第二百五十八話「ターニングポイント5」
俺が戻った時、エリスたちは十分に持ちこたえていた。
俺が減り、スペルド族の戦士が減り、クリフとエリナリーゼがいないまま。
だが、安定感は増していた。
ギレーヌはほぼ四つん這いとなり、戦場を駆けまわっていた。
背の高さゆえに打点の高い闘神の拳の暴風圏。
そこから逃れるように地表近くを駆け回り、前から、横から、後ろから、剣閃を飛ばして援護している。
攻撃力は足りていないが、しかし闘神はやりにくそうに腕を振り回している。
また、シルフィの存在も大きい。
彼女の無詠唱治癒魔術は、より迅速な回復が求められるこの状況にマッチしていた。
ザノバが、ドーガが闘神にふっとばされても、即座に走りより、回復する。
彼女は現役から離れて久しい。体力的にも、そう長く持つわけではないだろう。
だが、それでも俺とクリフ、二人分のヒーラーの動きができていた。
そして特筆すべきは、イゾルテの存在だろう。
最前衛に立った彼女は、自分に向けられた闘神の攻撃を全て受け流し、カウンターを叩き込んでいた。
その動作は流麗で緻密。
一撃で即死しかねない闘神の暴力が、子供の駄々のようにすら見える技術。
無論、無論、それでは倒せない。
イゾルテがどれだけ流麗な技で闘神にカウンターを叩き込もうとも、腕や足を切りつけようとも、ダメージは無い。
もし、彼女が一対一で闘神と戦えば、善戦はするだろうが、最終的に勝つ事はない。
いずれ疲労し、敗北する。
しかし、俺が戻ってくるまでの時間稼ぎに関してだけ言えば、彼女の存在は圧倒的だった。
「待たせた!」
「ルディ……! 全員後退!」
シルフィの合図で、全員が距離を取った。
「ほう」
闘神はそれを追う事はなかった。
離れていく者達には一瞥もくれず、俺を見ていた。
大きさはさほど変わらない。
闘神鎧は2メートル半。
魔導鎧は3メートル。
その差は2、30センチほどで、やや俺の方が高い。
ただ、俺は10メートルほどの距離を取って立ち止まったため、見上げるほどではない。
「それが、龍神に己が価値を認めさせ、我が姉上をも下した、魔導鎧か!」
「…………一式の方は、港町で一回見たじゃないですか」
「ふむ、そうであったか?」
「一撃で粉々にされましたがね」
思い返すと、あの一撃。
防御を過信して直撃をくらってしまったとはいえ、あんなのを受けて、エリスとかルイジェルドは、よく生きていたものだ。
これも、闘気による防御の違いではあるだろうが……。
……そうなると、クリフが心配だ。
拳の直撃ではなかったとはいえ、彼は闘気を纏えてはいないだろうし。
「しかし、『一式は』という事は、
「そいつは、見てのお楽しみということで」
そう言いつつ、周囲を見る。
遠巻きに、俺達を見ている。
かなり距離は離れているが、しかし巻き込まれる可能性もありうる。
あ、シルフィが残りの怪我人の所に駆け寄っているな。
なら、ひとまず、クリフの事もシルフィにでも任せよう。
「じゃあ、はじめましょうか」
戦いが始まる。
ーーー
戦いのゴングは、俺の岩砲弾から始まった。
俺が下がりながら岩砲弾を撃ち、バーディガーディがそれに追いすがる。
オルステッド戦を踏襲した形だ。
後退しつつの岩砲弾の乱射。
正直、これだけでも厳しいかとも思ったが、王竜剣に魔力を込めると、鈍重なはずの零式はスムーズに動いた。
これが重力を操るということか。
もっとも、練習していない状態だ。今は自重を軽くする以上の事はしない。
「フハハハハハ! 蚊ほどにも効かん!」
闘神は木々をへし折り、大地に穴を開けつつ、俺へと迫ってくる。
効果が薄いのは見ればわかる。
受け流すでも、弾くでもない。
これだけの近距離でも、ただ吸い込まれるように体に当たり、背中のあたりからポロポロと落ちていく。
ダメージが無いのは見ればわかる。
オルステッドは通用するかもしれない、と言ったが、通用してなどいないのだ。
「逃げまわるだけか!」
無論、そのつもりはない。
俺は目的の位置へとたどり着いた後、バーディガーディの足元をえぐった。
ショットガンで地面が大きく削られ、闘神が踏みだそうとしていた一歩を踏み外す。
一瞬だけ、体勢が崩れる。
そこに踏み込む。
「むぅっ!?」
そして、ガトリングをパージ。
右手の甲につけた剣にて、一閃。
剣は鎧をバターのように切り裂き、その奥、黒い地肌を露出させる。
「『ショットガン・トリガー!』」
そこに、さらにショットガンを打ち込む。
バーディガーディの腕の一本がちぎれ、吹っ飛んだ。
「フハハハハ! お返しだ!」
だが、同時に俺は四発の打撃を受けていた。
魔導鎧全体に衝撃が走り、1メートルほど後方へとふっとばされる。
だが、大丈夫。
直撃だが、なんとか耐えられている。
「くっ!」
俺は即座に身を翻し、弾き飛ばしたバーディガーディの腕を回収した。
金色の篭手に包まれ、ビクビクと脈動する腕。
それを、ぶん投げる。
「フハハハハ! 無駄だ無駄だ!」
バーディガーディはそう言いつつ、腕を生やした。
ズボッと、ナ○ック星人のように体から。
「むっ」
だが、無駄ではないのは一目瞭然。
生えた腕は裸だ。
鎧がついていない。
「ほう、そうなるか、考えたな!」
腕を投げた先。
そこには、一つの魔法陣が用意してあった。
その中では、闘神鎧の腕とバーディガーディの腕が再生されることなく、取り残されていた。
心なしか、バーディガーディのサイズも縮んでいるように見える。
考えたわけではない。
ただ、ヒントはあった。
闘神バーディガーディ。
彼は鎧の能力により、高いスピードとパワーを兼ね備えている。
もっとも、スピードに関しては、これまで見てきた剣の達人連中に比べて、特別に速いということはない。
オルステッドや、あるいはアレクの方が速いだろう。
無論、俺よりも速いのは確かだが、魔導鎧を着こめば、対応出来ないというレベルでもない。
これまで、オルステッドやエリスに稽古をつけてもらった経験が生きる。
厄介なのは、非常に高い防御力と、非常に高い耐久性だ。
闘神鎧は、硬い。
魔導鎧以上の硬度を誇るかもしれない。
少なくとも、エリスらが渾身の一撃を放っても、傷はつけども、腕や首といった部位が離れる事はない。
鎧は瞬時に修復され、何事もなかったかのように動き続ける。
本来なら、それでも内部にダメージが蓄積されていくものだろうが……。
不死身の魔王バーディガーディは、死なない。
エリスの斬撃やルイジェルドの刺突は、本来なら鎧の奥にダメージを与えている。
が、バーディガーディに対しては、ダメージにならない。
斬撃にしろ、刺突にしろ、打撃にしろ、すぐに回復してしまう。
やがて攻撃している側の方が疲れ、その六本の腕から繰り出される破壊力の餌食となる。
では、どうやって倒せばいいのか。
このヒントは、アトーフェにある。
不死魔王アトーフェ。
何度倒されても立ち上がり、敵へと向かっていく姿は、魔大陸の魔王連中における恐怖の代名詞。
彼女に勝つ方法は2つ。
一つは四肢をバラバラにして、復活しないように封印する。
これが最もスタンダードな方法で、アトーフェは過去2回、この方法で敗北している。
何百年も閉じ込めておきたければ、相応の結界術が必要だが、ひとまず上級の結界魔術で囲むだけでも、再生を防ぐ効果はある。
もう一つは、負けを認めさせる。
不死魔王アトーフェは、自分ルールに従って、誰かと戦う事が多い。
そして、そのルールで自分が敗北したと理解した時、敗北を認める。
もっとも、今のバーディガーディがそう簡単に敗北を認めるとは思えない。
今回は、前者で行く。
いざという時のため、クリフに言って、森の各所に封印用の魔法陣を用意してもらった。
ここに、バーディガーディの手足を放り込んで起動させる。
闘神鎧に効果があるのか不安だったが、効果はあった。
防御無視の剣で鎧を切り裂き、腕を引きちぎり、封印する。
これを6回繰り返して、バーディガーディに負けを認めさせる。
体ごと封印したい所だが……クリフがいない現状では、本体を封印する魔法陣が使えない。
「ああああぁぁぁ!」
大声を上げて突撃する。
もはやダメージは構わない。
零式が全力稼働であと何分動くか、俺にもわからない。
王竜剣のおかげで、少しは稼働時間が伸びているかもしれないが、いつ停止してもおかしくない。
短期決戦以外に道はない。
「来るか! 勇者よ!」
腕を広げて待ち構える闘神に肉薄。
同時に、右手を振るう。
闘神が打ち出す拳に対応するように、剣を突き出し、カウンターを狙う。
六本の腕は、俺の想像を超える動きを見せる。
だが、それも先ほどの戦いで少しは慣れた。
俺は今日は、冴えている。
回避できる。
左下段の手の一本、切り込みをいれる。
同時にショットガンを切り込みへとねじり込み、発射、ちぎり飛ばす。
だが、どうしても、その瞬間には隙が出来る。
腕をちぎり飛ばした瞬間、俺は拳打を食らって背後へと飛ばされる。
「……っ!」
魔導鎧の表面にヒビが入った。
やはり、闘神の拳には耐えられないのか。だが、鎧の付いていない腕は無視していい。
あと4本。
すべてを飛ばすまで、魔導鎧が持てばいい。
「!」
別の事に気づいた。
(結界が……)
地面に描いておいた魔法陣が、今のやりとりで削れていた。
戦いの余波で。
なぜこんな簡単な事に気付かなかったのかと思えるぐらいあっけなく。
無論、まだ無事の魔法陣はあるだろうが、どれが無事だかわからない。
「……くそ!」
俺は咄嗟に、切り飛ばした腕を、投げ捨てた。
捨てた先は地竜の谷だ。
アトーフェが、バラバラにされた直後、復活に時間がかかったように、バラしたものの距離を離してやれば、すぐには復活出来ない。
いずれは復活されるだろうが、しかし意味はあるはずだ。
(……ん?)
なぜか、鎧の方も復活しない。
術者と切り離されれば、その効力を失うのか?
再生というにはお粗末だが、闘神鎧も、長年使われなかったせいで、少し性能が落ちているのか?
それともバーディガーディの策略か?
いや、今は無駄な事は考えない。
再生しないことを好機と捉え、ただ、全ての腕を飛ばすことだけを考える。
「むぅ……」
バーディガーディはうめきつつ、しかし新しい腕を生やさない。
それどころか、先ほど再生させた腕を、亀のように鎧の中に閉じ込めた。
「!」
なんということだろうか。
次の瞬間、残りの四本の腕のうち、腕が二本が消失した。
腕が、篭手ごと、鎧の中に吸い込まれたのだ。
そして、残った二本の腕が、太くなる。
メシメシと音を立てて、太くなる。
残り二本。
太くなったが、切れるのか……?
いや、切れる。この剣は硬くなればなるほど、切れ味を増す。腕を強化し、防御を固めたのだとしても、意味はない。
俺は咄嗟にそう判断し、地面を蹴って、闘神に肉薄した。
脳のどこかが警鐘を鳴らしていた。
しかし、相手が何をしたとしても、すでに俺は切り札を切っている。
俺の魔力は刻一刻とゼロに近づいている。
攻めなければ、勝てない。
「ああああぁぁ!」
ただ叫ぶ。
そうすれば力が出る。
恐怖と不安を打ち消し、勇気がほんの少し顔をだす。
少しの勇気が踏み込みを深くする。
エリスのように、勝ちにつながる突進を可能とする。
闘神に体当たりする。
よろめくが、受け止められる。
右手を振るう。
闘神の左腕へと食い込み、斬り抜ける。
左手を突き出す。
ショットガンを斬った所に押し当てる。
叫ぶ。
「『ショットガン・トリガー』!」
バーディガーディの腕が、闘神鎧ごと、飛ぶ。
だが、同時に俺も飛んでいた。
ぶっ飛ばされていた。
バーディガーディの残った腕の一本。
それにぶん殴られて。
鎧の前面が、完璧に砕かれた。
衝撃は内部へと伝わり、俺の体がぺしゃんこになりそうな圧力に襲われる。
仰向けに落ちた。
「ごぼっ……ごふぅ……」
喉から血が流れる。
まだだ、と叫ぶ心がむなしい。
読み合いに負けた。
バーディガーディが二本の腕をしまったのは、一撃を重くするためだった。
腕を斬らせて、骨を断つ。
ヒビの入った箇所に寸分たがわず打ち込まれた拳は、魔導鎧を砕ききった。
だが、まだ。
まだだ。
あと一本。
「!」
動かない。
魔導鎧の動きが鈍い。
傷も治らない。
そこを砕かれれば、魔導鎧の動作は鈍る。
動かないとは言わない。そんな単純な作りではない。
だが、動くだけだ。
この戦いにおいて致命的なほどに、遅い。
焦りながら魔力を送る。
そう、魔力はまだ残っている。
まだ動くのだ。
魔力枯渇ではない。
俺はまだ戦える。
なのに、なぜ動かん。
「いい策、いい気合……」
動けない俺に、バーディガーディが迫る。
「そしていい勝負だった。さらばだ、ルーデウス。ラプラスも、ここまで緻密ではなかったぞ」
バーディガーディが拳を振り上げる。
大砲のような拳。
それが振り落とされ――。
「ガァッ!」
脇から突っ込んできた赤い何かが、腕に斬撃を放っていた。
腕は根本から切り飛ばされ、宙を飛ぶ。
「むっ!」
この森で赤いものなど限られている。
エリスだ。
付いてきたのか、ずっと付いていたのか。
わからない。
他に援護は来ない。
ただエリスだけが突っ込んできた。
だが、次の瞬間、俺は違和感に気づいた。
剣だ。
エリスの剣が折れていた。
あの名高き『凰雅龍剣』が、根本から折れていた。
そうだろう、今まで、表面にダメージを与えられても、根本を切り飛ばすに至らなかった。
それを、無理やり根本から切り飛ばせば、折れもする。
「ガアアァァァ!」
それでもエリスは止まらない。
剣が折れているのに気づいていないかのように、吠えながら闘神と相対している。
見ると、彼女だけではなかった。
森の奥からエリスを追いかけるように、シルフィが、ルイジェルドが、ギレーヌが、イゾルテが、次々と顔を出す所だった。
だが、遅い。
「一人で立ちふさがるとは愚かなり!」
バーディガーディがエリスに迫る。
守る者はいない。
その瞬間、俺は脱出回路を作動させて、魔導鎧から抜け出た。
そして、魔導鎧の背部。
そこに収めておいた、一本の剣を取る。
柄を握った瞬間、凄まじい全能感が体を駆け巡る。
内包された圧倒的な魔力。
俺はそこに、さらに魔力を注ぐ。
ありったけ、残った自分の魔力を全て注ぎ込むようなつもりで。
自分で使えるなんて思っちゃいない。
ただ、目の前に剣の折れた家族がいる。
俺を守るため、折れた剣を構えて牙を剥いて吠えている。
俺は彼女に向けて、剣を、投げた。
「エリス!」
緩やかな放物線を描いて、魔剣が飛ぶ。
エリスは振り返り、それを受け取った。
王竜剣カジャクト。
世界最強とも名高き魔界の鍛冶師ユリアンの鍛えし魔剣の最高峰。
それを、エリスは大上段に構えた。
「ガアアアァァァァ!」
「むっ、それは……!」
振り下ろす。
寸前、一瞬だけ、闘神の体が浮いた。
闘神の体に剣が食い込んだ。
同時に、閃光が視界をうめつくす。
爆音が鼓膜を麻痺させる。
圧倒的な何かが、場を支配する。
破壊が、俺の前に展開された。
だが、爆風はない。
衝撃もない。
ただ静寂が訪れた。
破壊は、内側へと向かった。
打ち込まれた魔力が、球体となって、バーディガーディを包んでいる。
エリスの力だけではない。
俺が込めたありったけの魔力を、魔剣が放出したのだ。
そして、魔力の球体の中。
俺は見た。
球体はゆっくりと上に上がりながら、その中身を破壊していくのを。
闘神鎧にヒビが入り、バラバラになっていくのを。
バーディガーディが圧縮され、声もなく粉々に消失していくのを。
バーディガーディはあがいていたように思う。
だが、何もできなかった。
闘神鎧は機能せず、バーディガーディは再生する傍から押しつぶされた。
……。
球体が消えた。
中空に残った鎧の破片が、地竜谷の底へと落ちていく。
カランとも、ガランとも言える音を立てて、崖にぶつかりながら、落ちていく。
突き刺さった王竜剣と共に。
鎧だけ。
バーディガーディの黒い肉は、跡形もなく消え去っていた。
俺はそれを眺めた。
しばらく、眺めていた。
音のなくなった谷と、消えた闘神鎧を。
近くには、バーディガーディの腕が残っている。
動かない。
ぴくりとも動かない。
再生する気配がまったくない。
死んだのか。
勝ったのか?
まだなのか。
もうすぐなのか。
すぐにでも、フハハハと笑い声を上げて登場するのではないか。
そう思いつつ、ただ谷を見下ろす。
何も起きない。
上がってくる気配はない。
ただ、静寂だけが、その場に残った。
ドッ、という音が背後から聞こえた。
振り返ると、エリスが膝をついていた。
真っ青な顔で。
「……」
俺は慌てて駆け寄った。
怪我か。
カウンターでももらったのか。
すぐに治癒魔術を掛けなければと思って手を伸ばし、俺も膝をついた。
「……ああ」
怪我ではない。
俺は自分のこの感覚も、エリスのこの顔の感じ、見覚えがある。
魔力枯渇。
王竜剣カジャクトは、俺の魔力を吸い上げ、エリスの魔力をも使い切ったのだ。
エリスは、恐らく幼少期以来、久しぶりの魔力枯渇だろう。
目をパチクリさせながら、座り込んでいた。
「エリス」
「ルーデウス……あなた、髪がまた白くなってるわ」
言われて頭を触る。
自分では分からない。
だが、よく見ると、エリスの髪も、一房だけ、白くなっていた。
メッシュを入れたような色合いだ。
「エリスもだよ」
「そう……じゃあ、おそろいね」
エリスはそう言って、前のめりに倒れた。
意識を失ったわけではない。
ただ、全ての力を出し切ったのだ。
俺もその上に倒れこみたかったが、ぐっと留まった。
「ルディ!」
シルフィが心配そうな顔で俺たちの顔を覗きこんでいた。
シルフィだけではない。
ルイジェルド、ギレーヌ、イゾルテ……。
「シルフィ、クリフは!?」
「えっと、他の人は怪我を治した後、ザノバとドーガに村まで運んでもらったよ。ボクらはすぐにルディを追いかけたんだけど、邪魔になりそうだからって二の足を踏んでて……でもエリスだけは飛び出して……あれ?」
シルフィは倒れたエリスの体に触れ、首をかしげていた。
恐らく、咄嗟に治癒魔術を使ったのだろう。
だが、エリスは怪我をしているわけではない。
その体を起こすことはない。
「魔力枯渇だと思う。あの剣、持ち主の魔力を吸うんだ」
「……あ、そうなんだ」
「とりあえず、シルフィ、そこに落ちている腕を、無事な魔法陣に。それから、エリスを連れて、村に戻って、オルステッド様に事の顛末を伝えて、クリフを連れてきて欲しい」
俺は立ち上がる。
零式は破壊された。
俺自身も魔力をかなり消耗した……が、まだ動ける。
バーディガーディの復活までのタイムラグがどれほどあるのか。
少なくとも、あれだけの魔力の圧縮を受け、消滅にも似た消え方をした。
腕の方が再生する気配はない。
しばらく時間は掛かると思いたい。
希望的観測で、甘えた考えかもしれない。
だが、零式も破壊された。一式もない。枯渇寸前の魔力に加え、結界魔術を扱えるクリフがいない状況では、谷に落ちたバーディガーディに封印を施す事はできない。
現状で谷に降りて待ち構えられていた場合、勝利は遠い。
もう、オルステッドに出陣を願うしか無い。
最後まで魔力を使ってほしくなかったが、もう、仕方ない。
俺の力不足だ。
だが、ギリギリまで追い詰めはした。
やれるだけのことはやった。
谷の底でバーディガーディが活動しているか否かわからないが、最小限まで抑えたはずだ。
「ルイジェルドと、ギレーヌ、それにイゾルテさんは、俺についてきてくれ」
「ルディはどうするの?」
やれるだけのことはやった。
だが、まだ、やっておかなければならない事がある。
この枯渇寸前の魔力で、やらなければならない事がある。
「ギースを追う!」
---
ギースはすぐに見つかった。
すぐに、あっさりと。
枯渇寸前の魔力を使うまでもなく、本当に、あっさりと、見つかってしまった。
谷を越えてすぐ、黒く焦げた森に入ってすぐ。
炭になった大木の影。
ギースはそこに倒れていた。
全身に大火傷を負って、真っ黒になって倒れていた。
俺が放った『フラッシュオーバー』が、森ごと彼を焼いたのだ。
最初に見た時、死んでいると思った。
ぴくりとも動かなかったし、黒い岩のようにも見えた。
だが、発見したのはルイジェルドで、彼は第三の目を使って探した。
死体ではない。
「……ギース」
「よぉ、センパイ」
死体ではないが、虫の息であることは分かった。
そして、俺は彼を治療する気も無かった。
このために来たのだから。
だが、すぐにトドメを刺す気にもなれなかった。
「ヘヘッ、水魔術、土魔術、魔眼、魔導鎧……どれも対策は取ってたんだが、最後はこのざまだ」
ギースは様々なものを身につけていた。
青色のベストに、茶色の腹巻きに、鎖帷子のようなものまで。
今はどれも焦げていてわかりにくいが、恐らく、あらゆる魔術を想定していたのだろう。
第三都市で落雷に耐えたのは、闘神鎧の能力によるものではなかったということだ。
「先輩がここに来たってことは……最後の策も、不発に終わったか……」
ギースは、焼け焦げた頬を歪ませた。
最後の策。
バーディガーディを一人で送り出す事を、策といっていいのかどうか。
「剣神か、北神か、鬼神か、冥王か、誰か一人でも残ってりゃ違ってたんだが……誰も俺の指示を聞きやがらねぇ」
「まぁ、話を聞きそうなのもいなかったもんな」
うわ言のようにしゃべるギースの言葉に、俺は反応する。
「ハッ、よく言うぜ。エリスに、アトーフェに、そこにいるのはギレーヌか? そっちも人の話なんて聞かねぇ連中ばっかりだ」
「それは……運が良かったんだろう」
「いいや、違うね。センパイが、ちゃんとやったからさ。ちゃんと話をつけて、ちゃんと信頼を得て、まっとうに仲間になってもらうように努力したからさ。だから、ちゃあんと、いざって時に、話を聞いてくれる、指示をうけてくれる」
確かに、それはあるかもしれない。
アトーフェとか鬼神とか。
そういった、とにかく必要だからと仲間に加えた面々は、まったく指示を聞いてくれなかった。
シャンドルとドーガは例外だが、アリエルは例内だ。
「結局、戦う理由を用意して、かき集めて、炊きつけて、裏でコソコソやって動かそうとするだけじゃ、無理だって事だぁなぁ……」
剣神も、北神も、ギースの指示は聞かなかった。
あくまで、自分の目的を優先した。
その結果、俺は生きている。
「わかってたつもりだったが、わかってなかった。
それでも、なんとかなるって思ってた。
もっとも、一番わかってねえのは俺じゃあ、無い」
ギースは笑った。
「ヒトガミさ。アイツは、さっきまで喚いてたぜ。
なんでだ、なんでだ、お前のせいだ、お前がもっとうまく動いていればってな」
ギースはヘラヘラと、小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「当たり前じゃねえか。なぁ? てめえのために一生懸命働いてくれた奴を陥れて、あざ笑うような奴に、誰がまともに手なんて貸すかよ」
「じゃあ……ギース、お前も手抜きしてたってことか?」
「さぁな、そう思うか? そんな楽勝だったか? 一応、俺は全力のつもりだったぜ?」
ギースは、ケホッと咳をした。
黒い、煤のような何かが口から漏れる。
「まぁ、俺とか、バーディガーディとかは、例外のお人好しだってこった。
この期に及んで、自分の仲間に役立たずなんて喚く奴に手を貸す、お人好しだ」
黒い煤は、まるでギースの魂のようだった。
ギースから力が失われていくのがわかる。
「でもな、センパイ。俺は、それでも、ヒトガミに、救われたんだ。
嫌な事はされたけど、トータルで見りゃあ、俺は救われたんだ」
「……」
「センパイにゃ、わかんねぇよな。
なんでも出来て、一人で世の中を歩いていけるセンパイには。
俺みたいに、どうしても出来ない事のある奴の気持ちなんて、わかんねぇよな……」
わかる。
分かる気がする。
普通の事を、普通に出来ない奴の気持ちは、分かるつもりだ。
ギースは、俺だ。昔の俺だ。
ただ、俺と違う。
かつての俺は、やろうとしなかった。
壁にぶち当たったら、そこで逃げた。
逃げただけだ。
だが、ギースは本当に出来なかったのだ。
この魔物と暴力の跋扈する世界において、最も重要とまで言える『戦う力』を得られなかった。
それ以外のことは何でも出来るようになったけど、生きていく事ができなかった。
「違う、ギース。違うんだ……」
だから俺は、違うとしか言えない。
わかるとは言えない。
言いたくもない。
ただ、否定するしかない。
「ヘッ、ルーデウスよ。
否定すんなら、胸を張れよ。
なにせ、お前は勝ったんだ。
この俺に、勝ったんだ。
世の中はな、勝ったやつが正しくて、負けた奴が間違ってんだ。
だから、お前は胸を張って、「違うぜギース、そうじゃねえ」って言えよ。
そんで、なんかこう、死にゆく俺のために、説教でもしてくれよ。
お前はこうすべきだった、ヒトガミなんかに付かず、俺の側につくべきだった、とかな」
ギースはそう言って、ふっと力を抜いた。
そして、うつろな表情で言う。
「俺も、バーディガーディも、冥王もいない。
もう、ヒトガミに、自分から、積極的に手を貸そうって奴なんて、いない」
「負けだよ。ルーデウス・グレイラットをどうにかできる奴は、もう、今の世にはいねぇ」
「実際、ヒトガミも言ってたしな。
これでだめなら、ルーデウスはどうにもならない、って」
「だから、ヒトガミも、お前が死ぬまでは大人しくしてるだろうよ。
裏でコソコソと動いてたりはするだろうけどな」
そこで俺は思わず口を挟んだ。
「……それ、嘘だろ?」
ギースは笑わない。
「そう思うんなら、そう思えばいいじゃねえか。
大人しくしてるなんてなぁ、あくまで俺の予想に過ぎねえんだ。
これからも打倒ヒトガミを掲げて動けばいい。
それはヒトガミにとって都合が悪いが、お前の都合が悪くなったりはしねぇだろ?」
「おいおい、シケた顔してんなぁ。
お前はパウロの息子だろ?
パウロなら、こんな時はもっと笑うぜ?
いや、でも死ぬ直前のパウロだったら、笑わねえか。
あいつも、ちょっと見ない間に歳取ったからなぁ……。
でもま、お前は、胸を張れよ。
ぬか喜びでも、喜んどけよ」
「じゃねえと、あんまりじゃねえか。
せっかく、世界中を駆け巡って、剣神と、北神と、鬼神を仲間に引き入れて、
さぁ、ぶっ倒すぜと意気込んで、うまくいかなかった俺が、馬鹿みてぇじゃねえか」
「そりゃ、俺はうまいこと味方を操れなかった。
最後もリスクを背負って、バーディを送り出して、このざまだ。
けどせめて、強敵だったと思ってくれよ。
そう、思われてぇんだ」
ギースはいつしか泣いていた。
煤で黒ずんだ頬を、涙が伝っていた。
それを見て、俺はギースが、決して手抜きなんてしていなかったのを理解した。
「わかった。ギース、お前は、強かったよ。
確かに、俺は今、こうして立ってる。
けど、何か一つ歯車が狂っていれば、きっと立場は逆だった。
今までで一番、辛くて厳しい戦いだったよ」
「ヘッ……ヘヘッ、ありがとうよ、ルーデウス」
強かったのは、間違いない。
俺は彼に勝つのに、一年掛かった。
一年、戦ったのだ。
強くなかったはずがない。
「ギース」
そこで、ふと、ギレーヌが前に出た。
ギレーヌがギースを見下ろす。
その表情は、前髪に隠れて、よく見えない。
「よぉ、ギレーヌ。久しぶりだな」
「ああ」
「先逝くぜ」
「ああ、パウロによろしく頼む」
「おう……もし、お前も来たら、その時は、飲もうや。酔っ払ったパウロがお前の胸に顔突っ込んで、ゼニスがむくれるところ、またみてぇや……」
「ゼニスは、まだしばらくは逝かん。あたしの方が先だろう」
「ヘッ、わかってるよ……ま、皆でまた、って、こと、だよ……」
そこで、ギースの動きが止まった。
スッと、ギースの何かが落ちた。
話の途中だというのに、唐突に。
「……」
ギレーヌの耳が、ピクリと動いた。
尻尾が、力なく垂れた。
「……死んだ」
ギースが、死んだ。
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ギースを倒した。
そう考えてもいいはずだが、やはり心は晴れない。
自分がショックを受けているのがわかる。
やはり知り合いが目の前で死ぬというのは、割り切れないものがある。
敵だし、倒さなければならないという意識はあった。
でも、別にギースを心の底から憎んでいたわけじゃない。
もっとも、もし今回の戦いで敗北し、
エリスか誰かが死んでいたら、憎む事になったのかもしれないが。
そうなっていた方が、今の心境は、スッキリしていただろうか。
憎きアイツを倒したと、やり返してやった、と。
わからんな。
ただ言える事は、こうしてぐだぐだと考えていられるのは、今回の戦いで俺の大切な人が誰一人としていなくならなかったからだ。
俺は勝利条件を満たした。
オルステッドの力を温存したまま使徒を全滅させた。
苦戦もあったし失敗もあったが、俺にしては珍しい、完全勝利だ。
ギースがあんな風に死んだ事で、それに味噌を付けたいだけかもしれない。
もしかすると、うまくやればギースがこっちに寝返ってくれたかもとか、そんな事を、心のどこかで考えていたのかもしれない。
言っても詮無い話だ。
まぁ、せめて、骨は持ち帰り墓ぐらいは作ってやろう。
パウロの隣で、いいよな。
そんな事を、俺はギースの死体を焼きながら考えた。
「……」
ギレーヌは、俺たちがギースを荼毘に付すのを、じっと見ていた。
終わって、骨を回収した後も、心なしか、その耳と尻尾に、元気が無いように見えた。
「帰りましょうか」
「ああ」
谷を渡った。
何にせよ、今度こそ、終わりだ。
疲れた。
魔力も、もう残り少ない。
体力的にも、グッタリだ。
横になれば、今すぐ意識が落ちるだろう。
バーディガーディを封印するまで、眠るわけにはいかないが……。
でも、早く、シャリーアに戻りたい。
まずはベッドでぐっすりと眠りたい。
起きたら、食事だ。
米を食おう。
そうだ、この国には醤油がある。
完璧な卵掛けご飯が食べられる。
帰ったら、食べよう。
腹いっぱい、食べよう。
その後はやっぱり、エロい事だな。
ギースと共に、禁欲のルーデウスは死んだ。
シルフィと、ロキシーと、エリスと……誰にしようか。
いっそ、三人同時はどうだろうか。
エリスは嫌がるだろうけど、でも、一度ぐらい、頼んでみるのも、いいんじゃないだろうか。
せっかくだし。
そう、せっかくだしね。
今回の戦いの反省会は後回しだ。
ギースが言っていた事も、今はひとまず忘れよう。
とにかく、休もう。
疲れたよ。
「……ルーデウス」
俺がぐったりとした体を引きずるように歩いていると、後ろから声がかかった。
ルイジェルドだ。
一番後ろを歩いていた彼は、後ろを振り返っていた。
後ろ、谷の方を。
「どうしました?」
「敵だ」
「え?」
谷の縁に、手がかかっていた。
手。
手だ。
何かが、谷から上がってきた。
何か?
いいや、何かなどと曖昧な言い方をするものか。
あの手。
手の色は、金色だ。
金色の篭手だ。
「嘘だろ」
バーディガーディ。
早すぎるだろう。
でも、そうか。
考えてみれば、俺は腕を数本落とした後、体を谷へと落とした。
体はほぼ消滅していたように見えたが、しかし、腕等の大きなパーツは残っているはずだ。
残った部分を集結させれば、短期間での復活は可能だったということだろうか。
「……」
硬直する俺たちを尻目に、鎧が谷から上がってきた。
だが、形が違った。
腕は二本で、倒した時と同じだが、全体的なデザインが変わっていた。
兜の形も違うし、背丈も小さい。
2メートルも無い。
その上、剣を持っていた。
巨大な剣だ。
王竜王から作りだされた、世界最強の剣を。
違う。
こいつは違う。
こいつは、バーディガーディ
「英雄は、どれだけ追い詰められても、復活し、逆転する。やっぱり、そういう風にできている」
その声と、英雄という響き。
忘れるはずもない。
「北神カールマン三世、アレクサンダー・ライバック……!」
生きていたのか。
死んだと思ったのに。
あの時は、ピクリとも動かなかったのに。
生きていたのか。
でもそうか。
考えてみれば、彼も不死魔族の血筋。
時間さえ掛ければ、復活できるということなのか。
いや、違う。
あれだ。
ギースの言っていた、『最後の策』だ。
これか。
最初からそのつもりだったのか。
それとも、途中から切り替えたのか。
おかしいと思った。
闘神鎧が再生しないのは、おかしいと思ったんだ。
あれは、意図的に、再生させなかったのだ。
そして、谷の下で、アレクが闘神鎧を身につけて、復活した。
もしかすると、昨日、ギースが死んだふりをした時に、その下準備をしていたのかもしれない。
谷の底に闘神鎧とバーディガーディの一部を落として、アレクを復活させるとか……。
くそっ。
まだやらなければいけないのか。
まだ戦わなきゃいけないのか。
もうウンザリだ。
もう終わりでいいだろう。
いいかげんにしろよ、なぜ、一度倒したやつが今更出てくるんだ。
いや、俺のせいか。
アレクの死体をきちんと確認しなかった。
倒した、勝ったと思い込んで、そのまま放置した。
焼いてでもいれば、また違ったかもしれないが、そのままにした。
でも、どうすりゃよかったんだ、あの状況で。あれ以上。
まあ……いい。
過ぎたこと、やってしまった事だ。
どうする。
もう、零式は無い。
援軍もない。
ギレーヌと、イゾルテと、ルイジェルド。
そして、魔力が枯渇寸前の俺。
武器も、防具もない。
打つ手も無い。
勝てる気がしない。
何をすればいい?
何をすれば、闘神鎧を身につけた北神カールマン三世に勝てる?
せめて力を削ることができる?
「……」
呆然と見続ける俺を、アレクは見た。
俺がそこにいる事に、何の疑問も持たぬように。
待っていたのが当然とでも言わんばかりに。
「ルーデウス・グレイラット……未熟者と言った事は、謝ります。
あなたは、立派な戦士だ。
見た目と違い、僕にふさわしい敵でした。
お陰で、僕はまた一段階、強くなれました。礼を言います」
ぐったりとした体を、黄金鎧へと向ける。
どうせ、逃げても追いつかれる。
時間稼ぎが出来るだけの戦力もない。
なら、あがこう。
残った全てを使って、あがこう。
それだけ考えて足を踏み出し――。
「……あ?」
気づけば地面に倒れていた。
「圧倒的だ。今の僕は、誰にでも勝てる」
闘神にふっ飛ばされたのだと気づいたのは、周囲に三人、転がっていたからだ。
ルイジェルドも、ギレーヌも、イゾルテも。
一撃で転ばされたのだ、と。
「僕をさらに強くしてくれたお礼だルーデウス。命は助けてあげますよ」
遅れて激痛が走る。
足が折られていた。
速すぎる。
予見眼は開いていなかったとはいえ、何の反応もできなかった。
いや、俺以外の三人が誰も反応できなかった。
仮に予見眼を開いていたとしても、変わらないか。
これが、本来の闘神鎧の力ということなのだろうか。
中身が強くなれば、それを伸ばす……。
いや、違うな。
別にバーディガーディが弱かったわけじゃない。
あれはあれで、強いのだ。
ただ、中身が変われば、ガラリと性能が変わるだけ。
中身に対応して、形を変える……。
「では、さようなら」
歩み去るアレク。
驚いている暇はない。
俺はすぐに治癒魔術を唱え、周囲の三人を治療する。
三人は気絶している。
瀕死だが、まだ死んではいない。
アレクの情けか。クソッ。まだナメてられてるのか。
まあいい。
三人を治療した後、
追って、どうするか、プランなど無い。
シルフィはもう村にたどり着いているのか、オルステッドはどう動くつもりなのか。
わからない。
だが、彼の行く先には、守らなければならないものがある。
エリスに、シルフィに、ノルンに。
そしてスペルド族の面々もそうだ。
蹂躙されるわけにはいかない。
追いかけない理由がない。
足はあまり動かない。
ガクガクと意に反した反応を返してくる。
しかし、それでも走れた。
黄金の鎧を追って、前に進んだ。
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スペルド族の村は、あまりにも静かだった。
辿り着いた時、すでに終わっているものだと思ってしまうほどに。
「……なぜだ、なぜ誰もいない!」
アレクが喚いていた。
入り口の柵をくぐって中に入った時、そこには誰もいなかった。
スペルド族がいない。
ノルンもジュリもいない。
怪我人として運び込まれたはずのクリフたちも。
オルステッドに伝言を残してくれたはずのシルフィやエリスも。
全く、気配が無い。
人間が、こつ然と、姿を消していた。
「どういう事だ! ルーデウスはここを守っていたんじゃないのか!?」
そうだよ。
俺はここを守っていたんだよ。
おかしいな。さっきまで、みんないたのに。
時間にして……どんなもんだ?
ここから谷までの時間が3時間ぐらいで。
行きは零式に乗っていたし、かなり急いでいたから1時間程度として、
それからバーディガーディと戦って、ギースを探して、帰ってきて……5、6時間前か?
その時は、確かに、みんないた。
急いでいたからあまり周囲は見なかったが、みんないたはずだ。
あれ?
いや、まて。なんか、いすぎなかったか?
いないはずの奴がいなかったか?
「くそっ……まんまとお前に騙されたということか……ルーデウス・グレイラット!」
アレクが振り返る。
全身から怒りの気配を発しながら、振り返る。
誤解だ。
俺だって知らない。
今、ここにオルステッドがいないなら、なんで俺はこんな危険な奴を追いかけてきたんだ。
馬鹿じゃないか。
生かしてもらえてラッキーとばかりに、森の外に逃げればよかったじゃないか。
「オルステッドもスペルド族も、最初からいなかった。そういうことなんだろう?」
「……いや、スペルド族は……ルイジェルドさんも、いたじゃないですか?」
今にも襲われそうな気配を察知しつつ、後ろに下がる。
もう、何がなんだかわからない。
もしかして、これは俺が見ている夢なんじゃなかろうか。
冥王あたりが生き残っていて、バーディガーディを倒すあたりから夢を見せているのではなかろうか。
「生かしておいてやろうと思ったけど、やめです。
そこまで僕と最後まで戦いたいというのなら、望み通りにしてあげますよ……」
やばい。
意味がわからない。
逃げないと。
戦う理由が無い、逃げないと。
そう思って踵を返そうと思った所で――。
ぞくりと、背筋が凍った。
足が止まる。
アレクが何かをした?
いいや違う。
彼もまた、硬直している。
「な、なんだ、この悪寒は」
怯えたような声を出して、キョロキョロと周囲を見回している。
闘神鎧を手に入れたというのに、なぜそんなに怯えるのか。
なぜ?
それは、呪いだからだ。
人に恐怖を憶えさせる呪いだからだ。
もっとも、俺には、その呪いは通用しない。
ただ、その呪いを発している人物が、殺気をまき散らしているのは、わかる。
俺は、この殺気に対して、ひどいトラウマを持っている。
だからこそ、怖い。
「……」
殺気の塊が姿を現した。
スペルド族の村の奥から。
見慣れた黒ヘルメット姿ではない。
銀髪で、酷い三白眼。
恐ろしい顔をした男は、ゆっくりとこちらに歩いてきていた。
「ルーデウス」
「オルステッド様……なんで……」
オルステッド。
彼は、片手にもったヘルメットを、俺へと放り投げた。
慌ててキャッチする。
「シルフィエットより話を聞いた時、すでにクリフ・グリモルの魔力は枯渇寸前だった。
ゆえに、バーディガーディと闘神を封印するには不十分と判断し、ある男に頭を下げてきた。
だから、少し遅れた、許せ」
いや、そういう事じゃなくて。
なんで遅れたかって理由を聞いてるんじゃなくて。
誰もいない理由を……。
「だが、こうなっているとはな……」
そう言って、オルステッドはアレクを見た。
闘神鎧を身につけた、北神カールマン三世を。
「あとは任せろ」
オルステッドはそう言って、一歩、踏み出した。
アレクが怯えたように、一歩、後ろに下がる。
何がなんだかわからない。
俺はただ、オルステッドに聞いた。
「でも、オルステッド様、魔力が……」
「もういい。もう十分だ。俺も覚悟を決めた」
オルステッドは頭を振った。
「覚悟って、何が……」
彼は俺を見て、少しだけ微笑み、少しだけ顔を引き締める。
世界で誰よりも恐ろしい顔をして、彼は言った。
「俺も一度ぐらい、仲間を信じて戦ってみたい」
会話の前後が少しだけ、よくわからなかった。
だが、何故か心に残った。
オルステッドが何かを決意してその言葉を発したのだと分かった。
「…………わかりました。じゃあ、あとは、お任せします」
俺は下がった。
もはや言う事は無かった。
オルステッドに戦わせてはいけないと思っているはずなのに、口元が少しだけニヤけているのが分かった。
俺は少しだけ、勘違いしていた。
何をというわけではないが、オルステッドは思った以上に、俺に寄ってくれていた。
打算ではなく感情で、味方だと思ってもらえていた。
そして、オルステッドは、味方を信じて戦いたいと言ってくれた。
ここから先、一人ではなく、俺と。
俺を使うのではなく、俺と並んで。
それが、嬉しかった。
「さて、『北神カールマン三世』アレクサンダー・ライバック」
「あなたが、『龍神』オルステッド……か」
名前を呼ばれて、アレクが剣を構えた。
あれは、王竜剣カジャクト。
そうか、あれで戦うのか。
闘神鎧に王竜剣カジャクト。
絶望的な最強装備だ。
せめてどちらかだけでも、使わなくすることはできないのか。
俺に何かすることはできないのか。
「ちょうどいい」
そう思ったが、しかしオルステッドは違ったらしい。
剣を構えるアレクに、ふっと余裕の笑みを向けた。
全てを凍りつかせる、恐ろしい笑みを。
「闘神鎧に、王竜剣カジャクト。二つもあれば、負けた時の言い訳はできまい?」
「な!」
アレクの殺気が膨れ上がった。
「馬鹿にしているのか!?」
「そうではない」
オルステッドはそう言いながら、右手と左手を合わせた。
そして、ゆっくりと離していく。
左手から、何かが引き抜かれていく。
一本の刀だ。
俺はそれを見た瞬間、足が震えるのを感じた。
あの刀、一度だけ見た。
オルステッドはその刀を、ただ一言『神刀』と呼んでいた。
多大な魔力を使うと、俺はそれだけしっている。
「ただ、完膚なきまでに打ち倒し、お前の心を叩き折りたいだけだ」
オルステッドは神刀を正眼に構えた。
アレクが怒りを顕わにする。
ビリビリと震える殺気を放ち、王竜剣を構えた。
「やれるものなら、やってみろ!」
『龍神』オルステッドと、『闘神鎧』を身にまとった『北神』アレクサンダー。
正真正銘、最後の戦いが始まった。
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十数分後。
地竜谷の森の四分の一が消失していた。
焼け野原になった荒野、折れた大木が山積みになって転がる中、
両腕を失った一人の少年が、跪いていた。
少年は、首に剣を当てられていた。
呆然とした顔で剣を持つ相手の顔を見上げる少年。
剣を持つのは、一人の男だ。
銀髪に、三白眼。
その体に一切の傷はない。
戦いなど無かったかのように、無傷で立っていた。
ただ、衣服が少し、汚れていた程度か。
「ここで死ぬか。俺の配下となるか、選べ」
「…………」
龍神と闘神鎧を身につけた北神。
それは、あるいは伝説の戦いと呼んでも差し支えないカードだったかもしれない。
後世に残るような組み合わせだったかもしれない。
だが、その中身は、伝説の戦いと呼ぶには、あまりにもお粗末だった。
あまりにも一方的で、圧倒的だった。
正直、俺がその戦いを口で説明するのは難しい。
俺は確かに見ていた。
巻き込まれて死にかけつつ、それを見ていた。
だが、速すぎて、ほとんど見えなかった。
予見眼をもってしても、二人が何をしていたのか、わからなかった。
ただ、戦いはオルステッドが常に優勢だったのは分かった。
アレクがそれを覆そうとしても、その都度、全て完膚なきまでに叩き潰されたのは分かった。
完全に力の差があった。
闘神鎧と王竜剣を持ってしても、指一本、触れることすら叶わなかった。
闘神鎧は完全に砕かれた。
鎧自体の再生は始まっているが、アレクの身体からは分離された。
王竜剣はアレクの腕ごと、すぐ近くに落ちている。
すでにアレクに戦意はなかった。
敗北者の目で、口を半開きにして、恐怖を顔に張り付かせ、涙を流しながらオルステッドを見あげていた。
そこには、英雄になるなどと息巻いていた少年の顔は無かった。
完全に心を叩き折られた一匹の負け犬がいるだけだった。
「…………配下に、なります」
長い沈黙の末、アレクはそういった。
今度こそ本当に、最後の戦いが終わった。