魔法科高校の劣等生で設定準拠とか死んでしまうので。
雰囲気だけでお楽しみください。
入学式。
それはいつの時代にも学生達にとって新たな生活の幕開けとなる、不安と期待が入り混じる節目の行事である。
「それではお兄様、行って参ります」
「ああ、行っておいで」
それはこうして最愛の妹を見送る兄であってもそうだ。
これからの生活に期待はある、しかし同時に不安もある。
きっと何事もなく平和に3年間を過ごす事なんて出来ない、その中で果たして自分は全てを完璧に熟すことが出来るのか。完璧に出来なくとも、妹を守り切る事ができるのか。
出来る出来ないの話ではなく、しなければならない話ではあっても、自身の立場と経験から考えられる不安の種はあまりにも多い。
「……さて、どうやって時間を潰すか」
新入生代表として挨拶をする優秀な妹とは違い、兄は筆記試験の成績が良かっただけの2科生、2軍、つまり予備。
答辞を読む妹と早めの時間に来たとしても特別すべき事もなく、時間になるまで暇を持て余す事になるのは当初から予想出来ていた事だった。
とは言えこんな場所で出来る暇潰しなど限られているし、"ウィード"や"補欠"と言われる様な身分の人間が入学式前に校庭で元気にラジオ体操をするのも違うだろう。
兄は取り敢えず事前に携帯端末に入れておいた書籍データを開き、日陰の下で読み漁ることにする。都合良くベンチがあり、人通りも少ないこの場所、無意識にもベストプレイスを見つけてしまったのかもしれない。
見ている書籍は少し前に発売された、魔法と歴史に関する関係を考察した一冊。決して都市伝説染みた眉唾語りではなく、彼が個人的にも唸らされる独特な観点から研究を行なっている、界隈では有名な人物が執筆したものだ。
特別彼のファンということはなくとも、常に新たな発見と視点を齎してくれる彼の最新作を兄は事前に予約していた程度には楽しみにしていたし、実際にこうして読み始めれば没頭するまでは早かった。
妹と別れた際にはまだかなり空き時間があった筈が、ふと気づけばもう40分もない。しかし同時にまだもう少しこうして読書に耽っていられるという事実もある。
このまま没頭し過ぎて時間を逃してしまう事のない様に携帯端末で15分前にアラームをセットし、再度文字に目を通そうとしたところで……彼は気付いた。
「っ!?」
「…………」
少女が本を読んでいる。
何処で?
隣で。
この場合の隣というのは決してベンチが2つあって、その隣のベンチに座っているという事でもなく、本当に同じベンチの隣にいつの間にか少女は腰掛けていた。
驚きのあまり顔を勢いよく少女の方へと向けて立ち上がってしまった兄だが、それでも少女は本から目を離す事はない。どころか突然立ち上がった隣の男子に何の反応も示すこともない。
なぜ今の時代に紙の本を?
彼女はいつの間に自分の横に?
これだけ大きく動いたのに反応が無いのは何故なのか。
疑問は多々ある。
ここだけの話であるが、兄は普通の学生では無かった。戦争における実戦経験があり、所謂護衛役としての訓練も多々受けて来た。有名な忍術使いの胡散臭いハゲに体術を習い、言ってしまえばいくら読書に没頭していようとも、ここまで近くまで見知らぬ人間を無防備な状態で近寄らせる事は決して無い。
……この状況、彼女はその気になれば兄に害を成す事が出来たという事だ。それは護衛として、軍人として、決して許される事ではないし、あってはならない事でもある。
兄の警戒心は高まっていく。
人によっては圧すら感じる程だろう。
けれど少女は本を読んでいる。
本当に兄のことなど一切気にしてない様に、むしろ凄まじい胆力の持ち主だというほどに、集中して本を読んでいる。
「新入生ですね?開場の時間ですよ」
そんな時だった。
硬直状態だった彼等2人に、1人の女子生徒が話しかけて来たのは。
(学内でのCADの携帯……生徒会の役員か、若しくは特定の委員会の人間か)
未だ警戒状態であった少年は話しかけて来た容姿の美しい女性の情報を一瞬でかき集め纏めると、取り敢えず一度目を閉じて息を吐き、全身から力を抜く。
流石にたった1人の女子生徒を相手に全力で警戒している男子生徒というのは奇妙に見え過ぎるだろう、もしかしたら彼女も不審者に話しかける様なつもりで開場の知らせをしに来たのかもしれない。そう考えたのだ。
驚愕に多少の冷静さを欠いていたのは自覚している。兄は普段の落ち着きを取り戻して、目の前の自分より学年が上であろう女生徒に言葉を返した。
「ありがとうございます、直ぐに行きます」
「うんうん。携帯端末もスクリーン型の物を使っている様だし、今年は素直で真面目な新入生が多そうで嬉しいです」
「当校では仮想型ディスプレイ端末は禁止されています、それに仮想型は読書に不向きですから」
「動画ではなく読書ですか、ますます珍しいですね。私も映像資料より書籍資料の方が好きだから仲間が出来たみたいでなんだか嬉しいわ」
ニコニコと話す彼女。
警戒されている様子はない。
どうやら不審者に思われている訳ではないらしい。
それに彼女は左胸に八枚花弁のエンブレムを持つ優秀な1科生であるにも関わらず、花弁のない2科生である兄を見下す様な視線は存在しなかった。むしろそこにあるのは単純な驚嘆、本当にここまで真面目な生徒は久し振りに見たとでも言うような様子。
「しかしこと読書という点においては彼女の方が上手でしょう、紙の書籍を読んでいる人物を自分は久しぶりに見ました」
「え?……まあ」
どうも彼女はそこに兄の他にもう1人女生徒が居るという事を認識してはいても、紙の書籍を読んでいるとは夢にも思わなかったらしい。その上、こうして話しかけられても彼女は未だに本に没頭していた。ちなみに彼の立ち位置から見えるその本の題名は……
【山の主は私の川にラーメンを浮かべる】
「………ラーメン?」
「なんでラーメンを……?」
分からなかった、意味が。
見間違いかと思った、全て。
けれど見間違いではなかった。
同じ様に本の題名に目を向けていた彼女も頭の上に疑問符を浮かべて首を傾げる。
聞いたことのない本の題名。
いや、聞いた事がないのは当然だ。
こんなもの一度耳にすれば簡単に頭から離れる筈もないのに知らないのだから。
山の主はなぜラーメンを川に?
ただこれだけの疑問がどうしても気になって仕方ないし、そもそもそんな話がどうしてあれほどにしっかりとした小説本として成り立っているのか。中のストーリーがどうなっているのか。一体誰が書いた物なのか。あまりに謎過ぎる物を前にして、兄と彼女の頭の中には大きな猿が何故か当然の様に川にラーメンを流している光景しか思い浮かばない。
「あー、ええと……新入生さん?もう会場が開きましたよ?」
「……?」
「いや、首を傾げられても。えっと、会場が開いたので、もう中に入っても大丈夫ですよ?」
「………………会場?」
「え、新入生ですよね?これから入学式なんですよね?」
「………あ」
「今思い出したの!?だ、大丈夫!?ちゃんと持ち物とか確認してある!?」
「………大丈夫」
「そ、そう、それならいいのだけど……」
長い髪を後ろに流し、眠そうな表情でゆっくりと鞄の中を確認する彼女。容姿は端麗だ、それこそ容姿の美しさと魔法の才能が比例する事の多いこの世界では相当の実力者なのではないかと思わせる程に。
けれどとても兄が警戒していた様に暗殺を企てるどころか、出来る様な人間には見えなかった。マイペースというか、私生活すら心配になる様なその様子では。
「えっと、2人は知り合いだったりするのかしら?」
「いえ、自分が読書に没頭していた際にいつの間にか彼女が隣に座っていまして」
「……そうなの?」
「そうなのって……貴女も彼の存在に気付いていなかったの?後から来たのに?」
「…………そうかも」
「だ、大丈夫なのかしらこの子……」
それは人として、生物として。
エンブレムを見るに彼女も兄と同じ2科生、けれどあの容姿だ。魔法が苦手という可能性は少ないだろう。恐らくは兄と同じ様に評価に入らない様な魔法を得意としていたり、尖った魔法を持っているに違いない。
けれど、だとしても、このマイペースさはあまりにも致命的に過ぎる。将来的に魔法師としても、社会人としても、ただベンチから立ち上がるだけで数秒もかけている様な彼女では十分な仕事を行う事が出来るのかは少し考えなくとも想像が出来る。
「えっと……あの、あ、ごめんなさい、君の名前を聞いていなかったわね。私は生徒会長の七草真由美です」
「……自分は司波達也です」
「!!司波くんって、あの筆記試験でとんでもない成績を出した子よね!?前代未聞の高得点って先生達の中でも噂で持ちきりだったのよ!」
「ペーパーテストの話ですから。……それより、彼女は」
「…………?」
「いや、その、名前を」
手放しの賞賛。
純粋な尊敬の眼差し。
まさかそんな風に褒められることになるとは思わず兄は、達也は無理矢理に意識を逸らす。
目の前の生徒会長は有名な七草家の人間であり、あまり踏み込みたくも踏み込まれたくもないという思いもあったからだ。
……しかしそんな彼の思惑も、まあある意味で成功を成したのかもしれない。それ以上に彼を困惑させる事になるという結果を除けば。
「名前?」
「……まさか、自分の名前も?」
「清冷詩織(せいれいしおり)」
「あ、良かった。流石に自分の名前は覚えてたのね」
兄の聞いたことのない苗字。
けれど見方によっては数字落ち(エクストラ)にも聞こえる様な、零、つまりゼロを思わせる様な。しかしやはりその名前を兄は知らない、有名な家系の人間では無いことは間違いない。
「清冷さんって確か……あ〜、筆記試験で23位くらい、だったかしら?」
「……多分?」
「2科生という事は、君も実技が?」
「……壊滅的?」
「か、壊滅的か……」
もちろんそんな言葉を信じる達也ではない。
しかし達也同様に、七草家の人間であり生徒会長でもある彼女ですら清冷詩織と名乗る少女のことをよく知らないという事は確かだった。
……そして兄は核心に触れる。
彼が今最も知りたかった、そのことについて。
「もう一つ、聞かせて欲しい」
「………なに?」
「その本は、どういう本なのだろうか?」
「………これ?」
「あ、それ私も知りたい!どういう本なの?」
「『山の主は私の川にラーメンを浮かべる』」
「いや、だからどんな話なのそれ!?」
思わず真由美も身を乗り出す。
兄もいつになく真剣な目を彼女に向けていた。
「激しい闘争の末に遂に山の主となった大猿が、突然近くの川にラーメンを流し始める話」
「なんでラーメン!?何処から出て来たの!?」
「その山の地権者が上流からラーメンが流れて来るって苦情を受けて見に行くと、猿がただただラーメンを川に流して呆然と見つめている所に遭遇する」
「一体どんな心境で流れていくラーメンを見ているんだその猿は、何か事情があったのか?何の事情があればラーメンを川に流し始めるんだ?」
「最終章では主人公も猿と一緒に川にラーメンを流し始める」
「一体主人公の身に何があったの!?それよりそのラーメンは何処の誰が作ってる物なの!?まさか猿!?」
「意外と面白い、読む?」
2人の前に差し出されたその本。
一先ずそれを真由美が受け取るが、当然達也もまたそれに強く興味を抱いていた。入学式の前、初めて会った人物から手渡された今の時代では珍しい紙の書物。貴重な品ではあるものの、今は何よりその中身に気を取られる。
「これは携帯端末でも読めるものなのか?」
「……古くてマイナーな作品だから、多分ない」
「えっと、私がこれを読み終わったら達也くんにも貸していいかしら?」
「大丈夫、また返しに来て」
「ああ、そうさせて貰うよ」
それだけを言い残して、彼女はその場から去っていった。残された2人の前にあるのは、その奇妙な本だけ。
「……不思議な子だったわね、あの子」
「はい……今検索してみましたが、本のタイトルすらヒットしませんでした。かなり小規模に売られていた書籍の可能性があります」
「嘘!?これそんなレア物なの!?」
「人によっては相当な値を付けるかと」
「……丁寧に扱わないと」
「保存状態もかなり気を配っているようですから」
なお、その後にあの少女が会場と真逆の方向に歩いて行った事を思い出し、2人が慌てて追い始めたのは言うまでもない。達也も久しぶりに妹以外の女性を背中におぶって走った。後で妹に知られた時が恐ろしくて仕方なかった。
--後日--
「……どうだった、達也くん?」
「……正直驚愕しました」
「うん、まさか私もあんな人生哲学にまで触れる様な深い話だったとは思わなかったわ。猿とラーメンに何の関わりが?って思ってた自分が今はもう恥ずかしいくらい」
「昨日麺類を食す機会があったのですが、どうしてもこの本の内容が頭に浮かんで冷静ではいられませんでした。今なら猿の気持ちが少しは分かります」
「…………」
「…………」
「風化させるには勿体無い、名作よね?」
「出版社も作者も既にこの世界に存在しない事があまりに残念です、関連作品すら出てきません」
「……今度また詩織ちゃんに本を紹介して貰おうと思うのだけど、どうかしら」
「付き合います、気になるので」