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週刊READING LIFE vol,104

師匠がくれた忘れられない一言が僕の支えになった《週刊READING LIFE vol,104 私を支える1フレーズ》

記事:篁五郎(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「青年たち、できることからやれ!」
 
僕の師であり保守派を代表する評論家・思想家の西部邁(にしべすすむ)からこの言葉を聞いたのは、まだ先生がご存命のときだ。あの時は、先生が塾長で、僕が現在、天狼院書店WEB READING LIFEで連載している『文豪の心は鎌倉にあり』でお話を聞いている富岡幸一郎先生が大番頭をしている表現者塾でのこと。
 
塾は、毎回ゲストの講師を招き、富岡先生が司会を務め、西部先生とあるテーマ(政治や思想関連が多い)についてお互いに議論を重ねた後に塾生である僕たちの質問に答える講義の時間。その後、新宿の居酒屋で酒を酌み交わしながら各々が好きなことを話したり、議論をしていく懇親会がセットであった。
 
懇親会が必ずあった理由は、お互いに真の言葉を出して議論をするためには酒や社交が必要であるという考えによるもの。実際に酒を飲むことでお互いに心のバリアが低くなり、交わす言葉も普段から自分が使っているものに近くなっていった。
 
当時の政治情勢、経済に対する具体的な提言、ヨーロッパの思想家の言葉への解釈。色々なことを話し合った。もちろん日本文学に関することやアニメについても話したことがある。映画も西部先生が好きだったので話に出てきたのを覚えている。
 
議論は懇親会だけでは終わらず、新宿三丁目にある先生が行きつけの文壇バーで続きがあった。僕も終電があるのを忘れて朝まで参加したことがある。
 
塾とは別に、先生がホストのTV番組に見学した時の打ち上げがそのバーであった。割と早い時間から開かれて楽しかったけど翌日が早かったので「先生、すいません。終電があるので帰ります」と帰りの挨拶をすると先生が笑顔で「証拠を出せ」なんて返事をくれたのを覚えている。
 
あの言葉を聞いたのは、塾を通じて親しくなった友人たち、師匠の西部先生と同じテーブルを囲んだときのことだった。
 
何を話していたのかはよく覚えていない。
 
みんな次から次へと言葉が湧いて出てきて、口の中に留めておくのが勿体ないとばかりに飛び出していたからだ。
 
僕は、その流れに乗っかって話をすることもあれば、疲れて酒を飲みつつ脳に焼き付ける言葉を選別していたりしていた。多分、あの日は大好きなハイボールをジョッキで飲んでいたと思う。
 
覚えているのは席順。8人掛けのテーブルの中央に西部先生が座り、僕は右隣に座っていた。先生は確かこの日は体調が良くてワインを飲んでいたと思う。
 
先生がいるテーブルで話の中心になるのはもちろん西部先生だ。誰もが師匠の言葉に耳を傾け、どんな話になるのか固唾を飲んで聞いていた。
 
でも、その日は先生が自分から積極的に話をすることはなく、僕たちの話を黙って聞いていた。先生が話に入り込むときの口癖である「ちょっといい?」という言葉も出てこなかった。
 
そんな先生の様子を見ていたから僕は大人しくしていたのかもしれない。
 
だって、先生は僕たちがしている稚拙な議論にも本気で向かってくれた人だった。
 
「どういう意味でその言葉を使っているのか?」
「それはどういう理(ことわり)に則って話をしているんだ?」
 
そうやって厳しく問うのが恒例だったからだ。その言葉に答えられず席を立つ人も多い。弟子ならば容赦なく厳しく聞くのが西部先生だった。塾頭に聞いた話では昔はもっと厳しくて、頓珍漢なことをいう輩には「帰れ!」というのが当たり前だったという。
 
僕たちには優しかったそうだ。
 
因みに先生と酒席を共にして「優しくて話をたくさん聞いてもらえた」と答える言論人も結構いるけど、それは「お客さん」だから。ゲストはもてなすのが礼儀なので優しかっただけだろう。
 
そんな西部先生が黙って僕たちの話を聞いていたのだ。それは気になるだろう。
 
ハイボールを飲み続けながら言葉の海の中をプカプカと浮いていた僕は横目で先生の様子をちらりと見ていた。多分懇親会が始まってからずっとだったと思う。
 
 
すると急に先生が立ち上がった。
 
 
そして冒頭の言葉である
 
 
「青年たち、できることからやれ!」
 
 
と言葉をかけてくれた。それ以来僕は、この一言を大事にしてきた。自分ができることはなんだろうか? これもできるのでは? あれもできるのでは? そんなことを思いながら今日まで生きてきた。
 
当時の僕はコールセンターでユーザーからのクレームを受け付けるオペレーターをしながらライティングの仕事をクラウドワークスとかで請け負っていた。そんな環境に少し嫌気がさしていた頃だった。
 
でも、その言葉を聞いたときにほんの少しの勇気が湧いてきた。
 
まずはライター専業で食べていくために何をしたらいいのか? を調べてみた。するとエージェント登録をして企業案件を紹介してくれる会社があるのを知った。高給だったので専業で食べていけるし、実績にもなると思って寂しい実績でも登録をしてみた。
 
サイト内を検索したらいくつも案件が出てくる。片っ端から応募をしてみた。
 
結果はほとんどが面談に進むことなくお断りのメールがきた。それでも僕はめげずに応募を繰り返した。
 
それが今の「自分にできること」だったから。
 
でも、運よく面談に至ってとある企業に業務委託で入ったけど最初の契約で終わってしまったこともあった。理由はスキル不足。
 
実力が足りないとはっきりといわれるのはショックではあったけど、それでも「自分にできること」をやるために登録したエージェントで仕事を探しつつ、クラウドワークスで仕事をしてきた。
 
書くことでしか実績も実力も付かないし、自分にできることはそれしかないから。
 
それから少し経って再びエージェントからとある企業でライティングの仕事の紹介が舞い込んできだ。自宅から少し遠いけど面談を受けられるならと思い、話に乗ることにした。
 
どこが気に入られたのかわからないけど、無事に契約を結び、二年以上その会社で仕事をすることができた。
 
塾で知り合った出版社の編集者の人から仕事を紹介されたライティングの仕事は今でも継続している。今年の3月で三年を超えた。
 
ライティングスキルを上げたいと思って、たまたまFacebook広告でみた天狼院書店のライティングゼミを受けると決めた時も師匠の言葉が頭をよぎった。
 
スキルを上げて書く仕事で食っていくために「できること」が、ゼミの受講だったのは言うまでもない。だから受けると決めた。
 
ゼミを受けているときに上級クラスのライターズ俱楽部の受験をしてみないか? と誘われたときもそうだ。「できることからやれ!」を思い出して受験するのを決めたのだ。
 
ライティングの仕事を探す以外の行動でも師匠の言葉が僕に勇気をくれた。
 
今はコロナ禍で休止状態だけど、僕はトークイベントを主催していた。師匠とつながりがある評論家の佐藤健志氏を主賓で招いて、とあるテーマ決めて語らうイベントを通算で5回開催したことがある。
 
佐藤健志氏との交渉、会場の選定、費用の捻出、テーマの選定、集客、チケットの販売方法などを友人に助けてもらいながら何とか続けてきた。
 
これをやろうと思ったのも、あの日西部先生から聞いた一言だ。
 
できると思ったからやってみた。やってみたらできたし、イベントも形になって続けられた。
 
師匠の言葉は、一歩踏み出す勇気をくれたのだ。
 
 
 
だが、その師匠は自ら命絶った。
 
 
特に先生と長年付き合いのあった人たちは、驚きつつも、「やっぱり」という感想を一様に漏らしていた。生前から最後は自ら命を絶つとはおっしゃっていて、最後の著書となった『保守の真髄』(講談社現代新書)でも
 
《ある私的な振る舞いの予定日に衆院総選挙が行われると判明した。で、まず社会にかける迷惑はできるだけ少なくせねばならぬと考え》《事態の成り行きにもう少し付き合ってみるしかあるまい、と考え直した》(西部邁著『保守の真髄』(講談社現代新書)より引用)
 
と記している。弟子としては末席中の末席である僕はそんなことを考えていたなんで知らなかったからもちろんショックを受けた。
 
しかし、同時に師匠から受けた「できることからやれ!」は自分の中で最も大切な言葉となり、僕を支えるフレーズになった。
 
だって、師匠からの言葉だ。
 
しかも、僕たちへ向かって投げかけてくれた最初で最後の言葉だ。大事にしなければ罰が当たる。
 
それは師匠が亡くなって二年の月日が流れても変わらない。
 
コロナ禍でクライアントが二つなくなったときも飯を食うために警備員のアルバイトに応募して生き長らえている。新たにクライアントを獲得するために登録していたエージェントや求人サイトからライター募集の求人に応募をしている。結果は芳しくないがめげることなく応募は続けている。
 
そんな中でも、初めて連載が決まり、二つクライアントが増えた。
 
「できることからやれ!」
 
今でも、あの言葉を放った師匠の横顔を覚えている。
きっと僕は死ぬまであの言葉を覚えているだろう。
 
どんな気持ちで師匠が言葉を送ってくれたのかはわからない。でも、その言葉があったから今の僕がいる。きっとこれからも僕が道を選ぶたびに師匠が「できることからやれ!」と言葉をかけてくれるのだ。
 
だって、それが今の僕が生きていくための基準でもある、支えてくれているのだから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
篁五郎

現在、天狼院書店・WEB READING LIFEで「文豪の心は鎌倉にあり」を連載中。
 
初代タイガーマスクをテレビで見て以来プロレスにはまって35年。新日本プロレスを中心に現地観戦も多数。アントニオ猪木や長州力、前田日明の引退試合も現地で目撃。普段もプロレス会場で買ったTシャツを身にまとって打ち合わせに行くほどのファンで愛読書は鈴木みのるの「ギラギラ幸福論」。現在は、天狼院書店のライダーズ俱楽部でライティング学びつつフリーのWEBライターとして日々を過ごす。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2020-11-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol,104

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