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市名のいわれ
奈良・平安時代、中央政府と蝦夷の境だった胆沢郡の前方の意味「イサキ」が転訛したものや、川の狭くなっているところ「江狭(エサし)」という呼び名に由来するという説などがあります。
●○ 市章の意味
「エ」をデザイン化したもので、円は円満、両翼は飛躍発展を示している。(昭和30年6月7日制定)
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●○ 町名のいわれ
直角に曲がった州崎を意味する「矩(カネ)が崎」や扇状地の出崎を意味する「川根が崎」という呼称に由来するという説、またかつて軍資金を掘ったとされる町はずれの金掘沢のエピソードに由来するという説などがあります。
●○ 町章の意味
昭和30年、金ケ崎町と永岡村、北上市相去の一部の合併にちなみ、カネガサキの「カ」とナガオカの「ナ」を図象化している。(昭和30年制定)
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●○ 市名のいわれ
山岳に三つの沢が入り込んでいることから「三ツ沢」、また河川の多い沼沢地の「ミサワ」から「ミツサワ」に転じたという説、また水の豊富なところだったので「水沢」と「封内風土記(江戸中期)」に記されたことに由来という説などがあります。
●○ 市章の意味
水沢の「水」を図案化。(昭和29年4月1日制定)
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村名のいわれ
衣川村で最も高い高檜能山に天人が舞い降り、羽衣を乾かしたことに由来するという説や、曲がりくねった川という意味の「転裳(コロモ)川」と呼ばれていたことなど、様々な説があります。
●○ 村章の意味
ころもがわの「衣」を図案化したもので、丸をもって村民の融和を表し、また書体は歴史と文化と将来の躍動発展を象徴している。(昭和40年12月31日制定)
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●○ 町名のいわれ
アイヌ語で「イ(それが)サハ(山間の平地)」や夷狄(いてき)の多い賊奴の奥地「夷多(イサワ)」、曲流に囲まれた扇状地「砂曲(いさわ)」といった説、また胆沢城築城に由来するという説などがあります。
●○ 町章の意味
ひらがなでいさわの「い」を図案化したもので、円をもって町の円満融和を表し、将来の躍動を象徴している。(昭和42年4月1日制定)
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●○ 町名のいわれ
胆沢扇状地の扇端部の台地にあることから「前胆沢」、また集落の前に沢があることから由来するという説や、「駒胆沢」に由来するという説など、諸説がありますが、はっきりとした説は分かっていません。
●○ 町章の意味
躍進を示す矢印で頭文字の「マ」を表し、協和円満の新町を象徴している。(昭和32年4月1日制定)
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