差別の1ミリ

- -
人間はどうしても二項対立が好きである。3つとか4つに分類すると、観念が分散されてしまってピンとこない。二項対立とは、物事を2つに分類しているのであるが、たとえば愛と憎しみという場合、愛の有無で分けているのであろうし、つまるところ、一元論である。ひとつの概念について、その有無や正邪を問うているのである。何かしらプラスとマイナスに振り分けるのが人間の思考の仕組みなのである。「差別」であれば、ラインに1ミリでも触れてしまえば差別である。「虐待」も1ミリで虐待であろう。アウトとセーフでいえば、人権問題になってしまった段階で、どこか1ミリは触れているからアウトになる。1ミリでも大騒ぎすることで人権啓発しているのかもしれないし、「セクハラ」にしても、性暴力に近いものもあれば、女性について保守的な見解を示すだけで当て嵌まることもある。というか、性暴力だと刑法の犯罪であるし、たぶん些細な一言の方がセクハラとして大問題になりそうである。他人を包丁で刺すのは人権侵害ではなさそうだし、そういうことである。またこういう風潮を作り出しているのは、ひとびとが正義中毒だからであろうし、プラス/マイナスに傾きやすい人間のサガである。LGBT問題などは、まだ人権として成熟してないのか、様々な配慮がされる一方で、その風潮を後押しすべく女子トイレ問題の最高裁判決が出たら反発も大きかったし、その判決と関係あるかどうかは不明だが、有名人らしい女装男性が自殺したり、今度はススキノで怪しい女装男性が頭部を切断される奇妙な事件があって、殺人被害者ではあるが加害者の側面もあるらしく、性転換しているならともかく、股間に陰茎がぶら下がっている状態で女装男性を信じろというのが無理である。この数週間、動きが目まぐるしいが、女装男性に対しては1ミリどころか、何メートルもラインをはみ出してバッシングすることになっている。犯罪と人権問題は違うので、人権問題に寄り過ぎた結果、女装男性の性犯罪の危険性が軽視されてきたのであり、その反動である。経済産業省の女装男性にしても、性転換手術はしてないそうなので、股間に男性器がついているのである。生粋の女性であれば、性被害への恐怖が強いはずである。女装男性だと襲われることもないので、そういう恐怖を抱く必要がないのかもしれないが、やはり本当の女性だったらあり得ない鈍感さであり、頭のネジが何本外れているのか気になる。性被害を恐れない女というのは、女という気がしないし、男女どちらでもない。よくわからない生物を男と女に分類しようとするのは、これも二項対立の病であろうか。
ページトップ