第二百四十四話「疫病」
ビタが死ねば、スペルド族の疫病の進行が再開する。
事前に説明を受けていた事ではあるが、ここまで劇的であるとは思っても見なかった。
もしかすると、ビタは病気の進行を遅らせていたのではなく、
単に麻痺させていただけなのかもしれない。
それが、俺に憑依して死んだ事で、分体が死亡。
一気に、症状が表面化した……とか。
ビタは俺が倒した、なんて言わないぞ。
ありゃ自爆だ。
ヒトガミ側にも俺レベルの間抜けがいた事に安心はするが、しかし現状は安心出来ない。
「ルーデウス殿!」
苦しむルイジェルドに対してどうする事もできず、
何かできることが無いかと家を飛び出した所で、シャンドルが駆け寄ってきた。
「シャンドルさん!」
「お目覚めになられましたか、今しがた、突然村の者達が倒れ始めて、一体何があったのか……」
「冥王ビタが倒れました。その影響で、疫病が進行したのでしょう」
「えっ!? いつ? どこで冥王を倒したのですか!?」
「さっき、勝手に倒れたんです!」
どっちでもいいが。
「詳しく説明を!」
「ええと……」
説明する。
昨晩、ルイジェルドから聞いた話を。
口移しでビタを流し込まれ、幻覚を見せられたが、死神の指輪で倒した事を。
「……なるほど。つまり冥王はルーデウス殿に挑み、返り討ちにあった、と……ルイジェルド殿は操られていただけなんですね?」
「……起きてみなければわかりませんが、敵であるなら、俺を村まで運んだりはしないかと」
「わかりました」
「次は、こちらから質問です。今は何を?」
「ひとまず、今はまだ動ける者に、狩りに出ている者を回収に行かせています。
その者たちには、そのまま、入り口の防衛を指示するつもりです」
さすがシャンドル、仕事が早いな。
病気が蔓延し始めたのはついさっきだろうに、優秀だ。
「ドーガは?」
「ドーガは、病人を一箇所に集めています」
と、視線の先を見ると、ドーガが一人の女を抱えて、ドタドタと走っている所だった。
彼を追うように、心配そうな顔をしたスペルド族の子供がついてきている。
向かう先は……族長のいた講堂か。
確かに、あそこが一番大きい建物だし、丁度いいだろう。
シャンドル曰く、死者はまだいない。
だが、村人の半数以上が、ルイジェルドと同様、動けなくなるほどの症状を訴えているという。
「ルーデウス殿、どうしますか?」
「……どうするって」
どうすると聞かれて、言葉に詰まる。
この状況。
どうすべきだ?
村は疫病に侵されている。
治さなきゃいけない。
だから、そう、解毒魔術だ。
しかし、先ほどルイジェルドにも解毒魔術は試した。
無論、効果は無かった。
全ての治癒魔術を試せたわけではないが、解毒魔術は効かない可能性が高い気がする。
そういう病気や毒は、いくつもあるからな。
解毒魔術が効かないとなると、病気の専門家に任せるのがいいか。
専門家と言ったって、誰がいる?
アリエルあたりに言って、医者を用意してもらうのがいいか。
でも、この世界で一番病気に詳しいのはオルステッドだ。
でもオルステッドは、スペルド族のことを……。
いや、やるだけはやってみよう。
まずは通信手段だ。
設置した魔法陣までは、三日……。
いや、こんな事もあろうかと、事務所の地下に予備の転移魔法陣を用意してある。
この村にも魔法陣と通信石版を設置してしまおう。
事務所に移動して、オルステッドに現状を説明。
さらに、社長室から各地へと、今のスペルド族の現状と病状を伝える。
それでダメなら……その時考えるか。
よし。
「村の奥に転移魔法陣を設置、事務所に移動して、そこから各地に連絡を、診察の出来る者を呼びます」
「了解しました。では、私はこの村の防衛と、患者の看護を」
「お願いします」
素早く打ち合わせをして、俺は村の端の方へと急いだ。
ここは深い森の中だから、魔力濃度も高い。
魔力結晶を必要としない転移魔法陣も設置できるだろう。
念のため、事務所から石版のあまりも持ってきて、設置しよう。
つらつらとそんな事を考えつつ、村の裏側へ。
柵の外に出て、木を魔術で切り倒して広場を作った後、土魔術で小屋を一つ製作。
入り口のない小屋である。
小屋の底から地下道を掘り、村の中へと接続。
これで、魔物は入ってこない。
メモ帳を取り出し、予備の魔法陣と合致する術式を確認する。
そのまま小屋の床に描くと消える可能性が高いため、魔術で石版を作り出し、その上に描くこととする。
焦りは禁物だ。
少しでも間違えれば、魔法陣は完成しない。
バグを探して直す時間を考えれば、できれば一発で成功したい。
急いでいる時こそ落ち着いて……。
「あ、くそっ……」
なんて思っていたら、少し間違えた。
「ふぅ……」
深呼吸。
落ち着いて、あえて、いつも以上にゆっくり描く事にする。
直径2メートルはある平面の魔法陣だ。
早く描こうとすれば、当然のようにミスが残る。
慎重に描く。
転移魔法陣自体は、今までに何度も描いた。
元々、俺は正確さには自信があったはずだ。
そう心を落ち着けつつ、丁寧に、転移魔法陣を描き上げていく。
「どうだ?」
完成と同時に、魔力を注ぐ。
描いた魔法陣の全てに魔力が注がれ。ぼんやりをした光を放ち始めた。成功だ。
「よし」
俺は、即座に飛び乗った。
---
一瞬の意識の消失の後、出てきたのは、事務所の地下。
魔法陣の正常な動作を確認。
と、同時に俺は早足で部屋を出る。
『オルステッド、ルーデウスに御用のある方はこちらへ』と書かれた矢印に従うまでもなく、地上を目指す。
転移魔法陣の部屋が並ぶ地下室を抜け、階段を登ると、そこはもうロビーだ。
「あ、会長、お帰りなさ――」
「社長はいるか!?」
俺の剣幕に、受付嬢は耳をぴくんと動かし、
やや怯えた感じで耳を下げつつ、返事をした。
「お、おいでです」
俺は受付嬢の言葉を最後まで聞くことなく、社長室へと続く扉を開けた。
短めの廊下を抜けて、社長室の扉を開く。
そう乱暴にはならなかったと思うが、ノックは忘れた。
そのせいか、オルステッドはヘルメットをかぶっていなかった。
「オルステッド様」
「……」
オルステッドは、心なしかバツの悪そうな顔をしていたが、
しかし顔をそらす事はなく、まっすぐに俺の方を見ていた。
数秒ほど見ていると、その顔が「なんか文句あんのか?」とでも言っているように見えてきて、ふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。
怒ってる場合じゃないのは、わかっている。
それでも、俺の口から出てきたのは、苛立ち紛れの詰問だ。
「あの、スペルド族の病気、知ってらしたんですね?」
「知っていた」
「治す方法は?」
「無い」
ハッキリ言われた。
知らないではなく、無い、と。
「もっと早く言ってくれれば、治療法を探すことぐらい、出来たはずだ。なぜ言ってくれなかったんですか」
そう言うと、オルステッドは首を振った。
「お前が俺の配下となった時、すでにスペルド族は滅んでいるはずだった」
「はず……それはいつものループなら、ってことですか?」
「そうだ。そして、ルイジェルド・スペルディアが生き残ったスペルド族と出会うこともない」
すでに滅んでいるはずだから、言わなかった。
ルイジェルドは、本来なら、その滅びとは無関係。
だから、可能性としては思い浮かべつつも、言わなかった、そんな所か。
「でも、数年前には見に行ったんですよね?」
「……ああ」
「その時に、スペルド族を発見し、ルイジェルドが接触し、疫病に掛かっていることを確認したけど、黙ってたんですよね?」
「そうだ」
「黙ってればスペルド族は滅びて、ルイジェルドもいなくなる。だから、俺もわからない、諦めると、そう思ったってことですか!」
いつしか叫びになっていた。
裏切られた気分だ。
「違う。時間の無駄だと思ったのだ」
「時間の……無駄?」
「そうだ。俺とて、スペルド族を助けようとした事はあった。
全ての解毒魔術を試し、治る可能性のある薬を全て試した。
だが、治らなかった。あの疫病は、治せない」
オルステッドは、思いつく限りの全てを試したということか?
「俺にとって、スペルド族が滅ぶのは決定事項だ。だが、お前は諦めず、スペルド族が滅びるまでその面倒を見ようとしただろう」
「そりゃあ……もちろん」
でも2年前……あるいはもっと前か?
言うタイミングとしては、シーローン王国での一件の後、ラプラスの復活所在地がわからない、戦力を集めよう、と言い出したタイミングか。
その頃にスペルド族について言われ、疫病を治そうと奔走していたら、どうなっていただろうか。
少なくとも、今から一年分の仕事は、できなかっただろう。
アトーフェにも、ランドルフにも、その他の魔王達にも声を掛けることはできなかった。
あるいはミリスに行くことも無かったかもしれない。
未だギースが使徒であると、気づかぬままだったかもしれない。
「でも、時間の無駄かどうかを決めるのは……俺……じゃ、ない……かもしれないけど……」
理屈は分かる。
でも、心がまだ追いつけない。
頭の中で言い訳がわいてこない。
今回、オルステッドは、いい忘れていたわけじゃない。
言わなかったのだ。
自分の意思で、俺にスペルド族を助けにいかせないようにと画策したのだ。
その理屈はわかるのに、それがどうしても、どうしても許せない。
俺の恩人を見殺しにしようとしたのだ、オルステッドは。
オルステッドはああだから、こうだから仕方ない。
いつもなら、そんな言葉が湧いてくるのに。
許せない。
まずい。
このままじゃ、オルステッドを敵に認定してしまう。
こんな、作戦の途中で。
ビヘイリル王国に敵がいて、みんながビヘイリル王国にいる時に……。
言い訳を、なにか言い訳を考えないと……オルステッドを許せる言い訳を。
「……ルイジェルドは、あなたの計画において、邪魔なんですか?」
出てきたのは、そんな言葉だった。
会話の流れに沿わない言葉。
これで肯定されたら、俺はどうするつもりなのだろうか。
だが、オルステッドは言ってくれた。
「邪魔ではない。奴の娘はラプラスと戦う時に、最も重要な駒となる」
「娘が? どう、重要なんですか?」
「魔神となったラプラスは不死身だが、弱点がある。それを看破し、致命傷を与えられるのは、第三の眼を持つスペルド族だけだ」
魔神の弱点を突けるのは、スペルド族だけ。
「あ」
そこで、ふと俺の中で何かがハマった。
ラプラスが、己の呪いを移してスペルド族を滅ぼそうとした理由。
魔神殺しの三英雄が、ラプラスと戦った時、戦闘力で一段劣るルイジェルドがラプラスに対し、後にペルギウスが感謝するほどの一撃を入れる事が出来た理由。
スペルド族が疫病に掛かって
疫病が予定よりも遅く、ルイジェルドが到着してから蔓延した理由。
……俺が、ルイジェルドと共に、中央大陸まで旅をした、理由。
「ヒトガミ……か」
体から、力が抜けた。
よろよろと下がる。
何かが足に引っかかり、椅子に座った。
肘掛けに体重を掛けて、なんとかそれ以上、ずり落ちるのを留める。
「本来の歴史なら、ルイジェルドさんは生き残るんですね?」
「ああ」
「途中で死ぬ事はまず無くて、最後には子供も作るんですね?」
「ああ」
「オルステッド様は、その子供を使って、ラプラスを倒そうとしていたんですね?」
「最初はな。ラプラスは生まれた瞬間は不死身ではないとわかってからは、利用しようとはしていない」
「そうですか」
なら、これも、ヒトガミの布石の一つか。
なるほどね。
そして、今回はそれを、俺を消すのに絡めてきた……と。
一挙両得を狙うヒトガミらしい作戦だ。
「オルステッド様。どうやら俺たちは、またヒトガミの手で踊らされたらしいですよ」
「…………」
「スペルド族の滅び、疫病の蔓延は自然現象ではなくヒトガミの仕業だ。
ヒトガミにとって、魔神ラプラスというのは、生きていた方が都合がいいみたいですね」
魔龍王ならまだしも、魔神となったラプラスに害は無い。
なにせ、ヒトガミの事なんて忘れているのだから。
それどころか、人を滅ぼそうとしている。
案外、ラプラス戦役の頃も、ラプラスはヒトガミに操られていたのかもしれない。
龍族を直接操れるとも思えないから、ヒトガミの使徒経由で。
「はぁ……」
なんか、予想外の事でスッキリしてしまった。
オルステッドがスペルド族について言わなかったのは、まぁ、まだちょっとわだかまっているけど。
ここで俺がオルステッドに対して怒りをぶつけても、なんの解決にもならない。
結局はヒトガミが喜ぶだけだ。
計画通りと、ニタニタと笑うだけだ。
「……」
さっきは思い浮かばなかったが、スッキリしたせいか、言い訳も思いついてきた。
治す方法を知らず、もう滅んでいると思ったから放置した。
当初、オルステッドの中では、スペルド族の滅びと、ルイジェルドの生死は関係なかった。
ルイジェルドも、どこかで生きていると考えていたのだろう。
しかし、もしかしてと思って、見に行ったら、ルイジェルドもいた。
しかも、ルイジェルドも感染してしまっていた。
俺に対してなんて言っていいのかわからない。言わない方がいいかもしれない。そう考えても仕方は無い。
「オルステッド様は、スペルド族無しで、どうやってラプラスを倒すつもりだったんですか?」
「神刀を使えば、倒せんこともない。苦戦は免れんが、今はお前が仲間を集めている、どうにでもなるだろう」
「でもたしか、その神刀? 魔力、結構使うんでしたよね?」
「背に腹は代えられん」
その上、オルステッドは、ペナルティを自分で背負うつもりだった。
「謝ろうとは思っていたのだ。だが、言い出せず、このような形になった。すまなかった」
オルステッドはそう言って、頭を下げた。
「……わかりました」
オルステッドも完璧じゃない。
こういう事もあるだろう。
広い心で許してやろうじゃないか。
「オルステッド様、今回だけは許してあげます」
「ああ」
これで解決だ。
よ~し、前向きにいこう。
とにかく、だ。
「確認ですが、オルステッド様は、ヒトガミを倒すのにも、やっぱり魔力が必要なんですよね?」
「ああ」
ヒトガミは、シーローン王国にて、ラプラス復活位置の特定を防いだ。
さらに、ラプラスを倒す鍵となるルイジェルドをスペルド族と合流させ、スペルド族を最後の一人まで根絶やしにしようとしている。
スペルド族が根絶やしとなれば、ラプラスをオルステッドにぶつける事ができる。
オルステッドはラプラスを倒すのに多大な魔力を使う事になる。
これが、ヒトガミにとっての勝ち筋なんだろう。
その勝ち筋は、潰す。
神刀とやらも、使わない方がいい。
戦闘は極力避け、魔力消費も抑える。
ラプラスを倒す戦力は俺が集め、オルステッドの魔力は、ヒトガミとの戦いで爆発だ。
だが、そのためには、ラプラスの急所となるスペルド族を生かさなければならない。
「もう一度聞きますけど、治す方法、無いんですね?」
「…………少なくとも、俺は、知らん」
「といっても、オルステッド様も、知らない事は多いですからね」
「そう、だな」
オルステッドはそう言って、いつも以上に恐ろしい顔をした。
最近、この怖い顔にも慣れてきた。
これは、情けない時の顔だ。
「なら、治す方法もあるかもしれません。もう少し、あがいてみましょう」
オルステッドだって、呪いのせいで出来ない事は多かったはずだ。
今の状況で試せる事だって、試さなかったはずだ。
なら、やってみないとな。
「わかった……俺も村に行こう」
オルステッドはそう言って、頷いた。
---
村に戻ってきたのは、それから3時間後だ。
あの後、俺は冥王ビタについての報告を行った。
死神の指輪でビタが自爆したことを伝えると、オルステッドは驚きを秘めた怖い顔をしていた。
その顔を見るに、ビタが憑依していた事は、知らなかったようだ。
本当に保険だったのだろう。
それから通信石版を使い、各地へと連絡を取った。
スペルド族の病症と、医者の手配だ。
通信石版の数が多すぎて、各地に連絡を送るのに手間取った。
カーボンコピー機能が必要だ。
メールの返事がくるまで、追加の予備転移魔法陣も描いておいた。
転移魔法陣の設置には、まず最初に二つ描いて、起動を確認した後、片方の術式をどこかにメモしてから消す、という工程を経る必要がある。
慌てて補充する必要はないが、使ったら補充は徹底だ。
受付嬢には、社長室で待機してもらい、オルステッドの留守中におけるメールの返信と、転移魔法陣でやってきた者に対する案内役をしてもらう事にした。
最近、転移魔法陣も多くなりすぎて、どこがどこに繋がっているのかわかりにくくなっている。俺やオルステッドはまだしも、初めてのお客さんには案内図が必要だろう。
あとは、転移先の方に、村のどこに向かうかを書いておけばいいだろう。
ちなみに、シルフィはすでにギレーヌ、イゾルテを連れて剣の聖地へと向かったようだ。
その時にはアリエルも顔を出し、シルフィと話をしていたという事だ。
受付嬢もオルステッドも内容を聞いていないそうだが、言伝がないという事は、少し顔を見に来ただけなのだろう。
あんな夢を見たせいか、顔を合わせていたらちょっと意識してしまったかもしれない。
シルフィの前でアリエルを見て顔を赤らめたりとかは、したくないものだ。
それから、ビヘイリル王国に散った他のメンツが転移魔法陣と通信石版を設置できたかを確認。
全て順調に稼働していた。
彼らも、順調に動いているようだ。
連絡も来ていた。
アイシャ+傭兵団の方は異常無し。
ザノバからは、首都に討伐隊が集まっている、という報告。
ロキシーからは、鬼神の所在を調べる、という報告。
彼らに対しても、現状についてのメールを送っておいた。
最後には「こっちはなんとかするから、職務を全うせよ」と付け加えておく。
そうじゃないと、エリスとか飛んできそうだ。
さて、各国からのメールの返事は、色よいものが多かった。
多くの国が『病気について過去の文献を調べてみる』と通達。
アスラ王国からは、明日にでも医者を送ってくれる運びとなった。
ただ、ミリスからは、前回に送った援軍に関する返信だけだ。
神殿騎士団を転移魔法陣に送り込むのは、難しいということで、あまり色よくない。
それにしても、やはり、ミリスからの返信は遅いな。
ともあれ、そこまでやってから村へと戻ってきた。
オルステッドと共に。
「……」
現在、オルステッドは倒れたスペルド族を一人ずつ診ている。
彼はそこらの医者よりは医療的な知識を持っているだろうが、今までわからなかったものが、今になってわかるわけもない。
そもそも、彼は医者ではない。
今までのループの中で、誰かの病気を治そうとしたことはあるだろうが、それは医療行為ではなかっただろう。
どちらかというと、RPGのお使いイベントだ。
何月何日何曜日、ルーデウス君が病気になる。
ルーデウス君は、何月何日何曜日に死亡するので、それまでに治しましょう。
その時点では、治す方法はわからない。
しかし、何周かしているうちに、シルフィエットちゃんが同じ病気に掛かっている事を知る。
そして、そのシルフィエットちゃんは、ロキシー先生があるアイテムを使って、病気を完治させる。
オルステッドは、ロキシー先生の使ったアイテムを、次の周回でルーデウス君に使えばいい。
という感じだな。
まぁ、過去の症例と今の症例をすりあわせて治療法を探る、ってのが診断なのかもしれんが、そこらへんは俺も医者じゃないからわからない。
要するに、オルステッドは想定外の出来事には強くない。
「やはり、わからんな」
全員を診終えた後、力なく、首を振った。
「俺の知っている疫病とは、少し症状が違うような気もするが……」
「どう違うんですか?」
「こんなに急速に悪化することはなかったはずだ」
「……やはり、ビタが麻痺させていて、それが表面化しただけって事ですかね」
「ヒトガミのやり口なら、ありえるな」
病気を抑えたふりをして、実は何もしていなかった。
ヒトガミのやりそうな事である。
「お前の方はなにかわかったか?」
「……いえ」
俺はオルステッドが病気を調べている間、村で医療に携わっていた者に、病気に掛かった際の治療法などを聞いていた。
彼らは中央大陸でもポピュラーな薬草や、滋養の高い野菜をドロドロに煮込んでから与えていたそうだ。
薬草や野菜の栄養価については詳しく知らないが、そう大きく間違った事をしていたとは思えない。
この方向性ではダメだ。
考え方を変えなければいけないのだろうか。
例えば……そう。
本来なら疫病が蔓延するのはもっと早い段階だった。
ってことは、ヒトガミがこの疫病をコントロールできるって事だ。なら、どこかからか持ち込まれる毒、という可能性もあるか?
あるいは、単純に転移事件で、スペルド族が疫病に掛かるタイミングがズレたのかもしれない。
あくまでヒトガミはそれを利用しようとしていただけで……。
ああもう、だからなんだってんだ。
今大事なのは、ヒトガミがどうこうじゃない、この病気を治す方法だ。
考えれば考えるほど、思考が泥沼にはまっていくこの感じ。
もしかすると、本当は手段など無いのかもしれないと思うこの感じ。
嫌な予感。
だが、まだだ。
少なくとも、俺とオルステッド、シャンドルにドーガという組み合わせでは治せない。
が、これから医者も来る。
今は患者を清潔に保ち、栄養を摂らせることだけに終始しよう。
そう思いつつ、俺はその日、シャンドルやドーガと共に、丸一日を看病に費やした。
---
翌日、アスラ王国の医師団が到着した。
2人の医者と、4人の看護士、それに食料と医療品の数々だ。
一応、スペルド族を恐れない面々を揃えてはくれたらしい。
病人を見ると、すぐに診察にとりかかってくれた。
彼らが転移魔法陣のことを口外しないかは、もうアリエルのカリスマ性に賭けるしかない。
「予め聞かされてはいましたが、見たことのない症状です」
もっとも、リスクを負った割に、医師団はなんの役にも立たなかった。
「我々も、国内で魔族の診察はしたことはあるが……特定の魔族が特定の条件下で掛かるものであれば、手の施しようがない」
まったくわからない。
というのが、医者の見解だ。
少なくとも、過去の症例には当てはまらないらしい。
まあ、そんなもんだろうとは思っていた。
人族の医者が見ただけでわかるなら、オルステッドにもわかる。
「一応、診察は続けてみますが、あまり期待はしないでください」
医者はそう言って、現在も治療を続けてはくれている。
しかし……やはり、そうか。
期待はしていなかったが、ハッキリとそう言われると、思った以上に落胆が大きい。
「ふぅ……」
ため息をつきつつ、講堂を見渡してみる。
そこには、数十名のスペルド族が並べられていた。
呻く者、ぐったりとして動かない者、眠る者。
彼らに食事を用意して、食べさせる者。
様々な者が横たわり、看護される光景は、さながら野戦病院だ。
まだ死者は出ていないが、症状が重い者も少なくはない。
時間の問題だろう。
そして、症状が重い者の中には、ルイジェルドも含まれている。
現在、彼は意識を失い、昏睡状態にある。
時折、目をカッと開き、激しく咳き込むのを見ていると、先が長くないのがわかる。
なんとかして治したい。
ルイジェルドのそばに座り込み、そう思う。
だが、現状で打つ手は無く、打開策も思いつかない。
時間だけが過ぎていく。
これでは、ミリスや王竜から医者が来たとしても、治療法が見つかる可能性は低い。
治療法が見つからなければ、次はどうすればいいのだろうか。
誰に聞けば、わかるのだろうか。
どうすればいい……。
何が出来る。
「ルーデウス殿」
気づけば、シャンドルが目の前に立っていた。
「どうしました?」
「こんな状況で申し訳ありませんが、情報屋の方はどうしますか?」
情報屋……ってなんだっけ。
あ、そうだ。
第二都市イレルで、情報屋にギースの捜索を頼んでいたのだった。
「約束の日まで、あと何日ありましたっけ?」
「都市から町まで1日、村からここまで2日、ルーデウス殿が眠っていたのが1日、それから昨日、今日はもうすぐ終わりますので、あと4日、といった所ですかね。一日ぐらい遅れてもどうにかなるかとは思いますが」
もう、折り返しか。
ていうか、俺はそんな長いこと寝込んでいたわけじゃなかったんだな。
「転移魔法陣も設置しましたので、日数の余裕はありますが……」
「そうですね。その時になったら、俺が行ってきます」
この場から移動したくはないが、ギースの捜索もやらなければならない事だ。
行くしかないだろう。
「私も同行しましょう」
「……オルステッド様とドーガだけを残すのですか?」
「ルーデウス殿を一人にする方が危険です」
一瞬、何か裏があるのかと勘ぐってしまうが、正論か。
一人で行動してもロクなことにならない。
「ルーデウス殿、情報屋はそれでいいとして、討伐隊の方はどうしますか?」
「討伐隊?」
「国が集めている討伐隊ですよ。一月ほどで結成され、ここに攻めてくると聞いていたではないですか」
「ああ……」
そんなのもあったな。
「そちらも、早めに手を打っておいた方がいいかと思いますが、いかがしましょう?」
確かに、スペルド族を守るなら、早めに動き、国と交渉した方がいいだろう。
だが、それはあくまでスペルド族が安全だという部分が根底にないと無理だ。
もちろん、スペルド族に、人族に対する敵意はない。
それを証明することは今でもできるが……。
「この状態では、疫病だから焼き払おう、なんて言われかねません。せめて、疫病が治るかどうかを見てからでも……」
「では、放っておくと?」
「……それは、よくないですよね、どうすればいいと思います?」
「情報屋と接触した後、王宮まで行き、悪魔の正体と、その現状を報告するだけでも、意味はあるかと。疫病だから焼き払おうと言い出したのなら戦い、ならば救おうというのなら、交渉は完了。でしょう?」
「ああ……その通りですね」
まずはやってみろ。
そういうことだ。
ともあれ、次の行動は四日後か。
やることは山積みで、解決の糸口は見えない。
何も進展しないだろう事に対する焦燥感を感じる。
疲れるな……。
そう思いながら、その日、俺は眠りについた。
誰もいないルイジェルドの家で。
---
誰かに揺り動かされて目が覚めた。
目の前にいたのは美少女だ。
金髪で、サラサラした髪を、眉の上あたりで切りそろえている。
誰かなんて、思い出すまでもない。
「兄さん、起きてください、兄さん……!」
ノルンだ。
ああ、また夢、また幻術なのか。
今度はノルンが妻か。
これは、ビタが生きていた、という事なのかね。
なら、スペルド族の現状も、夢であってほしい。
「ビタも芸が無いな」
「ビタ? 寝ぼけてるんですか!? 言いたいことがたくさんあるんです!」
ノルンはお怒りのようだ。
最近はそうでもないが、昔のノルンは俺に対して怒ってばかりいたような気がする。
懐かしのぷんすかノルンだ。
「なんで、ルイジェルドさんがこんな事になってるって、私に教えてくれなかったんですか!」
ルイジェルドがこんな事に。
そんな言葉で、俺の意識は急激に覚醒した。
「……!」
体を起こす。
獣の毛皮を敷き詰めた床。
ルイジェルドの家だ。
夢じゃない。
「私だって、ルイジェルドさんに、いっぱい、お世話になったのに……!
こんな時にも教えてくれないなんて、あんまりじゃないですか……」
ノルンの目から、ボロボロと涙が流れ始める。
彼女はそれを拭うことなく、力強く床の毛皮を掴んでいる。
俺はなんとはなしに、指で彼女の涙を拭った。
「ああ、ごめんよ……」
と、同時に、疑問が湧いてくる。
なんでノルンがここにいるんだ?
確か、彼女は今、忙しかったはずだ。
「ノルン、えっと、今聞くべき事じゃないかもしれないけど、なんか学校で催し物があるんじゃなかったっけ?」
「そんなの、もうとっくに終わりました!」
えっ!
てことは、卒業式も終わったということか?
そんな馬鹿な……。
いや、じゃない、それじゃない。
「……どうやってここに?」
「クリフ先輩が、全部、教えてくれて、連れてきてくれたんです!」
えぐえぐと上ずりながら、ノルンは振り返った。
家の入り口。
逆光を背に、二つの影が立っていた。
片方はほっそりとしたシルエット。
光をうけてキラキラと光る金髪。
長耳族らしい禁欲的な体つきは、妖艶さを醸し出している。
そして、もう一人は、男性だ。
背は平均よりも低め。
横幅だって、特別に広いわけじゃない。
だというのに、なぜだろうか、大きく頼もしく見えるのは。
その片目に掛かる眼帯のお陰だろうか。
「ルーデウス」
クリフ・グリモルがそこにいた。
「来るのが遅くなってすまなかった。
色々と手続きに手間取ってな……ミリス教団も一枚岩じゃない。許してくれ」
彼は、来てくれたのだ。
あの通信石版の文字を読んで、すぐに来ようとしてくれていたのだ。
「僕が来たからには、もう大丈夫だ。こんな時のために、医療術も学んだんだ」
「でも、クリフ先輩……」
「ああ、わかっている。全部、聞いたからな。でも、僕にはコレがある」
クリフはそう言って、眼帯の上から、ポンと目を叩いた。
キシリカから受け取った、魔眼の一つ。
識別眼を。
「魔眼の一つや二つで、どうにかなるんですか?」
「魔眼だけじゃ、どうにも出来ないかもしれない。でもなルーデウス。魔眼を持っているのは、僕だ」
クリフはそう言って、誇らしげに胸を張った。
「僕は天才だ」
それは、あるいは泣きじゃくるノルンを安心させるために言った言葉なのかもしれない。
ああ、でも。
クリフの姿が大きく見える。
今まで、これほどまでにクリフの姿が大きく見えた日があっただろうか。
クリフは見る度に大きくなる。
俺の想像を越えて大きくなる。
もう、俺の2倍ぐらい大きいんじゃないだろうか。
クリフ先輩なら。
呪いすらもなんとかしてしまったクリフ先輩なら!
「天才に出来ない事なんて無い、任せてくれ」
なんとかしてくれる。
何の根拠にもならない発言のはずなのに、俺は自然とそう思えた。