論文みたいなSFが苦手な人、集まれぇ
もろ論文そのもののSFを紹介します(ハラスメント)。
ま、たまにはいいじゃないですか。
ハラルト・シュテンプケの鼻行類、レオ・レオーニの平行植物、ドゥーガル・ディクソンのアフターマン。
これらは生物系三大奇書と呼ばれるもので、その筋の人間にはとても愛されている。
この文章を読んでるような方は大半その筋の人間だろうから、これらについてすでにご存じかも知れないが実は知られざる四冊目があって、それが今回ご紹介する本なのである。
……と勝手に言っている。
お気に入りの本なのだ。
たまらなく面白いのだが、はなはだしく地味な本でもある。合わない方には退屈極まりない内容なんだろうと思う。なので筋もの以外にはおすすめしない。
ジャンルとしてはSFミステリーとなるそうで、個人的にはまったく異論はないのだが、三大奇書が「まあ、SF」くらいのものなので同じで良いかもしれない。
ハネネズミという架空の小動物がいて(いないのだが)、まあそいつらが絶滅の危機に陥ると。
たちまちハネネズミ研究ブームが起こるのだが、時すでに遅く、二匹だけしか発見できない。これでは解剖もできない。ということで繁殖計画が立ち上がるが、それもうまく行かない。つがいにしてもまったく発情の気配がない。
繁殖力も乏しく、動作も鈍く、生存するためにまったく役に立ちそうにないハネまである。この生物は今までどうやって今まで生き残ってきたのか、すらわからない。研究は暗礁に乗り上げる。
そこにほとんど敗戦処理の体で研究を引き継ぐのが、表題の明寺博士となる。
本書は博士をはじめとする、本研究にかかわった医学者らが残した記録・学術論文を集めた、という体裁の小説となっている。
論文形式のSFというと、アイザック・アシモフのチオチモリンを思い出す方もその筋には多いのではないかと思う。ああいうの好きなやつのことを筋ものって呼ぶんだよ。かくいう私ももちろんその筋の人間です。
小説とはいうが横書きで、写真や図表がふんだんに用いられていて、しっかりとフェイク論文している。参考文献もほとんどがフェイクだが、さりげなく作者の著書が差し込まれているそなぞ、遊び心ある作り込みが羨ましい。アシモフもそうだが、こういうものを本職(著者は医師)が書いてくれるのはとてもありがたい。門外漢が半端なものを書くよりずっといい。
さて論文形式である以上、記述は至極客観的であり、登場人物の心情はほとんど表現されることがない。はずなのだが、彼らの興味がハネネズミの謎めいた生態を研究する過程で変質していき、生じた葛藤は行間から滲み出てくるようになる。
こういう表現もとてもいい。
ドライな文章なので人によっては途中部分を豪快に読み飛ばしてしまいそうだが、そうすると博士のとある行動が唐突に感じられてしまうから、噛みしめながら文章を追った方がいい。実は全然唐突でもない。
古い本であるしひとつネタバレを。
-----------ネタバレ線-----------
ハネネズミは不老ネズミなのだ。何百年でも生きる可能性が指摘される。
しかし不思議なことに、それは孤立している場合のことにかぎり、他の個体と繁殖することで死のスイッチが入り、いずれは衰弱死してしまう。
その状態に陥らなければ、ハネネズミはほとんど動くこともなく、目立つこともなく、ただわずかな苔だけを口にして何百年も生き続ける。
自己の保存という意味では、それはそれでひとつの回答なのだろうか? 生物学的な虚無がそこにはある。
個体として不老に近くとも、繁殖すると同時に死のスイッチが入るような生物は、未来の繁栄を目指しているとは言えない。ちぐはぐな設計の生物。なんだかおかしい。進化の袋小路に突入するようなもので、ハネネズミは絶滅して当然の進化を遂げたかのようだ。ハネネズミがもし多産であるなら、種の保存に問題はないが……実際のところ一度の繁殖から生まれたのは一匹だけだった。
それすらほぼ自己複製のような個体であったとも示される。
永遠に生き続ける自己。
博士の取った行動も、決して突飛なものではない。
このハネネズミという生物は、研究者の思考に大きな影響を与えずにはいられない。学術研究が気がつけば進化論的死生観へとすり替わっていく。ハネネズミの奇妙な生態が示すものは、生命は必ずしも生のベクトルを目指していないという事実だ。それを突きつけられた時、生物学にかかわってきた者が衝撃を受けるのは当然のことで、事実本作に登場するハネネズミ研究者三人は同じような結末を迎えている。
明確に読み解ける話でもない。個人的には生命進化の意義を巡る研究者たちの葛藤を、静かに、かつ躍動的に描いたのが本書なのだと思っている。相性さえ良ければ、本当にぐっとくる一冊になるはずだ。
なおこの小説には文庫版もあるが、そちらは縦書きにされている上、図版なども多数カットされている。文庫は仕方ないとはいえ、興がそがれることこの上なく、紙の本好きのあなたにも本書については電子書籍版で読むことを推奨する。
なおアシモフのチオチモリン関係の短編は電子版にはないようなので(あるかもしれないが見つからなかった)、古本屋で初期作品集を50円で見つけて買ってください。