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「活発な人で。80歳過ぎなのに一緒にジェットコースターに乗ったことも、海に入ることもあった」。チヱ子さんが脳
ある日、2人で行ったカラオケで「香田晋メドレー」をリクエストされた。引退以来となるマイクに緊張しながら息を吐くと、自分でも驚くほどすんなりとこぶしがきいた。
ふと脳裏によみがえったのは、倉敷のカラオケ喫茶の光景。2段上がっただけの小さなステージは、音程を外しても惜しみない拍手に沸いた。「キャラを演じるうちに、歌うのさえ怖くなっていた。歌の楽しみはこれだよなって、思い出せた」
母を重ね合わせるようにチヱ子さんと過ごした日々は、芸能界で傷ついた心を癒やしていった。18年、自宅で90年の生涯を終えたチヱ子さんは、安らかな顔だった。
逃げ出しても生きていれば役割できる
チヱ子さんを看取った鷲崎さんに芽生えたのは「母は幸せに最期を迎えられたのだろうか」との思い。相談したのが、船村さんがご詠歌を作った縁で交流があった曹洞宗・徳賞寺(福井県美浜町)の粟谷正光住職(74)だ。
「一緒にお経をあげればいい」。粟谷住職は出家を提案。鷲崎さんはチヱ子さんが亡くなってすぐの18年11月に得度した。授けた法名は、船村徹と香田晋から1文字ずつ取った「
芸能生活あっての自分、時には演歌披露
出家後は毎月のように、神奈川県内の自宅から福井の寺に通った。コロナ禍で中断していたが、今年から再び寺を訪れている。日々の座禅で自分と向き合い、変わったことがある。「全てが嫌になったけど、芸能生活があって今の自分がある」と思えるようになったことだ。
「道に迷うことこそ 道を知ること」。求められ御朱印帳に、そう書をしたためることもある。「あの時、芸能界から逃げたからこそ、今の自分もある。どうしてもつらい時は逃げる。生きていれば、ひとりひとりに役割ができるから」
「芸能人だった頃のギラギラした目が落ち着いて、深みが出てきた。『行雲流水』。雲のように自由に世界を見つめてほしい」。粟谷住職は、そう鷲崎さんを見守る。
法話の合間に演歌でこぶしを披露することもある。カラオケアプリにも正体を隠して歌を投稿するが、再生数は多くて数百回。「たまに『上手ですね』とくれるコメントがうれしいんだよ」と笑う。
華やかな芸能界に身を置き、紅白歌合戦やテレビにも出て、人気者になった。「おバカ」を演じて心が押し潰され、好きな歌が歌えなくなったこともあった。
でも、今、この瞬間を生きている。鷲崎さんは笑う。「今の幸せは、妻と飼っている黒猫を大事にすること。あの頃からみれば、小さいと思われるかもしれないけどね」。きらりと光る白い歯を見せて。
大阪社会部 松田智之(まつだ・さとし)記者 2015年入社。広島総局、姫路支局、京都総局を経て21年12月から大阪社会部。大阪府警で事件取材を担当。コロナ禍でなかなか行けないがカラオケ好き。森進一さんの「襟裳岬」が持ち歌。31歳。