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無職転生 - 蛇足編 - 作者:理不尽な孫の手

アスラ七騎士物語

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9 「イゾルテとドーガ 後編」

「これで、何人目ですか?」


 ここは水神流の道場から離れた、イゾルテの自宅である。

 そのリビングにて、彼女は己の兄と向き合っていた。


「…………26人目です」


 イゾルテは俯きながらそう答えた。

 タントリスはそんな彼女の目をみようとしたが、イゾルテは目を逸らしたままである。


「風の噂で、君から振ったと聞きました」

「……はい」

「なぜですか?」


 イゾルテは口元をキュっと結んだ。


「いえ、その……皆、良い方なのです。性格もいいし、物腰も穏やかで……ただ……」

「ただ?」

「良すぎるせいか、欠点の方が目立ってしまって」


 イゾルテは見合いをした相手のことを思い出した。

 アリエルに紹介された王族たちの事だ。

 彼らは皆若く、快活で、見合いの場においてイゾルテを楽しませてくれた。

 ただ……彼らは正直だった。

 アリエルに言われていたのか、自分の性癖についても話してくれた。


 五人とも、本当に正直に話してくれた。


 顔がよく、優しく、結婚したらイゾルテのことを精一杯支えると言ってくれた、アトレ・オルペウス・アスラ。

 顔がよく、逞しく、水神流について深い理解を持ってくれた、ベイジル・ウェンティ・アスラ。

 顔がよく、優雅で、経済面でも水神流の力になれると言ってくれた、カルロス・シオドス・アスラ。

 顔がよく、面白く、会話中に何度も笑わせてくれた、ダニエル・リプス・アスラ。

 顔がよく、可愛く、思わず守ってあげたくなるような、エリオット・スキロン・アスラ。


 彼らは全て話してくれた。

 イゾルテにベッドの中でしたいこと、あるいはベッドの外でしてほしいことや、してほしい格好や、最終的にイゾルテにどうなって欲しいか等……。

 とてもじゃないが、経験値の低いイゾルテには、ついていけないものを。


 気づいた時には、断っていた。

 まともじゃないとすら思ってしまった。

 見目麗しい彼らがそうした欲望を持っていることに、おぞましさすら覚えた。


 正直な所、イゾルテは今、若干の男性不信になっていた。

 全ての男性がそうとは限らない。

 限らないが、しかし世の男性は少なからず、ああした事をしたいと思っているのだ、と。

 そう思うと、なんかもう結婚なんてしなくてもいいかな、なんて気持ちも少しはあった。


「欠点とは?」

「言えません、口では言えないようなことです」

「なるほど……アスラの王族ですからね」


 アスラ貴族に変態的な嗜好の持ち主が多いことは有名である。

 上流階級は満たされているため、下々の者と同じ程度では満足できないのだ。


「しかし困りましたね、全員を断ってしまうとは」

「いえ、全員というわけでは。まだあと数名は残っております」

「とはいえ、このままでは決まらないでしょうね……」


 タントリスは昔のことを思い出し、そう言った。

 昔からイゾルテは自分が何かを選ぶ立場になると、アレが嫌だ、コレが嫌だ、と厳選しすぎてしまうきらいがあった。

 そうしているうちにめぼしいものは誰かに取られ、余り物を掴まされるのだ。

 婚期を逃したのも、そのせいだ。


「……よし、ではこうしましょう」


 タントリスは彼女の性格を考慮し、一つの結論を出した。


「次の相手と結婚しなさい」

「しかし、それは……」

「相手は、条件的には望むべくもない相手のはずです。

 選ぶ立場だから、君は彼らの目立つ欠点を気にしてしまうのです。

 しかし、その欠点も、結婚して一緒に暮らせば、些細なものに見えてくるかもしれない。

 出会ってすぐにはわからなかった、より大きな長所が見えてくるかもしれない」


 タントリスとて、このような強引な論法は好きではない。

 選ぶ時間というものは必要だと思っている。

 その人物の根っこの部分を知るためにも。


 だが『アリエルの紹介』という部分が、そうした強引な方法でもなんとかなるだろうと思わせた。

 アリエルの紹介であれば、大きな失敗にはつながるまい、と。

 買いかぶりすぎである。


「…………わかりました」


 しばしの沈黙の後、イゾルテも覚悟を決めた。

 確かに、自分は選びすぎていた。

 昔からそうだった。

 その性格は水神流と相性はよく、もうすぐ水神にもなるが、結婚とは相性が悪い。

 このまま行けば、一生独身で過ごすことになるかもしれない。


 水神という存在は、確かに誇れるものだ。

 周囲は賞賛し、褒め、称えてくれるだろう。

 彼らに笑顔で応え、会話し、良い気持ちになり、家に帰ってくる。


 そして、誰もいない部屋で一人飯を食い、寝間着に着替えて一人で眠る。


 虚しい。


 称賛のために水神になるのではない。

 けれど、イゾルテの中には剣士とは別のイゾルテも存在している。

 その存在は常に一人ぼっちなのだ。

 ゆえに虚しく感じてしまうのだ。


 結婚をして手に入る夫や子供が、別の自分を癒やすことになるかはわからない。

 だが、称賛されて帰ってきた時、自慢する相手ぐらいはいたほうがいい。


 もしかすると、その相手はイゾルテの自慢話を聞いた後、とても変態的な行為を要求してくるかもしれないが……。

 ……いや、覚悟は出来た。


「それで、次の相手はいつ、どこで?」

「はい。今日、ここまで馬車で迎えにきてくださるそうです」

「王族の方が迎えに、ですか……?」

「はい」


 候補者は残り三人。

 イゾルテは知らないことであるが、すでに五人があっけなくふられたことで、彼らも本気を出したのである。

 厳選な抽選の結果で順番を決めて、一人ずつ本気でアタックせんとしていた。


「……ん?」


 と、そこでイゾルテは気づいた。


「道場の方が騒がしいですね」


 道場はクルーエル家の自宅と隣接している。

 とは言え、ここは水神流の本家とも言える場所であり、それなりの敷地面積もある。

 本来なら音など聞こえないところだが、そこはイゾルテも水帝であった。

 騒がしさ、それも怒気や殺気を孕んでいるとなれば、さすがに気付く。


「もうおいでになったのでは?」

「まだ聞いていた時刻には早いはずですが……いえ、もしかすると、私が間違えていたのかもしれません、なにはともあれ、行ってきます。万が一にも、王族の方に失礼があってはいけません」

「そうですね。急ぎましょう」


 イゾルテとタントリスは、頷き合い、道場へと足を運んだ。



---



 道場は騒然としていた。

 道着姿の門下生たちが、一人の男を囲んで、怒声や挑発の声を浴びせているのだ。


「あ、師匠、道場破りです! 男が突然きて、師匠を出せと!」


 イゾルテとタントリスはそれを聞いて青くなった。

 門下生が王族に対してこのような仕打ちをしたとなれば、道場の取り潰しもありうる。

 彼は名乗らなかったのだろうか。

 アスラ王家の者で、イゾルテを誘いにきたと。


「やめなさい!」


 イゾルテの一喝で、場がシンと静まった。


「道を開けなさい! その方は私の客人です!」

「……しかし、この男は」

「全員、道場脇に正座!」


 イゾルテの声で、門下生たちは蜘蛛の子を散らすかのように、道場脇へと移動し、整列して座った。

 先代の頃から、この動作だけはみな早い。


 まあ、それはさておき。

 すぐに謝罪をしなければならない。

 そう思いつつ、イゾルテは門下生たちのどいた先を見た。


「……?」


 そこにいたのは、2メートルを超す大男だった。

 肩幅だけで1メートル近くもある。

 岩のような巨躯だ。

 イゾルテにとって、見覚えのある巨躯であった。


「ドーガ?」

「……うす」


 呼びかけ、振り返る顔はやはりそうだ。

 何を隠そう、アスラ七騎士の一人『王の門番』のドーガであった。

 彼は怯えるように身を縮こまらせつつ、所在なげに立っていたが、

 イゾルテを見ると、ほっとしたような顔で向き直った。


「命拾いをしましたね。この男は北帝ドーガです。本気になればあなたたちなど……」


 と、イゾルテはそこまで言いかけて、ふとドーガの服装に気付いた。

 騎士の礼服だ。

 イゾルテは、ドーガの礼服姿など知らない。

 いつも黄金の鎧か、あるいは鈍色の鎧に身を包んでいるからだ。

 それが正装であるかと言わんばかりで、アリエルも何も言わなかった。


 そして、窮屈そうな見た目に加え、その手には花束が握られていた。

 ドーガがでかいため小さく見えるが、かなり大きな花束だ。


「なぜ、ここに? 陛下の身に何か? それとも、緊急で招集が?」


 訝しげに眉を顰めるイゾルテ。

 彼女に対し、ドーガはゆっくりとした動作で近づき、その手に持った花束を差し出した。


 この時点で、イゾルテにも「まさか」という思いはあった。

 正装に、花束。


 もちろん、「そんなはずはない」という思いも同じぐらい強かった。

 しかし、次の言葉で「まさか」が勝った。


「い、イゾルテ・クルーエルさん……す、好きです! け、結婚、してください!」



 まさか、ドーガがアスラ王家の者だったなんて。



 思い当たるフシはあった。

 彼は唯一、アリエルの私室の警護を任された男性だ。

 ルークは特別として、シャンドルですら武器をもっては近づけない部屋の警護を任されている。

 深夜ですら、彼がアリエルの私室の前に立っているのだ。

 それにしては、別に去勢をされたとかいう話は聞かない。

 ドーガは安全で無害な男だと噂されているが、それでも男だ。

 この巨体に、北帝としての戦闘力。

 二つをもってすれば、アリエルの寝所を襲うことなど容易い。

 なぜこのような男が、とイゾルテはいつも疑問を持っていた。


 だが、そう、アリエルの身内であったのなら?


 幼い頃からよく知っている仲だったのであれば……。

 ドーガの出自は、アスラ王国のはずれにある村だという話だが、王族には色々ある

 アリエルが一度は遠い異国の地に逃げたように、ドーガもまた幼い頃に身を隠していたのなら……。


「イゾルテ」


 タントリスに呼ばれ、イゾルテは思考の海から戻ってきた。

 危ない所だったかもしれない。

 恐らく、ドーガはアスラ王国の闇の一端だ。

 うかつに触れれば、いかなイゾルテとて消されてしまいかねない。


「どうしました?」


 直面すべきは現実であった。


「……いえ」


 改めて、イゾルテはドーガを見た。

 彼は先ほど、こう言った。

 『結婚してください』。

 間違いなく言った。

 一時期言われたくてたまらなかった言葉だから、聞き間違えるはずもない。


 ドーガの態度は堂々としたものであった。

 堂々と真正面から乗り込み、花束を手渡し、結婚してくださいと宣言する。


 イゾルテとしては、もう少しロマンチックな方が好みである。

 が、しかし考えようによってはロマンチックと言えなくもない。

 衆目の前で花束を渡されつつ堂々と告白されるというのは、イゾルテの脳内ロマンチック告白リストに載っていた。

 無論、汗臭い道場ではなく、美しい噴水の前だったり、きらびやかなパーティ会場だったりするが……。

 とにかく、目を瞑ろう。

 他の色々なものにも目を瞑ろう。


「……丁度いいタイミングではないですか。誉れあるアスラの七騎士なら、あなたとも釣り合いましょう」

「はい……でも、しかし……」


 と、そこでイゾルテは周囲の視線に気付いた。

 門下生たちの視線である。


「とにかく、場所を移動しましょう。ドーガ、ついてきてください」

「うす」


 イゾルテは踵を返した。

 ドーガは差し出した花束が受け取られず、一瞬だけ悲しそうな顔をしたが、すぐにイゾルテの後についていった。



---



 こうして、ドーガはイゾルテの屋敷へと招かれた。

 現在、彼はソファの上でかちんこちんに固まりつつ、小さく座っている。

 その膝には、変わらず花束があった。


 そして、彼の正面にはイゾルテが座っている。

 凛とした座り姿である。

 その佇まいは気配を感じさせず、表情には何も映っていない。

 あるいは、彼女は何も考えていないのではないかと錯覚させる。


 タントリスの姿は無い。

 彼は二人を応接室へと残し、お茶の用意をしている。


「……」


 その間、イゾルテはじっとドーガの顔を見ていた。

 ドーガはその視線を受けて、真面目な表情を作っている。

 頬がぷるぷると震えていることから、緊張しているのが見て取れる。


 が、イゾルテが見ているのはそこではない。顔だ。

 純朴な顔である。

 イゾルテの好みではない。

 色々なものに目を瞑ったところで、やはり好みではないものは、好みではない。


「…………」


 正直、これなら今までの五人の方が良かったと思う所はある。

 ほとんど同じスペックなら、顔がいい分、彼らの方が素敵だ。

 だが、次に来る王族の顔は、ドーガより下かもしれない。

 が、先ほどの兄とのやりとりもある。

 これで決めなければいけない。


「それにしても、あなたが王族だったとは、驚きです」


 イゾルテがため息をつきながら言うと、ドーガはきょとんとした顔をした。


「俺、王族じゃ、ないです」

「……え? では、養子か何か?」


 それは、王族であることを隠しているのか。

 という探りの言葉であった。


「俺、ドナーティ領にある小さい村で生まれて、ずっと門番してきました。父ちゃんは村の兵士で――」


 だが、ドーガから出てきたのは、極めて平凡な兵士の成り上がりストーリーであった。

 いや、平凡ではなかったかもしれないが。

 その内容から何かを知ろうとしていたイゾルテだったが、

 妹が結婚し、ドーガが涙を流すくだりでは、つい感情移入し、泣いてしまいそうになってしまった。


「それで、俺、イゾルテ……さんが、結婚するって聞いて、その前に、せめて自分の思いだけでもって思って」

「……」


 しかし、つまり彼はまったく関係のない人間ということだ。

 アリエルから紹介された王族でもなんでもないのだ。

 それならばと、イゾルテは断ることにした。

 少し残念だが、王族を紹介してくれているアリエルの顔は立てなければならない。


(ん? 残念? なぜ?)


 しかし、そこでふと自分の考えに疑問を持った。

 が、すぐに結論に至った。

 彼は正直者で、勤勉で、一途だ。

 今聞いた感じだと、性癖に関してもドン引きしたくなるものはない。

 北帝になるほどの実力もあり、七騎士ということは給金も安定している。

 酒は好きなようだが酒乱というわけでもなく、派手な遊びとも無縁。


 ダメなのは顔だけだ。

 ダメというほどでもない。

 ちょっと、イゾルテの好みと合わないだけなのだ。


「あ、あの……!」


 難しい顔をするイゾルテに対し、ドーガが意を決したように声を上げた。


「お、俺、イゾルテさんのこと、初めてみた時から、この花みたいに綺麗だと思ってて、その、ずっと好きでした!」


 ドーガはそう言って、再度、花束をイゾルテへと差し出した。


「そうですか、初めてみた時から」


 イゾルテの視界に、花がいっぱいに入った。

 深い青色の花であった。

 イゾルテはこの花の名前を知らない。だが、美しい花だ。

 この花のようだと言われると、少し心がときめいた。


「……うす」


 イゾルテの記憶が確かなら、彼との邂逅は戦いだった。

 アリエルの護衛の件で、ドーガと戦った時だ。

 あの時から、ずっとだという。


 思い返せば、彼はイゾルテに対しては少し優しかった。

 ずっと信頼してくれていた。

 アリエルの部屋にはいるのに、武器も取り上げなかった。

 無論それは、同じ七騎士だからというのもあるだろう。

 だが、それだけではないのかもしれない。


 なんて考えていると、真面目な顔でイゾルテを見てくるドーガの顔が、二割増し程度、よくなって見えた。

 なんか、この顔も悪くないのではなかろうか。

 角度によっては愛嬌もある。

 そもそも、普段は兜をかぶっているから見えないし。

 そんな風にすら思えてくる。


「いやいや……!」


 イゾルテは首を振った。


「申し訳ありませんが、今はアリエル様の紹介で王族の方と結婚する事になっています」


 そう、ここで彼と付き合うことにでもなったら、アリエルの顔に泥を塗りかねない。

 イゾルテも騎士。

 絶対の忠誠を誓っているわけではないが、それでも忠誠は誓っている。

 自分の都合で主君の顔に泥を塗るなど、あってはならないことだ。


「あなたも陛下の騎士なら、陛下のご意向に逆らうことはできないでしょう?」

「……うす」


 ドーガは、少し困った顔をしていた。

 イゾルテがそうであるように、ドーガも騎士だ。

 そしてドーガは勤勉だ。

 王族でないのだとしても、だからこそアリエルから信頼を得てあの場所の門番になれたのだ。

 彼とて、アリエルを裏切るようなことはできまい。


「……では、お帰りください」

「うす」


 少しは食い下がるか。

 とも思ったが、ドーガはあっさりと立ち上がり、イゾルテに背を向けた。


 あっさりとしたものである。

 意気揚々としているかにも見えた。

 まるで、最初から断られるとわかっていて、言うだけ言ってスッキリしたかのようだ。

 ちょっといいかなと思っただけに、その態度はやはり少し残念に思えた。


「……ふぅ」


 イゾルテはため息をついて、テーブルを見た。

 そこには、青色の花弁が一枚落ちていた。

 花束はない。

 持って帰ったのだろう。


「せめて、花束だけでも、もらっておけばよかった……」


 青い花弁を指でつまみ、イゾルテはぽつりと呟いた。



 結局、イゾルテはその日、次の王族も断ってしまった。



---



 翌日。


 イゾルテは練兵場にいた。

 剣術指南としての仕事をするためだ。

 兵士や騎士見習いに剣術を教えつつ、彼女は昨日のことを反省していた。


 昨日の王族。

 フレイザー・カエキウス・アスラ。

 性癖は相変わらずひどいものだったが、悪い人物ではなかった。

 だが、ドーガと比べると、不誠実さが目に見える気がした。

 でも、せめて断るのではなく、保留ということにでもしておけば角も立たなかったのに……。


 ともあれ、残り二人。

 二人しか残っていない。

 この二人をよく見極め、どちらかを選ばなければならない。


 なんて考えていると、彼女の下に伝令兵が近づいてきた。


「イゾルテ殿! 陛下が至急、お呼びとのことです!」


 その言葉で、イゾルテは察した。

 恐らく、候補者を次々に断っていることで、アリエルからお叱りを受けるのだろう。

 甘んじて受けねばなるまい。

 イゾルテとしても、アリエルには謝罪しなければならないと思っていた所である。


「わかりました」


 イゾルテはそう考えると、練兵場を後にした。

 練兵場の出口にある騎士の個室にて、サッと土埃を落とした。

 本来なら水浴びの一つでもしなければならないところだが、至急ということならば許されるだろう。

 その後、早足に歩いて王の間へと向かった。


「ん?」


 最奥に近づくと、違和感があった。

 何やらいつもより騒がしいことに気付いた。

 いつもなら兵士や騎士などいない、無人の廊下が続いているはずなのに、兵士が慌ただしく動いているのが見えた。

 何かあったのだろうか。

 そう思いつつも、今は陛下に呼ばれたということが優先である。

 特に周囲に聞くこともなく、イゾルテは王の間へと足を進めた。


 そして、王の間に辿り着いた。

 入り口にある豪華な扉の前で、イゾルテは眉を顰めた。


 そこには、いるはずの人間がいなかった。

 岩のような巨躯を黄金の鎧に包んだ、一人の男。

 アリエルがこの部屋にいる間は絶対に動かない、アスラ王国最強の門番。

 ドーガだ。

 彼の姿が、どこにも見当たらなかったのだ。


 その代わりとでも言うように、王の間の周囲には、城に駐在する騎士たちが整列していた。

 全員が腰に武器を帯びている。

 物々しい。


 その上、全員が手だれだ。

 本来ならここまで足を踏み入れることが出来ないような、下級・中級貴族出身の騎士もいる。

 シルヴェストルの指揮だろう。

 こういう時、彼は後の問題を恐れずに最適な行動を取る。


「イフリート卿!」


 と、そこでイゾルテはある人物の姿を見つけた。

 王城の警備責任者『王の城壁』シルヴェストル・イフリートだ。


「これはイゾルテ殿、お早い到着で」

「いったい何事ですか」


 そう聞くと、シルヴェストルはなんとも難しい顔をした。

 どう説明したらいいのかと悩むような顔だ。

 数秒後、彼は肩をすくめてこう言った。


「陛下がお呼びです」


 全ては部屋の中で聞け。とでも言わんばかりに。

 イゾルテはそれを説明を聞くのを諦め、扉にノックをした。


「……イゾルテ・クルーエル。ただいま参上しました!」

「どうぞ、入りなさい」


 いつも通りのアリエルの声。

 周囲の物々しさとは裏腹に、彼女の声はあまりにも平常だ。


「失礼します」


 イゾルテが扉を開けて中にはいる。

 そこには、不思議な光景が広がっていた。


 執務机に座るアリエル。

 その脇で腕を組み、疲れた顔をしているルーク。

 険しい顔で武器を抜いて構えている、近衛侍女。


 そして、ドーガだ。

 あまり部屋にはいらないドーガが、そこにいた。

 彼は黄金の兜を小脇に抱え、もう片方の手にはややしおれた花束を持って。


「イゾルテ、ご苦労様。早かったですね」

「練兵場にいたもので…………それで、これは一体、何事ですか?」


 そう聞くと、アリエルはなんでもないことのように答えた。


「ドーガが、私の騎士をやめるそうです」

「え!?」


 イゾルテはドーガを見た。

 ドーガは真面目な表情だ。

 冗談でこんなことをしているわけではないらしい。


「それは、つまり、どういうことでしょうか」

「さて、それはドーガに聞いてみてください……ドーガ、もう一度説明を」


 アリエルはそう言って、ドーガに視線を写した。

 ドーガは頷いて口を開いた。


「イゾルテ、言った。アリエル様の騎士は、自分と結婚できないって」

「……!」


 たった一言。

 それでイゾルテは自分がここに呼ばれた理由を察した。


「違います! 私はただ、陛下の顔に泥を塗らないように『陛下の騎士なら、陛下のご意向に逆らうことはできないでしょう?』と……」

「静かに、最後まで聞きなさい」


 アリエルの静かな声で、イゾルテは静まった。

 だが、イゾルテの内心は穏やかではなかった。

 会話の流れ次第では、自分はドーガに裏切りをそそのかしたと取られかねない。

 いや、部屋の外のあの物々しさを見るに、すでにそうと取られていてもおかしくはない。

 そんなつもりでは無かったのに……。


「ドーガ」


 ドーガはイゾルテの心を知ってから知らずか。

 アリエルに促され、たどたどしい言葉で語りだした。


「俺、よく考えた。

 俺、妹を守るって父さんと約束した。

 国を守ることが妹を守ることに繋がるって、アリエル様は言った。

 アリエル様は王様だから、アリエル様を守ることが、国を守ることになる」


「でも、妹は言った。もう十分守ってもらったって。

 悩むことはないから、今度は自分の好きな人を守れって」


「俺、アリエル様のこと、好き。この国も好き。守りたい。

 でも、イゾルテのことは、もっと特別に好き。

 だから、アリエル様の騎士、やめる。

 やめたら、イゾルテを守りたい」


 ドーガはそう言って、黄金の兜をゴトリと机の上に置いた。

 そして振り返り、花束をイゾルテへと差し出した。


「……」


 イゾルテは目の前に差し出された深い青色の花。

 それは、少しだけしおれていた。

 昨日と同じ花束だ。


「だ、そうですが……どうですか、イゾルテ」

「え?」


 唐突に行われた告白に、イゾルテは目をパチクリとさせた。


「あなたがどんな条件を出したのかは知りませんが、

 彼はアスラの七騎士より、あなたを選ぶそうです。

 女冥利に尽きますね。どうしますか?」


 その言葉。

 どうやら裏切りをそそのかしたことを責めたいわけではないらしい。

 その上で、ドーガの言葉に対し、どう返答するかと聞いているのだ。


「し、しかし、アリエル様の紹介の方々が……」

「あんな連中のことは、忘れてしまいなさい」


 イゾルテの胸は先ほどから早鐘をうっている。

 ビヘイリル王国で闘神と相対した時よりも、ドキドキとしている。

 そのまま倒れてしまいそうだ。

 実際、イゾルテの顔は真っ赤であった。


「わ、私は……」


 彼女はそこで、ふと、初代水神の逸話を思い出した。

 全てを捨てて、水神に嫁いだ姫のことだ。


 昨日聞いた話によると、ドーガはほとんど何も持たない男だ。

 巨体と力、数少ない家族。

 それから、アスラ七騎士の地位。

 その程度しか持っていない。

 そんな彼が己の家族や、七騎士という立場を捨ててまでイゾルテを選んだのだ。


 それも、昨日の今日の話だ。

 よく考えたといったが、ほぼ即決だ。

 ドーガは、なによりイゾルテに価値があると、そう言ってくれたのだ。


 今までの貴族や、アリエルの紹介で会った王族とは違う。

 彼らは、手持ちで一番大きいものを捨ててまで、イゾルテを求めはしないだろう。

 そう、初代水神に嫁いだ姫のようには……。


 この世界で、これほどまでにイゾルテを好いてくれるのは、

 ドーガだけかもしれない。


 一体これ以上、何の不満があるというのか。

 顔なんて、もうどうでもいいじゃないか。


「……」


 気づいた時には、イゾルテは花束を受け取っていた。

 大きな花束、青い花。

 少しだけしおれた花は、まさにイゾルテを象徴しているかのようであった。

 きっとドーガは、花が枯れてしまったとしても、好きでいてくれるだろう。

 結局、花の美しさなど、一時のものに過ぎないのだ。


「不束者ですが、よろしくお願いします」

「……うす!」


 ドーガの満面の笑みに、自然と周囲から拍手が沸き起こった。



---



 王の間でのプロポーズは語り草となり、末端の兵士にまで知れ渡ることとなった。

 ドーガの元同僚は涙を流して喜び、イゾルテに憧れを抱いていた者は涙で枕を濡らした。


 ドーガは七騎士をやめ、イゾルテの夫となった。

 七騎士のドーガではなく、主夫のドーガとなった。


「私の騎士をやめると言いましたが、イゾルテもこの国の騎士です。

 彼女はとても強いですが、私が死に、国が不安定になれば、あるいは謀殺される可能性もあります。

 もちろん、あなたはそんな彼女も守るのでしょうが……そもそも私が死ななければそうなることはありません。

 どうでしょうか、イゾルテを守るついでに、私も守ってみては?」


 ……かに思えたが、アリエルの口車に乗せられて、騎士を維持した。

 アリエルが北帝ドーガを逃すはずがないのだ。

 無論、王の間を騒がせたことを咎め、ちょっとした労働を与えはしたものの、大したことではない。

 これによって、イゾルテだけでなく、ドーガも自分の下に根付かせることが出来た。

 アスラ七騎士はより盤石なものとなり、アリエルとしては上々の結果となった。

 声を掛けた他の王族たちには借りを作ったが、些細なことだ。


 もっとも、結婚に伴い、ドーガが王の間を守る時間は激減した。

 夜は定時に帰り、イゾルテが遠出をするときは、必ずついていくようになった。

 結果としてイゾルテはアリエルの専属護衛のような立場へとシフトしていくのだが、それはさておき。


 ぎこちなくもドーガとの結婚に了承したイゾルテ。

 彼女は結婚までの間に交際期間を設け、実際に結婚したのは一年後であった。


 そんな期間もあって、結婚してからも、本当はイゾルテはドーガが好きではないのではないか、という噂も流れた。

 王城におけるイゾルテのドーガに対する態度が、今まで以上に冷たかったからだ。

 だが、そんな噂もイゾルテが兵士の前で、ついドーガを「ダーリン」と呼んでしまい、真っ赤になって訂正するという事件を発端として、すぐに消滅した。

 きっと、二人きりでいるときは、オシドリのように仲が良いのだろう、と。


 こうして、二人は夫婦となったのだった。

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