山に行きたい!(行きたくない)
山岳小説はいいもんです。読むべき。
この分野にも名著はたくさん。ノーチェックの方ならびっくりするくらいある。最近いい本読んでないなとお嘆きの方、ぜひとも手を出そう。
例によって私も山はやりません。平地大好き。そんな人間でもぐいぐい読めるので大丈夫。
今まで山の小説を読んだことがなく、なんとなく「自分の興味の範疇じゃないな」と感じておられる方の一発目としては「神々の山嶺」が良い。名作です。
紹介するといっても細かく語ることは特にない。ひたすら面白い本である。読むのみ。泣くのみだったりする。
みんな大好き谷口ジロー版(コミック版)もある。
やはり読後は泣く。いや、もう読んでる途中から泣く。悲しくて泣くんじゃないよ。なんだかよくわからない情動に突き動かされて泣くのです。
作家の夢枕さん(大昔ドキュメンタリー番組に出演していた時いちいちこう呼ばれていて違和感が強かった)も本書を脱稿した時にはかなり手ごたえを感じたようで、「この本を越える登山小説はそう簡単には出ないだろう」的な強気のあとがきが微笑ましい。電子版にあとがきがなかったらスミマセンね。
小説版とコミック版、どちらが良いのか。これはどちらでも良いと思っていて。
強いていうならコミック版はかなり山グルメ要素が補強され、読むとレトルトカレーをおかわりしたり、三角座りで食料切り詰めごっこをしたり、リンゴを芯まで囓りたくなる。原作小説版は文体が非常に感染力が強く、脳にこびりつく感じがする。この作品に限ったことではないが夢枕文体は感染症の一種だと思っていて、ひとりでも多くの方に読んで罹患してもらいたい。
ただまあ、ベストは両方行くことでしょう。迷ったら、両方。オタクメソッドは些末な問題の大半を解決してくれる。
ただこの作品にならって湯にチョコレートをとかして飲んでみたが、これは不味かった。平地向きではないようだ。
なんだかんだで細かく語ってしまったが、とにかくこの本を読むと全身の血がカッと熱くなり、作中の天才クライマー、ピカール・サンのような男に自分もなりたいと思……わない。まったく一切思わない。命が大事である。今享受している平地の安らぎに五体投地で感謝をあらわしていきたい。
「神々の山嶺」は創作だが、こちらはノンフィクション。
昭和20年代、北アルプスに山賊がいた――
戦後、著者は持ち主が戦死して権利の浮いていた山小屋を買う。その小屋に行ってみると極悪非道と噂される山賊が住みついていた。ところが実は……という話。
舞台となる黒部は、真夏でも凍死しかねない魔境。
尾根では秒速70メートルの風が吹き、山小屋がちょくちょく空中分解する。
夕立があれば下流域の水位は20メートルも上昇し、高所に張ったテントでも持って行かれることがあるという。
異世界じみた記述が次々と出てくるが、すべて実話だという。
現在では電源開発が進んでいるからそこまでではないはずだが、当時はほぼ人跡未踏の地であったというのも納得だ。
著者は出向いた山小屋で、山賊たちに出迎えられる。いざという時のために懐に刃物をしのばせたというから、そうとうな覚悟だ。ところが山賊たちはいたって友好的、さも山小屋の管理人であるかのような態度で著者を歓待する。その著者こそが本当の管理人であるというのにだ。
黒部で白熊を見たことがあるとか、大木ほどの大蛇が出たとか、佐々成政が隠した埋蔵金があるとか、山賊たちの話はどれも与太話めいて面白い。著者はここで一晩を過ごすと、自分の山小屋に宿料まで払って下山する。山賊はなんと「同じ山を愛する者同士」ということで賃料をまけてくれるのだ。
著者はこれらの体験を踏まえて、じっくり山賊対策を講じようと考えていたのだが、どういうルートでか毎日新聞にスッパ抜かれる。
「小屋にどっかり山賊」
この当時の新聞記事も本書には掲載されている。なんともユーモラスな見出しだが、著者の動揺は計り知れない。山賊の誰かが新聞を読んだら命を狙われるかも知れないのだから、当然の懸念だ。
役所や警察も巻き込んでの大騒ぎとなる。山狩りで全面戦争だ、などという強硬案も出る中、相手をあまり刺激せぬよう再び著者がひとりで交渉役に出向くことになってしまう。
……と、ここまでが序章であり、すでに面白い。
思わず原作者を確認してしまいそうになる。この作風だと誰だろうか。伊坂幸太郎なんていかにもありそうだし、個人的には奥田英朗のようなテイストも感じる。そうした作家の代表作と比べても決して見劣りしない嘘のような実話がここに書かれている。
幾度かの絶版を経てついに電子書籍版が出てくれたおかげで、私もこの噂の名著を読むことができた。電子書籍様、ありがとう。
さて、これらの本を読んで軽い気持ちで山へ行きたくなった人もいるかも知れないので、次に紹介する本の形をした冷水を浴びてください。
タイトル通りの遭難記録本である。
単独行ということであり、ひとりで山に行って遭難し、数日後にやっと救助されるみたいな話のオンパレードとなっている。
ちょっと遭難したけど無事戻れましたみたいな軽いジャブ話が続いたかと思うと、開放骨折→患部腐敗→飲尿で水分補給などというきつめのロシアンフックが飛んでくる。事実の記録と検証に重きが置かれた本なので筆致は淡々としているが、それが逆に怖ろしい。
私はこれを読み、絶対に山には行きたくないと思いつつ、シリーズ全巻読破した。
被害者の方に申し訳ないので面白いとは言いきれないが、どれも非常に興味深い本だった。
山に行くのは覚悟も準備も必要だが、山の本なら軽い気持ちで読める。興味がおぼえたなら是非どうぞ。