活字めし~Ver底辺~
どうも皆さん。上級底辺、田中ロミオです。
本日は『活字めし』というものについて書くことにいたす。
世間には『マンガめし』という概念がすでにあり、インターネットにはそれらを再現しようとするサイトや動画が溢れている。
ただマンガめしは、料理にフォーカスしすぎている気がして、あまりそそらない。同じ理由でグルメまんがというものも、さほど乗れない。やはり料理が主役すぎる気がするのだ。
どちらかと言えば、私は料理自体ではなく、それを食すシチュエーションが気になる方だという気がする。
『文学めし』というものもある。これもやはり少し違う。
駒場公園にBUNDANカフェという店があり、まさにそういったメニューが提供されている。いつだか一度寄ったことがあるのだが、自分でも不思議なくらいピンと来ない。味はすこぶる良くとも、メニュー自体に親しみが持てなければこんなものだ。
谷崎潤一郎の『蓼食う虫』は読了しているけれど、そこに出てくるレバーソーセージのサンドイッチですと言われても、まったく思い出せない。有名作だからといって義務感で読んでも身につかない好例だろうか。
結局、食欲というのは本能的なものであるから、読んでガツンと来ないかぎりはなかなか記憶には染みつかないのだ。文学めしは上品すぎて、いまいち意地汚くなれない。
そんな私がおすすめする『活字めし』はこういったものである。
アル中の中年男が主役を務める、素晴らしきハードボイルド小説。
主人公の島村は、新宿で小さなバーの雇われ店長をしている。そこは変わったバーで、つまみはホットドッグしかない。
島村はひっそりと生きているつもりだが、ある時、訳知りなヤクザが店を訪れ、ケチな店にケチなバーテンがいるぜなどと嫌味を並べつつホットドッグを注文する。人生を半ば投げている島村はさして動じることなく、いつも通りのレシピでドッグをこしらえる。
そのレシピはこんなものだ。
ソーセージをバターで炒める。
千切りにした新鮮なキャベツを放り入れ、塩と黒コショウ、カレー粉で味付けする。
キャベツをパンにはさみ、ソーセージを乗せる。
オーブンレンジに入れ、焼けたらケチャップとマスタードをスプーンで流し入れる。
ヤクザに食わせる。
これにはガツンと来た。
そして生まれてはじめてホットドッグを作った。
味はまあ、レシピのイメージ通りのものだ。それでも旨さ以上に、嬉しい感じがした。空腹は最高のスパイスというが、思い入れも同じだ。
小説の中でもヤクザはこれを口をした途端に態度を軟化させ、島村に助言を残して店を去っていくのである。いいシーンだ。
私はこれをテロルドッグと勝手に呼び、今でもたまに食べる。
芥川賞受賞作であるから読んだ方も多いのではないかと思う。
陰鬱極まる話のようでいて、なぜか面白く読めてしまう不思議な作風。私小説を復権させた作品としての評価も高いのだとか。
北町貫太は日雇い労働で生きる貧しい若者。
貧困のどん底付近にいるが、あまり絶望感はない。底辺にいるにもかかわらず、貫太自身はどことなくユーモラスな存在である。
将来性とか計画性は皆無、入る金はすぐ使ってしまう。それすらたいした使い方ではなく、風俗やワンカップに消える。一日働いて六千円にもならないのに、日々の労働を面倒がる。結果、貧困から何年も脱却することができない。しょうもない。しょうもないが、どこかいじましく、すこし可笑しい。
そんな生活で、貫太は小銭も残らないほど金を使い込むことがよくある。そういう時には飯代をケチるほかない。空腹を抱えて作業現場に向かうバスに乗ると、隣に座った中年労働者がうまそうなコロッケパンやらタマゴサンドをパクつき、漂ってくるよい匂いに貫太は苦しめられる。さらに男はコールスローサラダまでシャクシャクと食いはじめて、貫太はさらに苛立つ。
……というこのくだりは妙味に富んだ描写になっていて、脳にこびりつく。以前に比べ、コロッケパンとタマゴサンドを食する頻度が激増したのは、間違いなくこの本のせいだ。それまではタマゴサンドってそんな好きじゃなかった。
島田清次郎は大正時代の大ベストセラー作家だ。
その代表作である『地上』は、島田が二十歳の時に出版されたもので、これだけでも相当な才気を感じさせるが、当時の文壇でも絶大な評価を受け、実際に売れもした。
二十歳にして人生ロイヤルストレートフラッシュを決めたかに思えた島田だが、その後はイキリ上がって皆から嫌われ、因果応報的に破滅してしまう。享年31歳。えらいこっちゃ。
この島田の壮絶人生に興味をひかれるなら、『地上』より先に以下を読んでもよいかもだ。
えぐいサブタイトル。
代表作の『地上』は第一章が青空文庫でも読める。
主人公の平一郎は、黒い睫毛の長い眼を持つ美少年の深井が、柔道家の長田に稚児になるよう脅迫されているところに出くわし、これを救う。
平一郎は帰宅するとすぐにめしを食らい、満ち足りると、本日演じた武勇伝と、できたばかりの深井との縁について、じっくりねっとり回想する。
ごく短い描写なのだが、妙に気持ちを引っ張られるものがあった。ここは引用しよう。
彼は置かれてあるお膳の白い布片を除けて蓮根の煮〆に添えて飯をかきこまずにいられなかった。そうして四、五杯も詰めこんで腹が充ちて来ると、今日の学校の帰りでの出来事が想い起こされて来た。
島田清次郎『地上―地に潜むもの』(1995年 季節社)
若いったってよく食うものである。
宮澤賢治も玄米四合ト味噌ト少シノ野菜を食うことをデスティネーションとしていたし、当時の食事情からすればこんなものか。
量はともかく、こんな貧しい食事がなんとも旨そうで、真似はできないが蓮根の煮染でめしを食うということはたまにやる。やりながら、そういや子供の頃の自分が、漬物では一切めしが食えなかったことを思い出したりもする。
若い頃にさんざん苦役列車に揺られてきたせいか、粗食ばかり紹介してしまった。
俺もいい歳こいてこれではいかんので、今後はもっと良いものも食べていかねばと思うのだが、とりあえず今食べたいのはヤマザキの100円バーガー(ダメそう)。