ラノベの中のSFいろいろ(その2)『涼宮ハルヒ』以前
ええっとね、ライトノベルのSFについて論じようと思って、作品をリストアップしはじめたら、けっこう膨大な量になっちゃいまして(笑)、そこでコラムを何回かに分けることにしました。
前回は1980年代の作品を取り上げたので、今回は1990年代から2003年までの話。2003年の『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場によって、ライトノベルの特にSF作品は大きな変貌を遂げたと思うので、その前史を語りたいと思います。
まずは前回に名前だけ出した岩本隆雄『星虫』から。最初は1990年に新潮文庫ファンタジーノベルシリーズの1冊として出た作品で、のちにソノラマ文庫から復刊されました。僕もソノラマ文庫版で読んだくちです。
ある日、宇宙から飛来した謎の生物「星虫」が世界中の人間の額に付着します。大半は簡単にはずれて死んでしまうのですが、ヒロインの友美とクラスメイトの広樹だけは、あくまで星虫との共生を望み、はずそうとはしません。やがて星虫はだんだん大きくなってきて、驚異的な力を発揮するようになる……というストーリーです。
少年少女と、宇宙から来た知性体とのコンタクトという、ジュヴナイルの王道とでも呼ぶべき展開。クライマックスの壮大なビジョンも素晴らしいです。ライトノベルとしてだけじゃなく、90年代日本SFの代表作のひとつとして語ってもいいんじゃないかという気がします。
もうひとつ、ソノラマ文庫のSFとして覚えておきたいのは彩院忍『電脳天使』(1996)。近未来のネットワーク世界を舞台に、人工的に創造された知性体PC(プログラムド・キャラクター)が活躍する話。
SFに出てくる人工知性というとロボットである場合が多いんですが、PCは実体を持たず、電脳空間の中だけに存在するキャラクター。アバターは人間そっくりで、考え方も人間的。ちなみに主人公PCたちは美少年です。これ、今なら腐女子に人気が出るんじゃないかと思います(笑)。1996年は、ちょっと早すぎたのかも?
ちなみに、調べたんですが、作者の性別が分かりません。女性なんですかね?
富士見ファンタジア文庫に話を移しましょう。
滝川羊『風の白猿神(ハヌマーン) 神々の砂漠』(1995)。第6回ファンタジア長編大賞受賞作です。
人類と機械知性の大戦争〈聖戦〉によって文明が崩壊し、地上の三分の一が砂漠と化した時代。主人公の少年・宴は、砂漠で前世紀の〈聖戦〉時代の遺跡を発掘していて、“神格匡体”を発見します。中では謎の少女シータが眠っていました。
神格匡体!
もうこのネーミングだけでかっこいいんですよね。ゲームセンターにコクピット型のゲーム機がよくありますよね? あれが筐体(きょうたい)。神格匡体は直径2メートルほどのポッドで、パイロットが乗りこむと周囲に巨大な“神”が降臨し、実体化します。パイロットによって操られる神同士のバトル! これは燃えますね。あと、主人公たちが反重力で浮遊する空母に乗って砂漠を移動するという設定も、富野アニメ(特に『ザブングル』)を彷彿とさせます。
こんな風に魅力的な設定で、当時は人気も高かったんですが、なぜか続編が出なくて、尻切れトンボで終わっちゃいました。数々の謎は解けないままです。うーん、もったいない。
古いライトノベル・ファンと話していると、よくこの『風の白猿神』の話になるんですよね。発売後何年も、続編を心待ちにしていたファンが多かったんです(もしかして今も?)
あと、90年代のファンタジア文庫というと、野尻抱介『ロケットガール』シリーズ(1995~)も忘れちゃいけませんね。体重の軽い女子高生を宇宙飛行士にしたらロケットが小さくて済むぞ! というオバカな発想からスタートしたシリーズ。しかし科学考証の確かさと宇宙への愛がぎっしり詰まっていて、宇宙好きにはたまらない内容にです。
特にフランスの美少女チームと合同で月着陸を目指す第3作『私を月につきあって』が傑作です。今は早川書房から出てます。
そうそう、賀東招二『フルメタル・パニック!』も1998年スタートなので、ここに入れておきます。ウィスパードというアイデアひとつで、ロボット・バトルと学園コメディを両立させてしまったのには舌を巻きました。
そのロボット・バトルと学園コメディの部分だけが注目されますが、実はしっかりしたSF設定のあるパラレルワールドものでもあるんですよね。
これまで何度もアニメ化されていますが、2018年春から新しいアニメ・シリーズがスタートするのだそうで、これも期待大です。
あと、今回の最後に、個人的にすごく気に入っている作品を1本。
神代創『パートタイムプリンセス』(2002)です。
ある日の午後、平凡な高校生・拓也は、異世界ガラン王国の王女リアンと精神が入れ替わってしまいます。1回だけでなく頻繁に起きる精神交換。拓也は文章を通してリアンと情報を交わしつつ、王国の危機をめぐる陰謀に立ち向かうはめになっていきます。
知ってる人なら誰でも分かりますけど、この小説、元ネタはエドモンド・ハミルトンの『スター・キング』(1947)です。平凡なサラリーマンのジョン・ゴードンが、遠い未来の銀河帝国の王子ザース・アーンと精神が入れ替わる話。こっちの小説の王女様の名前はリアンナです。
1940年代に書かれたスペースオペラが、王子様を王女様に変えただけで、見事に現代日本風のライトノベルに生まれ変わっているのには感心したものです。あと、性転換ものとして、新海誠監督の『君の名は。』にも影響を与えたんじゃないかって気もしますね。
あとですね、僕が驚いたのは、『パートタイムプリンセス』の後半、拓也が現代日本の知識を利用して劣勢からの挽回を図る手段が、エドモンド・ハミルトンの1941年の作品と一致してるってことなんですよ。その作品は『パートタイムプリンセス』が書かれた当時にはまだ日本に訳されていませんので、まったくの偶然の一致なんでしょうけど。
まあ、現代人の知識を異世界で利用する手段のひとつとして、けっこう多くの人が思いついてるんじゃないかって気もするんですが、1940年代のアメリカのスペースオペラ作家の発想が、2000年代の日本のライトノベル作家の発想とシンクロするというのは、とても興味深い現象だと思います。
ちなみに、その手段については、『パートタイムプリンセス』の方がかなり詳しく考察されていて、なるほど現代の小説なんだと感心させられました。