ただのヤバい人が怪人になっちゃった話(仮) 作:ランバージャック
拳を握って構える。異様な雰囲気に呑まれたゴールデンアワーの芙蓉町には、逃げ惑う仕事終わりのリーマンに、黒煙。携帯で録画を始めるアホ共——は、アスファルトを蹴り上げた散弾で穴だらけになった。
改めて、服が焼け落ちた裸の男に向き合う。
「どっちだ?荻野春吉か……飛田慎一?」
スナップを利かせて指差す、身体中の火傷を完治してみせたこの男は、中々の巨漢っぷりだ。但し、城戸より小ちゃい。
「荻野春吉……おまえどこで俺の名前を?」
「上に居るハズの連中と同じ様な輩に聴いた」
顎で燃え盛る『CLUB杉田』を差してやると、男の顔が一瞬ぽかんと抜けて、みるみる憤怒の形相に染まる。顔も体もピンクの風船みたいに膨らみ、とうとう吼えた。
「おまえっ!おまえがっ!高山達を!!」
「おお!高山仁志は聞いた事あるぜ!他はどうだ?教えてくれよ!俺はアコに居たヤツ何人殺ったんだ!?」
荻野から急激な体温の上昇を感じる。口角泡を飛ばしながら雄叫びを上げると、四肢に頭までもが胴体へ沈み込み、雷の様な勢いで変貌する。胴体だけでそのまま膨れ上がると、硬質な腹甲が前面を覆う鎧と化し、背中は山脈の様に連なった甲羅が完全に塞いだ。格納された手足が巌の様な皮膚に覆われ、数倍太くなって出直してきた、和釘の様な爪も見える。最後に短い尻尾と頭——思わずぴゅー、と口笛が出た。これまで殺した奴よりタッパがデカい。
「随分顔デカくなったな」
「ナメた真似をしたな!若僧!おまえは殺す!」
猛進という感じだが随分遅い、初めて闘う敏捷性皆無の怪人の突撃をひらり躱して、右拳を撃ち込むと、ごきり、と嫌な音が俺の握り拳から聞こえてきた。
「堅っ」
構わずもう二つの右を入れると、砕けた骨が拳から顔を出した。迷わず手首から切断し、口へ放り込む。何とも虚しい味だ。無造作に振るわれた剛腕を再び回避、距離をとって仕切り直す。再びの突撃を跳び上がって回避、空中から甲羅を蹴り付け外食チェーンにご案内、轟音を立てて突っ込んで行ったが、あの堅牢っぷりじゃ鉄筋コンクリートなんて、ビスケットより脆く感じるだろう。現に煙と埃に塗れて、のっそりと姿を現した荻野はピンピンしてる。
その場で二度跳ねて、接近、こっちから仕掛ける。ずんぐりむっくりの奴の頭部の堅さを確かめる、初見殺しの胴回し。
「う゛っ!!」
左足首から先が完全に噛み砕かれた。そのままブン回され、首と全身を使った投げ飛ばしに、奴の口元に収まる足先を最後に光景がブレる。今度はこっちがビルを突き破る番だった。大したダメージにはなっていない、しかし収穫物は素晴らしい——右脚一本で立ち上がり、左太腿をぴしゃりと叩けば、ぼこぼこと傷口の肉が盛り上がり、瞬時に足が元の姿を取り戻す。
奴の咬合力はピカイチだ。ワンコロがマジでワンコロって感じる位には脅威的で、射程圏内に入った際の反応速度も随一、殆ど反射的に首が伸び、必殺の噛み付きを必中の技へと昇華させている。腕や突撃攻撃はお察しレベルだが、アレは頂けない。
「傷が治るのが早いな!トカゲ!」
アスファルトを踏み砕きながら荻野は吼える、身体の埃を叩いて散らし、迫り来る調子良さそうなデブへの対応策を考える。
「い゛アっ!!」
「やっぱ膝か」
一旦地に伏し両腕の勢いのみで跳び上がる、ミサイルの様な低空両脚蹴りが荻野の右膝に直撃し悶絶させる。アキレス腱に弁慶の泣き所、デカくて強い奴は足元をしばいてやれば良いって歴史が言ってるんだ、間違いない。しかし結果は決して喜べるものでは無い、感触として精々膝の皿に罅を入れた程度に留まっている。自重に負けて起き上がれない、荻野の首筋に迫撃のエルボードロップを入れるが、やはり効果は芳しく無い。噛み付きの際に伸び上がる荻野の首の皮膚は、平時には縮こまり、幾重にも重なる柔らかな装甲板として機能する様だ。スタンプも、腹甲に阻まれて効果が薄い。更なる作戦として、比較的脆いであろう身体の末端部分をチマチマ削り取る、若しくは粘膜系への集中攻撃が挙げられるが、一時中断。四肢も頭も完全に甲羅に収め切った荻野は、その場で高速回転をし始めた。マジでどういう理屈だ。
回転数は加速度的に上昇し、哀れなアスファルトが周囲に削り飛ばされて行く。呆れて見守る事数秒、堰を切った様に飛び出し、恐ろしい勢いで地を這う独楽が出現した。跳び上がって雑居ビルにしがみ付くと、暴れ狂う独楽が、周囲に並び立つビル群をブチ抜いて行く様をじっくりと観察できる。最初に俺が車を突っ込ませた居酒屋の入るビルなんか、更なる破壊を受けて完全に崩れ去った。だがアレは果たして、ヤツ自身に制御出来ているのか……ドラッグカーの勢いで、俺がしがみ付くビルへと迫ったと思いきや、急速な方向転換で左奥のビルへと消えて行った。暫く休憩時間みたいだ。
そうと決まれば、しがみ付いたビルの側面を叩き壊してエントリー。中はホストクラブだった様だ。逃げ遅れた客に従業員が、お通夜ムードでシャンパンを啜っていた。完全に諦め切った人間達の最後の晩餐だ。俺も邪魔させて貰おう。ワインクーラーのシャンパンを引っ掴んで、瓶ごと飲み込み、やっとこさ悲鳴を上げ始めた人々を、残さず口に入れて平らげていく。
心配なのは、この俺の再生力という一つの武器が何処から来ているのか、それだけだ。傷の補修を行う人体、怪人体は一体どんな理屈でコイツを行なっているのかは解らない、様々な栄養素を消費しているのではないか、と言う仮説の基に人体を貪る。ビタミンもタンパク質も、カルシウムだってバッチリだ。タフな闘いへの予感と自己投資、傷が付いてもやり直せるなら、立ち上がれるなら、何度でも挑み続ければ良い。
階下からの強烈な破壊音。十六人目を口に詰めながら、そいつが身に着けていた装飾品やらを持ち出そうとしていると、ビル自体が大きく揺れた。ちょっと変な色を出し過ぎた。明らかに制御不能の動きで町中を破壊して回る荻野は、やっとこさ軌道修正を完了し、俺の入るビルへの解体作業に取り掛かった様だ——生き埋めは悪く無い手段だ、俺だって同じ事を考える。
傾き始めた床と壁を蹴り砕いて脱出、向かいのビルへと跳び移って路上に飛び下りる。そこで丁度、ビルの崩落と言う稀有な光景を生で見る事が出来た。粉塵を載せた突風が吹き荒れ、瓦礫が雪崩の様に地面に叩きつけられていく。
たっぷり二十秒、未だ煙るビル跡地に蠢く影が見えた。両頬を張ってスプリント、完全な荒地となった芙蓉町の一角を駆け抜ける。散乱する瓦礫の山を蹴飛ばし——緊急回避。何かが地中から、踊り出た。
宙を舞う黒光りする身体は、強烈な異臭を放つ粘液に塗れ、奇襲には回避が成功したものの、鼻先にそいつがべったりと掛かった。生活排水と汚泥がミックスされた、悪臭同士の最悪な落とし子だ。反射的にゲロを吐かなかっただけで、国から表彰されるレベルだ。完全に嗅覚が潰された。
「追いついたゾ!トカゲ野郎!」
「アぁ!?クセーんだよ!!喋んな!」
身体中から汚物に塗れた粘液を滴らせる闖入者は、粘着質な音を立てて着地した。細く伸びる頭部にぎょろりとした眼球が光り、黒とクリーム色に別れた体躯は、競泳選手の様に分厚さと滑らかさを両立させている——下水道か!こんなローション怪人が二人居て堪るか!この野郎は、志田川の大将やってりゃ良かったのに、態々俺を追いかけて汚物の中を泳いで来たってのか、マジで近づかれただけで嫌な病気を遷されそうだ。
だからこそ、大口をかっ開いて馬鹿みたいに跳び掛かって来ても、必要以上に距離を取らざるを得なかった。不潔さと不快さが目視出来る分、コイツに触れる事に脳が拒絶反応を送ってくる。ゴキブリの生食の方が千倍マシだ。
「オォ!オォ!ビビってんのか!」
「テメェに触りたくないだけだ!ちゃんと風呂入ってんのかローション野郎!」
瞬間、耳に飛び込んで来た回転音——瓦礫を砕き、弾き飛ばす音。
「クソッ!!」
またしても荻野の回転甲羅だ、紙一重の跳躍に依る回避はコンマ一秒間に合わず、左膝から下と尻尾の先が削り飛ばされた。衝撃で瓦礫の山を転がり落ちる、完全なる俺の落ち度だ。嗅覚が機能しなくなったとは言え、目の前に現れた新たな怪人に気を取られ過ぎた。立ち上がろうと空を睨むと、そこに黒い影が滑り込んで来た。
「野郎!!——ン゛ン゛ン!?」
ヌルヌル野郎の迫撃を退ける蹴り足によって、確かに撃退は成功した。したが、奴の腹に突き立った右脚先から、何かが伝って全身を焼いた。例えるなら、電流。マジかよ。てっきり鰻だと思ってたのに、鰻は鰻でも電気鰻だなんて、別の種族じゃなかったのかよ。また触りたく無くなる理由が出来た。おまけに始まっていた左脚の再生が露骨に遅くなった。立ち上がっても、真夏の炎天下の中で五、六時間運動した後位、全身に力が入らない。
ただ一人無傷の荻野が元気よく折り返してくる。未だ踝まで出来上がっていない左脚を引き摺りながら、大量の粘液をブチ撒いて地面でのたうつウナギ怪人を背に立つ。三つ脚で地面を捉え、フニャフニャの身体に鞭打って跳ね上がる。地面を砕いて前方宙返り、今度は上手く行った。真下を駆け抜ける怪人独楽が放つ風圧を感じ、その回転数も良く見える。左脚が吹き飛んだのも納得の、凶悪な技だ。出来ればその技は封じたい、俺の勘は当たるのか。
背後からは重くくぐもった水音が聴こえる傍ら、尻餅を着いた形の俺の奥底からぞわぞわと広がる、芯が伸びて行く感覚。ここで直前の補給が効いたのか、拳を握り締めると筋肉が機能を始め、血が勢いよく雪崩れ込み、萎びた身体にしっかりとした力が通う。息を吐き出せば、白く煙る水蒸気が噴出した。振り向くと片腕を失くした鰻男と、その粘液が絡まって、へろへろした回転の荻野が見える。狙い通り、掻き混ぜた納豆みたいに粘着物質が身体中を包み込んで、運動エネルギーを大幅に低下させている。加えてあの様では、とっとと回転を止め、口や鼻を塞ぐ粘液を取り除かなければ、エスカレーター式に窒息までのカウントダウンを刻む事になる。
「おぉぉぉぉぉ!!」
跳び上がって爪を立てた全力のスタンプ、回転の止まった荻野の腹甲にほんの少し傷を付けて、爪がへし折れた。しかし十分、馬乗りになって傷目掛けて両拳を叩きつける。やはり鱗が砕け、骨まで無事とはいかないが、少しずつ罅が生じ始めている。やがて、とうとう我慢の限界が来たのか、引っ込めていた荻野の手足頭が出現し、甲羅の反動勢い良く立ち上がった。
「——ぶはっ!西野ぉ!おまえ!如何して来たぁ!?」
「荻野ォ!オレだってなァ!チクショウ!……チクショウ!」
ぬるぬるの癖にさめざめと泣く、鰻男西野。なんか俺を無視して二人で勝手にメロドラマ始めやがった。こっちは右拳を舐めしゃぶって準備万端だ。拾い上げた瓦礫で西野の眼球を狙う、左投げ——ゼリーの潰れる音がし、悲鳴が上がる。
「そろそろいいか?乳繰り合うなら俺が見てないトコでやれよ」
「トカゲェ!!」
激昂した荻野が重量級の足音を響かせやって来る。お互いに向かい合った西部劇の決闘の様に、まさしくその時がやって来る。
剛腕が風を切り裂き迫る。やはり素手での攻撃は俺にとっては欠伸が出る程、鈍い。退がりながら跳び回し蹴りをヤツの拳に突き立てるなど、造作無い。振り抜けば、宙を舞う血潮と指二本。距離を詰め、ヤツの右足の甲目掛けて左脚で踏み抜いた。爪が貫通し、地面にまで縫い留めた。重なる視線、油汗さえ浮かんだ荻野に向かって微笑むと、顔が飛んで来た。ばっかりと開いた口、分厚い顎が迫る。
『スナッフタートル』寄生者:荻野春吉(28)♂
身長:320cm
体重:680kg
堅牢な甲羅と皮膚に守られた重量級の怪人。その重量と筋量故に、単なる体当たりや、手打ちの一撃でさえ必殺級の威力となるが、やはり背負った巨大な甲羅の影響により、敏捷性は低く、肩や股関節の稼働範囲が狭まっている。
その低い機動性を補う為か、甲羅に籠り、回転しながら高速で動き回る攻防一体の技を持つ。ただ、大技の宿命か命中率は高くない。
最も驚異的なのは、甲羅の内側に格納した首を伸ばしきっての噛み付き攻撃。顎の力も然る事ながら、最大でマッハ3に達するとも言われる初速での口撃は、回避という手段を考える間も無く仕留める。