坂井一徳
坂井 一徳(さかい かずのり、本名:同じ 〔旧本名&旧芸名は「土田」姓〕、1969年6月28日 - )は、長野県生まれ、東京都杉並区永福育ちの元・俳優、芸能プロデューサー。
1980年代にジャニーズ事務所に所属し、「土田一徳」の名で数多くのテレビドラマで活躍した。
代表作はTBSの『毎度おさわがせします (第2シリーズ)』。
身長:181cm、体重:60kg。 血液型:A型。 愛称:カズくん。
兄弟は弟が2人 (4歳下と8歳下)。
両親との諸問題から、養子縁組を経て「坂井」姓に改名。 40代で結婚。 子供は無し。
ジャニーズ時代の参加ユニット
- 男闘呼組 (1985年4月 - 7月)
学歴
- 杉並区内の幼稚園
- 杉並区立大宮小学校
- 杉並区立大宮中学校 (部活はバレーボール部)
- 明治大学付属中野高等学校 (定時制、1年生を2回やって転出)
- 東海大学付属望星高等学校 (通信制、卒業)
来歴
- 母親の実家である長野県で生まれる。
その後、少しだけ父親の実家である北海道川上郡弟子屈町(川湯)に住んでいたが、すぐに東京都杉並区(永福町の商店街)に転居。
幼稚園も杉並区内の幼稚園に入園した。
なお、土田は幼い頃から家庭環境などに複雑な事情を抱えていたため、デビュー時に出自を隠す必要があり、「北海道川上郡弟子屈町(川湯)生まれ」、「弟子屈町立川湯駅前小学校を卒業」、「弟子屈町立川湯中学校の1年生の2学期に都内の中学に転校」などと雑誌で紹介されたり、本人がファンに対して「渋谷の街でジャニーさん(ジャニー喜多川)にスカウトされた」と語る場合もあったが、それらは全てデタラメであり、創作・捏造されたものだった。 土田の小学校時代の同級生・山本氏も土田の経歴について、「北海道で生まれ育ったなんてデタラメ。永福町の商店街育ち」、「小学校時代に劇団いろはに所属していた」、「卒業した小学校は杉並区立大宮小学校。卒業アルバムにも載ってる」、「私立成城学園中学校を受験したが不合格となった」などと2016年から幾度もTwitterで証言している。 [1]、 [2]、 [3]、 [4]、 [5]、 [6]
- 1985年4月、夜間高校入学直後に同級生の高橋一也から「うちのバンドでキーボードが出来る人を探してる」と誘われたため、土田がベートーヴェンの『悲愴』をピアノ演奏している録音カセットテープを高橋に渡してみた所、ジャニー喜多川から認められ、同月中にジャニーズ事務所に入所した。
入所と同時に「男闘呼組」に加入してキーボードを担当。 テレビ朝日の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』にも出演した (土田はバンド演奏時のみの出演。そしてノーギャラだった)。 しかし、1985年7月を最後にわずか2ヶ月ほどでグループから外されてしまい、以降は男闘呼組のメンバーとして雑誌に掲載されることも無くなった。 よく、「ドラマに出演するようになって役者業が忙しくなったから脱退した」と思われがちだが、土田がドラマデビューしたのは1985年12月だし、男闘呼組の他のメンバーたちも連続ドラマのレギュラーは抱えていたため、ドラマ出演が脱退の理由ではない。 土田本人もグループから外された理由について、「素行が悪かったからかな」とX(旧Twitter)の2023年7月29日のスペース配信で述懐している。
(なお、1985年12月29日(日本武道館)と1986年1月4日(大阪城ホール)の「少年隊スペシャルコンサート」の前座に男闘呼組が出演した際には、土田もサポートキーボードとして久々に呼ばれて参加した 〔但しこの時は男闘呼組全員が実際に演奏はしておらず当て振りだった〕。 また、1986年4月~5月の男闘呼組のファーストコンサートツアー「ヤングコミュニケーション ’86 ~祭 PART1~」にも、キーボードとMCでゲスト出演している)
- その後、ジャニーズ事務所の合宿所に遊びに来ていた俳優の木村一八と親しくなった縁で、TBSテレビのプロデューサーに紹介してもらい、1985年12月からのテレビドラマ『毎度おさわがせします 2』への出演が決定。
以後は俳優業を専門に活動した。
ジャニーズJr.のダンスレッスンにも一度は参加してみたものの、「これは自分には無理だ」とすぐに判断して二度と行かなかった。
- アイドル雑誌『ザ・ベスト・ワン』(1986年4月号)の表紙に中山美穂、木村一八、西川弘志と共に掲載。
同じくアイドル雑誌『POTATO』(1986年9月号)の表紙にはソロで掲載された。
- 1987年の終わり頃のある日の夕方、ジャニーズ事務所の合宿所を訪れた土田が部屋着に着替えて疲れてマットで横になっていた際、背後からジャニー喜多川に性加害されそうになったため、拒否するために振り返った所、運悪く右のひざがジャニーの腹部に強く直撃。
ジャニーが「ウッ!」とうなった後に、なぜか「You!ズルいよ!」と発言する中、土田はすぐに着替えて合宿所を飛び出した。
この一件を機にジャニーから嫌われ、以降は声もかからなくなったため、事務所を退所した。
(土田がジャニーを足で蹴ってしまったエピソードは、元ジャニーズJr.の山崎正人が「木山将吾」名義で上梓した告発本『SMAPへ ~ そして、すべてのジャニーズタレントへ』(2005年3月、鹿砦社)にも記載されているが、山崎は1987年春の時点で退所しているため、山崎が直接目撃したのではなく、Jr.仲間から教わったエピソードだと思われる)
- ジャニーズを退所後、ガソリンスタンドでアルバイトを始めたが、ある日女子高生に囲まれてキャーキャーと騒ぎになり その日に解雇された。
その後も、あらゆる芸能事務所に飛び込みで入所を願い出るも、「ジャニーズと喧嘩したくないから無理」と言われて断られ続けた。
当時、父親は故郷の北海道川上郡弟子屈町(川湯)、母親も故郷の長野県に別れて住み始めており、都内に家が無くなった土田は野宿もしていた。
- 約1年間のブランクを経て、1988年後期に知人の紹介で赤坂にあった芸能事務所「フリーポートプロダクション」に何とか所属できたが、テレビドラマ『スクール・ウォーズ 2』への出演を最後にして、1991年初頭に事務所を退所。 芸能界を引退した。
- その後は都内での不動産業を経て、北海道の札幌に居た両親のもとに移り住み、貴金属店に勤務。
デパートや催事場で売り場に立っていたが、知人から誘われて番組制作の道に進む。
- 2000年3月、仲間と共に番組制作会社「株式会社 ペッパーズイレブン」を設立。
そこで2005年初頭まで活動していたが、病気を患ったために退社。
- 2005年10月31日より、「土田一徳」という名前は伏せた状態で、「umaoyakata」のペンネームで、アメーバブログにて馬券予想ブログ「馬親方徒然日記」を開設。
- 芸能界引退から長い間活動状況が不明だったこともあり、一部では死亡説まで囁かれていた。
そんな中、土田は舞台役者を志して様々な劇団にアプローチを始め、2006年の夏に社会人劇団「はなまる大作戦」を主宰する花丸大朔(本名:香取大介)と出会い、同劇団に入団した。
その後、土田は自身のキャリアを活かして劇団内に「タレント部」を立ち上げ、自ら部長を務めるようになった。
- 2006年9月、ブログにて自分が「土田一徳」であることを公表し、沈黙を破る。
- 2007年、花丸大朔と共に芸能事務所「株式会社 ドリーム・ファンタジア」を設立。
土田は同社でプロデューサーも務める。
- 2008年7月、公演『LOST The WORLD』を最後に劇団「はなまる大作戦」が解散。 同時に芸能事務所「ドリーム・ファンタジア」も閉業となった。
花丸大朔は同年11月に自身の新たな芸能プロダクション「株式会社 ANIMO」を設立。 土田は、「はなまる大作戦」時代の仲間・板坂叔典(いたさか よしふみ。1977年8月30日生。静岡県出身。A型。愛称:板さん)が翌2009年5月11日に渋谷区神宮前にて設立した芸能プロダクション「株式会社 i-Factory (アイファクトリー)」(資本金:1万円)に参加し、所属タレントのマネージメントや舞台作品などのプロデュースを開始。 更に翌2010年に開設された「i-Factory タレント養成所」では演技講師も務めた。
- 両親との諸問題から、養子縁組を経て「坂井」姓に改名。
2010年春に「坂井一徳」名義で舞台『桃色書店へようこそ』をプロデュース。
- 2013年初頭、ブログ「馬親方徒然日記」と、芸能プロダクション「株式会社 i-Factory」のホームページが閉鎖。
- かつてテレビドラマ『毎度おさわがせします 2』で共演していたブル中野の店「GIRLS 婆BAR 中野のぶるちゃん」(中野駅前)に、2013年3月11日に来訪。
その様子が、同月13日付のブル中野のブログで紹介された。[1]
- その後、芸能界からは離れ、再び北海道に転居。
特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)にて17時から翌朝9時までの夜勤の介護職員として5~6年働き、13~14人ほどの老人を深夜帯は一人きりで担当していた。
なお、介護福祉士の資格は所有していない。
- ジャニー喜多川の性的児童虐待問題を受け、2023年6月19日にTwitterアカウントを開設。[1]
- 『週刊文春』(2023年6月29日号)にて、ジャニー喜多川の性加害と、東山紀之も性加害を知っていることを告発。[1]、[2]
土田は告発するにあたり、職場に迷惑がかかることへの考慮と、ちょうど睡眠障害を患って一週間以上寝られない状態が続いていたため、入院治療をするべく2023年6月に介護職を退職。 なお、自身をジャニーズや芸能界へ招き入れた高橋和也が男闘呼組を再結成して活動中だったため、土田は筋を通すべく高橋の公式ホームページのメールフォームから現在の自分の状況と、「男闘呼組のみんなには迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、ジャニーさんとの出来事を『週刊文春』に話すことにしました」といった旨の事前連絡を入れたが、高橋からの返信は無かった。
人物
- 特技 - クラシックピアノ
-
習い始めたのは6歳から。
上京してからは、ピアニスト・中村
恭己 (愛称:JaJa)が永福4丁目の自宅の地下で経営していた「JaJa文化ランド 中村ピアノ教室」の生徒だった。
中学3年の時、ピアノ発表会でベートーヴェンのソナタ「熱情」を弾いた時は、中村の家に一週間泊まり込み、毎日8時間練習して挑んだ。 ベートーヴェンの他によく弾いていたのはセルゲイ・ラフマニノフの曲。 また、ロシアの作曲家、ピアニストのアントン・ルビンシテインの曲が好きで、全曲カセットに集めて保存していた。
やがて、中村家が建て直しのために東京都狛江市に一時転居したが、緑山スタジオでのドラマの撮影時はその狛江の家に寝泊まりしながらスタジオに通っていた。
なお、中村恭己の関係者であり、ピアノ教室での土田の先輩・大石敦巳氏が、土田の4歳下の弟である土田昭久もジャニーズ事務所に入っていたと言及している。 [1]、 [2]
- 2000年代に競馬にハマっていた。 愛していた馬は「タニノムーティエ」、「キーストン」。 パドックでは馬の臀部のラインをよくチェックしていた。
- 自分の性格について - 「神経質」
- 口癖 - 「
要 は~」
- 愛読書 - 横山光輝の漫画 『三国志』
- 尊敬する人 - 丸尾末広 (漫画家)、チャールズ・チャップリン、石立鉄男、ベン・ホロウィッツ
- 好きな人物 - 鳥肌実
- 好きな食べ物 - オレンジ
- 嫌いな食べ物 - 梅干し、果物
- 好きな花 - スズラン
- ペット - チワワ3匹 (2007年時点での情報)
- 左の耳たぶの形に特徴がある。
- 初恋は中学2年生の時で、相手は2歳年上の女性。
- バレーボール部だった中学の3年間で身長が35cmも伸び、145cmから一気に180cmになった。
- ジャニーズ時代に仲が良かったのは、矢部和志 (後のマイコーりょう)、杉江雄二。
- 仲が良かったジャニーズ以外の芸能人 - 山本陽一
エピソード
- ジャニーズ事務所から支給されていたテレビドラマの出演料は、1話につき1万円だけだった。
- ジャニーズ時代は植草克秀に連れられて渋谷の「セーラーズ」のショップに何度か行っていた。
- テレビドラマ『毎度おさわがせします (第2シリーズ)』と『夏・体験物語Ⅱ』の2作品で共演したアイドル・佐藤
恵美 と当時交際していると言われていたが、土田本人は2023年7月25日配信のツイキャスできっぱりと否定している。 一方、明大中野高校のクラスメイトの歌手・高橋玲子と半年ほど交際していたことは事実だと認めた。
- 友人に中村由真のマネージャー(その昔は中山美穂のマネージャー)だった人物がおり、その縁で中村由真の野球チーム「ユマーズ」に所属していたことがある。 そして、当時中村の旦那だった元・男闘呼組の前田耕陽の野球チームとも試合をしているため、前田とは何度か再会を果たしている。
ジャニーズ時代の出演作品
バラエティ番組
- 欽ちゃんのどこまでやるの!? (1985年5月 - 7月3日、テレビ朝日)
-
男闘呼組のメンバーとしてバンド演奏時のみに出演。
- 第11回 ABCヤングアイドルスター野球大会 (1986年7月、ABCテレビ)
テレビドラマ
連続ドラマ
- 毎度おさわがせします (第2シリーズ) (1985年12月10日 - 1986年3月25日、TBS)
-
秋野浩平(高校1年・16歳)役。
- 夏・体験物語Ⅱ (1986年7月29日 - 10月14日、TBS) 木戸直也役
- 愛伝説 (1987年4月6日 - 、フジテレビ)
-
小川範子の初キスシーンの相手・黒川
章 の少年時代役。 フジテレビのドラマだが、撮影は緑山スタジオで行われていた。
単発ドラマ
- 月曜ドラマランド 「ナイン」 (1987年1月5日、フジテレビ)
ジャニーズ退所後の出演作品
テレビドラマ
連続ドラマ
- 湘南物語 マイウェイマイラブ (1989年5月 - 7月、日本テレビ) ゲスト出演
- スクール・ウォーズ 2 (1990年9月4日 - 1991年1月8日、TBS) 藤沢保役
-
土田は坊主頭にして役に挑んだ。
単発ドラマ
- 自主退学 (1990年4月23日、TBS)
- 東京下町商店街の殺人 女親分は名探偵
-
(1990年5月29日、テレビ朝日・火曜ミステリー劇場) 下っ端のヤクザ役
放送前の仮タイトルは『アルプスから来た女親分』。
映画
- 童貞物語4 ボクもスキーに連れてって (1989年9月16日、バンダイ) 平井慎也役
-
都内の単館にて3日間のレイトショー上映。
CM
- しゃぶしゃぶ店のCM
ビデオ
- SUPER DELUXE ビデオ・マガジン 『VINBO VOL.25 ~星に願いを~』 内のオムニバスミニドラマ 「ジャパニーズ・ドリーム」
-
1990年、税込2,150円。 共演:五十嵐いづみ、中村由真、渡浩行。 『VINBO』とは、全国のローソンで販売されたフジテレビ系のアイドルビデオシリーズ。
- SONYハイビジョンドラマ 『モンスーン』 (1990年) 桜井幸子との共演作
舞台
- YU-GEN乱舞 ~建武に懸けた情熱~
-
2007年8月23日 - 27日、大塚・萬劇場。
劇団「はなまる大作戦」リニューアル旗揚げ公演。 動員数:約720名。 - LOST The WORLD
-
2008年7月16日 - 22日、築地本願寺内・ブディストホール。
21日の昼公演終了後には、土田の30分間のトークショーも開催された。
劇団「はなまる大作戦」解散公演。 動員数:約930名。
イベント
- 劇団「はなまる大作戦」主催 第1回 芸能パーティー 「ハルモニア」
-
(2008年5月23日に2時間半、田町「Studio Cube 326」4F TIARA、参加費:3,500円、定員:180名、来場者数:約120名)
WEB
- TwitterのSpaces(スペース)配信 (2023年6月30日 - )
- ツイキャス配信 (本配信スタート日:2023年7月22日 - )
プロデュース作品 (「坂井一徳」名義)
舞台
- 桃色書店へようこそ
-
(2010年4月10日 - 18日:池袋シアターグリーン BIG TREE THEATER、6月12日&13日:文化学院13階講堂。 主演:小川麻琴、外岡えりか)
アニメサウンドトラックアルバム
- きまぐれオレンジ☆ロード もぎたてスペシャル
-
(1989年12月20日にCDとカセットの2種で発売。 1995年3月15日、2004年7月22日にCDで復刻) - 土田はこのアルバムの中で楽曲『ギリギリLOVE』を歌唱
- きまぐれオレンジ☆ロード Singing Heart2 ~sweet memories~
-
(1993年9月17日。7枚組CD-BOX仕様。イラストカレンダー、設定資料(作画)、クリアファイル付き。税込1万6千円。Disc2に土田の『ギリギリLOVE』を収録)
著書
- You、ズルいよ! (出版予定の自伝・手記。発売日未定)
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より改訂
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