ただのヤバい人が怪人になっちゃった話(仮) 作:ランバージャック
辿り着いたのは、新し目の住宅が並び立つ中にあるメゾネットだった。ここは金輪市の何処ら辺だったか……、バンのドアを勢いよく開けて俺は外の空気を吸い込んだ。
「……ッあー!空気がうめェー!女載せんならなんか焚くかしとけェー!もう二度とテメェの車には乗らねぇ!!」
夜空に向けて絶叫したらフラストレーションの大半は出て行った。高田太をブッ殺したい気持ちは無くならないが、あいつが視界に入らないなら別の話だ。月明かりは信じられない程に滑らかで瑞々しい午後十一時、特別な夜だ。本気でそう思った。
「元気だね……。アー、えっと高田さんって結構タバコ吸うみたいだからさ。許してあげてよ。アタシもどーかと思うけどサ」
この清々しい気持ちに横槍を入れてきた言葉は、一緒にバンを降りた相坂から発せられた。
「アイツお前の事好きなんじゃねーの?勘だけどさ」
「ハァ?高田さんはそんなんじゃないってば」
相坂は笑った。苦笑って感じで。俺には高田が、惚れてる女に近づく変な男を勝手な理屈で守ろうとする、出来の悪い童貞野郎に見えたけど、コイツにとってはそうは見えてないらしい。或いは眼中に無いが故に出て来た言葉かもしれないが、まぁ俺にとっちゃカタツムリの交尾よりどうでも良い話だ。
俺は相坂の言葉通り、104号室の扉を開けた。鍵は開いている。敵意はビンビンに感じる。
「カノンちゃん、ハンカチとかない?俺裸足だからさぁ」
「えぇー……、ヤだ。靴磨きのがあるからコレ使っときなよ」
靴箱の中から差し出された靴墨付きの布切れで足を拭いて、リビングに繋がるであろうドアを睨みつけた。この先に二人いる。
相坂は呑気に靴を揃えたりしている。この無警戒ぶりには腹が立つが……、あくまでこの先には個人的に俺へ恨みのあるヤツが待ち構えているだけ、という証明なのかもしれない。
ドアを開けると何らかの液体が飛んで来た。予め上げておいた左手のガードに掛かり、溶け落ちた。
「痛ってぇな!このクソ女!」
謎の液体を放った女はリビングルームのソファに座ったままだった。俺はそいつを確認すると、一目散に突撃して脇腹に噛み付いたが、歯が肉を切り裂く感触は訪れない。どころか女はするすると延び始めた。俺と同じ様な鱗を生やして。
みぢみぢと俺の体から音がした。気付けばすっかり延びきった女に全身を締め付けられ、何分前に息をしたかすら忘れてしまった。酷い二日酔いに似た倦怠感が全身を襲い、ぼやけた怒号が耳の穴に入ってくる。
ずちっ、と音がした。何本かの歯がガタガタになっているが、ようやっと肉の感触だ。口の中にゲロマズの血が雪崩れ込み、そのまま頭を振って噛み千切った。
女の悲鳴と共に、俺は拘束から解放された。口の中は金平糖みたいに砕けた歯で一杯で、それからコイツは……肝臓だろうか、とにかく酸素が足りない。ミックスジュースを呑み込み、血を撒き散らしながらのたうち回る、クソ無様な女にサッカーボールキックをかまして、ようやく一息ついた。
まだ溶け続ける腕を肩口から切り離すが、体中火のように熱い。酷い二日酔いみたいに平衡感覚を失い、膝から崩れ落ちる羽目になった。この攻防で肩口からもう一度生え始める腕の他にも、体中何処かしらの骨が折られていた。
「薫さん!薫さんってば!」
へし折れたテーブルやらテレビやらで、戦場みたいな有様だ。いつの間にか相坂は首が九十度曲ってる女の下に蹲み込んでいた。隣には三十代位の男もいる。部屋にいたもう一人は男だったか。
「殺して!殺してェ!コイツが殺ったんでしょ!?コイツが!!ユキちゃんを殺した!ユキちゃん!!」
女は死にかけの蝉みたく床で暴れていた。酷い声だ。いい歳した女が、玩具屋で駄々捏ねる餓鬼みたいな声でギャンギャン泣いている。こんな奴の為に全身複数箇所の骨折を強いられたかと思うと、自分が情けなくなってくる。
やがて女は啜り泣きへと移行した。何なんだコレは?俺は一体何を見せられているんだ?転がってる女も徐々に傷が塞がりつつあるのと同じ様に、俺も全身の倦怠感と修復を完了する。そうだというのにこの気持ち悪さは何なんだ?やがて、遅れてやって来た高田が女に跪いて何か言ったりしているが全く耳に入って来ない。
僅かに口内に残った歯の欠片を、鉄臭い唾液と一緒に吐き出し立ち上がる。
「どけよ高田、そいつの息の根止める」
「待て!やめろ!」
果たして伸ばした手は女の首の皮膚を引っ掻くだけに終わった。三本の腕が右腕に取り付いて梃子でも動きそうにない。
「オイ、離せ……気持ち悪ィな。テメェ腕何本あんだよ」
高田は四本足で立つ馬鹿デカイ団子虫になっていた。成程、奴に似合う醜悪な姿だ。ぐねぐねと動き回る触覚が過去最高に気持ち悪いし、口元なんて一生キスに恵まれないだろう造形だ。再生したての左腕で何処からか分からない奴の横っ面をぶん殴ると、よく分からない体液を噴出しながら、シュミレーションをやらかしたサッカー選手みたく吹き飛んで行った。俺はというと、手首の関節が潰れたし、頭から奴の体液を被ったばかりにすっかりやる気を削がれてしまった。シャンプーが二回必要だ。
何とも白ける光景がそこには広がっていた。輝いていたフローリングは血と油と体液で見るも無残だし、女はいつまでも泣いていて収拾がつかない。それをよしよしする相坂も男もすこぶる気持ち悪い。呻き声を上げる高田は仮に人間だったとしても不快だっただろうし、この状況の上から下まで、隅の隅まで気に入らない。
「随分と騒がしくしているね。やぁ、リザード君。君を待っていたよ」
全く意識していなかった二階から声が掛けられ、俺は少しばかり身構えた。階段の上には初老の男が立っていた。相坂や高田とは明確に違う得体の知れない匂いが漂う男だった。
「城戸サンっつーのはアンタだな?お前の仲間気持ち悪ィーぞ。付き合う連中はもっと考えた方がいい」
「如何にも、私が城戸隆。……それにしても気持ち悪い、か。おいで、奥で話をしよう」