この人は東京の下町の普通、というかちょっと下層の家に生まれた女性だった。
高校を中退して赤坂のクラブで働くうちに、インドネシア初代大統領のもとへ、日本のフィクサーからの「贈り物」として派遣されたのだ。表向きは「秘書」だったが、19歳の美しい女性だった彼女の役割がそれだけではなかったことは明らかだ。
スカルノは日本との関係を良好にするためにデヴィを第3夫人にした。彼女が聡明で魅力的な女性だったことも大きいだろう。

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この国際的な「玉の輿」は、日本でも大きく報じられた。私の母などはパーマ屋に行くたびに「女性自身」などの女性週刊誌で、父親が大工で下町に生まれたデヴィ夫人の華麗な転進をむさぼり読んだものだ。それは「あこがれ」というより興味本位、高校中退の貧しい娘が、人身御供のように外国の独裁者のもとに送られ、シンデレラみたいになるというストーリーは「おいしい話」だったのだ。漏れ聞こえてくる彼女の「生まれついての上流階級」のような発言に対して、多くの日本人は多少なりとも嘲りに近い感情を持ったものだ。

スカルノが失脚して後、デヴィ夫人は遺産の分与を受けて欧米の社交界にデビューし、世界的なセレブになった。その世渡りの手段はありていに言えば「セックス」だった。王侯貴族、権力者と関係を結ぶことで、デヴィ夫人はステイタスをキープしてきたのだ。
いわゆる上流階級は、今も昔も性的乱脈が当たり前だから、デヴィ夫人のような存在が跳梁する余地は十分にあったのだ。

この時期のデヴィ夫人も女性週刊誌にはおいしいネタであった。私の母はパーマ屋で多くの男性と関係を結び「高級娼婦」のようになっていくデヴィ夫人の変転をむさぼり読んでいた。そして必ず「あの人は高校も出ていない」というのが常だった。

21世紀に入ってデヴィ夫人は、活動拠点を日本に移し、タレント活動を始めた。今の若い人は「何だか知らないけど、上流階級出身の変なことを言うおばさん」だと思っている。いわゆる「テレビ珍獣」の一種だ。しかし彼女がどれだけ凄まじい人生を歩んできたかは、ほとんどの人が知らない。

ジャニー喜多川の性加害の問題で、デヴィ夫人がジャニーの肩を持つのは、親交があったことを抜きにしても当たり前の話だ。
彼女は華やかな上流階級を「セックス」と「機転」で遊泳してきたのだから。アイドルになるために権力者に「体を任せる」ことなど「当たり前」という感覚で「何馬鹿なことを言っているの!」と世間を叱りつけたのだ。

今の日本も、テレビ局から政財界まで、デヴィ夫人のような人間が遊泳する余地は十分にある。だからジャニー喜多川の性加害の問題は、文春砲とBBCが報じるまで、ずっと放置されたわけだ。

そういう意味ではデヴィ夫人は、今までの感覚で言えば「至極真っ当なこと」を言ったと言っても良い。


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先発全員奪三振達成投手/1994~2023