「ねぇねぇ清冷さん?」
「?」
「競技、やってみない?」
「やだ」
「じゃ、じゃあエンジニアでも!」
「や」
「い、一文字で拒絶された……」
「まあ、当然の結果かと」
その日、何気なく生徒会室に呼ばれた清冷詩織。生徒会長の真由美から提案された2つの役割を、何の迷いもなく一蹴し、今日も今日とて本を読む。
最初からこうなることは分かっていたけれど。
だれもが「それはそう」と思っていたけれど。
真由美はどうしても、この人手不足の中で彼女の未知に賭けてみたかったのだ。
「そもそも清冷、CADのメンテナンスは出来るのか?」
「最低限……?」
「ソフト開発くらいならしていそうだが」
「使えないから、やらない」
「やろうと思えば出来るのか?」
「やろうと思えば誰でも出来る」
「精神論だが、まあそうだな」
「あ、あのね、普通はできないからね?」
「出来る、本を読めば」
「ええ、勉強をすれば」
「そ、そういう話かぁ……」
今現在出来るかどうかという話ではなく、誰でも真面目に勉強して取り組めば出来る様になるという、なんかそういう説教みたいな話。思わず真由美は目を背けて苦笑う。
達也と詩織、なんだか微妙な距離感の2人ではあるが、こういった勉強や知識に関する話では意気投合してしまうのだから大変だ。
「そういう意味では清冷、お前も真面目に取り組めば今より成績が上がるんじゃないか?」
「本読みたいから」
「……まさか清冷さんは、テスト勉強をしていないのですか?」
「うん」
「この前の定期試験で学年18位だったのに!?」
「ん」
「お、お兄様……?その様なことがあり得るのでしょうか」
「あり得るだろう。テストと言えど所詮は知識だ、教科書にだけ書かれているものじゃない。それに清冷ならばもう教科書も一通り読んだんじゃないか?」
「うん、3学年分」
「どうやって!?」
「あ……わ、わたしが貸しました。清冷さんにお願いされて、その」
「ま、まさか"あーちゃん"とそんな関わりを持っていたなんて……意外と交友関係広いわよね」
「交友関係が広いというよりかは、手当たり次第という感じですが」
そんな感じで詩織の成績の話題に触れつつも、話は戻る。九校戦に向けた、我が校の内部事情に関して。
「……うん、つまりね。人手不足なのよ、特にエンジニア」
「でも、メンバー選定会議はもう明日ですよね?それにお兄様もエンジニアとして」
「本メンバーは問題ないわ、ただ予備員も何人か目を付けておきたいのよ。当日急に来れなくなった、なんてこともあるかもだし」
「加えて来年以降のことにも目を向けると、1年生の中に司波君以外の目星を付けておきたいという欲はあります」
「なるほど」
「…………」ペラ
「清々しいくらい興味無さそうでもう笑っちゃいそう」
エンジニアなんていくら居ても良い。
しかし特別エンジニアを目指している生徒というのも、あまり多い訳ではない。なぜなら基本的に筆記が出来るのならば、実技試験だって相応の結果が出るからだ。そして相応の結果を出せるのならば、より華やかな世界への道も開かれる。表舞台に出ることの少ないエンジニアという職業が人気などとは、お世辞にも言うことは出来ないだろう。
「だからね!清冷さんなら出来ないかなって!そうでなくとも成績は良いんだし!魔法の適正次第では得意な競技とかもあるんじゃないかなって!」
「ない」
「た、達也君はどう思う!?」
「ないのでは?」
「縋る余地もない!」
九校戦で採用されている競技は6つ。
モノリス・コード。
ミラージ・バット。
アイスピラーズ・ブレイク。
スピード・シューティング。
クラウド・ボール。
バトル・ボード。
そしてこの女、清冷詩織。
干渉力が絶望的。
体力はもっと絶望的。
やる気はもっともっと絶望的。
果たしてそんな彼女が出られる競技が、一体どこにあると言うのか?いやない。絶対にない。
「ところで清冷、今日は何の本を読んでいるんだ?」
「あ!達也くんまで諦めた!酷い!」
「『大きなのっぽの古時計に隠された秘密など無い』」
「また変な本を……」
「凄い否定するわね!?なんかもう自分に対して言われたみたいでちょっと泣きそうになっちゃった!?」
「どんな本なんだ?」
「20年くらい前にネットの掲示板に立てられた『"大きなのっぽの古時計"とかいう古の名曲汚していこうぜwwwww』って記事に書かれた、ありとあらゆる罵倒や風評被害を一つ一つ丁寧に取り上げて作者が徹底的な全否定をしていく一冊」
「???」
「凄いですね、何も分かりません」
「何故そんな本を書こうと思ったのでしょうか……」
「作者さん、相当お怒りだったんですかね」
「負の極地みたいな作品だな」
もう既に真由美すらも自分の主張が本の内容に塗り潰されてしまっていることに気が付いて居ないのだが、それはさておき。
今日も始まった清冷詩織の変な本紹介。
中身を見る前に、先ずはそれがどんな本であるのかしっかりと説明させてから目を通す。これを徹底させている達也の中には、警戒はあるが、やはり興味もあるらしい。
今日の本も今の話を聞くだけだと、なんだか負の遺産の様にも聞こえて来るが、不思議なのはその本の外装がなんだか物悲しげな雰囲気を纏っていることか。
「面白いのか?」
「面白い。なにより、読んでいくに連れて作者の感情の移り変わりを実感出来るのが凄く良い」
「そこまで絶賛するほどなんですね」
「うん……最初は作者さんも怒り狂ってて、本当に激しく、けど理論的に否定を行なっていく。けどそんなことを120回くらい続けた辺りで、少しずつ心境が変わっていく」
「120回も罵倒しないと冷めない怒りだったんですね」
「自分は何故こんなことをしているんだろう、って」
「そりゃそうなるでしょ」
スレ……もとい記事は750近くのコメントが寄せられていて、単純計算でも作者は700近くの反論を行わなければならない。そう考えれば120回辺りで正気を取り戻し始めてしまったのは、むしろ早過ぎたくらいだろう。
しかし始めてしまった以上は、戻れない。書き始めてしまったからには、やり遂げる。そこに作者の真面目さが存在する限り。この程度の話にここまで怒り狂ってしまった、作者の純粋さがある故に。
「文章も硬くて、凄く知性が感じられる。それなのにこれでもかと言うくらいに最後まで強い感情が伝わって来る。最後の方にはもう泣いてる」
「な、何故そんなことに……」
「計723もの否定を終えた時、作者は一体なにを思うのか。硬派な文章とは対照的に、簡素で単純なそのタイトルに込められた意図とは。そしてこの作者が次に書いた作品は、一体どういったものなのか……悪意に触れた人間の変化が、とても面白い」
「「………」」
「読む?」
まるで人間の変化を娯楽として消費するのが当然とでも言うかの様なその言葉に、思わず唾を飲み込んでしまった達也と真由美。
しかしそれでも、読んでみたい。
気になってしまう。
結局のところ、自分達も同じように、人の変化を娯楽として消費しようとしている。
そしてもっと言うのであれば、そう……この作者こそまた、自分の変化を、成長を、劣化を、娯楽として提供しているのだ。つまりそれは、最終的にこの作者は、そこで得た新たな自分という存在と、それが生まれるまでの経緯を、売り物にしようと考えたということに他ならない。そう考えたような人間に、変化したということに他ならない。
「……なんで私、ただ本を借りるだけでここまで緊張しているのかしら?」
「ええ、しかしどうせ読むことになりますから。会長からお先にどうぞ」
「うん、借りるわね、清冷さん」
「ん」
いつもよりなんとなく丁寧に受け取ったそれは、しかしそこらの古本屋で330円程度で売られているという事実。
そしてそんな330円の本に自分の主張も目的もあっさり塗り替えられてしまった真由美の姿は、それをしっかり覚えていた鈴音からすれば、何とも哀れなものだった。
「ところで、本当に何も出来ないんですか?清冷さん」
「………」
全員が解散した後、珍しく下校が一緒になった会計の市原鈴音と共に詩織は校門に向けて歩いていた。流石に鈴音では彼女を背負うことは出来ないため、本は鞄の中に仕舞って、歩いているだけで何処かへフラついてしまいそうになるので、手だって繋いでいるが、2人の関係はそこまで深いものでもない。
「……秘密?」
「ええ、秘密です」
「……バトル・ボードなら」
「出来るのですか?」
「開幕、他の人を全員コース外に導けばいい」
「そんなことが出来るのですか?」
「ん、出来る。……私の魔法力は弱いけど、人の心も弱いから」
「……なるほど」
鈴音もまた、以前の達也にかけた詩織の魔法を見ていた。魔法を受けた瞬間、まるで心が抜けた様な姿になった達也。深雪達の声に対して正常に反応するものの、壁に手を突いたり、何故か自ら蹲んだり、言葉と行動が全く噛み合っていない様だった。つまりあれは、達也が見ている光景に対して、達也自身がそれに合うような行動を勝手に取っていたということ。これは確かに競技中に掛ければ、相手を簡単に失格に追い込むことが出来るだろう。その選手にとっては最適な道が、実際にはコース外に向けられていたとなれば、ほんの一瞬しか騙すことが出来なくとも、勢いを考えれば手遅れだ。
「浸る世界の姿次第では、干渉されていることにも気付かないかもしれない」
「なるほど……ただ、そうなれば先ず間違いなく怪我人は出ます」
「ん」
「それにそもそもですが、バトル・ボードでは選手の体やボードに対して魔法で攻撃する行為は認められていません」
「そうなの?」
「ええ、ですから結局は会長の願いは叶わなかったのでしょう。気にせずとも構いません」
「そっか」
それに深雪ほどとは行かなくとも、元々強い干渉力を持っているのであれば、僅か一瞬でも引き込むことはできない。結局、最初から詩織に出番など無かったということだ。
これはこれで良かったと、達也が知れば思うだろう。得体の知れない彼女、鈴音だってそう思った。
「……本の持ち込みはいいの?」
「競技にですか?」
「うん」
「……アイスピラーズ・ブレイクの衣装の一部だと言えば、許されるかもしれません」
「そっか」
「?」
「出ないから、大丈夫」
本を持っていたら、なんだと言うのか。
結局、彼女が何を考えていたのかは分かることもなく、鈴音は門を出て彼女と別れた。……しかし直後、これ幸いとばかりに鞄から本を取り出してフラフラと一人で歩き始めた彼女を見兼ねて、鈴音は思わず再度その手を握って引いていく。放っておけないというか、むしろ手放すのが少し怖いくらいの奔放さ故に。
なお、その後に着いた施設で見たあまりにも大きな生物に対して鈴音が後退りする程に驚いたことは、まあ言うまでもない。
「F・L・T(フォア・リーブス・テクノロジー)?……やっちゃった」