魔法科高校で変な本ばかり読んでる女の話   作:ねをんゆう

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【蟻とキリギリス】

その日、達也は自身の席で1人物思いに耽っていた。考えるのは壬生紗耶香が話していたこと、自身を襲撃してくるブランシュのこと、そして先日話した四葉当主との関係のこと……そのどれでもない。

 

「なんだったんだ、あの魔法は……」

 

達也の頭の中にあったのは、風紀委員に入る前に演習室で披露された清冷詩織が行使した魔法についてだった。

意外にも銃型のCADを使用した彼女は、自身にとって最も得意な魔法とやらを危険性はないからと前置きをした上で達也にかけた。

……瞬間、起こったのは視界の異常。

周囲のあらゆる物や人物が巨大化し、否、自分だけがあまりに小さくなっていく感覚とでも言えようか。それはまず間違いなく精神干渉系の魔法ではあったのだが、それまで全く見たことのない類の魔法でもあった。殺傷性もなく、精神に対してダメージを与える訳でもなく、ただ視界に広がるものの見え方を変えるだけ。……いや、見えているだけではない。歩いてみて、触れてみて、そこには実際に自身が縮小、または他が巨大化したのと同じ感覚が存在していた。困惑した顔をしている周囲の者達に対して、達也が抱いていたのは意外にも興味。

魔法師としてはかなり弱い詩織の干渉力にされるがままに達也は身を任せ、思う存分にその世界の調査を続けた。これほど走っていても、視界の動き自体は遅い。恐らく現実の自分は実際にはゆっくりと移動しており、目の前に広がる世界を肯定する情報取得を行なっているであろうことが予想出来る。ある意味では洗脳されている状態ではあるのだろうが、それは完全な洗脳ではない。自由意志があり、他者とのコミュニケーションもそのまま取ることが出来る。清冷詩織の弱い干渉力も踏まえると、突破することはあまりにも容易く、言い方は悪いがお遊びをするにはピッタリな魔法だと言わざるを得ない。……そして魔法を使っている間、ずっと疲れた様な顔をしている詩織の姿。銃型のCADを使ってはいるが、彼女の感覚としては相手を拘束しているようなイメージなのだろう。あまり負担をかけても仕方がないと達也はその際には少し満足したら魔法から抜け出したが、あの時の興味は今もまだ達也の頭の中に残り続けている。

 

「っ、なんだ?」

 

そんな風にあの時の事を思い返していれば、学内に突如として響き渡った謎の放送によって達也は意識を引き戻された。清冷詩織は今この教室にはいない、エリカ達と共にどこかに連れ去られていった所までは達也も見ていた。

……そしてどうにも喧しい放送の主が学内の差別撤廃を目指す有志同盟とやらであると知る。そういえば似た様な話を以前に助けた剣道部の壬生紗耶香という女生徒から聞いていたこともあって、達也はなんとなくため息を吐きながら席を立ち上がった。風紀委員としてこんなことは許してはおけないだろう、どうせ招集がかかるだろうが、とにかく達也はそのまま放送室へと向かうことにした。

 

 

「遅いぞ司波」

 

「申し訳ありません」

 

達也が放送室に着くと、既にそこには生徒会と風紀委員の上位メンバーが揃っていた。あれで出遅れたというのだから、彼らは本当に直ぐにここに集まっていたのだろう。

 

「状況は……?」

 

「見ての通りよ、今も中で立て篭ってる。こちらの呼びかけには防音性もあって殆ど会話にならなくて」

 

「方針は決まっているのですか?」

 

「壁を壊してまで強引に対処しようとは思わない。……が、このままにしてはおけんだろう」

 

「生徒会としては彼等の要求を飲んで、一度話し合いの場を持ち掛けようと思うの。摩利と十文字くんも同じ意見よ」

 

「ただ問題は、そんなこちらの意見をお相手は全く聞いてはくれないというところだ。そもそも伝える手段もない」

 

「なるほど……」

 

今も部屋に立て篭もり、やんややんやと放送で騒いでいる有志同盟達。扉を壊す事なく、しかし同時に彼等に言葉を届ける術もない。だからこそ、これだけの頭数があっていながら何もできていないという現状がある。

 

(だが、恐らく中には壬生先輩が居る)

 

だとすれば、達也であるならば交渉を行うことは可能だろう。きっと中に居る者達も興奮状態であり、こちらの言葉が聞こえていないのはそういう理由もあるのだろうが、一度会話をした感触で言えば、あの壬生紗耶香がそこまで興奮しているとは思い辛い。

 

「壬生先輩に連絡してみようと思います」

 

「まあ、流石達也くん。手が早いのね」

 

「違います、以前に話した時に強引に押し付けられただけです」

 

「またまた〜♪」

 

「お・兄・様……?」

 

「……またまた〜」

 

冷え始めた妹を取り敢えず今は一度置いておき、達也は壬生紗耶香に連絡を取り始める。彼女の性格を考えれば、そもそも有志同盟の短絡性を考えれば、扉を開けさせることは簡単だろう。元よりこちらは相手の要求を飲むつもりなのだ、そもそも抵抗される理由がない。

 

『はい、壬生です』

 

「壬生先輩ですか?司波です、実はですね……」

 

 

 

「『眠い……』」ガラッ

 

 

 

「……え?」

 

『……え?』

 

扉が開いた。

内側から。

電話越しで2人の声が揃う。

 

開けたのは1人の少女、というか清冷詩織。

差別撤廃の有志同盟が閉じこもっていたはずの放送室から、彼女は何故か目を擦りながら一冊の本を手に持って出て来た。何事もない様に、普段通りに、自分になんの特別性もないとでもいうかの様に。

今この瞬間、内側と外側、両方から困惑の視線で彼女は晒されていた。

 

「………か、か、確保〜!」

 

「は、はい!!」

 

「な、な、な、なんで扉がぁぁあ!?ってかお前誰だぁぁああ!?!?」

 

「……?清冷詩織」

 

「あ〜、ええと、取り敢えず清冷さんはこちらにどうぞ」

 

「深雪……うん……」

 

なんとか出した真由美の必死の指示に、なんとか行動したメンバー達が身体を動かす。中に居た者達は清冷詩織の異端な行動に慣れがある筈もなく、想定外の現状に全く反応することが出来ていなかった。というか十文字でさえも有志同盟の者達を拘束している最中にずっと困惑の表情を隠すことが出来ていない。

ちなみに張本人である詩織は流石に慣れて来た深雪に連れられて、離れた所で本を読み始めている。これも全部この女がしでかした事であるというのに、なんと太々しいことか。

 

……ちなみに、少なくとも生徒会のメンバーの中に詩織が有志同盟のメンバーであることを疑っている者は居なかった。だってこの女がそんなことに興味を持つ筈がない。こんな面倒なことに首を突っ込むくらいなら、廊下で寝転びながら本を読んでいる人間だ。そういう変な信頼だけは、ここ数日で培われていた。

 

「全くもう……全くもう……!もうもうもう!」

 

「んぅぅ……」

 

「か、会長!落ち着いて下さい!清冷さんが死んでしまいます!」

 

「もうもうもうもう!」

 

「んううぅぅぅぅ……」

 

あらかた全員を押さえ込み、事情聴取のために連れて行かれる有志同盟の生徒達。そんな彼等を見ながら、言いたいことは沢山あるのに、それを上手く言葉に出来ないフラストレーションを詩織に発散する真由美の姿。

確かによくやったと褒めたいけれど、確かにお手柄だとは褒めたいけれど、それ以上に何してんだお前!というのが強い。

あれだけ興奮していた人間達の中に居たのだ、本当に何をされるか分からなかったというのに。何を呑気に本を読んでいるというのか、読ませてたまるものか。

 

「ほ、ほんとに誰なのよ貴方!?」

 

「壬生先輩……」

 

そこで堪らず声を上げたのは、つい先程までずっと真由美に対して交渉という名のサンドバッグをしていた壬生紗耶香。

彼女は真由美に対して碌な発言も出来ず、言われるがままにされたフラストレーションを諸悪の根源である詩織にぶつけたのだ。

 

「っ」

 

そもそもの兄との関係から壬生のことをよく思っていなかった深雪は、更に詩織に対しても当たり散らし始めた壬生に対して睨みを付ける。

その威圧感にビクリと身体を震わせる壬生、しかし当たられた詩織の対応は違った。深雪の膝から立ち上がり、手に持った一冊の本を彼女に手渡す。

……またいつものだ。

その場に居る事情をよく知る者達は心の中でそう呟きながらも、その本のタイトルへの興味を抑えることは出来ず、彼女の言葉を静かに待った。

 

「読む?」

 

「な、なによこれ……」

 

「読む?」

 

「よ、読まなっ……ぅ……」

 

詩織の背後から放たれる再度のプレッシャー。

そして周囲からも感じる"いいから読めや"という様な謎の視線。

既に有志同盟の殆どが連れられていってしまい、ただ1人ここに孤立していた壬生に他の選択肢は存在していなかった。彼女は大人しくその本を受け取り読むしかない。

 

「……な、なんの本、なのよ」

 

「『働き蟻は空を見ない』」

 

「な、なによ、ありきたりなタイトルね……それで私に説教でもするつもり?そんな手には乗らないわよ」

 

「『世界侵略編』」

 

「世界侵略編!?」

 

壬生の強がりは一瞬で崩れ去った。

というか本当に、周囲の者達もまた、一瞬でもこいつがまともな本を取り出したと感じてしまったのが間違いだった。こいつがまともな本を持ってくる訳がないのだ。しかもまたそんな中途半端な巻数の本を……

 

「な、なんで蟻が世界侵略してるのよ!?」

 

「主人公は人と同等の意識を持ちながら働き蟻の立場に甘んじていた1匹の蟻。空を見ることなく働き続けた蟻は、ある日、冬の寒さに晒されて思わず餌を落としてしまった時に一つのことに気付いてしまう」

 

「気付いたことって……?」

 

「餌を運ぶ努力を食物連鎖の頂点に立つ努力に変えた方が、効率がいいんじゃないか?と」

 

「絶対に違う!絶対に間違ってる!人と同等の意識持ってる癖に絶望的に知能が追いついてない!」

 

「それから蟻は努力した。てんとう虫に勝つために、カメムシに勝つために、カマキリに勝つために、様々な罠を作って食物連鎖を駆け上った」

 

「な、なるほど、それが世界侵略に……」

 

「そしてそんな事を続けていたある日、蟻は再びとあることに気付いてしまう」

 

「な、なに!?今度は何に気付いたの!?どんな勘違いを……」

 

「そろそろ寿命が来る」

 

「気付きが遅い!けど私も気付いてなかった!やっぱり人と蟻の知能ってそんなに変わらないのかなぁ!」

 

壬生紗耶香、ツッコミ役としての才能を華開かせはじめた一瞬である。彼女のツッコミは気持ちが良かった。そして既にその物語の中に取り込まれてしまっていた彼女は、あまりにも可愛げがあり過ぎた。

 

「つ、続きは!?続きはどうなるの!?」

 

「これ以上は読んでからのお楽しみ」

 

「酷い!?それにこれかなり先の巻数よね!?読んでしまってもいいの!?」

 

「大丈夫、この巻の中では怠け者のキリギリスの過去ばかりが語られてるから。なぜキリギリスが怠け始めてしまったのか、彼はどうして働き蟻の邪魔ばかりをしてくるのか。それがよく分かる名作、ファンの間ではこれを先に読むといいとも言われてる」

 

「へ、へぇ、それなら……」

 

「ちなみにキリギリスの名言は【空を見ろ、海を見ろ、隣を見ろ。生きるというのは、ただそれだけでいい】だよ」

 

「カッコ良すぎる……!キリギリスが想像していた以上にカッコ良すぎる……!!これ知ってる!私に刺さっちゃうタイプのキャラだ!」

 

「丁度この前、全巻電子書籍化されてた。ここで売ってるから、気になったら読んでみて」

 

「あ、ありがとう、読んでみるわ……ああでも、まだ私には有志同盟の仕事が」

 

「あ、半額セールしてる。……漫画化もされるって、ほら」

 

「っ!?!?!?!?!?」

 

瞬間、壬生脳内に電流が走った。

見せつけられた画像。それは蟻とキリギリスが互いに背を向け合い、傷つきながらも笑みを浮かべているキービジュアル。クールで、けれど仕方がないというような笑みをする蟻に対して、キリギリスは少し闇を抱えながらも優しげな顔をして蟻のことを見ていた。

……そう、そのキリギリスの姿は壬生好みど真ん中だったのだ。まるで一目惚れでもしてしまったかの様な感覚、頭の中で何かが爆ぜる。大切な何かが崩れて、胸が高鳴る不思議な心地。しかし何より、壬生がしなければならないことはもう決まっていた。何より優先しなければならないことは、もう定まってしまっていた。

 

「……帰ります」

 

「え、壬生さん……?」

 

「すみません七草生徒会長、やらなければならないことが出来ました」

 

「で、でもあの、まだ討論会の詳細が……」

 

「"そんなこと"に費やせる時間はもうないんです!!」

 

「えぇぇぇえ!?!?」

 

そのあまりの変わり様に真由美は混乱する。

しかし去る前に最後に壬生は詩織に対して綺麗なお辞儀を一つだけして、

 

「清冷さん。ありがとう、私とこの作品を巡り合わせてくれて」

 

「ん……私のおかげじゃない。きっと運命。私が偶然持ってたのも、ここで渡したのも、貴女とこの作品は、きっと最初から出会う運命だった」

 

「〜〜!!……ええ、そうね、私もそう思うの。それでも本当にありがとう!なんだかモヤモヤが晴れたみたいで!気分がとっても良いの!また会いましょうね清冷さん!今度会った時にはこの作品について語り合いましょう!」

 

「うん、待ってる」

 

そうして壬生は晴れ晴れとした笑顔でその場を後にした。そしてその後の数日間、彼女は部活にも顔を出さずに遅刻ギリギリと直帰を繰り返した。有志同盟の集まりにも参加することがなかったのは、最早言うまでもないことである。

 

 

 

「……お前なぁ、寝不足で倒れるって何考えてんだ。俺達はあんだけ忙しくしてたってのに」

 

「う、うるさいわね、桐原くんには関係ないでしょ。……それに、まさか私も洗脳を受けてたなんて今更聞いて驚いてるところなのよ」

 

「違和感とかなかったのか?早めに洗脳は解けてたって聞いたけどよ」

 

「……その、ここ最近ずっと小説を読んでたから、全然頭になくて」

 

「だからさっきまで渡辺先輩に平謝りしてたのか」

 

「お、思い出したらその、本当に色々とやらかしてたなぁって思って……桐原君が突っかかって来てたのも、多分私の変な様子を見てのことなんでしょ……?」

 

「まあそれはそうなんだが、今のお前も俺から見たら十分に様子が変だ」

 

「け、剣道はちゃんと復帰するわよ!?シリーズも大体読み終わったし……」

 

「あの変な一年生からお勧めされたって奴か……まあいいか、お前が戻ってくるってんなら」

 

「……どうして桐原君はそんなに私のことを気にしてくれるの?」

 

「なっ!いや、それは……!!」

 

「もしかして……」

 

「ち、ちがっ!いや、違くはな……!」

 

「桐原君もこの蟻とキリギリスシリーズが気になるの!?」

 

「悪ぃ帰るわ」

 

「ま、待って待って!ごめんなさい!冗談だから!でも一緒に読んで感想を言い合える仲になれるといいかなって思ってるのは本当なの!」

 

「…………ああもう!」

 

その後、好きな相手が言うのならば仕方がないと読み始めた桐原までもこの作品にハマってしまい、2人の距離がより縮まってしまったという話は、まあ本人達の間だけの物でいいだろう。

馬に蹴られて死ぬのは本件の首謀者であった司一だけで十分である。


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