ただのヤバい人が怪人になっちゃった話(仮) 作:ランバージャック
爪と腕力の嵐で生い茂る木々を一掃して行く、夜の山は藪蚊が酷い。靴が汚れるのを嫌った俺は、最初からトカゲくんスタイルだ。鬱憤晴らしの意味合いもある。その遠因を作った城戸は、後ろから呑気に着いて来てる。飛ばした土や木々を、出来るだけ自然にヤツ目掛けて吹っかけるのが、目下の楽しみだ。
標高八百メートルの青笠山は、手軽に山登りが楽しめるとして人気がある。今俺が進むのは道無き道だが、ちゃんと整備された山道も存在していて、週末はそれなりの賑わいを見せている。この山の中腹より少し登った所に、写真が撮られたであろう目的地が存在する。予め、航空写真で周囲を探っておいたが、繁茂する木々の中に、一部露出した屋根と思しき物しか見つからなかった。
建物自体、興味を唆るものでは無いが、そこでどんな楽しい出来事が起きていたのかは、知る必要がある、連中の遣り方を観させて貰おう。それから——立ち止まり、振り返って城戸に目線をやる。片眉を器用に上げた奴は、ほんの一瞬、右に目線をやった。……当然奴も気付くか。如何にも遊園地を出た辺りから、獣臭ェ匂いが鼻につく様になった。一体何処で引っ掛けたのか判らん第三者が、俺たちを追跡して……やっべ、俺のせいじゃん。散々栗林汁を被ったのを忘れてた。或いはあのガスか、どっちもか。
兎も角、ストーカー野郎を迎え撃つ必要があるのに、呆れる程の山中で、それを行うのは好ましく無い所だ。本来は俺の得意とするフィールドではあるんだろう。木々の中に隠れて、獲物を待ち受け奇襲する、なんて、如何にもトカゲ的だ。しかし、迫り来る相手は獣臭を放つ。つまりは、獣系の能力を持った怪人だと推察出来る。そいつが俺と同じく、森や山での戦いに適しているなら、ちょっと困る事になる。
「……着いたぞ、城戸」
「ここが目的地かい?いやはや何とも……」
やがて、藪の中に佇む錆び付いたプレハブが姿を表した。上からの写真じゃよく見えなかったその実態が見えてくる。平屋ではあるが屋根が高く確保され、窓の位置もそれに倣って高い。入り口は正面シャッターの他にアルミ製のドアが見え、大きさは横幅五、六メートルに加え縦は更に長い、乗用車二台は入れられそうだ。そして建造物の周囲を覆う藪には、何かが通った跡がある。森林の湿った土に踏みつけ、埋められた、まだ新しい何者かの痕跡。
俺は低く四つん這いの姿勢を取り、匂いを嗅ぎ、探る。……建物の裏手に、何か埋めている。新鮮な土の匂いの奥から漂う……余りに様々な臭いが重ねり、判別が着かない。
「城戸、お前は何の匂いだと思う?裏手の匂いだ。俺は、人間のウンコと……こりゃ女とヤった時の臭いか?」
「ふむ……。それに、尿や生ゴミ臭もある」
草が擦れる音が近づいて来ている。
「よし、お楽しみは後から確認しよう。中入ってみようぜ」
ずかずかとシャッター前へと進み、爪を立てる。まるで紙切れを裂く様な手応えの無さで、即座に大穴が開き、エントリーが完了する。小屋の中は当然の如くがらんどうで、男と女の汗の臭いが強まった。申し訳程度にもならない消臭剤と、排泄物の臭いまで残留している。最近まで、ここで誰かが生活していた事は間違いない。全て垂れ流しのワイルドライフか、御免蒙りたいね。
「見てくれ、コンドームだ」
喜色満面で城戸が摘んで見せたのは、べっちょりと床に引っ付いたコンドームだった。完全に使用済み、汚ねぇ。他に見つけたのは、ポリタンクと血の跡のみだが、薄っすらとこの小屋で行われていた行為が浮かび上がって来た。
「……城戸、時間みたいだ。客が来る、持て成そうぜ」
「いや、私がやるのは会場の設営だけだ。君が相手をするんだ」
直後、シャッターが完全に吹き飛んだ。更に左右の窓も砕け散り、ガラスのシャワーが降り注ぐ。三体!前から突っ込んで来る毛皮の奴、次に左から飛び掛かって来る毛皮の奴、右からも毛皮が、全く同じ臭いの獣の怪人だ!驚愕に硬直を起こし掛けるが、右に方向転換、左方への尻尾の振り抜きを行い撃墜、爪を立てられたが『蜥蜴のしっぽ切り』ってのは素敵な慣用句だ。切り離した尻尾と共に左の奴は外へ、次!右から来た奴は既に拳の発射体勢を終えている。暴風の如し勢いで迫り来る右拳には、はっきりと手甲鉤の様な物が装着されている。首を振って躱し、返しのカウンターを顎に直撃させる。入りは甘いが足止めには十分、次!前——
「うおぁっ!!チックショ!」
対処が完全に遅れた。前方への方向転換が始まった頃には、既に奴の射程圏内だった。何とか肩を掴んで噛み付き攻撃に対処するも、バランスを崩した俺は床に倒れこんでしまった。強靭な膂力でマウントポジションを獲った獣怪人は、執拗なる噛み付き攻撃を上から降らせて来る!身を捩り、首を振ると、顔の直ぐ横をコンクリートごと食いちぎる牙が見えた。その反動のまま、もう一度俺の顔面向かって大口が降りて来る。選択した行動は、唾液の噴射。
「アァァァぁ!!……」
ゴキブリ野郎の外殻を溶かした酸の唾だ。粘膜系にはさぞ効いただろう、押さえ込む力が弛んだ隙に、蹴りで天井まで撥ね飛ばした。立ち上がり、どしゃりと落ちて来た獣の腹に右脚の蹴りを、毛皮を貫通し、肋骨の隙間にガッチリと噛み合った即席の足場。全体重を掛け跳ね上がり、左脚での蹴りを放つ。
「どおらッ!!」
頭が千切れ飛び、完全に沈黙した。残り二体、だが、違和感がある。もう一度構え直すと更にそれは増した。今、目の前にいるのは恐らく右から来た奴。右腕に手甲を付け、尖った耳と前方に突き出た鼻先、強靭な膂力を生み出す太い手足にふさふさの尻尾……狼人間ってこんなカンジか?そうして左方に開いた穴から現れる、最初に場外へ飛ばしたヤツ。左腕に手甲を付け、全く同じ背丈に容姿、毛色。コイツら気持ち悪いぐらいに同じ臭いだ。分身の術でも使ってんのか?……いや、結構その説は正しいかもな。
「来いよワンコロ。どんなタネ使ってんのか知らねぇけど、全員殺せば片は付くんだろ?」
「……お前が『ローチ』を殺した奴だな。それと……如何してお前が居る、『マンティス』」
……マンティス。城戸の事か?そういや、アイツ会場の設営とか言ってた割に、何もしてねぇじゃねぇか。
「君たちが始めた事への報復だよ。しかし、私は戦わない。やるのは……彼だ」
心底悍ましいウインクなんぞ俺に飛ばして、城戸はそう宣言し、両手を指揮者の様に振り上げた。瞬間、無数の鋼線が袖口から飛び出し、小屋中の壁という壁から天井まで覆い尽くし、更に張り巡らされた鋼線の上を埋め尽くす鎌が展開し、猛烈な回転を始めた。
「会場設営ってこういう事かよ。……痛って」
確認の為差し出した小指が、回転する鎌に当たった途端に切り飛ばされた。直ぐに生えてくるが、全身こんな所に突っ込んだら、即死は免れないだろう。
「お前も災難だったな、仲間の仇討ちをお望みか?俺が仇だよ。でも、城戸は俺とお前に金網デスマッチをさせたいらしい。……だよなァ!」
「そうとも!進化した君を魅せてくれ!」
いい笑顔だ。首を振って嘆息し、狼男を見遣る。
「……俺は『ウルフ』。お前も、名前を言え」
「藤堂海斗!!いくぜェ!!」
接近し、先手を奪う左のフックを見舞ったが、敢え無く右のガードに弾かれる。ならばと右腕の爪で腹を裂こうとしたが、毛が多少散っただけに終わる。そうこうする内に、二体目が視界の端から飛び込んで来る姿が見えた為一時撤退、距離をとる。毛皮は天然の鎧って言うし、しっかり切り裂くには腕力では不足するか。何とか隙を生み出して、決定打を与えなければならない。
今度は手甲付きが突っ込んで来る、見え見えの左腕の一撃——に、そいつの背中を足場に跳躍するもう一体!
「うおおおお!!!」
回避に流れた身体の肩口を蹴られ、吹き飛ばされる。何とか地面に爪を立てて後退を防いだが、再び尻尾が千切れ飛び、背中が少し削られた。また何つー舞台を整えてくれたんだ。
「おもしろっ!」
息つく暇なく左右から襲い来るワンコロ二体、地面へべったりと這いつくばった四つ脚のまま、弾丸のように飛び出す。奴の膝より下の位置に深く深く抜け、右爪を起点に急転換、手甲無しに足払いを仕掛ける。奴がすっ転ぶ光景を確かめる間も無く急襲する手甲有りに、跳び上がってドロップキックを見舞った。
「ぎっ」
城戸の張り巡らした地獄のミキサーに血煙が舞う。瞬く間に解体され、粉微塵になった獣の血が小屋中に飛び散り、真っ赤な模様替えが完了した。
「やってくれる……!」
「これで二人っきりだな」
二人してお揃いのべべ、血みどろ色に臓物ボタン。何時の間にか、狼男の両手に手甲が装着されている。……さて、勝つ方法は何処に転がってる?ゴキブリ男の時とはワケが違う。相手は脅威的な膂力と敏捷性を併せ持ち、毛皮の鎧に身を包んでいる——素早く左の交換会が始まり、位置が入れ替わる。両手に着けた鉤のお陰か、彼方のリーチは長い。数枚の鱗が宙に散った。もう一度、左脚で大きく踏み込み、奴の右脚の踵までピッタリ。後退を防ぐ一手に大外をブン廻す右、顔を捉える感触。だが、毛皮と頑丈な頭蓋によって、芯まで届かない。返しに飛んで来るアッパーを後方への跳躍と上体の反らしで対処、顎にシェーバーが通り過ぎる感触がする。もっと怖いシェーバーが背後に近づいた。迫撃の右脚中段を左腕で受け止めると、骨の軋む音が聞こえた。更なるステップインで脚を替え打ち込まれる、右の上段——を屈んで回避し、無防備な軸脚に飛び付く。そのまま抱え上げ、変則的な巴投げに移行する。背中に爪が食い込んだが気にしない、衝撃音と高速の裁断音、唸り声。
夢中で飛び付いたが、如何にも中段蹴りを受けた時点で肩が脱臼を起こしていた。立ち上がり、ハメ直す。如何に再生力が高かろうと、今日はあまり無茶はさせられない。そして俺と同じく立ち上がる狼男『ウルフ』。少し位置が遠かったのか、全身バラバラとはならなかったが、最早『ウルフ』とは言えない有様だ。頭上の耳は両方とも無くなり、血を吹き出し、左の指は手甲ごと三本減っている。お互いに満身創痍だが、彼方の方がグロッキーだ。
渾身の右が胸郭に、敢えて受け止めたそれは肺まで達し、文字通りの風穴となる。大きく開かれた口腔が迫り来る、鈍く輝く牙に、飛び散る唾液。そこに、水泳の飛び込みの様に両手を合わせて突っ込み、顎を更に開けさせた。鈍い音がして、顎の関節が外れる音がした。
「大人のキスの時間だ」
思い切り頭を割り込ませ、酸性の唾液がたっぷりと浸みた舌が奴の口中を舐め回り、喉を通って食道をズタズタに溶かしてゆく。散々に暴れる狼男を押さえ込みながら、内側を溶かす事数十秒、両肺を完全な機能不全に追い込んだ舌が、ドクドクと暴れ脈打つ心臓を捉えた。絡め取り、動脈静脈と今生の別れだ。
突っ込んだ頭を抜いて、舌先に絡め取った心臓を噛まずに飲み込む。歓喜の味が全身を満たし、狼男は崩れ落ちた。右蹴り一発。顎を刎ね上げられ、力無く宙を舞った奴は、無数の鎌が渦巻く地獄へと消えて行った。
「素晴らしい!!君は私の誇りだ!!」
気付けば鋼線も鎌も消え去り、城戸に抱き締められて全身を撫で回されていた。
「君はもっともっと進化する!そうして我々の遺伝子を残すのだ!!この世界に降り立った証を立てるんだ!!着実に!確実に!君はそこへ踏み出している!!」
血塗れになるのを厭わず、抱き着き、涙さえ流す城戸は、完全にイッちゃってた。正直、辛勝もいい所だ。城戸の張り巡らした回転鎌地獄が無ければ、森の中で次々とゲリラ戦術を仕掛ける奴との戦いとなったワケで、俺の実力で勝った訳じゃない。——取り敢えず、後回しにしておいた小屋裏の調査が必要だ。
「もういいだろ、城戸。とっとと外出るぞ」
♦︎♦︎♦︎
小屋の裏は薄暗く、地面に苔も生えていた。しかし一部、掘り返されて埋められた場所が存在した。何だか嫌な臭いがする為、手頃な木の枝で掘り起こす事数分、出て来たのは大量のコンビニ弁当の空や、使用済みコンドーム、更に妊娠検査キットまでが、排泄物と共に埋められていた。
「見てみると良い。全部陰性だ」
「見るだけにしとけよ、間違っても手で触んな」
こんな光景後からとっとくモンじゃなかったな、呆れて溜息も出ない。次からはハンバーグは先に食う事を考えよう、そうしよう。
「仕事は終わりだ。とんだ残業だったな……帰るぞ、城戸」
「あぁ、そうしよう。遊園地の前に、私の車を停めてある。帰ろう」
こうして、俺たち二人は青笠山を後にし、帰路へと着いたのであった。
「何処か、寄りたい所はあるかい?」
「……銭湯。銭湯行こーぜ、テメェの粗末なモン見てやっから」
「裸の付き合いか……いいね。こういうの、青春って言うんだろう?」
『ウルフ』寄生者:山中峯也(22)
身長:270cm
体重:186kg
強靭な四肢と敏捷性を併せ持つ、森林の追跡者。
発達した嗅覚と聴力により、標的を何処までも追い詰め、装着した手甲鉤や鋭い牙での噛みつき攻撃を行う。
『群狼』という特殊能力を所持しており、最大五体まで分身を作り出す事が出来る。
この能力による一糸乱れぬ連携を基とした、芸術的な狩の業は、瞬く間に狙った獲物を沈黙させるが、同時に習熟までに大変な時間が掛かるとされ、未熟な使い手では逆に窮地を招くとされる。