いつでも元気

2003年12月1日

みんいれん半世紀(12)じん肺 掘り起こし健診でひろがった連帯 まじめに働く者がばかをみてはいけない(福岡・佐賀)

鉱山やトンネル工事など粉じんが発生する場所にさらされておこるじん肺。それが労災であることも知らされず、何の補償もないままに苦しんでいる人が、いまも数多くいます。八〇年代から民医連では、かくれたじん肺患者を掘り起こし、救済する活動が続けられてきました。

じん肺患者が少ないのは?

 九州北部は昭和四〇年代まで日本有数の炭鉱地帯。じん肺問題も一九七九年の長崎北松じん肺訴訟や、八五年の筑豊じん肺訴訟がおこされ、企業や国の責任を問う運動がひろがっていました。
 「労働衛生をやりたくて」八四年に福岡・健和会に就職した田村昭彦医師(48歳)も、筑豊じん肺訴訟に協力してほしいと弁護士から頼まれ、じん肺の研修に。
 「帰ってきて気づいたのですが、かつての炭鉱地域にしては、じん肺と診断されている患者さんが驚くほど少ないのです」
 そのころ、労働者の健康を守る運動に貢献することを目的に、九州各県の民医連の協力で「九州社会医学研究所」がつくられようとしていました。
 田村医師は「九州社会医学研究所は八七年八月に設立されました。その準備会で、橋口俊則先生(現・米の山病院副院長)からこんな話が出ました。佐賀の神 野診療所に診察にいったとき、明らかにじん肺なのに、労災になっていない人がいる、これは相当かくれた患者さんがいるのではないか…、一度調査しようとい うことになりました」と話します。

まだまだ山のように

 じん肺患者の掘り起こし健診を、はじめて行なったのが八七年一〇月、佐賀県多久市でした。「明らかに症状 のある患者さんに、こんなにひどくなっているのになぜ会社の健診にひっかからなかったのかと聞くと、じん肺だとわかると仕事がなくなる、会社の健診には代 役を立てていたというんです」と田村医師。
 健診を通して、炭鉱地帯なのにじん肺患者が少ない理由がわかってきました。
 「味噌汁を飲めば治るなどと、会社からでたらめな話をされていた人がいたり、症状があって医者にかかっても、喘息などの病名をつけられ、じん肺と診断し て労災申請してくれる医者が少なかったのです。放置されている人はまだまだ山のようにいることが明らかになりました」

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多久の炭鉱跡

地域に専門の診療所が

 掘り起こし健診では、同じ年に結成された「全国じん肺患者同盟多久支部」の人たちが大きな力を発揮しました。
 田村医師たちは、じん肺患者から多くのことを学びました。「粉じんにまみれる現場で長くいればいる人ほどじん肺になるわけですから、一生懸命働いた人が なる病気です。多久支部の支部長だった津上辰馬さん(故人)が『まじめに働いてきた者が馬鹿をみるような世の中じゃだめぞ』といっていたことは、われわれ の思いでもあります」
 九一年、最初の掘り起こし健診を行なった佐賀県多久市に、じん肺専門の外来をもつ多久診療所(現在の多久生協クリニック)が誕生。じん肺患者同盟多久支 部と民医連の協力でつくられました。

何も知らされてなかった

 多久生協クリニックの患者で、患者同盟多久支部設立メンバーのひとり、東島乙彦さん(74歳)は「会社か らじん肺については何も知らされてなかった」といいます。「発破係として、削岩したところにダイナマイトを仕掛けて爆破させる仕事でした。岩の粉がもうも うとする中では、隣の人の顔も見えない。そんな現場で二〇年間働いてきました。直轄(正社員)は終業時間がくればすぐにあがるけど、私は『組』といわれる 下請けだから、一定の石炭量を掘り出して運び出すまで外に出られなかったのです」
 患者同盟佐賀県連合会会長の川口昇さん(70歳)も「炭鉱では五年ですが、そのあと造船や鉄鋼の職場で粉じんを吸いつづけてきました。私もじん肺の知識 はありませんでした。掘り起こし健診受診者の九割は、会社からじん肺の教育を受けていないんですよ」と話します。

治療が継続できるように

 今年も多久生協クリニックでは「じん肺・振動病自主健診」を行ないます。事務長の副島文さん(32歳)はこう話します。
 「じん肺患者さんは、ますます増えているのが現状です。まだ労災認定されない患者さんで、酸素療法が必要なほど悪い状態なのに、医療費の自己負担が入院 すれば十何万円、退院しても何万円もかかる、これ以上の負担はできないと酸素吸入を拒否する人もいるのです。中断してますます悪化していく。呼吸器身障認 定をとったり、労災申請するなど、いまある社会資源を活用して、治療を継続していける努力をしなければ。医療機関の責任は大きいと思います」

1000人の患者をみる

 九州各地でじん肺や振動病の健診を行なってきた民医連や、労働組合、患者組織が集まって、九州のどこでも労災の健診ができるような体制をつくろうと、一九九三年、「じん肺・振動病健診九州ネットワーク」が結成されました。
 九州ネットの事務局長となった田村医師は「ネットワークをつくる上での課題のひとつが、じん肺を診断できる医師が少なかったことです」といいます。「そ こで九州ネットと同時に『ドクターズネット九州』をつくって、じん肺や振動病の診断ができる医師を育成する体制をつくりました。これによって一五年前の百 人くらいから、現在では千人の認定患者をみるまでになっています」
文・八重山薫記者/写真・飯山翔

いつでも元気 2003.12 No.146

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