異次元の寂しがり屋 作:逆しま茶
どこまでも続く、誰もいない景色。
大好きだったそれに怖さを感じたのは、お母さんが入院した時だった。大きな病院に入るために地元を離れることにもなって。
寂しくて、怖くて。
代わりにと引き取られた叔母さんの家には私よりも小さな子供がいたから、なんとなく馴染めなくて。
だからずっと、ずっと一人ぼっちで待っていた。お母さんを。
待っていればきっと、迎えに来てくれる。怒りながらも、ちょっと安心したような顔をして。いつものように。
でも、暗くなった公園にはお母さんどころか誰もいなくて。
怖くて、寂しくて。でも、なんとなくここを離れたらお母さんに会えないんじゃないか、なんてよくわからないことも考えたりして。
そんな時だった。
近所にいた年上の男の子に初めて出会ったのは。その日は一緒に星空を眺めて話をして、いつの間にか叔母さんの家で寝かされていた。
それで次の日からは、近所の綺麗な景色を教えてくれるようになって。一緒にみた景色はとても綺麗で。帰りを待ってくれるお母さんや、お兄さんがいるから一人の景色が楽しいのだと気づいた。
すごく立派な桜のある家だとか、都会とは思えないような雑木林だとか。なんでもないような場所でもとにかく走り回った。
うれしくて、楽しくて。それでも一人になるのが怖くて泣く私を、お兄さんは根気よく面倒をみてくれて。
むしろ甘えるとにやりと嬉しそうなのが印象的だったかもしれない。
この人は甘えていい人なのだ、と幼心に感じるまで時間はかからず。お昼寝、夜のお泊り、お風呂、トイレと徐々にエスカレートしていくのを自分でも駄目なことだと分かっていながら止められなかった。
――――――
「トレーナーさん……どこぉ…!?」
ガシャーン、と派手な音と共に何かが倒れた。
半泣きで部屋を荒らすウマ娘がテーブルの下に潜り込んだのかもしれない。
馬というのは繊細で臆病な生き物であり――――個性によっては、超寂しがり屋で誰もいなくなると発狂したように暴れる馬もいる。
そんなウマソウルを色濃く受け継いだ、困ったウマ娘が一人。
「いや、ワキちゃん待とう。トイレにいるから! すぐ行くから!」
「――――! はい。じゃあ、私も――――」
ガチャガチャ。
なんで普通にトイレに入ろうとしてくるんですかこの娘は。
「トレーナーさん? どうして鍵を…?」
「いや普通かけるよね」
昔はかけなかったような気もするが、トイレに突入してくる年頃のウマ娘がいるならかけるしかない。しかもこの子、別にうまぴょい()とかの意識とかもなさそうだし。単純に死ぬほど寂しがり屋で、甘えん坊なだけである。
「そんな……昔は一緒に入れてくれたのに……」
「無理やり入っただけなんだよなぁ!? というかそれワキちゃん3歳とかだよね!?」
大号泣するし、一緒に入らなかったら外で大洪水したので、止む無く見守ることになった(見ていない)だけである。
「いえ、小学――――」
「よし分かったその話はやめよう」
「じゃあせめて顔だけでも……テレビ通話しましょう」
「人を特殊性癖に目覚めさせようとするんじゃありません」
トイレでテレビ通話は新手のプレイか何かでは。
「でも、一人で狭いトイレにいると寂しくなりませんか…? 誰かの顔がみたくなったり」
「トイレくらいは一人でしよう、な?」
「私はお兄さんに見てもらったほうが……」
「やめろ。やめるんだ。マジで俺がタイホされるから」
ワキちゃんの保護者代わりである叔母さんからも、入退院を繰り返しつつも徐々に元気になってきているお母さんからもなんか実質身内として扱われている気はするけれども。それはそれ。これはこれ。
俺は一人のトレーナーであり、彼女は生徒なのである。一応。
「合意の上なら逮捕されないんじゃ…?」
「そうだけど! 世間体ってものがあるの! 人様の子どもを預かる以上はルールを守れる大人じゃなきゃいけないの!」
「お兄さんは私の自慢のトレーナーさんですから、大丈夫ですね!」
「あ、うん」
なんかすごくいい笑顔を浮かべているのが分かるようだ…。
実際のところは幼馴染……妹分? に性癖を破壊された哀れなトレーナーだが。
――――中央トレセン学園。そこは国内トップクラスのウマ娘と、トレーナーが集う場所。
中央競馬と地方競馬がそうであるように、ここにも“差”がある。
それは走りそのものであったり、設備だったり、賞金額や熱気など多岐にわたる。
どちらが面白いなどという比較は無意味だが、少なくとも給料が良いという意味では目指すべきは中央トレセン一択であった―――というか、そうでないと意味がないのだが。
何故なら――――地方競馬の有名馬なんて、メイセイオペラとかしか知らないから。
この世に生まれてはや二十数年。
幼少期に見たシンボリルドルフ(ウマ娘)のレースを見て、何故か隣にいたトウカイテイオーと一緒になって大はしゃぎしたのはもはや黒歴史。
美人揃いのウマ娘たちの、命を燃やしているかのような鮮烈な輝きのレースは現地でなければ味わえない興奮と感動があり――――トレーナーになりたい、と幼心に誓った。
幸いにも前世の記憶が断片的に残っていたので、名前を聞けば勝つウマ娘かどうかは(有名なら)判別できるし勉強も楽だった。
だが、問題は――――あまりにも、多かったのだ。ウマ娘が。
1年に生まれる競走馬は多い時で万を超え、近年のブーム縮小でも7千近い。そしておそらくウマ娘もそれに準ずる数は生まれている。
その中から、幼い少女の個人情報である名前を調べる? 無理である。事案である。
そして有名になったということはすなわちレースに出ているわけで、レースに出るくらいならもうトレーナーはいる。(もちろん伝手があればデビュー前からある程度の情報は入るが、もちろんそんな有名ウマ娘には実家の関わりのあるトレーナーとかがいるものである)。
というかしがない新人トレーナーに有力バをスカウトできるような伝手があるはずもなく。ワキちゃんと一緒にいたらなんか強そうなチームのトレーナーに目を付けられ。ワキちゃんが発狂……駄々をこねたお陰でサブトレーナーかつワキちゃん専属として入れてもらえることになったのでワキちゃんには頭が上がらないのだが。
(サブトレーナーとして経験を積むのが一般的だが、業界に伝手がないと零細チームのサブトレーナーにしかなれず、結果的に零細トレーナーにしかなれないという負のループがあるのだ)
「というかシンボリルドルフにミスターシービー、エアグルーヴにナリタブライアン、ヒシアマゾンにフジキセキ、マルゼンスキーにテイエムオペラオー、タイキシャトルとか厨パだよな…?」
ウマ娘はともかくウイポでもなかなかお目にかかれない厨パである。すごい。総賞金額いくらになるんだろうか。独占禁止法違反では?
そんな中にスカウトされるワキちゃんとは一体。
確かサイレンススズカの母馬がワキアだった気がするが、十数回走って5勝ちょっとくらいの短距離馬だったような。
綺麗な栗毛、小柄、レースになると狂暴なので割とサイレンススズカ要素は持っている。やっぱり親戚かもしれない。
そんなわけでトイレから出ると、スッと落ち着いたワキちゃんが丁寧に書類を取り出して渡してくる。
「お兄さ―――トレーナーさん。契約書類は書いておいたので、ご確認お願いします」
「あ、うん(急にまともになられると若干ついていけないんだが)」
えーと。
契約書類ね。チーム加入……いやこれ俺もまだ扱ったことないけど。まあ誤字脱字がないかチェックしておハナさんに渡せばいいかな。
うん、サイレンススズカと。
偶に一個スが足りないとか記入ミスすることもあるけど、本人なら間違えないか。
他も特に問題はなさそう――――。
「んんん!?」
「? お兄さん、どこかミスでも…?」
「サイレンススズカ!?」
「あ、はい。サイレンススズカです」
「メンコは!?」
「? つけたことないですね。無い方が風が気持ちいいかなって……」
「ワキちゃん!?」
「はい。親戚にスズカが沢山、サイレンスもいて……不便なので、叔母さんがそう呼んでくれて」
なんで!? サイレンススズカのどこからワキちゃんが!? 母馬から!? もしかしてシンボリルドルフ=ルナみたいな幼名!?
「レースで抑えて中団に控えるのとかってどう思う!?」
「……えっと、全然気持ち良くなさそうだなって……」
「そういえばよく左に回ってるよな!?」
「そうですね、なんとなく落ち着くというか」
「スズカじゃん!?」
「はい。スズカですよ…?」
そんな……ワキちゃんはサイレンススズカだった…?
泣き虫で寂しがりで大人しくて、トイレが怖いから一緒に入ってと大洪水(決壊)する系小学生だったワキちゃんが…? ウソでしょ……。
気が付くと左旋回してたり、レースだと控えることができなくてガンギマリの先頭民族で、仕方がないのでサイレンススズカを参考にして息を入れさせることにして、飴と鞭でなだめすかしてようやくそれを覚えたワキちゃんが…?
というか昔『サイレンススズカになるんだ』とかご本人様に向かって言ってしまったような気がするんだが。
あれ。この娘もしかしてジュニア級にして既に某天才ジョッキー搭載型サイレンススズカなのでは。
………
……
…
『サイレンススズカだけが、既に第四コーナーを曲がって直線に入りました――――差は縮まらない、いや、更に差が開いていく!? なんという走りだ! 強い、強すぎるぞサイレンススズカ! 圧勝、大差のゴールです!』
『メイクデビュー戦とはいえ、すさまじい走りを見せてくれました! 次のレースが今から楽しみです!』
そんなワキちゃ……スズカの走りを、リギルの新人メンバーとおハナさん、そして俺は観客席から眺めていた。
「成程、英才教育ってわけ。まあ普通はそうそう中央に入れるくらいの才能の持ち主なんてものは転がっていないわけだけれど――――逃げて差すですって? しかも大逃げで? 末恐ろしいことをしてくれたわね」
「いやその、俺じゃないというか、ウマ娘のおじさんが……」
俺は悪くねぇ! ウマ娘おじさんが! ウマ娘おじさんが覚醒させるから!
結末がどうあれ、あれほどに人の心を惹きつけるようになったのはやっぱりあの出会いのお陰だと思うのである。
「? レース実況の武さんのこと? そういえばあの人、スーパークリークとかのトレーナーだったわね…」
「アッ、ハイ。もうそれでいいです……スズカ本人の気持ちを考えると、好きに走らせて適当なところで息を入れたほうが消耗も少ないかなと」
「…………そうね。あの気性難っぷりを考えると、それしかない、か……一応、出遅れ対策も兼ねてバ群での練習は入れるわよ?」
「ええ、是非お願いします」
今もこっちに向かって駆け寄ってきたかと思うと、ニッコニコで頬擦りしてくるあたり寂しがりと人懐っこさは筋金入りである。
「そういうわけだからスズカ、今度はバ群でのトレーニングメニューも入れるわよ」
「………はい」
小さく頷いたものの、本当にちゃんと聞いているのかは若干不安だ。
「寂しがりなのに、バ群は嫌なんだもんなぁ……」
「あっ、トレーナーさ―――お兄さん」
頭をなでると、気持ちよさそうに耳がぴこぴこ動く。ついでにもふもふした耳もカリカリと掻いてやると、へにゃりとスズカの顔が蕩けて―――。
「ちょっと、もう諦めたからせめて人目が無いところにして頂戴……」
「なんかいかがわしいことみたいに言わないでください!? レースで暴走しなかったからご褒美でやってるだけで―――――こうでもしないとレースで大暴走するんですからね!?」
サクラバクシンオー並みの暴走特急なのである。コイツは。
レースでちゃんと息を入れたらご褒美、入れられなかったら罰としてご褒美抜きくらいしないとコイツにはそんなペースなんて守れないのである。
「あっ、あっ……お兄さん、きもちいいです……そこ……もっと、つよく……」
「ワキちゃ……スズカァ! いまちょっと誤解されかけてるから!」
「………焦らさないで…下さい」
「やめろ、お前声がいいんだからほんとやめて」
「スズカばっかり羨ましいデース! 私にもお願いしマース!」
といって出てきたタイキシャトル。その胸部は豊満であった。
小さい頃から下着を替えてあげたりしてきたワキちゃんならともかく、他の子の痴態を眺めて平静でいる自信はない。
スズカと目を合わせる。
(スズカ、なんかうまい断り文句ない?)
(わかりました、私に任せてください)
「タイキ、お兄さ……トレーナーさん……サブトレーナーさんの手は一杯なの。でも、おハナさんは」
「空いてマース! おハナさん、是非私にもお願いしマース!」
「はい!? いや、ちょっと――――」
結局、その後タイキに押し切られたおハナさんは何故か観戦に来た全員(もちろんリギルに限る)の耳をカリカリしていた。さすがの人望、大人気である。
こっちの方はレース後でピリピリしているスズカを慮ってか誰も来なかったので、延々とスズカの耳をカリカリしていた。ウイニングライブが妙に艶っぽかった気がするが、多分元々の声質のせいである。きっと、おそらくメイビー。
――――――――――――――――
こんな私だけれど、一応ウマ娘としては走りが速いほうであると思う。
掛かって暴走して、お兄さんには「サイレンススズカになれ」、つまるところ「私らしく走れ」と言われてしまったけれど。
そうしてレースだからと緊張しすぎず、私の走りに徹した結果。選抜レースでもぶっちぎりの大差勝ちを飾り。名もなき新人トレーナーに私を任せられない、などと(既にお兄さんの指導を受けているので)よくわからないことを言う人たちと違い、話の通じるおハナさんにお兄さんと一緒に引き取ってもらうことになった。
自分でいうのもアレだけれど、お兄さんがいないと発狂するウマ娘を引き取っても意味ないのでは…?
お兄さんが別のウマ娘を担当したりしたら、断固として勝ちに行くというか絶対に負けないけれど。
「トレーナーさんが信じて下さるから……私も、自信を持って自分の走りを貫きます」
勝って、勝ち続けて。
先頭の景色と、喜ぶトレーナーさんの顔が見たいから。
あと、ご褒美も楽しみだから。
最近お兄さんに耳をやってもらわないと満足できないので、これがテクニシャンというものなのだろうか、なんてことを考えていた。
変態(レース的な意味で)