ただのヤバい人が怪人になっちゃった話(仮) 作:ランバージャック
濛々と舞う埃に視界を多少防がれたが、十分バッチリ見えている。殴り飛ばした栗林は、既に立ち上がっている。下顎が完全にお釈迦になって、顔面に木片が複数突き刺さっているが元気そうだ。完全に敷居を跨ぐと、ぐちぐちと肉の蠢く音と共に栗林の顎が再生し始めたのだから、間違いない。
室内に足を踏み入れると、木製の床が音を立てて崩落した。舌打ち一つ、一七六の七十一から随分増えたみたいだ。一階で良かった、気にせず砕き進む。
「オメーが宮島達をやったイカレ野郎か?……勘弁しろよ、金輪の連中もとうとうおかしくなっちまったかァ」
「おっ、もう喋れる様になってんの?そそ、俺の仕事振りはどーよ?栗林サンよォ」
栗林は犬みたいな笑みを浮かべ、顔に刺さった木片を取り除いていく。顎は半分ほどが完全に再生し終え、残りは肉が丸見えの部分と、未だ骨だけの再生に留まっている部分が混在している。……コイツがどんな怪人なのかはこれから分かるとして、もしかしなくとも、怪人によって再生能力に差異が在るのかもしれない。イカレ女、牧村に腕を溶かされた時の再生の仕方とまるで違う、コイツのは遅すぎる。或いは、部位の複雑さに依るのかもしれないが。
「上等だよ。俺もお前みたいな匂いの奴には、とんと出会えなくなってなぁ……。すっかり、腑抜けちまってこのザマよ」
「……気づいてなかったのか?なんだ、俺一人盛り上がっちまってたよ。初恋した中坊みてぇによォ」
俺が大袈裟なアクションでやれやれと首を振るその先に、少しずつ拳を握り込んでいく栗林が見える。
「ハッ!それは……残念だったな、こんな野郎でよ。……にしても、金輪の連中上手くやりやがったなァ、突然現れたイカレた野良を制御……してんのか?」
「なワケあるか。連中の話は聞いたが、俺は好きにやってるだけだ」
これだけは言っておかないと、たとえこれから骸になる様な男にでも。自信を持って宣言する。
「だろうな。……藪蛇だったかねェ、竜二のやり様は強引だからな。……ハッ、だけど俺もそいつに夢を見たんだからな」
「夢?」
栗林から感じる殺気が強くなっていく。鱗が逆立つ様な感覚、塵と瓦礫に塗れた部屋が歪んでいく。さっさと姿を見せろ、虫野郎。
「人として、頂点取ってやろう。ってな」
言葉と共に、栗林は変質する。全身は膨れ上がり、巨大な触覚に、顎。艶のある褐色の体躯に、毛がびっしりと生えた腕が四本。背中には翅が——
「どわっ!!」
猛烈な速度で俺に突っ込んで来たソイツに、何とかガードを固める事が出来たのは警戒心の賜物か。だが、勢いを完全に止める事は叶わなかった。背にした薄い壁の建材が、安っぽいウエハースみたいに割れ、崩落し、年代物の埃が視界を乱れ飛ぶ。ほんの一瞬の攻防で、二部屋ブチ抜くまでに弾き出されていた。
「ゴキブリか!虫野郎!!」
何処かで引っ掛けて来た古臭いカーペットを投げ捨て、吼える。1Kも怪しいクソ物件が元気に三部屋繋がった。穴の空いた壁からは白蟻にゴキブリ、その手の害虫が湧き出している。栗林には住みやすい物件だったんだろうさ、お似合いの隣人達に囲まれて、王様みたいに振る舞えるんだからな。
「固ぇなぁ、オメーよぅ」
「当然だ。爬虫類が翅付きの変態に負けるかよッ!」
瓦礫と床材を爆散させながらの加速、突進を敢行する、次はこっちだ。だが、渾身の飛び膝蹴りは空振りに終わり、もう一部屋分が完全に繋がった瞬間、背後から高速のトリプルが襲いかかって来た。当然受けるハメになる、何しろこっちは図体がデカい。出来ることは、頭の位置をほんの少しズラして、後頭部への直撃を避ける事!被弾!だが狙い通り。痛くないと言えば嘘になるが、アイツの言う通り俺が固いのも事実。背後からの衝撃を受け流しながら、左膝と左肩を軸とし、尻尾でバランスを補佐、そのまま右脚を後ろ回し蹴りの要領で大きく振り抜き、その遠心力と尻尾の叩きつけで一気に体勢を立て直し、立ち上がる。途中、足の鉤爪に何か引っかかりを覚えたが……。
「男前になったな、栗林」
「言ってろ」
栗林の顔面に汚くぶら下がる二本の触覚の内、片方が不自然なほどに短くなり、俺の足爪にその亡骸が縋り付いていた。汚ねぇ。
頭を掻くと五、六枚の鱗が剥がれ落ちてきて、生え変わる。対してゴキブリ男、栗林貴俊の哀れな触覚は戻る様子を見せない。これはトカゲ怪人が故の高い再生能力なのだろうか。どちらにせよ、もう勝負は着いた様なモンだ。コイツの特徴は、ただ速いだけで威力がまるで無い。その速さだって、集中すれば急所狙いを外す事は可能だ。と言うより、致命的な打撃力の低さを誤魔化す為に、急所狙いしか出来ないのだ。
まだ最後っ屁を残している可能性はあるが、十分楽しませて貰った。脚を大きく開いて腰を落とし、右手は顔の横に添え、左手はだらりと下げてヒットマン。今日の俺に相応しいスタイルで、改めて相対する。
誰に宣言されるまでも無く、第二ラウンドは幕を開けた。初撃は勿論栗林、ほぼ同時に動き出したのに呆れた速さだ。が、左肩を盾に突っ込んだ甲斐があった、右の二本は伸びきる前に左肩と左上腕に直撃。鱗が剥がれ飛ぶ、左の二本はガードを固めた右手と右肘に——顎。拡げられた大顎の不気味さも然る事ながら、それとはまた別種の寒気を感じる。思考は数百万分の一秒にも満たないものだった。大きく右肘を身体の内に折った体勢から、跳び上がる様にショートアッパーで迎え撃つ。首筋狙いの大顎の軌道を僅かに上方へと逸らす事に成功、噴出した乳白色を気にせずそのまま傍に抜け、迫撃の尻尾の振り抜き——
「だァッ!!」
バットで人をブン殴った感触だ。つまり、文句無しのクリーンヒット。栗林は勢いよく台所に突っ込み、そのまま床ごと基礎を砕いて埋没した。断裂した水道管が部屋中に水を撒き散らし、体液を洗い流してくれたが、頭の熱さまでは奪えない。
「……ぐぅっ!ぁあ!!」
ボコン、とコンクリートから顔を引っこ抜いた栗林の大顎からは、びちゃびちゃと体液が滴っている。今のが効いていなかったら首括る自信がある。
三度の相対、栗林は更なる加速での突貫を遂行した。こちらの動体視力を凌駕する、圧倒的な初速での最高速。左脇腹を撥ね飛ばす最高の一撃、肋骨を砕く乾坤一擲に、悲鳴を上げる間も無く吹き飛ばされ、錐揉み一回転、そのまま床の味を堪能するハメになった。畜生。
急いで立ち上がり、周囲を見渡すと栗林は見当たらない。見当たらないが、ハッキリと近くに居る。匂いと、翅音。このアパートの周囲から、何時でも飛び込んで超高速のギロチン攻撃を見舞うつもりなのだとしたら……。背後の窓は、窓枠ごと破壊されている。ここから出て行き、何処から顔を出す?……迷わず、淀みなく目を瞑り、周囲の音に耳を澄ます——翅音、左後方、来る!
「うらぁぁぁぁ!!!」
「うッせェ!!」
壁を破壊しながら飛来した栗林に、振り向きながら限界まで身体を反らすと、丁度さっきまで首が在った位置に、ぎらりと光る大顎が通過して行く——ここだ!地面に着いた右手を支えに、そのまま左足を無防備な土手っ腹目掛けて蹴り抜くと、がっちりと爪が甲殻に食い込み、柔らかな内臓にまで到達した感触がした。飛来した勢いと蹴撃のエネルギーが合わさった栗林は、天井を突き破り二階まで到達し、そこから更に外へとブッ飛んで行った。
「オラァ!!クソボケがァ!!」
喜びの雄叫びを上げるのも束の間、俺も急いで壁をブチ破り外に飛び出した。栗林の死体を確認するまでは終わらないのだが、どっこいやつは生きていた。切れかけの街灯に照らされた栗林の腕は三本に減り、腹から止め処なく体液を垂れ流している、文字通りの虫の息だが、既に立ち上がっている。
「楽しかったなァ!栗林!テメェもうお終いだよ!!」
ちょっと消化不足感あるが、勝利宣言。止めを刺すべく、呻き声を上げながら、肩で息をするでかいゴキブリ人間に歩み寄る。
「そう簡単によぉ〜、死んでたまるか!!」
直後、猛烈な初速から飛び出した栗林は、黒い風になって一目散に駆け出した。完全に俺に背を向けて。
「おまっ!ここまで来て逃げんのかよ、畜生!!」
最終ラウンドがまだあんのかよ!
♦︎ ♦︎ ♦︎
凄まじい逃げ足で逃走を図る栗林を、四足で追いかける。手負いで自慢のスピードが多少落ちているとは言え、十分警察の検挙対象だ。俺も敏捷性には自信があるが、アイツのちょっとどころでは無い速さの前には霞んでしまう。正しく重力に挑む虎だ。
障害物のあるアパート内での対決は俺が制したものの、広いフィールドでのスピード対決では、どうあがいても勝てそうに無い。俺の勝ち目が狙えるとするなら、傷を負いながら走り続ける栗林を、スタミナが尽きるまで追い回す事。ヤツの匂いは覚えた、究極的には地球上という室内を追い回せば捕まえられる理論だ。アホくさいが確実、確実だが現実的で無いし、そんな時間も無い。それに、人間を襲って傷の治療でもしてみろ、完全な逃げ切りを許す羽目になる。そんな事になったら、もう面倒臭い。
時間にして数十分、この速度での追いかけっこじゃ、疾うに隣の藤木町まで到達してそうだ。藤木町。藤木町って言ったら、奪った携帯の中に、ここで撮った写真が有った筈。仲間との合流が目的の逃走なのか、こりゃ気合入れねーと。
そうして気合を入れ直し、前方を行く栗林に倣って民家の屋根を攀じ登って、はたと気づいた。違う、これは俺の遣り方じゃない。栗林は随分前から、鉄筋系の建物を攀じ登ったり、塀を越えたり、わざわざパルクールの真似事をしているが、怪人にしちゃあ落第点だ。何故そんな回りくどい遣り方で、それもスタミナを無駄に消費する様な——智慧を得たぞ。俺はそのままの勢いで民家に突撃した。
そう、これだ!そもそも俺はもうヤツの匂いを覚えている。目で見てなくとも良い、只々最高速を維持しながら、最短距離で、それが活路になる。ブロック塀を粉砕、お宅に突撃、リビングルームを抜けて、また外へ——馬鹿正直に、追いかけっこに殉じていたさっきまでとは、比べ物にならないくらいに近づいている。恐らく、栗林にはこういう動きが出来ないのだ。負傷しているのもそうだが、俺の様に、鉄筋を壊しながらの最高速の維持が出来ないのだ。ここでも非力と低耐久が祟ったな、身体の頑丈さに感謝!一家団欒中の家族を轢き潰し、また家を破る、ちらと見る上空を、ゴキブリ怪人が飛んでいる。ばたばたと不自然な翅の動きは、明らかに精彩を欠いていた。
「ジャッ!!」
本能的に伸ばした舌が弾丸の様な勢いで飛び出し、栗林に絡みついた。キチンが溶ける音、首を振ってそのまま地面へと叩きつけた。轟音が響き渡り、アスファルトが陥没する。完全なる勝利だ。クレーターの中心では、脚が溶けて折れ曲り、触覚を両方無くしたゴキブリが、じたばたとも出来ずに踠いていた。そいつに向かって唾を吐き掛けると、腹に穴が空いて悲鳴が上がる。これは新発見だ、唾液に何かしらアシッドな成分が含まれているらしい。
「……舌が伸びるのには驚いた、とんだビックリ人間になっちまったよ、俺。……さて」
俺はピエタ像みたいに栗林を抱き起こし、母猫がそうする様にゴキブリ男を舐め清めてやった。悶絶し、絶叫をする子猫は生臭くて香ばしい。ともかく、初めての昆虫食でゴキブリは、ちょっとハードルが高い。先に手足全部食べた方が、昆虫感が無くなって良さそう……いや、止めとこう、手足に毛が多過ぎる。時々電車の中に居る、異常に体毛が濃い癖に、半袖短パンのおっさんより、更にある。こんなもん食えるか、引き千切って棄てちまえ。乳白色の体液が乱れ飛ぶ、あっという間に達磨になった栗林の腹に、塞がりかけの傷がある。そこに手を突っ込み、手頃な内臓を掴もうとして、態と爪でかき混ぜる。たっぷり、悲鳴を住宅街に響き渡らせた後、直接齧り付いた。至福の時間だ。味はその辺のコンビニの揚げ物の方が遥かに上等だが、街灯の微妙な明かりの下、仕留めた獲物を食すという行為は、最高の甘味となり喉を通り過ぎて行く。
抱え上げ、腹の傷口目掛けて舌を突っ込むと、中身がどろどろのジュースになって、流れ落ちてくる。水場にがっつく夏場の運動部みたいに堪能する。
「……ぅごがギ、……どぅ、ぼぁぁぁぁぁ!!!」
まだ、生きているのか。そう言おうとした矢先、栗林の口からは真っ黒いガスが迸った。この状況で得体の知れないモンを出すのか、ちょっと感心して、すかさず鼻を覆う。少し吸い込んだが、一体全体どういう物質を吐き出しているのか、まるで検討も付かない。ガスは夜の暗闇に溶け込み、どんどん拡がっていく。たっぷり三分、吐き尽くした栗林は、そのまま事切れた。面倒な事をしてくれた。
俺はどうするか迷ったが、全部平らげる方を選択した。流石に謎のガス発生源そのものを食った為、ちょっと腹の調子が悪くなったが、人間に戻って、自販機のスポーツドリンクを飲んだら回復した。アレは一体何だったんだ。首を捻りながらの終業だった。
『ローチ』寄生者:栗林貴俊(28)♂
身長:285cm
体重:160kg
圧倒的な初速での最高速を誇るゴキブリ型怪人。
その速度での突撃だけでも驚異的だが、鋼鉄さえ噛み切る大顎の威力も侮れない。
翅を有しているが、飛行能力は高いとは言い難い。
また、赤痢菌等のウイルスを含むガスを口から噴射する事もある。
本来、六本の手足には頑強な棘が無数に生えており、それに依る超高速での削り取りが大きな武器であった。
異界渡りによりその機能は喪失した。