雑学

3分で分かる性善説と性悪説の違い!人の本質は善か悪か?性善説で誤解されがちな点も文学部卒のライターがわかりやすく解説

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性善説は生まれながらに善い本質を持っていても、成長していく過程で自分で善い所を伸ばせるようにするのが大切なのだな。他の人間による教えも必要かもしれない。努力をしないのなら、そのまま善い人間に成長していく可能性はかなり低くなる可能性もあるんだな。では、性悪説の具体的な教えはどのようなものだろうか。

性悪説の考え方:人間本来の性質は悪で善の性質は後から身についたもの

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性悪説は、「人間はもともと悪い性質を持っていて、一見善だと見える性質は後から身につけたものである」という考え方。では、性悪説による主張が正しければ、この世に聖人君子のような素晴らしい人は現れないのではないかと疑問に感じる方もいるでしょう。

善の性質を身につけるには本人の努力や周囲の環境が大事

性悪説を説いた筍子は、本来の性質を悪としたのではなく、環境や私利私欲によって悪い方に傾きがちだと主張したかったのではないかといわれています。仁義礼智の中でもことさら「礼」(礼儀作法を守る)を身につけ、教育をすれば善の性質に矯正できるというような内容が続けられるからです。

聖人君子とは、精進して努力をし続けることにより悪い気質を克服したからだということ。努力の重要性を説いているかのようですね。

性悪説が生まれた背景

性悪説が生まれた背景には、筍子の生きた時代が戦国時代の末頃で、世の中がすさんでいたからではないかと考えられています。筍子自身は「斎(せい)」の国で長官に任命されましたが、後に陥れられて出国の憂き目にあったこともあるようです。社会が荒廃し人を敬う礼儀などが軽んじられる風潮に直面して、人の本質は私利私欲の塊だと考えたのも無理はないかもしれませんね。

善の本質を身につける努力をしないならば、世の中が安定しないのではと不安にかられたのではないでしょうか。

性悪説と性善説が一致する部分:自分で善い所を身につける努力が必要

性善説と性悪説は人間の本質について正反対のことを主張しているようです。しかし、性善説は備わった美質を伸ばす努力が必要、性悪説は悪い所を矯正するために継続した努力が必要だと述べています。結局のところ、どちらの説の主張も「善い人でいるには日々の努力や勉強が求められている」ということに尽きますね。

人間の本質を表す説で善か悪かの違いがあるが、努力が大切ということは一致している

性善説も性悪説も中国の儒学の思想。違いは「人間の生まれ持った性質を善とする」性善説、「悪とする(もしくは、悪い方に向きやすい)」性悪説という立場から論じていることです。しかし、善人や聖人となるには本人の努力が必要とされている点は一致しています。

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