おバカキャラ演じた紅白歌手の心は「限界」、逃げ・迷い・仏の道で得たものは…1994年12月[あれから]<28>

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 高校卒業後、栃木県の船村さんの自宅に内弟子として住み込んだ。広い庭の手入れや食事の用意など3年間の修業を経て、89年、船村さん作曲の「男同志」でデビューした。

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 順調だった。巡業で全国を飛び回り、最大のヒット曲「手酌酒」は30万枚以上売れた。94年には夢だった紅白歌合戦の舞台を踏む。緊張で地に足が着かず、青いベルベットのスーツが汗で重くなるほどだったが、スター街道を歩み始めたと信じていた。

成人祝いに船村さんから贈られたギター。サイン入りで「努力とは人生の宝石である」と記してある
成人祝いに船村さんから贈られたギター。サイン入りで「努力とは人生の宝石である」と記してある

 転機もあった。89年のデビュー直前、中学2年での「家出」以来、会っていなかった母と、船村さんの勧めで顔を合わせた。「お互いに敬語。別れ方が家出だったから気まずかった」。7年ぶりの再会だった。

 それから母は息子との時間を取り戻すかのように、地方巡業のたび応援に訪れた。その年末、日本レコード大賞新人賞を受賞した時には客席で涙を流して喜んだ。食事に出かけ、少しずつ親子の会話ができるようにもなった。

 そのすぐ後だった。「たいしたことはないから」と言って入院した母は、急性 膵炎すいえん で41歳で亡くなった。巡業先の舞台袖で母の死を知ったが、そのままステージに上がった。

 「売れたら一緒に住もうかって、そんな話をしたところだったんだけどね」。脳裏に浮かんだのは、家を去る時の、さみしげな母の顔だった。

 その後、演歌の人気が下火になり始めると、少しずつ出番が減った。活路を求めたのが、バラエティー番組だった。新曲告知のため、歌のモノマネ番組にも出演。「化粧して、なりきって歌うとすごいウケたんだよ」。持ち前の明るさもあって露出は増えたが、今度は軸足がズレ始めた。

 「『バラエティーに出たらダメだぞ』。先輩からそう言われてたんだけどね……」。テレビで振りまく笑顔とは裏腹に、心は限界だった。

傷ついた心 癒やしてくれた義理の祖母

 「芸能界をやめて10年がたちました。早いものですね」

宗派の集会で僧侶として講演する鷲崎孝二さん(6月29日、山口市の山口県総合保健会館で)=浦上太介撮影
宗派の集会で僧侶として講演する鷲崎孝二さん(6月29日、山口市の山口県総合保健会館で)=浦上太介撮影

 今年の6月下旬。山口市で開かれた曹洞宗寺院の 檀家だんか の集会で、黒い法衣姿の鷲崎さんは僧侶として舞台に立っていた。

 講演の題は「感謝して今を生きる」。自身の半生を振り返る軽妙な語り口は、〈香田晋〉の頃のようだ。

 芸能界を去った後、僧侶になるまでに何があったのか。

 引退後の暮らしで、多くの時間を充てたのが、義理の祖母・豊岡チヱ子さんの介護だった。「僕のファンで、いつも孫娘と応援にきてくれた」。その孫娘と2010年に結婚し、チヱ子さんとも同居するようになった。

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