元SF警察が紹介するSFマンガ
元SF警察の者です。
今はもう辞めました。理由は給料が安い(0円)ことと、なにより安定友情粉砕機だったから。もうだいぶ前に辞めている。
さて、私が立ち寄ることの多い赤羽にはサイコロみたいな名の漫画喫茶があり、ここ数年はずっと利用している。いた。自粛中である。
不要不急の漫喫(de満喫)を避け、今回は少し古い話をしたい。
去年の今頃、『彼方のアストラ』という作品が話題になった。ボヤ騒ぎになったのだ。
ジャンプ系では珍しいかもしれない、SF設定の作品である。これがテレビアニメ化されるということになった。それ以前からちょっと話題になっていた本だった。
簡単に説明すると、ギミック重視のストーリーである。中盤から終盤にかけて衝撃的な展開が続く様は、作風こそ違うもののホーガンの『星を継ぐもの』を思い出した(真性SF警察はこんな思い出し方をするだけで怒りそうだが)。
これでわかる人にはわかると思う。ネタバレ厳禁の作品である。
ネットでは原作既読派が未読派に対してネタバレに配慮したコメントをしていたが、やはりどうしても公式プロモーションや既読派の言からは「言えないけどすごいSF作品なんだぜ」的なオーラは滲んでいたと思う。
いや悪くない。まったく悪くない。無実です。本当に邪悪なプロモーションとは、たとえば叙述トリック小説の帯に
『究極の叙述トリック小説爆誕!』
と大書きするような行為を言うのであって、こんくらいいいじゃないかという話である。
とはいっても、来てしまうものは来てしまう。そう、食らいついて来てしまったわけだ。SF警察が。結果、界隈はちょっぴり燃えてしまったようだった。
ちょっぴりで済んだのはまあ、時代と言いますか。SF警察も組織力落ちたなあとしみじみと思わせる、ごく小規模のボヤで終わった。もし全盛期だったらあんな程度では済まなかったろう。こわい。
SF警察の言い分について私はわざわざ調べなかった。検索すればすぐ出てくるだろうけど、しないでもわかることだ。歴史は繰り返す。
この件について言いたいことがあるわけじゃない。
ペルム紀(去年)の出来事だし、そもそも私はSF警察を辞めた人間なので、口出しをする筋合いもない。そしてこうやって人々が争っている間にも文明はどんどん発展していく。
ということで元SF警察であった私が、のびのびと気に入っているSFマンガを紹介しようと思う。
今の日本で、純SFマンガ家(純喫茶的な造語)をひとり挙げるとしたら、他のあらゆるメジャー作家を押しのけてでもこの人を推すことになるかなと思う。警察でもケチをつけにくい純SF寄りの作風には、用心棒的な頼もしさがある。
収録作の「SCF特異昆虫群」を読めばこの作家に合うかどうかが一発でわかるので、人生を少し豊かにするために本書を買い求めてパッチテストを実施しよう。
元々は同人作家だ。
掲載されている作品も、同人誌として個別に販売されていた作品が多いようだ。活動歴は長く十数年前から作品を発表してきたが、単行本が発売されるようになったのはここ数年のことだ。やっと次元が八木ナガハルに追いついてきたらしい。
警察とてこの本には文句はつけられまいとは思うが、逆に「この作家を知っておいでとは同志ですな」と寄ってきてしまうかもしれない。自己責任で。
古典枠というか全盛期枠というか、そういった立ち位置の作品だ。
実は竹宮惠子作品の中で一番愛している。
この本を読んでいると、まるでSF知識がおしゃれであるように錯覚してしまう。もちろんまやかしだ。作家の魔力である。
エリート宇宙飛行士のダンと超能力少女であるニナ(登場時9歳)、17歳差のカップルが織り成すSFラブロマンスである。どう見てもロリータ趣味だが、竹宮マジックで嫌味なく描かれている。これだけ年齢差があってもふたりの力関係は対等に近く、ただ守られるだけじゃないヒロイン、ニナの存在が小気味よい。
多くのエピソードにSFパロディや古典的モチーフが見られるが、借りて済ませただけの安い話はひとつもない。すべてが傑作と言いたくなるくらいに完成度が高い、珠玉の短編集だ。スピンオフ気味の続編もある。
ある程度古典SFを読んでから触れるとより楽しめるのは言うまでもないが、本書から当たって元ネタを逆引きしていくのもおよろしいんじゃないでしょうか。実は昔、そういうサイトを自分で作ろうとしてやめたことがある(やめたんかい)。
竹宮恵子は昔ならケチをつける警官もいたが、今はどうだろうか。
ただ古典作品だけにかえって「竹宮惠子作品の中でもこれを選ぶとはオヌシなかなか(略)」と蒙古襲来のおそれもある。自己責任で。
著者はpanpanyaという方。
サイエンスフィクションというよりはすこし不思議よりの作家で、このくらいに抜け感が出てくると、警察時代の自分はSFとしては認められなかったかもしれない。なんて気難しい生き物なんだ昔の自分。
奇妙な読後感を与えてくる本で、はまる人は一度読むと癖になる。初期作品集はまだ絵が荒いものもあるので、こなれている本書あたりから読みはじめると良いだろう。この作者のエッセンスが濃密に詰まっている。
まず目を引くのが、毎話設定が若干異なる(だいたいは同じなのだが)短編集でありながら、登場人物はいつも同じであることだろうか。主人公は毎回ボブカットの女の子だし、友人はいつも犬かロングヘアの女の子。主人公と絡む男性脇役は部品のような頭の人。スターシステムなのだ。
我々愛読者はこの不変的主人公を「いつもの子」と呼んで慣れ親しんでいるのだった。
実体験的日常に妄想フィルターを重ねたような独特の作風は、SFのようであり、エブリデイ・マジックのようでもある。マンガだけではなく作者が書くコラムや日記からも同じ摩訶不思議感が漂ってくるから、作風というよりご人徳なのかもしれない。
収録されているすべての短編がいいが、あえて一本を挙げるとすれば芋蔓ワンダーランドという話がなんだか格別にいい。
この本を読んでいるとなにやら心がふわふわとしてきて、1/fゆらぎ的な波動を感じ、どちらかといえば世界が平和である方が良いとまで思ってしまう。以前だったらこんな気分にはとてもなれなかった。海外の暴動映像を観ながらビールを飲んでいた私はもういない。警察を辞めて本当に良かった。
この書評はできるだけ電子書籍版を紹介するというルールで書いているが、この作者だけは紙本で揃えるのが良いかもしれない。装幀がどれも凝っているので。
ということで今回はこのあたりで。
いってらっしゃい(エモン)。