とある日の夜、達也は自室のモニターの前で頭を抱えていた。ついでにその隣では、ミラージ・バットのコスチュームに袖を通した深雪もまた、苦笑いをして立っている。
彼等がこんなことになっている理由は、ほんの数分前のこと。
『ついに完成したんですね!おめでとうございます!お兄様!』
飛行術式、つまり常駐型重力制御魔法の完成。
三大難問の一つと言われていたそれを幾度もの試行錯誤の果てに完成させた達也は、自身と妹の2人分のテストを提案し、それすらも無事に成功へと漕ぎ着けた。
魔法師の歴史が変わる。
世界の常識が変わる。
これは正にそんな大それた偉業。
深雪は大いに喜んだし、達也も大きな感情にはならなくとも、確かな達成感がそこにはあった。
これはもう直ぐにでもF・L・T(フォア・リーブス・テクノロジー)の牛山主任に報告をしたいところではあるが、それはまた後日。テストを踏まえてもう少し調整したいところも出来たし、技術者として出来る限り粗を無くした状態で人前に出したいという思いもあったからだ。
……さて、そんな万歳ムードが一瞬にして掻き消えたのが、正にその牛山主任から慌てた様子で連絡があった、その内容のせい。
『お、御曹司!!い、いま本部長から……うちに突然120億の株式投資があったって連絡が!!』
「ぶっ」
「ひゃ、ひゃく……!?」
思わず飲み込みかけていたコーヒーを吹き出す達也、苦笑いすることも出来ずに口をヒクヒクとさせる深雪。何より完全に冷静ではない牛山主任に、恐らくは今間違いなく大慌てになっているであろう達也達の父親である司波龍郎。
そして話はこれで終わりではない。
「……牛山主任、主な投資者の素性は分かりますか?相手次第ではこちらも相応の準備が必要になります」
『そっちの界隈については詳しくないんですが……なんでも、"神子"って呼ばれてる有名な投資家が火種だとか』
「…………」
「…………」
『ど、どうしました御曹司!?』
「あぁ、いえ……特に心配は要らないと思いますよ、牛山主任」
『そ、そうなんですかい?例えば乗っ取りとか……』
「絶対無いです」
「そうですね、絶対にあり得ないと思います」
『そ、そうですか……それなら良いんですが』
そんな会話をした後が、今のこの2人の状況である。達也は頭を抱えて、深雪はただただ苦笑う。分かっているとも、もう何もかもが予想付いている。しかしまさか、まさか自分達がその当事者になるとは誰が予想出来ただろうか。
こうなれば言われても仕方がないだろう、あの女は神に愛されていると。
「清冷詩織……まさかここまでとは」
「有名な投資家というのは本当だったんですね……それにしても120億とは」
「いや、恐らくは120億全てが清冷の投資という訳ではないだろう。清冷が大きな額を入れ込んだことを察知して、それに便乗した投資家達が何人も居た筈だ。それを全て合わせて120億まで上った、そう考えるのが自然だろう。そう考えればむしろ額としては少ないくらいか」
「な、なるほど。しかし清冷さんは何故このタイミングでFLTに投資を?」
「……間違いなく、これだろうな」
「!」
達也が指をさしたのは、深雪が持っている小さなデバイス。それ即ち、飛行制御装置。達也が正に今完成させた、投資するには十分な価値のある偉業。
「で、ですがこれはまだ誰にも……!それこそ深雪も今知ったばかりで!」
「清冷が監視カメラを使ったり、必死に情報を集めて投資をすると思うか?」
「……まさか」
「間違いなく勘、もしくは間違えて投資をした。このどちらかだろう」
「そ、そんなことが……!」
「正に完璧とも言えるタイミング、末恐ろしいな。こんなことを続けていたのなら、それは神の子とも呼ばれる筈だ。何故もっと大事になっていないのか不思議なくらいだ」
その才能を狙って襲って来る輩が居たとしても、何らおかしくない案件である。しかしいざその光景を思い浮かべてみれば、何の理由もなく襲撃を躱し、何の原因もなく策が失敗に終わるという姿が思い浮かんでしまうのだから、まあそういうことなのだろう。
もしくは彼女に便乗している人間達が、人知れず襲撃を狙う輩から彼女を守っているという節もある。彼女が自由に投資をして、自分達はそれに乗るだけで儲かる訳なのだから、むしろ居なくなっては困る訳で。あの少女がネットのセキュリティを万全にしているというのも想像がつき難いのだし、その辺りの情報を密かに抜かれていたとしても何ら不思議ではない。
「誰も知らないところで、神子をかけた戦いが行われているという訳ですね……」
「全て想像だが、それくらい大きな金が動いている。国防軍が多少の関与をしていてもおかしくない」
「魔法力はなくとも、ここまでの影響力が……」
「俺達がFLTの関係者だということは、間違いなく勘付かれては居ないだろう。そこに問題はないと思うが」
「……一応、報告されますか?」
「……いや、わざわざ火種を作る必要もない。清冷の奔放さの被害者は、一先ず九島だけでいい」
「九島と関係を結んだりしないでしょうか?」
「………ふむ」
深雪のその問いに対して、達也は手を顎に当てながら思考する。しかしその答えは意外にもすんなりと達也の中にあって、むしろ言葉として出力することに難儀した。
「あれは何かを企んでいる人間に対して、最強に近い存在だと俺は思っている」
「何かを企んでいる人間に対して?」
「ああ。例えば七草の当主が四葉に対抗するための資金繰りとして、清冷に脅しを掛けたとする。この時、あいつはどうすると思う?」
「……本を勧めますね」
「そうだ、本を勧める」
まっことおかしなことながら、そうである。
あの女はきっと、本を勧めてくる。
間違いなく。
「その際、あいつがどんな本を七草の当主に勧めるのかは分からない。偶然にも七草の当主に刺さる様な物かもしれないし、以前レオに貸した様な異常物である可能性だってある」
「その辺りの予測はお兄様でも出来ませんか?」
「無理だな、法則性が無さすぎる。ただ、どちらにしても結果として、何らかの形で七草の当主は手を引くことになるだろう。もしかすれば……ん?」
「メール、ですね」
「ああ、すまないな」
「いえ、そんな。……ただそれよりも、まさか送り主が清冷さんだったりとか」
「……ああ、どうやらそのまさかだった様だ」
鳴り響いたメールの着信音に、達也が端末を取ってみれば、なんと深雪の予想通り、それは清冷詩織からの一通のメール。
FLTに投資したことに対する報告か?それとも飛行デバイスが完成したことへの祝いか?清冷詩織はまさか達也の正体に気付いていたのか?
色々な想定外が積み重なっている現在。達也でさえも胸を鳴らし、緊張感に包まれながらもそれを開いてみれば、そこには本当に簡潔な文章だけが記されていて……
『さっき読んだ本、深雪におすすめ』
「……らしい」
「……そういうパターンも、あるんですね」
「そういうパターンも、あるみたいだ」
投資にもFLTにも一切触れることなく、というかむしろ彼女にしてみれば全くと言っていいほどに大した話題でもないらしく、いつも通り彼女の頭の中には本、本、本。
添付ファイルを開いてみれば本当に普通の画像で、そこには白い枕の上に置かれている一冊の本が写っていた。小さな女の子の影も一緒になって写っていることから、きっと眠る前に読んでいた本を、思わず勧めたくなって連絡して来たのだろう。
今頃、達也と深雪の父親であるFLTの本部長はベッドから飛び起きて色々と奔走しているのだろうに、その原因を作った当の本人がこれである。相変わらずで安心したというか、やはり敵わないというか、全ての疑念が何の意味も無いと突き付けられて梯子を外された様な気分で、思わず机に突っ伏したくなる。
ちなみに本のタイトルはこちら。
『旧中山道を走る、麦わら被った小人達。どうして彼等は北陸新幹線に乗ってしまったのか。半生をかけてその謎に迫った偉大な男達の熱記録を記す。-北九州解決編-』
「…………………………………………………………………………………………………………………………何故、これを勧められたのでしょう」
「すまない、何も分からない」
本当に。
本当になにも、分からない。
「なぜ、旧中山道を小人達が……?」
「分からない」
「そして何故、北陸新幹線に……?」
「それも分からない」
「その謎に半生を懸ける意味とは……」
「全く分からない」
「というかそもそも、何故"旧中山道"や"北陸新幹線"というワードが出てくるのに、解決したのが北九州なんですか……?」
「読まなければ、分からないのだろう」
「読んでも分かる気が一切しません……」
一先ず。
一先ず達也は、ネットでその本を探してみる。
検索結果:3件
しかもそのうち2件は全くの無関係のもの。
残された1件の記録は、数十年前から一切の更新がされていない、とある宗教関係のHPだけ。
「……なるほど」
「宗教団体……なんだかこれを見ただけで、半分くらい謎が解けた気がします」
つまり、こういうことだ。
小人というのはその宗教内で神の使いとされていた者達で、彼等が行った奇怪な行動を、その宗教を立ち上げた最初の5人とやらが半生を懸けて解き明かした。この本はそれを記録したものであり、販売はその宗教内でしか行われていなかった。当たり前だろう。そんな頭のおかしい宗教が果たして誰に受け入れられるというのか。宗教舐めるのも大概にしたほうがいい。
「加えて、その教団自体が結果的に数年程度しか活動していなかったようだ。そうなれば当然、現存しているのも極少数」
「ネット販売も当然なし、誰も興味がないので掲載すらされていないということですね」
「ああ、ここまではただのレアな本だ」
達也はそのまま迷いなく電話をかける。
深雪にも聞こえるように音量を設定し、1コール、2コール、そして珍しく彼女は3コール目で出た。2回目をかけなくてもいいなんて、本当に珍しい。
『なに?』
「こんなものを送りつけておいてもう寝る気だったのか?」
『眠い……』
「まだ10時だろう」
如何にも眠そうに、そして不機嫌そうに電話に出た彼女。どうやらコールが喧しくて、仕方なく出たらしい。ある意味で珍しいそんな詩織の声を聞けたのだが、そんなことはさておき。
「なぜあの本を深雪に勧めた?」
『……似てたから』
「似てた?」
『中の挿絵の女神様に』
「「……………」」
それは嬉しいのか、嬉しくないのか、なんとも微妙なところ。普通の女神であれば別にいいのだが、流行らなかった宗教の女神と言われると途端に情けなく聞こえてしまうこの不思議。
深雪も思わず半笑いで、通話の先から聞こえてくる欠伸が静かに響く。
「そもそも、どんな本なんだこれは」
『予言書』
「……は?」
『予言書、表紙と中身が違う』
「……どういうことだ?」
そこで送られて来た、正に今撮ったであろう写真。
そこには先ほど見た表紙のカバーが取り外された姿の本が写っており、現れた本当の表紙には、あまり馴染みのない言語で何かが書かれている。明らかに先程とは雰囲気の異なるそれ、単に間違いと言われた方が納得出来るくらい。
『ネットで調べた?』
「あ、ああ、昔の宗教団体のページを見つけた」
『ソースコード見れる?』
「……何か出たな、この数字の羅列はなんだ?」
『暗号文、解くと無名のユダヤ系団体に繋がるアドレスが入手できる。ちなみに今も有効』
「なっ!?」
「ということは……!?」
『本の表紙も、宗教団体も、ホームページも、全部隠れ蓑。何が目的かは分からないけど、そのアドレスに繋げば今でもこの本が買える』
変わらない眠たげな声で、そう続ける詩織。しかし一方で達也と深雪は眉を顰めて冷汗を流すしかない。聞いてはいけない話を聞かされている様な、手を出してはいけない世界に引き込まれている様な、そんな気分で。
「……予言書というのは?」
『販売された日から100年近く先のことまで色々書かれてる。でも自然現象については記載が無いから、多分犯行予告みたいな』
「それが本当なら大問題ではないですか!?」
『深雪?……大丈夫。多分、その心配はないと思う』
「何故そう言い切れる?」
『第三次世界大戦以降の記録が全く一致しないから。団体自体がその時に力を失ったんじゃないかな』
「だがそのアドレスは今も有効なんだろう?」
『うん、でも対応してくれた人が「私達の大切な思い出なんだ、楽しんでくれると嬉しい」って言ってたし。3冊貰ったから、今度あげるね』
「……まあ、一応受け取るが」
もう、なんと言えばいいのか。
冷汗は止んだし、顰められた眉は今はもう困ったハ文字をしているし。要はこれはつまり。
「かつての強大な組織が思い描いていた詳細な未来図であり、今はそんな彼等にとっての唯一の思い出の品ということだな」
『そういうこと。ちなみにこのカバー、10言語分あるんだって』
「全部"旧中山道"なのか?」
『流石にそこは違う』
「どういう気持ちでこんな題名にしたんだ」
『実話を元にしてるらしいけど、そこまでは教えてくれなかった。個人的にはこのままの題名の本も読んでみたかったから、残念』
「……これは一体どういう気持ちで見れば良いのでしょうか、お兄様」
「楽しめばいいんだろう、彼等の言う通りに」
『うん、そう思う』
そんな微妙な気持ちになりながらも、この本に関しての話は終わった。
もう眠る気満々で「おやすみ」という詩織。
しかし達也は逃さない。
流石に未だ、逃しはしない。
忘れそうではあったものの、なんとか思い出すことが出来たのだから。
うっかりしそうにはなったものの、うっかりでは済まされない本題があるのだから。
詩織が電話を切りそうになったところに、達也は無理矢理切り込んでいく。
「ところで清冷、最近も投資はしているのか?」
『……?うん、適当に』
「何処かいい投資先があるのか?」
『知らない。でもさっきFLTってところに桁間違えて42億入れちゃったから、暫くいい』
「よんじゅう……」
「あの、間違えたのに放っておいているんですか……?」
『もういいかなって……』
「「……………」」
こいつはお金をなんだと思っているのかと、一度説教をしてやりたくなるくらい、あまりに投げやりな投資法。しかし実際、彼女にとって金の価値というのはその程度なのだろう。そしてそんな彼女だからこそ、金が回って来るというのだって間違いなくある。
『他に収入あって良かった』
「……ちなみに、何の収入だ?」
『マンションとペット施設と駐車場とアプリ開発』
「意外と手広いですね……」
『収入源は多い方が良いって、前にご飯食べれなくなって学習したから』
「ああ……まあ、その通りだな」
「自分で経営してるんですか!?」
『丸投げしてる』
「「…………」」
丸投げしているらしい。
容易く想像できた答えが返って来た。
しかしいざ前に出されると、深雪も微妙な顔になる。そしてこうなるともう、達也だって色々なことが想像出来てくる。
「税金の関係はどうしている?」
『税理士に丸投げしてる』
「書物の管理は?かなりの数があるだろう?」
『司書雇って丸投げしてる』
「……そもそも家事はしているのか?」
『メイド雇って丸投げしてる』
「……メイド?」
『うん、みんな好きなメイド服着てる』
「ぜ、ぜ、ぜ、全部丸投げじゃないですかぁ!!」
『うん、丸投げ』
「本当に自分では何もしていないのか……」
まさかとは思ったがこいつ、本当の本当に、本当に何もしては居なかった。エリカから清冷詩織の家は異様に大きかったと聞いた時点でそんな気はしていたけれど、こんな女に大きな家の管理なんて出来るはずがないと思っていたけれど。恐らくこの女、家に帰ってからは一歩たりとも自分の足で動いていない。
「というかメイドなんて雇ってたんですね……」
『最初に雇ったお手伝いさんの趣味、広まった』
「自分の金の管理くらいはしたらどうだ?」
『めんどくさいし……』
「いつか騙されるんじゃないか」
『その時は弁護士に丸投げする』
「ほ、本当に何一つ自分でやろうとしないですね」
『……ねぇ、達也』
「ん?なんだ」
『CADの調整も丸投げしたい』
「………それこそ投資したFLTに丸投げしたらどうだ?」
『!……達也、天才』
「ここまで来るとちょっと清々しくなるのも不思議な話だ」
結局、清冷詩織のFLTへの投資は、単なる桁間違いだったということで確定した。そしてそれは自身の財産の大部分であったらしく、流石の彼女も"やらかした"自覚があるらしい。
……しかし達也達は知っている。その投資はこれから間違いなく成功に終わるということを。彼女の財産はこれから何倍にも膨れ上がり、またもや神の子だと騒ぎ立てられるということを。
「……家の警備はしっかりしているか?」
『うん、それに最強の番犬が居るから』
『くぅん』
「……そういえばそうだったな」
達也と深雪は最後に挨拶を残して電話を切り、そのまま眠る前に一度落ち着きたいとリビングへ向けて2人で歩いて行った。
世の中、魔法よりも不思議なことはあるものなのだと。存在そのものがオカルトの様な彼女のことを頭から切り離し、心地の良い眠気を誘うまでに、結局1時過ぎまで2人で和やかに過ごしていたことは、まあ特別記すべき事柄でもない。