ラノベの中のSFいろいろ(その3)『ハルヒ』と「部活SF」
第8回スニーカー大賞を受賞した谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』、僕は発売と同時に買って読みました。
そして、「これは受けないだろうな」と思いました。
面白くなかったわけじゃありません。ものすごく面白かったんです。でも、「これを面白く感じたのは僕がSFファンだからだ」と思ったんです。
退屈な日常にうんざりしていて、SF的でエキサイティングな事件に遭遇することを切望しているハルヒ。彼女の心情に深く共感しちゃったんです。
ええ、確かにSFファンやってるとそう思いますよ。
僕はこんなにSFが好きなのに、なぜSF的な事件は起きないのか。
なぜ異星人の宇宙船が目の前に降りてきたり、異次元への扉が開いたり、タイムスリップが起きたりしないのか。
僕が死ぬまで、この世界ではSF的な事件は何も起きない。
もちろん「そんなのは当たり前だ」「この世界はそういうものなんだ」と分かってはいるけど、どうしても心情的に納得できない。
そうした心情を小説の形で表現したこともあります。『アイの物語』に収録した短編「宇宙をぼくの手の上に」。SF創作サークルに熱中している女性の話です。
現実の宇宙開発は停滞していて、私が老衰で死ぬ前に民間人が気軽に宇宙旅行に出かけられる時代が来るとは思えない。ましてや光の速度を超えて他の恒星系に行くなど物理的に不可能だ。異星人がコンタクトしてくる確率も、ゼロではないけども限りなく小さい。おそらく人類という種は地球の重力に縛られ続け、他のたくさんの知的種族の存在も知らないまま、ひとつの星の上で孤独に朽ち果てていくのだろう。
それを考えると、いつも涙が出そうになる。
この作品を雑誌に発表したのは2003年。書いたのは2002年ぐらいだと思います。
その直後に『ハルヒ』が出たわけですよ。ですからハルヒの心情に共感しちゃいました。ハートに直撃をくらったという感じです。
同時に、これが理解できるのは僕がSFファンだからだろうと思ったんです。SFファンじゃない大半の人は、ハルヒに共感を覚えたりしないだろうと。
ところが。
受けちゃったんですね、これが! 小説は大人気。たちまちアニメ化も決定。2000年代を代表する人気作品となっていきました。
意外でしたね。「みんな、これがOKなんだ!?」と!
でも、評判を聞いていて分かったのは、みんな『ハルヒ』をSFと思ってないということ。どうも大半のファンは「学園コメディ」というジャンルとして、もしくは『ハルヒ』というジャンルとして認知しているようなんです。『ハルヒ』がきっかけでSFにハマる人もあまりみかけない。
読者にとっては、面白ければジャンルなんかどうでもいい――そんな当たり前のことに改めて気づかされました。
でも、確かに『ハルヒ』がライトノベルに大きな影響を与えたことは事実なんです。『ハルヒ』みたいな話――学校を舞台に、登場人物たち(たいていは何かの文化系のクラブもしくは生徒会のメンバー)が、SF的な事件に巻きこまれるというパターンの話が、何作も生まれましたから。僕は「部活SF」と読んでますけど。
そのいくつかをご紹介しましょう。
私立イトカ島学園高校に通う褐葉貴人(かっぱ・たかと)は、かつて覆面少女歌手クドリャフカに電波な手紙を送りまくり、彼女がアイドルから転落するきっかけを作ったという黒歴史を持つ少年。そのクドリャフカこと久遠かぐやがなぜかイトカ島に転校してきて、過去の手紙をネタに貴人を脅迫します。彼女の持つ携帯電話は実は機械に擬態した宇宙人で、それを宇宙に帰すために協力しろというのです。
2人は都立イトカ実業高校ロケット研究部の協力を得て、衛星軌道に乗る「本物」のロケットをひそかに製作するというプロジェクトを開始します。
かつて厨二病だった少年が、電波系の少女の出現で、封印していたイタい過去と向き合わざるを得なくなる、という物語。雰囲気的には、同じガガガ文庫の田中ロミオ『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~』を連想しました。
「この作者、分かってるな」と思ったのは、貴人たちが初めてロケット研の部室を訪れるシーン。
奥のホワイトボードには、ひょろりとした少年が、手にした本をめくりつつ、ものすごい勢いで数式を書きつけている。数学の参考書か何かかと思ったら、タイトルは、海を見る人、と読めた。どうやら小説らしい。なぜに数式がいるのか。よくわからん。
ロケット研究部らしいのは「EⅤロケット、打ち上げ成功!!」という壁に貼られた新聞の切り抜きと、あとは――本棚くらいか。『宇宙船ガリレオ号』、『天の光はすべて星』、『ロケットボーイズ』、『ロケット・ボーイズ2』、『二〇〇五年のロケット・ボーイズ』、『ロケット・ガール』、『夏のロケット』、『なつのロケット』、あとは輝くシールの貼られた箱――『ロケットの夏』、『星空☆ぷらねっと』――。あとは専門書らしき背表紙。『ロケット入門』とか『ロケット工学概論』とか『ロケット物理学』とかその他ロケットロケットロケット。
ロケットがゲシュタルト崩壊しそうだ。
『空想病』、正式名は『突発性大脳覚醒病』という病気が蔓延している世界の物語。この病気にかかってている人間は、強烈な猛烈な妄想に支配されてしまうだけでなく、特殊な脳波で周囲の人間をも妄想の中に巻きこんでしまいます。
主人公の少年・景が出会った少女・結衣も、空想病の患者の一人。『エクレシア・サーガ』というファンタジーを空想しているんですが、発作が起きると彼女の周囲の人たちもそのファンタジー世界にとりこまれ、登場人物の一人になりきってしまうのです。
要するにハルヒ的なキャラクターに疑似科学的な設定を加えた話。結衣の発作が起きると、語り手の景までもその空想に取り込まれ、何が現実なのか分からなくなってしまうという、スリリングだけど笑っちゃう展開。『ほうかごのロケッティア』と同じく、ハルヒ的キャラクターに人気があった時代でした。
中上高校第二文芸部のメンバーが、シェアードワールド小説を創作するために共同で世界設定を構築していたら、それが本当の異世界を創造してしまう……という話。平凡な高校生が世界の創造主だという設定は、『ハルヒ』の影響も感じられますが、エドモンド・ハミルトンの「追放者」がヒントのようにも思えます。
ただ、後半が(ラノベでは)ありきたりの異能力バトルになってしまうのが、ちょっと残念。バトルに逃げずに、高校生が世界を創造してしまうことのテーマ的な重みと、もっと真剣に向き合っていただきたかったところ。
私立山星高校文化研究部の五人の生徒の間で、人格の交換現象が起きはじめます。何の予告もなしにランダムに人格が入れ替わり、数分から数時間で元に戻るのです。
混乱する彼らの前に、〈ふうせんかずら〉と名乗る正体不明の知性体が顧問の教師の肉体に憑依して現われます。そいつが観察対象として五人を選び、この現象を起こしているのです。最初はとまどっていた太一たちですが、しだいにこの異常な状況に順応していきます。でも、この現象は確実に彼らの人間関係を変えてゆくのです……。
この手の“『転校生』もの”も、ライトノベルにはいろいろあります。まあ、たいていは男が女の子になっちゃってさあ大変という、エッチ系のコメディなんですが。
この作品も最初はコミカルな部分が多いです。特に六章の最初で、女の子になった太一たちがやる遊びが大笑い。確かにこれはやってみたくなる!
しかし後半、話はしだいにシリアスに。人格交換がきっかけで、女の子たちが抱えるトラウマや悩みや本音が明らかになり、それを太一(ついた渾名が「自己犠牲野郎」)がどうやって解決してゆくかが見所。
唯のトラウマ克服法も意表をついてたけど、姫子の抱える不安を解消するのに使った手が……いや~、これを言うのはものすごい勇気が要るわ(笑)。高校生活を棒に振る覚悟がないとできんわ。
シリーズは11巻まで続き、太一たちは「人格入れ替わり」だけでなく、「欲望解放」「時間退行」「夢中透視」などの怪現象に振り回されます。どのエピソードでもそうですが、5人がしだいに絶望的状況に追いこまれてゆく展開が重苦しくて、裏表紙の「愛と青春の五角形コメディ」というコピーが空々しく思えます。コメディじゃないよ、これはすでに。
5人の恋や友情にひびが入るけど、最終的に前よりも強い絆で結ばれるという展開が、実に気持ちいいんですよね。アニメにもなりました。稲葉姫子の声が沢城みゆき、いつも〈ふうせんかずら〉に憑依される教師の後藤の声が藤原啓治というのはイメージぴったり。
ちなみに、イラストが「なんか『けいおん!』みたいだな」と思ってたら、イラストレーターの白身魚さんって、『らき☆すた』『けいおん!』のキャラクター・デザインを手がけた堀口悠紀子さんのペンネームなんだそうで。道理で。
ある日突然、安藤寿来を含めた文芸部の5人は、不思議な光を浴び、超絶的な異能を身につけます。これで厨二病的異能バトルの世界に突入するかと思いきや――
半年経っても、彼らの日常には何の変化もありませんでした。
平凡な人間がいきなり超能力に目覚めたために、日常が大きく変わってゆくというのは、SFではよくある話です。近年では『クロニクル』という映画もありましたね。
しかし、異能に目覚めても日常が変わらないというのは、斬新なパターン。
なぜかというと、第一に、戦うべき敵が現われないから。
第二に、主人公の安藤の能力は、手から黒い炎(ただし熱くない)が出せるというしょぼいものだけど、他の4人の女の子の能力はどれもこれも超絶的すぎて、うかつに使えないから。うん、確かにこの能力で戦争を終わらせようとかしたら、『戦場の魔法少女』になりそう(笑)。
結果的に彼らは、文芸部の部室でしょーもない話題を駄弁ることしかできません。要するにこれは、『生徒会の一存』や『てさぐれ!部活もの』みたいな、限定された空間での日常会話が主体のコメディなんですな。
ただ、そこで展開される「厨二病」「異能」「二つ名」などの概念に関する議論は、なかなか本質を突いていて、笑いながらも「なるほど!」「言われてみればそうだよな」と感心させられます。特に大笑いしたのは千冬ちゃんの二つ名! これ以上に衝撃的な二つ名は思いつきません、はい。
これもアニメになりましたね。
他にもこの手の話、いろいろあるんですけどね。僕も全部は把握していません。
ただ、『ハルヒ』以前・以後で、ラノベ世界に決定的な変化が生じたという気がします。模倣作が増えたという意味ではなく、「こんな小説を書いても良かったんだ」と、創作の足枷がひとつはずれて、自由度が増えたように感じるんですよね。