窓から糞を捨てるだけが中世の恐ろしさではないと教えてやる(コニー・ウィリスが)
タイトルはいわゆる『窓糞問題』のこと。
界隈ではよく出る話のひとつだ。
ファンタジーに触れたことのある者すべての間で共有されているんじゃないか、というくらいよく出てくる。下水道の存在しない世でのトイレ事情というものを考えれば、容易に納得できることであるが、とりあえずこの話は事実である。おまるの中身を道にぶちまけるということは、当時決しておかしなことではなかった。
信じがたい暴挙に思えるが、この問題の深刻度は人口に左右される。中世の都市人口(良くて5万人)ではたいした問題とはならなかったわけだ。
むしろ窓糞が衛生面で深刻な状況をもたらすのは、近代に入り都市人口が増大してからである。都市設備が汚物を処理しきれなくなると、窓糞問題は牙をむきはじめる。しかし中世ではたいした問題ではない。
前置きはこのくらいにして、今日紹介する本がこちらです。
ではなく、こちらでした。
ドゥームズデイブックという言葉の響きには特級アーティファクト感があり、特定層の心に突き立つ。当時(今も)、特定層だった私はこれをタイトル買いをし、大いに楽しんだ。とても面白かった。
土地台帳を示す言葉だが、最後の審判という意味もある。
タイムトラベル技術の確立された未来(といっても21世紀)の歴史科学生のキヴリンが、研究目的で14世紀イギリスに行くという筋書き。歴史愛好家垂涎の設定。
SFに分類されるがタイムトラベル関連の設定はふわっとしていて、ハードなものではない。メインは人間ドラマにある。
設定には一工夫あり、いわゆるタイムパラドクスが発生するようなタイムトラベルは最初からできないことになっている。時空連続体がそれを許さない、という理屈だ。だからタイムトラベルによって歴史が変わる心配はなく、心置きなく調査目的で当時に飛べるのだ。
心配すべきは当時の社会に自然に馴染めるかどうかだ。これに失敗すると、下手をすれば縛り首にされかねない。だから当時の服装から言葉、設定から全て徹底して再現する。
この時代、たとえ貴族でも清潔とはほど遠い。服装だけではなく、キヴリンは汚れた手や割れた爪まで再現して、タイムトラベルに挑む。
もうひとりの主人公と呼ぶべき存在は、キヴリンの恩師であるダンワージー教授。ロリコンなんじゃないのかと疑うほどキヴリンの身を案じ、時間旅行の中止を主張する。とにかく14世紀は危険なのだ。追い剥ぎがうようよいて、病原菌が蔓延している。下準備も足りていない。なにしろ当時の徒歩旅行者が強盗に遭う確率は冬季で40%以上なのだ。どうやってこの数字を弾き出したのかはわからないがとにかく危ないということで、教授は全力でこの時間旅行に物言いをつける。皆の前でそんな態度とったら特定の学生に激しく思い入れてるってバレちゃうよ教授。
100%絶対に大丈夫です。
根拠なき自信に突き動かされ、恩師の言葉を振り切って14世紀に移動するキヴリン。そして到着するなりトラブルに巻き込まれ、速攻で心折れて帰りたがるキヴリン。根拠なき自信の無根拠っぷりに驚くかもしれないが、ここまで来るとかえって愛くるしい。教授の気持ちが少しわかる。
しかしトラブルのため、帰ることはできなくなる。頑張るのだがどうにもうまく行かない。そんなことをしているうち、キヴリンは現地で黒死病の脅威に直面することになる。
時を同じくして(?)、21世紀でもパンデミックが巻き起こる。
物語は現在と過去、双方で巻き起こる疫病を軸に展開していく。
21世紀で四苦八苦するダンワージと、14世紀で千辛万苦するキヴリンの様子が交互に描かれていく。
21世紀パートは、様々なヒューマントラブルがダンワージー教授を襲うコメディともなっている。次から次へとわけのわからないキャラクターが入れ替わり立ち替わり登場し、教授を翻弄する。こちらでもパンデミックが発生するのだが、どことなくユーモラスな描かれ方だ。この21世紀パートは読んでいてすごく楽しいのだが、14世紀パートが凄惨かつ深刻な展開なので、交互に展開されるととてもやきもきさせられる。
キヴリンは14世紀についた直後、病気にかかってしまい、自力で歩くこともできなくなる。その時に現地の貴族一家に保護されるのだが、最初は言葉ひとつ通じない。
キヴリンは体内に生化学的な翻訳システムを仕込んできていたが、まったく訳が機能しない。現在定説とされてきた中期英語と、当時実際に話されていた中期英語が大きく異なっていたためだ。
懸命に意思疎通の努力を続け、単語レベルで意味を確定していくことで、やっと翻訳が安定するようになる。言葉の問題は厄介だから多くの書き手は避けがちだが、本作では真正面からしっかり描いている。ほんやくコンニャク級の特級アーティファクトでも出せれば話は簡単なのだが、容易に解決しない方がディテールが出るし、事実このくだりはスリリングなものだ。
それとともに当時の不衛生な様子が描写されるのだが、これがまた非常に克明でうっとくるものがある。ごはんを食べながらこの小説を読むのはやめた方がいい。
トイレは容赦なくおまるだし、ベッドシーツは1200年代から交換されていないし、真冬なのに全員が強烈な悪臭を放っている。だいたいがひどい虫歯であり、例外なくノミとシラミを飼っている。もちろんおまる交換をしたあとも手は洗わない。貴族でこれなので、農民はもっとひどい。ウォシュレットなしでは生きていけない現代日本人にとって、軽めの地獄といえる。
物語が佳境に入ると、満を持して黒死病が襲いかかってくる。タイムトラベルは歴史を変えることを許可しない。それを知りながら、キヴリンは愛すべき人々を救うため懸命に抗うわけだが……。ここから先は本作のもっとも盛り上がる部分なので書かないでおく。一言だけいっておくと、知識チートなどは幻想。
本作が気に入ったのなら著作をバンバン読み、コニー・ウィリスに印税をぶちこもう。関連作もいくつかある。
作風は違うからお好みでといった感じだ。
ところで国外旅行ガイドにはさもロマンチックな体験であるかのように「まるで中世へのタイムスリップ!」という惹句が使われるが、この小説を読んだあとはあまり良い印象は抱けなくなる。文弱男子である我々に、タイムトラベルは荷が重い。日光江戸村で十分である。
なお冒頭に紹介した『江戸の糞尿学』もたいへん興味深い一冊で、興味があればぜひこちらも熟読し、うんこ先進国たる母国ジャパンに対する理解を深めよう。