その日の夕方、森崎駿は困惑していた。
優秀な魔法師であると同時に、今日まで見たこともないほどに優れた容姿を持つクラスメイトの司波深雪という女生徒。そんな彼女とお近付きになりたいと食事や見学に誘い、その度に幾度となく拒絶され、逃げられ、困惑され、そうして彼女がそんな自分達ではなく2科の生徒達と仲良くしているのを知ってしまった時、多少ではあるが冷静さを失ってしまっていたことは、プライドの高い彼にしてみれば当然の話であったのかもしれない。
「ウィードの癖に……!!」
学内では禁止されている差別用語。
差別を推奨しているかの様なシステムを作っている癖にどのツラ下げて"禁止用語扱い"してるんだ、と至極当然なことを考えながらも、深雪と共に行動している2科生達に吐き捨てる。
そしてそんな時だった。
そんな雑草共の中に一際美しい花を見つけたのは。
「……彼女は」
背丈は小さく、如何にもスポーツは出来ませんといった儚い雰囲気を持つ1人の女子生徒。しかしその容姿は深雪とは別ベクトルで美しく、食堂でも廊下でも、常に周りの人間に制服を引っ張られながら本を読んで移動している彼女は、なんだか少しのミステリアスさもあって、駿は思わず目を引かれてしまった。
森崎駿は決してロリコンではない。
しかし絹の様な白い髪に宝石の様に美しい青い瞳、整った顔と小さく儚い彼女という存在は、本職がボディガードである彼にしてみれば、やはり潜在的な護衛本能が働いてしまう。2科生である前に、守らなければならない存在。彼女が本に目を取られて何かに頭をぶつけるのを見た時には、思わず足が動いてしまいそうになったほどだ。それ程に彼女には人を不安にさせるような未熟さと、儚さと、同時に駿に守らなければならないと思わせるような何かがあった。
……さて、話は戻るが。
今、森崎駿は校門付近で佇んでいる。
背後には同じ一科生達が、前方には目の敵にしている二科生達と、そんな彼等と行動を共にする深雪の姿が。
そして……本当にどうしてか目の前には、自分に一冊の本を差し出している例の白い彼女の姿が。
「読む?」
「よ、読むって……」
一体どうしてこうなったのか。
最初はただ深雪と一緒に帰ろうと思い、声を掛けただけだった。昼にはあまり話せなかったし、帰りくらいは。そう思ったのに、昼にも彼女を独占していたニ科生達がそれを拒み、カッとなって言い合いが始まった。
所詮は二科生、ただの予備、雑草、背後に居る仲間達が次々にそんな言葉をぶつけていく。そんな様子になれた様に便乗していた駿であったが、なんとなく後ろの方で今も何かの本を読んでいる彼女を見た瞬間に口が開かなくなってしまったのは本当に格好が悪い。
だからそんな己の格好の悪さを誤魔化す様に、先頭に立ってより強く口撃した。そして口撃はいつの間にか攻撃へと変わっていた。
CADを取り出し、それを弾かれ、より頭に血が昇る。そうして仲間達に攻撃の指示を出そうとしたその瞬間に……彼女は現れたのだ。
「読む?」
なぜこのタイミングで?
そう思ったのは敵も仲間も同じだった。
筋肉質な男子生徒と高慢な女子生徒の間を縫う様に現れて、誰より驚いていたのがその2人。そして誰より困惑していたのが森崎駿。
彼女とはまだ面識はないはずなのに。
どうして自分に本を貸そうとするのか。
先程まであれほど騒がしかった周囲は、今はもう耳が痛いくらいの静寂に包まれていた。
「この本は、一体……」
「【武神ドッポ見参〜第1章cute & pretty編〜】」
「え?」
「【武神ドッポ見参〜第1章cute & pretty編〜】」
「え??」
手渡されたのは漫画だったろうか?
しかし見てみるとやっぱり小説。
というか紙の本というのも正直久しぶりに見た。そしてこんなタイトルの本は見た事もなかった。ちなみにタイトルの意味も大体よく分からなかった。
「あ〜……清冷?面白いのか、それ」
「第1章から相当飛ばしてるタイトルね……揚げ物にチョコレートをトッピングして出された気分だわ」
筋肉質の男と赤毛の女が背後からその本を覗き込みながら困り顔でツッコミを入れる。彼等からはもう警戒とか敵意とかは考えられなかった。なんとなく目の前の少女を守る様な立ち位置に居るのは分かるが、何より駿自身から敵意というものが全くといっていいほど消えてしまっていたことが彼等の警戒を解いた何よりの理由であったというのは、駿自身はまだ理解出来ていない。
そしてそんなことには全く興味を寄せる様子もなく、少女はその本について解説をし始めた。
「世界最強の空手家である武神ドッポが、ある日突然別世界の3人の自分と出会う話」
「……え、1章目から?」
一言目から思わずツッコミを入れてしまった。
「なんだっけ、ドッペルゲンガーって奴か……?」
「いや、この場合はパラレルワールド系だろう」
「どちらにしても1話からやる内容じゃないわよね、それ」
「ドッポは至高の強さを求めて空手以外の武道にも手を出していたけど、自分より強い相手には出会えなかった。そこで現れた別世界の自分という存在に対して期待をしていたけど、どうにも彼等の様子がおかしい」
「なんかもうそれだけで怖くなって来た」
先程までのウィードだのブルームだの、そんな雰囲気はもうどこにもない。ここにあるのはただただ困惑、誰も彼もが首を傾げる。謎の美少女が紹介する謎の本を前にして、巨大な謎と少しの興味というスパイスだけが存在していた。
「目の前に現れた3人のドッポ。1人は女装に目覚めたドッポ、1人はゲイバーで働くドッポ、もう1人はそもそも生まれが女性のドッポ。全員が全員、女性の格好をしている」
「うわぁ……」
「キツ過ぎる……」
「それに怒り狂ったドッポは根性を叩き直してやると意気込むが、3人とも女装していないドッポよりも明らかに強かった」
「あ、これやばい」
「大体展開が想像出来るのに読んでみたいという奇妙な好奇心が働いているわ、凄く奇妙な感覚」
いつの間にか目の前のニ科生達と普通に話している駿、そしてそんな駿を受け入れてしまっている二科生達。気分は争いの最中に更に巨大で危険な存在が現れた時の様なそんな感じ。
「女装に目覚めるんじゃないのか?……いや、それでもなお男としての強さを求めるという展開も」
「もっと強い自分が現れて、やっぱり男としての意思を貫いた自分が一番強かった〜なんてのも鉄板よね」
「読む?」
「よ、読まない……」
「男としての強さを知れるかも」
「その理論だと最終的に女装をさせられてそうな気がするんだが……」
「それは読んで確かめて」
「だ、だから俺は読まないって……」
「逃げるの?」
「!」
「ドッポは逃げなかった、この物語の中で最後まで。貴方は逃げるの?出来ないの?強くなることが」
「〜〜〜〜っ!!で、出来らぁ!!!」
「えらい」
……あれ?
なんだか上手いこと乗せられた感じで本をその手に取ってしまう。満足そうに頷く少女は、それを最後に後ろの方へと戻って行き、また新しい本を取り出して読み始めた。
「お前の鞄には一体何冊の本が入っているんだ?」
「……10冊」
「それを持ち歩くだけの体力はあるんだな……」
深雪の兄である男とそんな言葉を交わしているのを見たあと、視線を下ろせば見開きにドッポの顔。なんでこんな物を受け取ってしまったのか。今もよく理解出来ていないのだが、あそこまで言われてしまえば読むしかないだろう。駿は一度溜息を吐いたあと、背後の仲間達に"明日また誘おう"と説得をすることにした。というかもう言い争う様な気力が残っていなかった、今はただ家に帰ってダラダラとしていたい気分。
……やったね!そんな時に読書は最適だ!
うるせぇ
一応、その後に生徒会長と風紀委員長が現れて彼等を咎めに来たのだが、その頃には場の空気もすっかりと凍ってしまっていて、特にお叱りを受けるということはなかった。
ただ別れる直後、司波の兄の方から気になることを言われてしまって……
「その本、かなりのプレミア品だ」
「は?これがか?」
「直近のオークションで450万円という値段で取引された記録がある」
「はぁっ!?450万!?これが!?」
「それでも状態の悪い品だ。残っている事が奇跡に近いくらいの代物。そしてもし、それがこれほどに綺麗な状態で残っているとなれば……」
「なれば……?」
「億単位の世界に、届くかもしれん」
「っ!?!?!?!?」
--後日談--
「そういえば森崎、以前にお前が清冷から借りた本は読み終わったのか?」
「……ああ。まあ普通に面白かったけど、正直小説としては三流というか、期待してたほどじゃなかった」
「ふむ……実はドッポシリーズという古い漫画があるらしいのだが、どうやらこの本はそのドッポシリーズを描く前に作者がとある小規模の同人イベントで売り出した、世界に僅か10部しか存在しない貴重な品らしい」
「せ、世界に10部……?嘘だよな?流石に」
「それが冗談でも間違いでもない。ドッポシリーズは未だに根強いファンも多く、マニアの間では幻の一冊とされているということだ。それこそ例のオークションで改めて存在が確認されるまでは、もう生涯目に出来る機会はないのだと嘆く声も多かったらしい」
「……そんな物をあんな軽い感覚で借りていたのか、頭が痛くなってきた」
「今は買い取った人間が出版社に協力した事で全ページの公開がされているらしいが、それでも本自体の価値は上がり続けている。特に高齢の資産家の間ではドッポ好きを公言している人間は未だ多く、あれほど状態の良い品の存在が知られてしまえば、恐らくそれだけでかなりの大金が動くことになるだろう」
「……なあ司波、それは仕返しなのか?散々ウィードだのなんだの馬鹿にした俺への仕返しか?案外陰湿だな、お前」
「嫌がらせをしているつもりはないが、読み終えたのなら直ぐに返すことを推奨する。改めてこの話を持ち出したのは、つい先程、SNS上で"原本が手に入るのならどれだけ状態が悪くとも1億出す"と言い出した資産家が話題になっていたからだ」
「………司波」
「?どうした」
「ここは素直に言わせてくれ、助かった」
「ああ」
この後、駿は今日まで培ったボディガードとしての全てのスキルと機材を利用して丁重に本を少女へと返しに行った。その際に少女が『ん、読む?』と隣に居たあの筋肉質な二科生に貸そうとしていたので、駿が全力で止めに入って奇怪な目で見られたことは言うまでもない。