出した。
ゴッドバルドもまた、無言でそれを鞘から抜き放ち、刀身をみた。
「……ほう」
一目見て、ゴッドバルドから感嘆の声があふれた。
黒剣。
ゴッドバルドはそれを持ち、顔を近づけてよく見た。
「信念が宿った良い剣だ……迷いも甘さもない、だが未熟さが各所に見える。
同じ材料と工法を使ったとしても、儂の方が格段に良い剣を打てるであろうな」
そう言われ、タルハンドは口の端に笑みを浮かべた。
当然だ。
いくらタルハンドがこの数年で鍛造鍛冶に力を入れたとしても、
百数十年も研鑽を続けている鉱神の足元にも及ぶはずもない。
わかりきったことだ。
「……ふふ」
「何がおかしい?」
だが、そこではない。
そこではないのだ。
「材料と工法を知りたいかの?」
「気になる。不思議な剣だ」
献上した剣の材料と工法を伝えるのは、珍しいことではない。
何のために鉱神に剣を献上するかと言えば、その作り方を後世に残すためだ。
どんな材料を使い、どんな作り方で、どんな工夫をしたのか。
それを歴史に残したいと思う者は、少なくない。
「材料は土魔術より作り出した石塊じゃ。
土魔術で砂にし、砂鉄と混ぜあわせた。
それを火と風の魔術で温度を上げた炉で溶かした。
あとは、いつも通り、普通に叩いて、焼き入れた。
冷却に、水魔術を使いながらのう」
「土魔術で作った石……」
ゴッドバルドはその言葉に引っかかりを覚え……そしてすぐに思い至った。
ゴッドバルドは、その工法をしっている。
小さい頃、目の前の偏屈野郎に何度か教えてもらった。
「意趣返しというわけか?」
「いいや。ただあの時の決着をつけようと思っただけじゃ」
「……この剣を見れば、儂がお主に、戻ってこいと言うとでも思ったか?」
「いいや。でもお主は、儂が欲しかった言葉を言ってくれた。それで十分じゃ」
儂の方が格段に良い剣を打てるであろうな、と。
その言葉だけで、タルハンドは満足だった。
幼い頃からの膿が、吐き出されていく気分だった。
ああ、そうだろう。ゴッドバルドが同じ材料、同じ工法で打てば、格段に良いものが出来上がるだろう。
だが、魔術を使わなければ石は砕けず、熱された鉄はただの水では冷却しきれない。
そう、例えば、相応の魔術が使える者がいなければ……。
もっとも、目の前の天才鍛冶師なら、タルハンドと同じ方法を使わずとも、石塊を上手に料理するだろうが。
「で、その『石』は、タルハンド、お主が作り出せるのか?」
「……いいや。作り出せるのは儂の友の息子じゃ」
タルハンドは己のバックパックから、三つの石塊を取り出した。
それを並べて、ゴッドバルドの前に置く。
ゴッドバルドは石塊に手を伸ばし、その重さにまず目を見開いた。
そして、割って断面を確かめようとして、それができず、ハンマーで叩き割ろうとして、それも敵わず、その硬さと靭性に驚いた。
同時に湧き上がってくる、この石で武具を作ったら、という思い。
ゴッドバルドに笑みが浮かぶ。
タルハンドはその表情を見て、満足気にうなずいた。
子供の頃から、ゴッドバルドの表情は変わらず、分かりやすい。
「もう何日かしたら、そやつがお主の前に現れる」
「……」
「会ってやってはくれんかのう?」
タルハンドはルーデウスの顔を思い出しつつ、柔らかい声音で言った。
すでに自分の目的は達した。
欲しい相手から、欲しい言葉がもらえた。
あとは、きっかけをくれた男の頼みを果たすだけだ。
「まあ、少々頼りなく見える上、それに見合わん厄介な願い事を持ってくるじゃろうが……。
見た目に似合わず、ガッツのある男じゃ。会って損はない。
その剣にかけて、儂が保証しよう」
ゴッドバルドは剣と、石塊を見比べた。
脇にいる妻と側近が何か言いたそうにしていたが、意見を聞くつもりはなかった。
タルハンドは見違えた。
その原因の一端に、この石を作った魔術師が関わっているのだろう。
興味が湧いた。
「いいだろう。名は?」
「ルーデウス・グレイラット」
「うむ」
ゴッドバルドがうなずき、その名を心に刻んだ。
それを見て、タルハンドは立ち上がった。
口約束だが、十分だろう。
ゴッドバルドは約束を破る男ではない。
かつてタルハンドは約束を破られたような気持ちにもなったが、あれは約束を破ったわけではない。
ただタルハンドが未熟で、身の程知らずだっただけだ。
「行くのか?」
「ああ」
「今のお主なら、誰も文句はいわんぞ」
「儂はミリシオンに鍛冶場を構えた。死ぬまでそこにおるだろうよ」
タルハンドはそう言って、鉱神の住居から出て行った。
いつの間にか、鉱神の住居の周囲には、かつての兄弟たちが群がっていた。
視線は鋭い、中にはあからさまに蔑む者もいる。
「すまんが、通るぞい」
タルハンドが歩き出すと、彼らは道を譲った。
困惑と侮蔑の入り混じった視線の中、タルハンドは集落の外へと向かう。
声を掛けてくる者はいない。
追って来るものもいない。
だが、タルハンドの足取りは軽く、心は晴れ渡っていた。
呪いが、ようやく解けたのだ。
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鉱神が大量の石塊と引き換えに龍神と手を結んだのは、それから一月後の話である。