10 「人形が歩いた日 前編」
その日は嵐だった。
叩きつけるような雨が草原を洗い、太い雷が何本も大地へと落ちた。
雷光に照らされて、一軒の家が浮かび上がる。
人気のない草原にポツンと建つ家。
その家の中では、二人のマッドサイエンティストが笑っていた。
「フフ、フハ、フハハハハ! ようやく、ようやくですな!」
「ああ! ようやくだ! ようやく完成した!」
二人のマッドサイエンティストは笑いながら手を取り合い、部屋の中で踊っていた。
「ここまでこれたのは、ひとえに師匠の類まれなる技術と叡智の賜物!」
「いやいや、ザノバ君、君の深淵たる知識や発想なくしてこれは完成しなかった!」
ルーデウスとザノバである。
互いを讃え合い、踊りをやめた二人。
彼らのいる部屋の奥には、ある物体が設置されている。
不気味な光を放つ石の寝台だ。
その寝台には、一人の少女が寝かされていた。全裸で。
「ここまで、本当に長かった……」
ルーデウスは思い出す。
失敗の連続を。
最初は起動すら出来なかった。
試作一号機が完成するまで、何十回もマイナーチェンジとデチューンを繰り返した。
その結果、起動には成功したものの、命令をそのまま聞くだけのゴーレムになった。
これはこれで需要はあるだろうが、彼らの求めていたものとは大きく違った。
試作2号機からは人工知能を搭載したコアの開発と、より人間に近いボディの追求。
もちろん、失敗続きだ。
ボディの方は段々と人間に近くなっていったが、人間に近い動きを追求するために材料をいじれば耐久度に難があり、人間らしい動きをさせようとコアをいじれば、起動に失敗する。
二人は、人とはこれほどまで絶妙なバランスで成り立っていたのかと苦悩した。
失敗に次ぐ失敗。
狂龍王カオスの手記は何度も見直した。
甲龍王ペルギウスにも助言を仰ぎ、魔法陣と精霊召喚のヒントを得た。
龍神オルステッドには、あまり手に入らない魔石や、材料に関する知識をもらった。
だが、それでもなお、失敗は続いた。
かの狂龍王ですら未到の領域。到達は出来ないのかと涙した。
失敗し、涙を流しながら再チャレンジしてまた失敗した。
だが、その都度、小さな発見をして、少し進歩を繰り返した。
そして、一ヶ月前。
ついに、ついに成功した。
仮組みの人形は確かに起動に成功したのだ。
試作3号機が。
のっぺりとした顔の無い人形は、確かに起動に成功したのだ。
彼らはその成功に小躍りをした。
試作3号機でデータを取り終えた後、早速、次の機体の制作を開始した。
試作4号機である。
試作4号機は、ほぼ完成品に近いスペックを持っている。
人と同じ体、同じ顔を持ち、口を動かして言葉を喋り、手足を使って自由に動く。
ただ、実をいうと、彼らは試作3号機でやるべき実験を全て終わらせたわけではなかった。
問題点の洗い出しが全て終了したわけではなかった。
理想の人形が理想の姿で動くという欲求に、我慢が出来なかったのだ。
そのため、試作3号機でやるべき工程をいくつかすっとばして、ほぼ完成品と同じスペックとなる試作4号機に着手したのだ。
とはいえ、それはそれでよいのだ。
試作3号機で出来て、試作4号機でできないことはない。
試作4号機でシステムのチェックと、完成品用の素体の相性を見る。
それでいいじゃないか、と。
これも次なる一歩なのだ、と。
俺たちが見たかったものはこれなのだ、と。
これこそが俺たちの求めた
「では! 起動しますぞ~!」
「おう!」
ザノバは、ワクワクした表情で少女の慎ましい胸の中心にある魔石に指を伸ばした。
この魔石の奥、少女の胸の中心にはコアがある。
複雑かつ細かい魔法陣が刻まれたコアは少女の脳であり、文字通り心臓部である。
コアを起動させることで、人形は自分の足で立ち、自分で学び、自分で判断し、自分の力で魔力を得て、半永久的に動き始める。
完全な自律人形だ。
もちろん、それがかなわず、魔力不足で倒れることもあるだろう。
だが、その場合はこの寝台に戻して、全体の魔力を回復してやればいい。
最初にルーデウスがその仕様を提案した時、ザノバは言った。
再起動を人の手に委ねるは、不完全では?と。
だがルーデウスは言った。
まさか、それこそが完全なのだ、と。
人は転んで起き上がれなくなったら、人の手を借りて立ち上がるものだ、と。
「……」
ザノバの伸ばした指が躊躇いを持った。
さしもの彼も、幼い少女の胸に触るのにはばかられるのか?
いいや、彼はそんなことに躊躇する男ではない。
「…………師匠がやりますか?」
「いや、ここまでこれたのはお前の頑張りのおかげだ、お前がやってくれ」
ザノバは怯えているのだ。
二人の理想が実現する瞬間に。
10年近い年月を要した夢が叶う瞬間に。
だが、元来の彼は臆病な性格ではない。
躊躇とは無縁な男だった。
「わかりました……では、参ります!」
「おう!」
ザノバの指が、ゆっくりと少女の胸に触れた。
壊れ物を扱うかのような優しい指先が少女の肌を這い、魔石へと触れた。
起動用の魔力は、そう大きくない。
誰でも、起動できるようになっている。
「……『目覚めよ、我が愛娘』」
ザノバが起動用の呪文を唱えた瞬間、パリリと魔力が通った。
寝台の端にある赤いランプが、青へと変わる。
それを確認した後、ザノバは指を離した。
「……」
数秒の沈黙。
二人の男が固唾を飲んで、少女の起動を見守った。
起動後のプロセスは自動化されている。
起動呪文を唱えて魔力を励起させた後は、ただ見守るだけでいいのだ。
「……」
少女が音もなく目を開けた。
パチリと、黒い瞳を。
その間に、パチンと音がして、寝台との物理的な接続が切れる。
接続が切れると、少女の上体がゆっくりと起こされた。
きめ細かで真っ白い肌だ。
細く、筋肉などついていないのではないかと思えるほどの細い体。
乳房は小さめだが形は整っており、体のラインは少女のものとは思えないほど綺麗だ。
ザノバとルーデウスが長年の人形制作技術で培った技術の結晶であった。
少女の体は人工的な肉と、魔導鎧と同じ材質で出来た骨格でできている。
人工肉は、ルーデウスが土魔術で作り出した粘土をベースに、赤竜の鱗や幻蝶の鱗粉といった高い魔力を備えた材料を加え、最後にエルダートゥレントの樹液と不死魔族の血液を混ぜこむことで完成する。
試行錯誤と高級な材料を駆使して生まれた人工肉は、半永久的に高い耐久性を保ちつつ、人間のそれに非常に近い質感を持っている。
その肉を動かすのは魔法陣を刻まれた骨格だ。
骨格に刻まれた魔法陣が、人工肉の固まりを筋肉のように動かしている。
原理はほぼ魔導鎧のそれと同等である。
だが、関節部分にスケルトン・デスブレイカーの骨粉で作られたパーツが導入されている。
スケルトンの骨粉は魔力の伝導率が上がる。
特にランクの高いスケルトンの骨粉は伝導率が高く、より人に近い動きを可能にした。
さらに、少女は両手を上げて、ぐっと伸びをして、手のひらをグッパーする。
非常に、人間に近い、滑らかな動きである。
そのあまりにも自然すぎる動作は、思った以上に腋と胸が強調され、艶かしさすら覚えてしまうものであった。
「ゴクッ」
ルーデウスが唾を飲み込んだ。
「作ってる時はわからなかったけど、動くとなんか、アレだな、思いの他、ヤバイな……」
「……」
ザノバは答えない。
だが、同じような心持ちであることは、その表情から見て取れた。
少女はさらに無言のまま上体を倒し、仰向けになったまま膝を上げた。
白く瑞々しい太ももが交互に上がり、そのままの体勢で膝を曲げ伸ばしたり、股を開閉する。
精巧に作られた人形の秘部が二人の前にチラチラとさらけ出される。
ちなみに、これらの動作はエロ目的で体を見せびらかしているわけではない。
起動時には、自動で関節部の動作チェックをするようにプログラムされているのだ。
このチェックで引っかかると、ダメな部分に関するエラーを吐くようになっている。
人形自身の口から。
「正常に起動しました」
最後に、人形は肩口まである黒髪を振り、全てのチェックの終了を宣言した。
人工声帯から奏でられる声は、二人の知る、ある人物によく似ている。
「ふぅ……」
二人は緊張の面持ちを崩さないまま、息をついた。
今まで、何度もこの場面で失敗した。
腕をあげようとして肘から先がロケットパンチみたいに天井に向かって飛んで行ったり、ボギンと鈍い音がして膝が変な方向に曲がったり、股が裂けて奇怪なオブジェのような姿勢のまま、ボギンゴギンと鈍い音を立てつつエビゾリ方向に丸まっていったり……。
試作三号の製作中には、そうしたスプラッタな光景が何度も繰り広げられたものだ。
人形の骨格部分が魔導鎧と同じものでできているのが問題だった。
魔導鎧を身につけた時、その力加減は身につけた者が調節できる。
だが、そのさじ加減は、長く魔術や筋肉を使ってきた経験からくるものだ。
人形に経験は無い。
ともすれば、常に最大の力で動いてしまい、自滅してしまう。
ゆえに、体中の至る所にリミッターを掛けたのだ。
もっとも、骨格となっているのは魔導鎧と同じ材質のものだ。
リミッターを掛けたとはいえ、耐えられる閾値は高く、聖級剣士並みの動きを可能とする。
それはさておき。
何度も失敗した膝や肘を曲げる際の人工肉のパワーの設定や、可動域の設定に何の問題も無いのを見て、二人は安堵したのだ。
「うむ、問題ないようですな」
「ああ」
二人の言葉に反応したかのように、人形が寝転んだまま、ガラスのような無機質な目をザノバへと向けた。
そのまま、口を開く。
「マスター。お名前をどうぞ」
「ザノバである!」
「マスター・ザノバ。登録しました。ご命令をどうぞ」
「そちらのお方をサブマスターとして登録せよ」
「了解しました。そちらのお方、お名前をどうぞ」
「ルーデウスです」
「サブマスター・ルーデウス。登録しました。ご命令をどうぞ」
流れるようなやりとりは、試作3号機での実験において何度も行っているものだ。
人形は最初に、主人の登録を行うのだ。
「うむ。では、寝台より降りて、床に立つが良い」
人形は寝台から降りて、まっすぐに立った。
その様子を見て、ルーデウスはグッと拳を握った。
「よしよし、マスターネームの登録もちゃんと出来ているし、命令も聞くな」
ルーデウスはジーンと感動した心持ちで人形を見下ろした。
最初の頃は大変だった。
「ザノバである」と言えば、「マスター・ザノバデアル」で登録されたりした。
他にも、寝台を降りなかったり、「立つが良い」の「が良い」が理解できなかったりといったり……。
これらはペルギウス直伝のアドバイスで対処できた。
もらったヒントからあれこれと魔法陣を弄くり、何度も1から構築した。
それが、今、こうして形になったのだ。
出来上がった召喚魔法陣はコアに刻まれ、人間が本能的に行うものを全て網羅している。
「軽く飛び跳ねてみよ」
「イエス、マスター」
人形が両足を揃えたまま、トントンと飛び跳ねる。
なかなか力強い跳躍だ。
人工肉は骨格を破壊するほどのパワーも出せるが、きちんと自律制御できているらしい。
「飛び跳ねながら、両手を広げて」
「イエス、マスター」
「足を広げて……ストップ」
「イエス、マスター」
「そこからまた飛び跳ねを再開しつつ、両手をグルグルと回して」
「イエス、マスター」
「一跳び毎に、足を開いたり、閉じたり」
「イエス、マスター」
ザノバの命令に従いながら、人形は言うとおりに動く。
短い髪が揺れて、躍動的に肢体が跳ねる。
バランス感覚もバッチリだ。
「そこで面白い顔をせよ」
ザノバの唐突な命令に、人形は一瞬止まり。
「イエス、マスター」
頬に手を当てて、プニュっと顔を歪めた。
無表情で頬を歪めただけ、変な顔だ。
面白い顔とはいえないかもしれない。
だが、人形自身が自分なりに考えて遂行した結果である。
つまり、期待通りの結果であった。
「ふむ、良好ですな」
「ああ……」
だが、ルーデウスはその様子を見て、やや渋い顔をしていた。
彼が見ているのは、小さいながらも跳躍の度に震える胸と、股間についた精巧な秘部である。
ルーデウスの名誉のために言うが、彼は性的な目で見ているわけではない。
なにせ、彼が自分自身で作ったものだ。
ただ、思った以上の完成度に、彼は恐れたのだ。
自分自身の才能を?
違う。
「しかし、似すぎたな……顔もそうだが、偶然とはいえ声も似てしまった」
ルーデウスは、人形の顔を見る。
人形はルーデウスと目を合わせるが、にこりともしない。
笑顔なども出来るようには作ってあるが、命令無しではまだ出来ないのだろう。
しかし、ルーデウスが問題視しているのはそこではない。
「これは、絶対に怒られるな……」
人形の顔は、二人の知り合いに酷似していた。
「ナナホシ殿にですか?」
そう、七星静香。
二人の友人であり、空中城塞に眠る異世界人である。
人形は彼女に似ていた。
顔もそうだが、髪も長さは違うものの黒髪で、背丈も体つきも、彼女によく似ていた。
知り合いによく似た全裸の人形。
性的な胸部と、使用に耐えうる股間部を持つ人形。
「馬鹿、シルフィとかにだよ!」
そう、彼が恐れていたのは、妻の怒りだ。
「しかし、長く眠るナナホシ殿の代わりとなる人物が必要という話だったではありませんか」
「まあな」
そう、理由はあった。
彼女の友人が転移してくるという仮説が現実になった際に備え、
ナナホシの名前を後世に伝えるのに、彼女自身の姿も伝わったほうがいい。
そうした理由から、この人形はナナホシに似せて作られた。
「師匠の奥方達も知っているはず」
「皆は、自動人形を作っていることは知ってても、ナナホシに似せて作ってることはまだ知らないよ」
とはいえ、ルーデウスもナナホシに似た人形を作ったことで妻が怒るとは思っていない。
きちんとした理由もあるし、ナナホシ本人も了解していることだ。
ちゃんと説明すれば、納得してもらえるだろう。
「問題は、この胸と股間だよ」
だが、それが性的な使用も可能となれば、別だろう。
友人に似た人形が、性的な行為に使われる可能性がある。
その事実を彼の妻が知れば、内心穏やかではないだろう。
説明の仕方によっては、ルーデウスはベッドの上で非常に冷たくされるだろう。
頬をプクッとさせたシルフィに「せっかく作ったんだから人形でも抱けば?」と言われたり、あるいは逆に泣かれたり、落ち込まれたりするかもしれない。
どちらにせよ、ルーデウスにとっては良いことではない。
「こんな精巧にする必要は無かった」
「そんな、師匠の技術がふんだんなく使われた、素晴らしい造形ではないですか。特にこの乳首が実にエロい」
「馬鹿、お前、せっかく濁してるんだから、乳首とか言うなし」
「失礼」
なぜ胸や股間部分まで精巧に作ってしまったのだろうか。
確かに、この計画を考えた時にそういう思想はあった。
ダッチワイフ的な思想だ。
だが、今はそうした思想からは離れている。
我慢すべきだったのだ。
胸にしても股間にしても、R18指定にせず、お茶をにごしておけばよかったのだ。乳首なんかいらなかった。
そもそもこれはまだ試作4号機だ。
試作の段階でナナホシに似せる理由もなかったのだ。
ルーデウスは調子に乗ってしまったのだ。
「とにかく、シルフィ達には言えないな、これは」
「師匠は恐妻家ですからな」
「愛妻家と言ってくれ」
現在、ナナホシに似せた人形を作ることを知っている人物は少数だ。
オルステッドに、ペルギウス、それからナナホシ本人。
もちろん、完成したらお披露目をし、関係各所に知らせるつもりではある。
これからの計画でも使っていく予定もある。
が、その関係各所とて、ここまで精巧に作ってしまったと知れば、白い目で見てくるかもしれない。
ロキシーにじっとりとした目で睨まれ「あの人形、わたしよりスタイルがいいですね?」と言われたり、あるいは暗い顔をされて距離を取られるかもしれない。
ロキシーに距離を取られたら、ルーデウスは切腹する他ない。
「ふーむ、師匠の奥方は、そのようなことで目くじらなど立てないと思いますがな。師匠がお盛んなのは皆様ご存知でしょうし」
「俺も普通の人形ならそう思うんだけど、ナナホシに似てるのがな、波乱の幕開けに思えてならない」
ルーデウスはうーんと唸りながら、人形の胸をつついた。
人間の感触とはやはり少し違うが、しかし非常に柔らかい。
自分で作ったものでなければ、とても興奮したことだろう。
その興奮が、あるいは浮気と取られるかもしれない。
浮気と取られた挙句、口をヘの字に結んだエリスに「フンッ!」と腰の入った拳で殴られた後、押し倒されて上に乗っかられたりするかもしれない。
二度と浮気などされないように、完全にエリスのモノにされてしまうのだ。
おっと、これはルーデウスにとって悪いことではなかったか。
「……」
ちなみに、人形は突かれている指をじっと見ていたが、それ以外は何の反応もない。
触られている感触はある、というだけだ。
性的な快楽までは、得られるように作っていない。
あるいは、この研究にエリナリーゼかアリエルあたりが深く関わっていれば、そうなっていた可能性もあるが、二人は現在、子育てに夢中である。
「では、いっそ、廃棄しますか?」
そう言うザノバの顔は暗かった。
人形を捨てることは、彼にとって面白いことではない。
それがどんな人形であれ、だ。
「……いや! これはこれで完成度は高いし廃棄はもったいない!」
ルーデウスは腕を組んで悩み始んだ。
最悪の事態を考えるなら、これは廃棄し、別のを組んだ方がいい。
胸部や股間部だけ換装するというのは、現在の技術では不可能だ。
量産化が視野に入ればそういうことも考えるだろうが、今のこいつは一品物だ。
「でも、誰かに見つかったことを考えるとなぁ……」
「見つかりませんとも、そのために我らはわざわざ、このような場所に研究所を作ったのではありませんか」
「まあ、そうだけど……」
彼らの現在位置は、アスラ王国のフィットア領の端だ。
復興途中のフィットア領の一部をボレアスから借り、そこに建てた一軒家を研究所とした。
場所を知っている者はそう多くない。
「お前はいいよ。見つかってもあんまり怒られないし」
「いえ、前にも話しましたが最近はジュリが怒るのです」
「ああ、そっか、そうだったな」
彼らと計画を共にしているはずのジュリですら、この場所は知らない。
人工肉や骨格の生成は手伝っても、どこでそれが組まれているかは知らないのである。
仲間ハズレなのである。
というのも最近、ザノバがエロっちい人形を買ったりすると、ジュリが露骨に不機嫌になるからだ。
流石に破壊したりはしないが、ザノバの目につかないところに仕舞おうとする時もある。
仕方あるまい。
彼女もとっくの昔に成人を迎えて大人になったとはいえ、年齢的にはお年頃……思春期なのだ。
二人には、年頃の娘さんを慮る程度の精神はあった。
「でも、地下の転移魔法陣をジュリが見つける可能性はあるだろう?」
この研究所への転移魔法陣はザノバの工房の地下にある。
ジュリが地下に降りてきて、転移魔法陣の存在を知り、好奇心からそれを踏んでしまったら。
彼女は、
きっとショックを受けるだろう。
「ちゃんと内側から鍵を掛けておりますゆえ。そして、一つしかない鍵はこちらに」
「ジュリはそれぐらい開けられるぞ。土魔術での解錠の仕方は教えたからな」
「いいえ、ジュリは余が鍵を掛けた扉は開けません。そう約束してあります」
「なるほど」
とはいえ、ジュリとザノバも一応は主従の立場である。
ジュリも越えてはいけないラインというものは理解しているのだ。
「話を戻しましょう、どうしますか?」
ザノバの言葉に、ルーデウスは腕を組んで考えた。
考えてみれば、乳首と股間がついてるだけで、他は正常だ。
それに、そもそもこいつは試作4号機だ。廃棄するのは、一通りデータは取ってからでも遅くはない。
「よし、もったいないがデータを取ってから廃棄しよう」
ルーデウスは、最終的にそう結論を出した。
廃棄に踏み切らなかったルーデウスを責めるなかれ。
結構な金と手間が掛かっている上、試作3号機ですべきだった実験もしていないのだ。
乳首がエロいという理由だけで廃棄をするには、あまりにももったいない。
と、そこでザノバの頭の上にポンと電球が付いた。
「というか師匠!」
「どうした?」
「服を着せておけばいいではないですか!」
「お? おお、そうだ! そのとおりじゃないか!」
ザノバの提案に、ルーデウスもまた気づいた。
そもそも、見えているから問題になのだ。
服で隠せば、エロいものは隠れる。
強姦魔でもない限り、いきなり服を剥ぎ取ろうとはしないだろう。
つまり言わなきゃわからないのだ。
「よし、ちょっと待ってろ」
ルーデウスはそう言うと、隣の部屋へと駆け込んだ。
そこには、予め用意しておいた服がある。
魔法都市ではさほど珍しくもない、厚手のベージュのワンピース。
だけでなく、パンツとブラジャーもだ。
無論、新品である。
もともと、人形には服を着せる予定だったのだ。
二人はそれをすっかり忘れて、裸の少女のエロさに戦慄していたのだ。
「よし、この服を着るんだ」
「イエス、マスター」
「着たら、寝台で横になりなさい」
「イエス、マスター」
ルーデウスは立ち尽くしている人形に服を着せて、寝台へと寝かせた。
ひとまず、服を着たことで背徳的かつ性的な感じは消えた。
現在は、ナナホシに良く似た女の子が、寝台にカッチリとハマっているだけだ。
決して背徳的な感じはしない。
目がカッチリと開いて瞬きもしないため、猟奇的ではあるかもしれないが。
しかし、この見た目で、何か問題が全て解決した気になれた。
「……なんかどっと疲れたな。ちょっと早いけど、今日は、このぐらいにしておくか」
「ですな」
とりあえずの方針が決まった所で、ルーデウスは息をついて椅子に座った。
結局、起動実験しか出来なかったが、しかし結果は上々だ。
焦ることはなく、また明日から人形に色々と教えていけばいいのだ。
ルーデウスはそう考え、ポンと手を打った。
「ひとまず、今日は祝おうか! 我々の計画の偉大なる第一歩に!」
「はい! 師匠が言うと思い、ちゃんと用意しておきました。こちらです!」
ザノバは部屋の隅に置いてあった樽を持ち上げた。
彼はそれを部屋の中央まで持ってくると、拳で天板を砕いた。
バキャっと音を立て、中の液体が少し溢れる。
「おお、用意がいいじゃないか!」
ザノバは予め用意してあったコップを手に取り、そのまま中身を汲み取る。
コップの中は、半透明の紫色の液体で満たされていた。
アスラ王国で作られている葡萄酒だ。
「あ、食い物は?」
「保存食しかありませんが?」
「まぁ、それでいいか」
二人は地下室から乾物の山を持ってくると、酒樽を脇に積み上げた。
そして、葡萄酒が並々と注がれたコップを持ち上げる。
「では、人形計画の前進に」
「我らの夢の成就に」
「乾杯!」
酒盛りが始まった。
---
「しかし、何から教えるべきかね」
「ひとまず、簡単な動作確認は出来ましたので、あとはどれだけ融通が聞くか、どれだけのものを憶えられるか、思考の柔軟性の限界を試してみたいですな……」
「調べるべきものはたくさんある。出来るかぎりの検証はしてみよう」
二人は酒を飲みつつも、今後の予定について話していた。
先ほど起動した時点では、大したことはやらせていない。
だが人形は曖昧な命令でも上手に解釈し、実行していた。
彼女は初期に持っている基礎的な知識を元に、自己的に学習していく。
しかし、その知能がどこまで伸びるかは、まだわからない。
最終的にどこまで覚えて、何が出来るようになるのか。
どこまで自分で考え、判断出来るようになるのか……。
「お任せください。余が責任をもって色々と教えこんでみましょう」
「いけないことまで教えるなよ?」
「その言葉、師匠にそっくりそのままお返しいたします」
「お前も言うようになったな」
「ハッハッハッハッハ」
二人はこれからの未来を思い、大いに笑いながら酒で腹を満たしていく。
と、そこでザノバは話題を変えた。
「そうそう、師匠の作った『副産物』の売上も順調ですぞ」
「そういや研究の途中で色々作ったな。商店の方で売ってたのか」
「特に評判いいのはあれですな、カエル袋」
「ああ……」
ルーデウスは人の肌の質感を出すために色々と試行錯誤を繰り返した。
中でもレインフォースフロッグの頬袋は非常に薄い上に、とても長く伸びる、しかもちょっとやそっとでは破れないほどに丈夫だ。
当初はそれを利用して、人形の皮膚をつくろうと考えた。
結果的にもっと別の素材が見つかったためそれを利用することはなかったが、別のものは出来た。
それが……。
「
「はい。特にルーク殿が気に入ってくれましてな。アスラに工場を作ることを進めてくれましたぞ」
「アスラ貴族は本当にそういうものが好きだなぁ……」
「といいつつ、師匠も使っておられるのでしょう?」
「まぁ、な」
そう、ルーデウスも使っている。
ほぼ毎晩のように使っている。
三女リリと四女クリスが生まれた後、次に子供を生むのはシルフィだという暗黙の了解があった。
シルフィを中心に相手し、ロキシーとエリスの相手をするのが減る日々。
しかし種族柄か、シルフィは三人目を妊娠しなかった。
ルーシーとジークができたのは単に周期と運が良かったのか、あるいは神様がイジワルでもしているのか……。
わからないが、回数が減ると、エリスあたりがもぞもぞしてくる。
一時期に比べてだいぶ収まったものの、エリスは非常に強い性欲を持っている。
野獣が、ランランと目を輝かせているのだ。
ともすれば、簡単にルーデウスは組み伏せられ、エリスを妊娠させてしまうだろう。
そこで避妊具の出番だ。
こいつを使えばあら不思議、野獣エリスを満足させつつ、子供は出来ない。
3人目をお腹に宿したエリスを見て、シルフィが頬をポリポリ掻きながら寂しそうな顔をすることもなく、家族間に気まずい空気が流れることもない。
そんな奇跡の逸品が、今ならアスラ銀貨一枚。
「……まあ、なんだ、面倒を見る人が増えないのに、子供だけ増えるのもよくないだろう」
「使用人でも雇えばよいではないですか」
「使用人を雇ったら、俺が面倒見れないだろう。六人でも多すぎるぐらいだ」
「ハッハッハ……師匠らしいですなぁ」
ザノバはカラカラと笑った。
そんなザノバを見て、ふとルーデウスは疑問を持った。
いつも、チラチラと疑問には持っていたことだ。
「そういや、お前は、ジュリとはどうなの?」
「どう、とは?」
「その、再婚とかしないの?」
「ジュリと、ですか?」
「まあ、年齢差はあるし、ジュリの身分はそりゃ低いけど……でも、お前ももう自分を王族とか思ってないんだろ? いいもんだぜ。結婚して、子供に囲まれて、子供を褒めてやったり、たまに子供にイタズラされて、叱ってやったりしてさ」
ルーデウスの言葉に、ザノバはゆっくりと首を振った。
「余は……結婚はしません」
「……そっか」
断固たる口調に、ルーデウスはそういって口をつぐんだ。
誰にも、踏み入られたくない領域はある。
ザノバとて、単にしたくないからしないと言っているわけではあるまい。
色々あるのだ、王族とか、一度した結婚のこととか、殺してしまった弟のこととか、パックスのこととか。
「まあ、大したことではありません。聞きたいですか?」
「話してくれるなら」
「余は神子で、怪力と、頑丈な体をもつ代わりに、肌の感覚が鈍いのです」
「つまり?」
「生身の女の肌は柔らかすぎて、刺激が足りないということです」
その言葉に、ルーデウスは身をつまされるような衝撃を受けた。
下世話な話ではあった。
しかし、合点もいった。
なぜ、ザノバが事ある毎に銅像を使用していたのか、とか。
「無論、それだけではありません。
パックスのこと、ジュリアスのこと、色々あります。
ですが、子を成せぬ者を伴侶とするのは、相手も辛かろうというのが、一番の理由ですな」
「そっか……。でも、なんだ、もし機会があったら、ジュリにも聞いてみるといいさ。別に子供がいなくても、いいと……言うかもしれないし、養子って選択も、あるし」
ルーデウスの歯切れが悪いのは、すでに自分に六人の子供がいるからである。
「はは、そうですな」
力なく笑うザノバに、ルーデウスはそれ以上、結婚について何かを言うのは控え、話題を戻すことにした。
今は祝いの酒の場だ。
楽しく飲まねばならぬのだ、と。
「まあ、ゴムのことはいいや! 他のは? 売れてる?」
「他はそこそこですな。どうやら色物扱いされているようで、一部の好事家がコレクションとして買ってくれる程度です」
「便利だと思うんだけどな……掃除機とか、アイシャなんかすげぇ喜んでたのに……」
ルーデウスの副産物は多岐に渡った。
魔法陣を利用した扇風機や掃除機、防水グッス、保冷ボックスなど。
ルーデウスが作ったものはそれなりに便利ではあったが、普及に結びつくものは少なかった。
大抵は魔術で再現可能な上、材料がやや特殊なものとなったため、価格は割高にならざるを得なかったからだ。
あるいは材料に関する研究を進めれば安価にすることも可能だったが、それは目的とは違うことである。
「便利ではあるでしょうが、アスラやミリスにはすでに同じ効果をもつ魔道具があったりもしますし、使用人を一人雇った方が早く、便利ですゆえ」
「使用人の方が手間が掛かると思うんだけどなぁ」
ルーデウスは酒をあおりつつ、ため息をついた。
もはやこちらの人間と言って良いほどの年月を過ごしたルーデウスだが、
やはりまだ前世の感覚は残っていた。
「ま、技術だけ残しておけば後世の人が使うかもしれないし、作り方だけでもまとめて本にしておくか」
「ああ、それはいいですな。きっと後に師匠の意思を継ぐものが現れ、幻の本だと思ってくれるでしょう!」
「名づけてルーデウスの書、とかか」
「ハハハ、後世の魔術師たちも、龍神の右腕の名を冠する魔導書に日用雑貨の作り方が書かれているとは、夢にも思いますまい!」
陽気に酒を飲み交わす二人。
段々と二人とも顔が赤くなってきている。
一樽という大きさは、二人には少し多すぎるのだ。
「ここにクリフやバーディ陛下がいないのが、残念でならないな」
「……クリフ殿なら、あのような不貞な人形は許さなかったでしょうなぁ」
「次の一歩の時には呼ぼう。なんなら、ミリスのクリフの部屋で祝杯を上げてもいい」
「そうしましょう! おお、そうだ! 今回の試作機できっちり仕上げ、栄えある自動人形第一号を、クリフ殿へのプレゼントにしようではありませんか」
「いいな! あ、でも、そうなると少女タイプはよくないな……少年にしよう」
「少年もまた、良いものです」
「おっとぉ、ザノバ殿下はそちらにもご興味が?」
「男色の気はありませんが、年若い少年の人形の良さはわかるつもりです。師匠はわかりませんか?」
「わかるよ。もしシルフィが男でも、俺はよかったぐらいさ」
「ハッハッハ、さすが師匠ですな!」
酒宴は大いに盛り上がり、二人はどんどん酔っ払っていった。
気持ちのいい酒だった。
旧友と二人で研究に勤しみ、その成果を肴に飲む酒は。
「よーし、じゃあ次は少年タイプだ。せいぜいクリフが嫉妬するようなかっちょいいのを作ってやろう」
「ハッハッハ、ハッハッハッハッハ!」
……彼らは気づいていなかった。
酒盛りをする自分たちを、じっと見る目があったことを。
陽気に話している会話内容が、聞き取られていたことを。
そいつが、ニヤリと笑ったことを。
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「おおう……頭いてぇ」
翌日。
酒のせいで痛む頭に解毒をかけつつ、ルーデウスが起き上がった。
窓の外をみると、嵐はすっかり収まっており、雲ひとつない晴天が広がっていた。
「もう昼か……飲み過ぎたかな……」
だが、なんだかんだ、男二人で飲む酒はうまい。
祝いの酒は特にいい。
昨日は人形の破廉恥さに戸惑ってしまったが、しかし、それはそれ。
試作機であの出来なら、今後も楽しみというものだ。
広がる夢。溢れだす希望。はち切れんほどの愛。
そんなものを感じつつ、ルーデウスは人形の顔を覗き込もうとして……。
「……あれ?」
いなかった。
人形が、寝台に。
空っぽの寝台が、そこにあるだけだった。
「ちょっとまて、え? あれ? えっと、ザノバ~? 人形どこやった~?」
ザノバが先に目覚めて何かを教えているのか。
そう思いつつ、周囲を見回す。
すると、部屋の隅にあった毛布の塊の中から、ザノバがのっそりと起き上がった。
「ん~……師匠、人形は寝台で停止させたではないですか」
「停止?」
ルーデウスは、そこでハッと思い出した。
確かに、服を着せて、寝台には寝かせた。
間違いなく寝かせた。
「…………させたっけか?」
だが、停止させるには、停止命令かあるいは休眠命令を出す必要がある。
胸の魔石に手を当てて、呪文を唱える必要がある。
それは、やっていなかった。
「さ、探せ!」
「わ、わかりました!」
慌てて人形の姿を探す二人。
だが、人形の姿は、見つからなかった。
研究所の中にも、外にも。
人形は、こつ然と姿を消していた。