第二百四十七話「三泊四日 スペルド族見学ツアー」
二人の兵士を連れて、スペルド族の村まで戻る。
兵士がいると転移魔法陣は使えないため、馬車での移動だ。
一日掛けて第二都市イレルへと移動。
そこで宿を取り、ついでにシャンドルも回収しようと思ったが、
まだ情報屋を捕まえられていないらしく、経過報告に終わった。
ギースが発見できなかった事に落胆しつつも、先を急ぐ。
さらに一日を掛けて、地竜谷の村へと移動。
村には相変わらず人が多く、おばあさんも元気そうに傭兵たちを怒鳴り散らしていた。
あれからまだ10日も経過してないから、当然っちゃ当然か。
おばあちゃんに「もう大丈夫だ。森の民は安全だ」と教えてあげたい所だが、まだ早い。
討伐隊が解散してからでも、遅くはない。
そう考えつつ、村で一泊して、朝から森へと入った。
「距離的には、朝に入れば、日没までにはつけるはずです。もう少しのご辛抱を」
「ああ。さっさと連れて行ってくれ」
「……足が疲れてきましたよ」
二人の兵士。
彼らはやや文句が多かった。
ガリクソン。
彼は、立派なカイゼルヒゲを蓄えており、受付にいた兵士によく似ていた。兄弟かもしれない。
ただ、声音や話し方は全然違った。
ヒゲの兵士より、ガリクソンの方がかなりぶっきらぼうで、粗野な印象を受ける。
また、せっかちな性格のようで、とにかく待たされるのを嫌った。
宿屋では、彼らの分も俺が支払おうと思っていたら、俺が何かを言うより前に俺の分まで金を払っていたし、道中、焚き火の準備をすると分かった瞬間には薪集めを開始していた。
そのうえ魔物に襲われた時も、率先して前に出て戦おうとすらしていた。
もちろん、魔物は全部俺が片付けた。怪我されても困るしな。
サンドル。
彼は、面長の顔をしている。悪く言えば馬面だ。
性格はガリクソンに比べて、ゆったりとしている。
いつも穏やかな笑みをたたえており、魔物が出ても剣すら抜かない。
かといっておしゃべりかというと、そういうわけでもない。
必要のない時は一言も喋らず、貝のように黙っている。
もっとも、好奇心は旺盛なようで、俺が無詠唱で魔術を使うと、驚いたようにあれこれと聞いてきた。
兵士の姿をしているが、もしかすると魔術師なのかもしれない。
「……」
サンドルは、俺に対して意味深な視線を送ってくる事があった。
値踏みをするような視線だ。
監視でもされているような気分になるが、仕方ない。
いきなり現れ、討伐隊の中止を進言した男。
くれぐれも油断せず、怪しい動きをしたらどうのこうのと、命令を受けているのだろう。
警戒して当然だし、俺自身、彼らが俺を見てくることはわかっている。
しかしなぜだろうか。
妙なむず痒さを感じる。
不思議なのは、ドーガをあまり見ない事か。
ドーガは見た目からして朴訥だし、他人を騙せるほどの頭があるとも思えない。
そう見て取って、警戒外なのかもしれない。
「スペルド族は気のいい連中ですよ。
少し、ぶっきらぼうな所はありますが、
道理を弁えて接すれば、誠意のある対応をしてくれる。
ついでに子供にも優しい」
そんな彼らに対し、道中はスペルド族のポジティブキャンペーンに努めた。
「……俺らは、子供じゃねえ」
「もちろんわかってます。でも大丈夫、ちゃんと歓迎してくださいますよ」
が、やはりスペルド族に対して懐疑的なようだ。
このままだと、スペルド族が歓迎してくれたとしても、出された食事に手をつけるかすら怪しい。
ついこの間まで疫病に侵されていた村、となれば、手も止まりかねない。
だが、幸いにして、今は医師団の持ってきた食料もある。
アスラ王国産のものなら、口に合わないということもあるまい。
とにかく、今回はスペルド族の村を観光してもらうつもりで、気持ちよく帰ってもらおう。
ーーー
地竜の谷までやってきた。
目の前には、二つの橋がある。
「なんで橋が二つも並んでんだ?」
元からあった橋と、俺の掛けた橋。
「渡っている途中で落ちるといけないので、土魔術で橋を架けたのです」
「ふーん……で、どっちを渡るんだ?」
「こちらを」
俺が作った方を示すと、ガリクソンは即座に飛びのり、上を歩き始めた。
手すりも無く、高さもあるというのに迷いもなく、ずんずん進んでいく。
怖くないのだろうか。
無いのだろうな。
俺がそれに続き、後ろからサンドルが、最後尾にドーガがつく。
「くれぐれも、落ちないように」
俺が先にわたっておけば、落ちかけても助けられるのだが、本当にガリクソンはせっかちだ。
まるでエリスみたいだな。
もしかすると、ガリクソンは剣神流なのかもしれない。
「この下に地竜がいるのですか……」
振り返ると、サンドルがごくりと喉を鳴らしつつ、下を見ていた。
「サンドルさんはこの国の方なのに、ご存知ない?」
「知ってはいます、けど来たのは初めてです」
そりゃそうか。
自国内の名所を、全て見ている奴なんて、そう多くは無いだろう。
ましてここは観光スポットではない。
兵士という立場で、入るなと言われている森に入ることなど、まず無いだろう。
アスラ王国の東に赤竜山脈があれども、登ったことのあるものがほとんどいないのと一緒だ。
「ルーデウス殿は、龍神オルステッドの配下を名乗っていらしたが……地竜とも戦った事が?」
「ありません」
「道中、素晴らしい魔術を見せておいででしたが、戦ったら勝てると思いますか?」
サンドルの声は震えていた。
怯えているのかもしれない。
もし、この谷から地竜が登ってきて襲われたら、と。
谷の底は見えない。何が潜んでいて、何が飛び出てくるのかと、嫌な想像をふくらませてしまうのだろう。
「安心してください。
群れの中に放り込まれたらどうなるかわかりませんが、
一匹や二匹なら、恐らく大丈夫です」
「そうですか……」
「おい、早くしろ!」
そんな会話をしている間にも、ガリクソンは橋を渡り終え、待っていた。
せっかちな彼に追いつくべく、ペースを上げた。
「橋を渡り終えたら、スペルド族の村はすぐそこです」
そして、そこからが本番だ。
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スペルド村見学ツアー。
ガイドはルーデウス・グレイラット。
サポートはドーガ。
参加者は2名。
「スペルド族の村では、入り口は一つしかありません。
入り口は魔物が入り込まないように、二人の門番によって守られています。
スペルド族は独自の感覚器官のお陰で、侵入者を見逃すことはありません。
我々が近づいているのも、もちろん察知しております。
しかし心配することはありません。彼らは非常に友好的な種族ですからね」
「……急にどうしたんだ?」
「説明してるんです」
ガリクソンが訝しむが、見るだけではわからない事はある。
そして、わからないであろうことは、説明しなければならない。
そのためのガイド。
そのためのプレゼンテーションだ。
「入り口が見えてきました。
見えるでしょうか、あれがスペルド族です。
こちらは森の中にいるというのに、顔がこちらに向いているのがわかるでしょう?」
村の方を指さすと、二人の体がこわばった。
ほんとにほんとにスペルド族だ。
「……髪、本当に緑なんだな」
「その通り。しかし恐れる事はありません。
あなた方だって、肌の赤くて角の生えた鬼族と、仲良くしているでしょう?
髪の色がちょっと違うだけです。
中身はみなさんと一緒です。もちろん、人と人なので違う部分もありますが。
和やかに接すれば良い気分になり、乱暴に接すれば嫌な気分になる。
そこは一緒です。
見ていてください」
言いながら、俺は門番の一人に近寄る。
まずはスペルド族が悪魔の種族などではないことを、わかってもらわなければならない。
にこやかに挨拶をして、にこやかに返事をもらう。
人間関係の第一歩だ。
俺は片手を上げて、門番に声を掛けた。
「ジャンボ!」
「……?」
門番は手を上げかけ、訝しげな表情を作り、もう一人と顔を見合わせた。
失敬。
少し、興が乗りすぎてしまったようだ。
「すいません。ビヘイリル王国の使者を連れてきました。
彼らに村の中を案内したいので、通していただけるとありがたいのですが」
「……構わん。ルイジェルドから話は聞いている」
「ありがとうございます。ついでに、族長ともお話が出来ればと思いますが」
「わかった、伝えてこよう」
若者の片方は村の奥へと走っていった。
「ではどうぞ」
彼を見届けた後、村の中へと入る。
ガリクソンとサンドルは、顔をこわばらせたまま、ゆっくりと中に入ってきた。
やはり緊張しているのだろう。
俺は彼らを心配させないように、村の中をゆっくりと歩き始める。
「つい先日まで病気が流行っていましたが、人族に感染るものではありません」
本当に感染らないかどうかは、実はまだわかってない。
ソーカス茶を飲めば治るようだが、ビタが原因か、疫病が原因かも、わかっていない。
実はもう俺に感染していて、一ヶ月ぐらいしたらビヘイリル王国がパンデミックな事態に陥るかもしれないが……。
俺は知らない人族より、スペルド族を選ぶ。
「あちらが食事の準備。今の時間だと夕飯ですね。
あっちが畑、向こうで行われているのが、獲物の解体です。
今は視覚化していますが、あれが、見えない魔物の正体です。
道中で襲われる事はありませんでしたが、透明狼は死んでからしばらくすると、ああして姿を現すのです。
何しろ透明な狼だ。スペルド族でなければ、満足に狩ることはできないでしょう」
族長たちにも準備があるだろうから、ざっと村を回りつつ、説明をしていく。
スペルド族の方から近づいてくる事はない。
こちらも不用意に近づくことはないが……遠巻きに見ていると、兵士たちへの心象は悪くならないだろうか。
いや、こうして見ている分には、どこにでもある、穏やかな村の風景だ。
大丈夫、問題ない。
「……ミリス教の者もいるのだな」
「それに長耳族も」
ふと見ると、クリフがエリナリーゼと何かを話していた。
紙束を指さしながら歩いている所を見ると、病気の原因を探っているのだろう。
「ああ、彼こそがスペルド族を病からすくってくれた立役者です」
「というと、ミリス教はスペルド族を認めていると?」
「ミリス教全てが、とは行きませんが、一部の派閥は魔族を容認しています。
少なくとも、スペルド族を迎えた所で、ビヘイリル王国にミリス教からの軍隊が派遣されてくるという事はありません」
「……」
「彼を紹介しましょうか?」
「いや、いい」
クリフに手を上げて挨拶をすると、彼は十字を切った後、手を組んだ。
彼がこの村で平然と暮らしているという事が、スペルド族の安全性への確認になったろうか。
「……」
ガリクソンとサンドルを見ると、まだ顔が険しい。
まだ、もう一手欲しいか……。
「……あ、ご覧ください。向こうからくるのが、スペルド族の子供です」
ボールを持った子供たちは、キャーキャー言いながら俺たちの脇をすり抜けていく。
「尻尾が可愛らしいでしょう?
あの尻尾が、スペルド族が皆持っている、白い槍となるのです。
子供というのは、どこの世界でも愛らしいものですね。
そうは思いませんか?」
俺は子供の姿を目で追いながらそう言ってみたが、兵士二人が子供の背中を見送る事はなかった。
子供が嫌いなのか。
いいや、違う。
彼らは子供たちが走ってきた方向を見ていた。
そこには、白いコートを纏い、黒いヘルメットを装着した不気味な男が立っていた。
夕日の中、幽鬼のように佇むその姿は、まるで悪魔のようだ。
「…………っ!」
ガリクソンが息を飲みながら腰の剣に手をかけているのを見て、慌てて俺は彼の前に立った。
「あーっと……あれは、スペルド族ではありません。お気になさらずに」
「……スペルド族でないなら、誰なんだ?」
「あれこそが私の上司、龍神オルステッドです。
確かにちょっと、こうしてみると不気味ですが、
大丈夫、あの人は、この一連の事件が終われば、国から出ていきます。無害です」
「……そうか」
オルステッドは彼らを数秒見ていたが、ふいっと踵を返した。
同時に、兵士二人から緊張がとける。
やはり、こうした状況では、オルステッドの呪いは悪い方向に作用するようだ。
いや、むしろ、オルステッドを見たことで、スペルド族がただの村人だとハッキリわかるのではないだろうか。
「スペルド族は戦士が多いですが、
ご覧のように、半数は力を持たない女子供です。
先入観を捨てて、純粋な目で見てみてください。
彼らが悪魔に見えますか?」
オルステッドを見た直後にそう問いかける。
まるで、スペルド族よりオルステッドの方が悪魔チックだよね、と言いたい感じになってしまった。
あとで謝っておこう。
「……見えませんね」
サンドルがぽつりと言った。
「龍神? は、ともかく、村自体はどこにでもある普通の村に見えます」
「そうだな。俺の故郷に似ている」
サンドルの言葉に、ガリクソンも同意した。
オルステッドが効果的だったかはわからないが、
しかし、印象は悪くないようだ。
と、ふと見ると、先ほど走っていった門番の若者がこちらへと近づいてきた。
「族長がお会いになるそうです」
「わかりました。ではお二方。どうぞこちらへ。族長たちを紹介します」
どうやら、族長の準備が整ったようだ。
俺は良い手応えを感じつつ、二人を族長の待っている建物へと案内した。
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族長は、やや大きめの家で俺たちを待っていた。
講堂はまだ診療所として使われているため、仮の措置だろう。
待っていたのは三人。
族長会議にいた4人の内の二人と、ルイジェルドである。
残り二人は、まだ療養中のようだ。
ルイジェルドの隣にはノルンがいて、俺達が入ってくると、予め用意しておいたらしきお茶を出してくれた。
我が妹ながら、よく気がつく子である。
いや、昔はこんなことはできなかったな。
これが、学校教育の賜物なのだろうか。
「それで、ルーデウス殿よ、何を話せばよいのかな?」
「スペルド族の今までの歴史と、今の現状と、国に対する願いを」
「わかりました」
ささやかな歓迎もあってか、会談は比較的穏やかに進んだ。
昔の事と今の事。
そして、これからについて。
誰にも害されず、穏やかに暮らしたい。
そんなスペルド族のささやかな願いが、族長自らの口から兵士たちへと届けられる。
いつしか、兵士たちの間にも和やかな空気が流れていた。
村の平穏に、族長の柔らかな物腰。
ルイジェルドも、努めて警戒を解いているように思えた。
「わかりました、陛下にはありのままを伝えます。安心してください、悪いようにはしません」
最終的にサンドルがそう言って、会談は終わった。
兵士たちには、今日一日泊まってもらい、翌日には帰ってもらう事となる。
シャンドルとドーガのために貸与してもらった家に一泊。
一応、俺とドーガも同じ家に泊まることにした。
ちなみに、ノルンはずっとルイジェルドの家に泊まっているらしい。
彼女は、ルイジェルドによく懐いている。
パウロの面影でも追いかけているのだろうか。
「どうでしたか? スペルド族の村は」
俺は寝る前に、二人に対してそう聞いてみた。
「思った以上に収穫があったな」
「ええ」
兵士の二人は嬉しそうに頷き合っていた。
「スペルド族が悪魔の種族と聞いてはいましたが……やはり自分の目で見ると違いますね」
「普通の村だ。飯もうまい」
「透明狼ですか? 見えない魔物というのは少し信用できませんが」
「だが、森のなかは異様に静かだった。首都近くの、定期的に狩りをしている森よりも静かだ」
「じゃあ、透明な魔物を狩っているのは本当の事ですかね」
二人は寝るまでに、あーだこーだと村のことを褒めていた。
スペルド村見学ツアーは、大成功だったのだ。
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翌日、二人を首都まで送る流れになった。
2、3日滞在してもらえば、透明狼の実物も見せられると説明したのだが、
「いや、すぐにでも陛下に報告し、討伐隊を解散しなければ」
という事で、すぐに戻る事となった。
まさにとんぼ返りである。
是非とも転移魔法陣を使わせてやりたいが、ここはぐっと我慢だ。
急いては事を仕損じるとも言う。
変な所でミソがついては敵わないからな。
そう思いつつ、俺はルイジェルドらに「彼らを送り届けてくる」と告げ、村を出た。
ひとまず、これでスペルド族の方はオッケーだろう。
あとは、ギースだな。
北神と鬼神の行方も気になる所だ。
とっくにこの国を脱出して、別の所に行ってる可能性もあるが……。
もしそうなら、シルフィの方が心配だ。
別の所が剣神の所という可能性もある。
シルフィはどうなっただろうか。
無事に剣神と接触できたのならいいけど。
エリスは大丈夫かな。
何か問題を起こしていないといいが。
ロキシーが一緒にいるから大丈夫だと思うが、彼女も彼女でたまにポカをするから、少し心配だ。
アイシャ達は……なんとなく大丈夫そうな気がする。
「……帰りは一人なのか?」
あれこれと考えつつ歩いていると、俺の一歩前を歩くガリクソンが振り返り、そう言った。
「え?」
周囲を見渡してみる。
ガリクソン、サンドル、俺。
「あの騎士なら、我々が出た時にはいびきもかかずに寝ていましたよ」
サンドルの言葉でドーガがいないことに気づいた。
全然気づかなかった。
図体がでかい割に、影が薄いんだよなぁ。
ていうか、寝坊かよ……。
「ま、まぁ……安心してください。俺一人でも、十分に護衛として役には立つはずなので」
「……」
「……」
その言葉に、二人は顔を見合わせていた。
まぁ、問題は無いだろう。
帰り道に、バッタリとギースが鬼神を連れてやってきた……なんてことにならない限りは。
もっとも、そんな事になったら、ドーガはいてもいなくても変わらんだろう。
それでもまあ、一人になるなと言われていた所でもある。
二人に
第二都市イレルに向かう途中で、シャンドルと合流もできそうだが……。
「っと」
ふと気づくと、目の前が開けていた。
地竜の谷まで戻ってきたのだ。
目の前には、二つの橋がある。
丁度いい。
橋を渡った先なら、透明狼も少ないだろうし、比較的安全だ。
あそこまで移動したら、そこで待っていてもらおう。
「先いくぜ」
ガリクソンが当然のように前を歩き、俺、サンドルと続く。
二人が落ちないように、後ろを歩いた方がよかったかもしれない。
そう思いつつ、いつ彼らが落ちてもいいように、注意しながら歩く。
「……」
ふと、ガリクソンが立ち止まった。
「どうしました?」
ガリクソンが振り返る。
立派なヒゲに、似合わぬ無表情。
「よぉ、お前がやるか?」
その問いは、俺の後ろ、サンドルへと向けられたものだった。
振り返ると、サンドルは肩をすくめた。
「いいえ、どうぞ、お譲りします」
なんだ。
何の話だ?
「あの、お話なら、橋を渡ってからにしませんか?」
「ん? あぁ……」
ガリクソンはため息のようなものを吐きながら、右手を左手首へと移動させた。
何をするのかと思っていると、手甲へと指をかけていた。
そして、ゆっくりと、手袋から手を、引きぬいた。
「案外、バレないもんだな」
心臓が早鐘を打った。
ガリクソンの指に嵌っているもの。
それは、見覚えがある指輪だ。
「僕は、識別眼を持ったクリフ・グリモルを見た時にドキドキしましたよ。もし手袋をしていなければ、見破られていたのでしょうね」
振り返る。
サンドルもまた、手袋をはずしていた。
彼の指にも、同じ指輪があった。
指輪。
見覚えがある指輪。
アスラ王国に伝わる、
顔を変える、
魔道具。
「はーあぁ……くだらねぇ芝居で、肩が凝ったぜ」
ガリクソンがそう言いながら、指輪を外した。
みるみるうちに、顔が変化していく。
ヒゲが消えて、40代ぐらいの、中年男性の顔へと。
口調によく似合う、獰猛な狼のような顔へと。
まったくの別人に変化する。
「……ギースから伝言です。『魔道具は一つとは限らねぇ』と」
声に振り返る。
サンドルの顔も変化している。
もう馬面じゃない。
やや幼さを残した、黒髪の少年。
別人の顔。
「それにしても、残念です。オーベールを倒したというから期待していたのに……」
言葉が出ない。
口の中がカラカラだ。
ガリクソンとサンドル、双方からすさまじい殺気が出ているのを感じる。
「『狭くて足場の悪い所なら、センパイは切り札を使えねぇ』というのはギースの言葉ですが。
そんな場所に、のこのこと、しかも、前後を挟まれた状態で自分から足を踏み入れてしまうなんて――」
「誰だ……お前ら」
絞りだすように出た言葉。
予想はしていた気がする。
していなかった気もする。
「剣神流のガル・ファリオンだ」
「北神カールマン三世アレクサンダー・ライバックです」
二人は同時に言葉を発した。
剣神ガル・ファリオン
北神カールマン三世。
ギースの名を発した二人。
敵。
この二人は、敵だ。
そう確信した瞬間、俺は腰へと手を伸ばした。
魔導鎧『一式』の召喚スクロールのボタンを押す。
腕は動かなかった。
俺の目の前で、右腕が根本からボトリと落ちた。
右腕は、橋にぶつかって、そのまま谷底へと落ちていった。
見ると、ガリクソン――ガル・ファリオンが剣を抜き放っていた。
斬られたのだ、と思った時にはもう遅い。
「あああぁぁぁぁ!」
遅れて激痛が走り、左手で傷口を押さえる。
否。
左手が動かない。
違う、動かないのではない。
無いのだ。
視界の端で、俺の左手も谷底へと落ちていくのが見えた。
「おっと、そんな顔してたのか。なかなか悪くないな。うん、さっきの面よりいいぜ」
腕が落ちたせいで、指輪の効果が切れたのか。
ガルが俺の顔を見て笑っていた。
「『センパイの魔術は手から出るから、根本から切っちまえば魔術を止められるかもしれない』」
サンドルが補足するように言う。
両腕から血がダクダクと流れている。
確かに出ない。
魔術が出ない。
まるで魔術を放つ回路が、二の腕のあたりにあったかのように、魔術が出ない。
「でも、こんな事しなくても、勝てたんじゃないですか?」
「いいや、真正面からやってたらどうなるかわからんぜ。ギースがあれだけ警戒してたんだ」
「僕はそうは思いませんがね、北帝ドーガが前衛にいるならともかく、負ける気がしません」
腕から出ない。
そう悟った俺は、とっさに魔導鎧へと魔力を送り込んだ。
「おっ?」
脚部の出力を上げ、踵を返す。
サンドルの方に向かって突進する。
攻撃の意図はない。
狙うは脇、すり抜けて、スペルド族の村に――。
「――っとぉ」
背中に衝撃。
斬撃が放たれたのだとわかる。
魔導鎧『二式改』をバターのように切り裂く斬撃、光の太刀が。
胴体を真っ二つにされた……気がしたが、しかしそれなら背中に衝撃があるのはおかしい。
そんな風に思った時、浮遊感が俺を襲った。
落ちている。
くるくると回る視界の中、崩れた橋の上からガルとアレクサンダーが覗いているのが見えた。
ああ、二式改の全力の踏み込みで、橋を踏み抜いてしまったのか。
そんな考えが頭をよぎる。
落ちていく。
両手を失い、何もできぬまま、落ちていく。
体にあるのは無力感。
そして、湧き上がるのは恐怖。
死ぬ。
その単語に心が支配された瞬間、身体を強い衝撃が襲い、意識が途切れた。
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「あーあー……落ちちまった」
ルーデウスが落ちた谷を見下ろして、ガル・ファリオンはため息をついた。
アレクサンダーもまた、谷を見下ろし、訝しげに眉をひそめた。
「ガルさん、最後、手加減しました? 斬れてなかったように見えたんですが」
「バカ言え……これだよ」
ガルが持ち上げた剣は、根本からぽっきりと折れていた。
見る者が見ればわかるが、
その剣はビヘイリル王国の正規兵に配布される、鋳造品である。
劣悪というほどではないが、少しでも剣をかじった人間なら、まず持たないものだ。
「あいつの鎧が想像以上に固かったんだよ……」
もっとも、ガル・ファリオンは最高の剣技を持つ人間である。
弘法筆を選ばず、という言葉もある通り、生身の人間を斬るのに、名剣を使う必要はない。
これでも十分だと思っていたが、ルーデウスの鎧は想像以上の硬度であった。
特に、背中を切りつけた時には、今までにない硬い手応えを感じた程に。
「愛剣を持って来れりゃよかったんだが」
ガルはそう言いつつ、手元の剣を谷底へと捨てた。
「仕方ありませんよ。僕らが愛剣を持ってきたら、身元がバレてしまう」
アレクサンダーもそれを見下ろしつつ、肩をすくめた。
彼の腰にあるのも、ビヘイリル王国の正規軍の剣である。
無論、北神が持つようなものではない。
「で、どうする? 底まで降りてトドメさすか?」
「……うーん。両腕を失った後、魔術が使えないようにみえたのが演技でないなら、大丈夫だと思いますがね」
「底には地竜の群れもいるしな」
「本人も、一匹や二匹ならまだしも、群れは無理だと言ってましたしね」
ルーデウスの言葉を思い出しつつ、アレクサンダーはそう結論つける。
無論そこには、わざわざ降りて確かめるのが面倒だ、という思いもあった。
なぜならば、彼らの目的は、ルーデウスを倒すことではないのだ。
「んじゃ、一番の障害を除去できたって事で……戻るか」
「オルステッドとの戦い。楽しみですね。あ、ルーデウスは譲ったのですから、オルステッドは譲ってくださいよ?」
二人は崩れた橋を渡り終え、戻っていく。
何事もなかったかのように雑談しながら、ビヘイリル王国の首都へと続く道を戻っていく。
「ああ? お前は列強の順位上げたいだけなんだから、俺が先でもいいだろうが」
「違いますよ。僕は列強の順位を上げたいんじゃなくて、英雄になりたいんです。父を超える英雄、父を超える北神カールマンにね」
「ハッ」
その姿を追う者は存在しない。
第三の眼を持つスペルド族の中にも、この場を見ている者はいない。
疫病騒動の後、しばらく彼らは村から遠く離れる事なく狩りを行っている。
もっとも、仮にいたとしたら、この二人が橋で襲撃を掛ける事はなかっただろう。
「抜け駆けは無しですよ。ちゃんと、作戦通りやろうじゃないですか。それが条件なんですから」
「チッ……まだるっこしい」
そんな言葉を残しつつ、ガル・ファリオンとアレクサンダー・ライバックは森へと消えた。
谷に静寂が訪れた。
崩れた橋だけが残っていた。
ただ、静かに残っていた。