第二百二十九話「帰還、報告、そして次の舞台へ」
--- リーリャ視点 ---
その日は、エリナリーゼ様がいらしておりました。
彼女は数日に一度は我が家へとやってきて、奥様方とお話をしていかれます。
結婚をして、居を構え、子供を産んだというのに、夫が遠くに行ってしまい、お寂しいのでしょう。私も奥様方も、その気持ちはよくわかります。
しかし、彼女の立ち振舞いはいつも通りで、寂しさなど感じさせません。
余裕がおありなのでしょう。
そのせいか、よく奥様方から相談を受けていらっしゃいます。
何歳になった子供にはどういった教育をすべきか、といった事から、些細な愚痴まで。
「アイシャは、いつになったら大人らしい振る舞いを身につけるのでしょうか」
「そうですわね。彼女も出来ないわけじゃないですから……自身で必要だと思うまでは、きっとやらないでしょうね」
「自身で、とは?」
「好きな男ができるとか……」
「ルーデウス様ではいけないのでしょうか」
「あなたもわかっているでしょう。アイシャがああいう振る舞いをしているのは、ルーデウスの妹だからだって」
「薄々は」
「なら、別の誰かを見つけないといけませんわ。アイシャが大人として振る舞わないと振り向いてくれないような、そんな相手」
「う~ん……」
その日、相談をしていたのは私でした。
エリナリーゼ様は見た目こそ私よりも若いのですが、やはり年の功があるのでしょう、しっかりと受け答えをしてくださいます。
「そうですわねぇ……年下で、頼りげがなくて、大人な女性に過度な憧れを持っている人物が良いですわね」
「過度な憧れですか?」
「ええ、アイシャなら、そういう少年の憧れを満足させつつ、現実というものを教えてあげられるでしょうから」
アイシャがルーデウス様と一緒にならないだろう事は、よくわかっている。
ルーデウス様も望んでいないし、アイシャも望んでいない。
かといって、お見合い相手を連れて来たいとも思わない。
「ま、なるようにしかなりませんわ」
「はい……ん?」
うなだれて返事をした所で、レオが食堂にのそりと姿を現しました。
背中には、ララ様とルーシー様が乗っておいでです。
お馬さんごっこでしょうか。
「バウッ!」
レオが私に向かって吠えました。
なんでしょうか。彼は賢いので、理由がある時以外はあまり吠えないのですが。
まさか、シルフィエット様の身になにか……!?
「バウッ、バウッ!」
レオは尻尾を振りながら、入り口と私の方を交互に見ています。
いえ、違いますね。この嬉しそうな態度。もしシルフィエット様に何かあったのなら、その場で吠えるはずですし。
入り口の方……お客様でしょうか。
いえ、レオはお客様の時は尻尾を振らなかったはず。
あ。ロキシー様が帰っていらしたのかもしれません。
エリス様が帰ってきた時は、レオは尻尾は振りますが、吠えずに静かにしていますから。
なんて考えつつ腰を上げると、玄関からガチャリと音がしました。
やはり、ロキシー様のようです。
エリス様は、扉を壊さんばかりの勢いで開かれますから。
私はお出迎えをすべく、玄関へと急ぎました。
「あ、リーリャさん。ただいま戻りました」
「……おかえりなさいませ、ルーデウス……様?」
玄関に立っていたのは、ルーデウス様でした。
エリス様とゼニス様、それにアイシャも一緒です。
しかし、予定よりも随分とお早いお帰りです。
予定では半年ほどミリスに滞在するという話でしたのに、まだ一ヶ月ぐらいしか経っておりません。
その上、ルーデウス様の表情は、いつになく険しい……。
すぐに悟りました。
ああ、これは何かがあったのだ、と。
恐らく、クレア様が原因でしょう。
クレア様は、あまり融通の利かない方です。
加えて、ノルン様にも、アイシャにも、やや辛くあたっていました。
敬虔なミリス教徒であり、決して悪い人ではないと思いますが、お世辞にもいい人とは言えませんし、ルーデウス様との相性は最悪でしょう。
恐らく、家族に関する事で意見を違え、衝突してしまったのでしょう。
「何かございましたか?」
そう聞くと、ルーデウス様は険しい表情をさらに険しく歪めました。
ルーデウス様ならうまくやるかと思いましたが……やはりダメなものはダメだったようです。
「……ええ、まあ」
煮え切らない態度で言葉を濁すルーデウス様。
「クレア様ですか?」
そう聞くと、ルーデウス様はきょとんとした顔をされました。
「いえ、クレアさんとは、喧嘩はしましたが、仲直りはできましたし、悪い人ではなかったように思います」
その言葉に、私は首をかしげると同時に、少しほっとしました。
自分が行き、壁となるべきだと思っていたのに、行かなかったことを、この一ヶ月半、ずっと悩んでいたのですが、その心配も杞憂だったようです。
でも、では、何があったのでしょうか?
「では、何が?」
そう聞くと、ルーデウス様は難しい顔をして、視線をそらしました。
脇に立つアイシャが気まずそうな顔をしています。
何か、別件で問題が起きたようです。
アイシャの顔色を見るに、彼女の問題でしょうか。
「アイシャが、何か粗相を?」
先ほどもエリナリーゼ様と相談していましたが、この子は、もう15歳を過ぎたというのに、なかなか大人になってくれません。
能力はあるのに、いつまでたっても心が子供のままなのです。
かつては「天才児だ、これでルーデウス様に恩返しが出来る」と胸を張っていた我が子ですが、いつまでも天才
「いいえ、彼女はちゃんとやってくれましたよ」
「では、何が?」
これ以上は差し出がましいだろうか、と一瞬思ったが、私はそう聞いてみた。
「ええと……話せば長くなりますので、皆を集めてからでいいでしょうか」
「はい、申し訳ありません」
「いえ……あ、でも悪いことだけじゃありません、一つ、朗報もありますから」
ルーデウス様はそう言って力なく笑うと、足早に自室へと向かいました。
エリス様が心配そうにその後をついていきます。
残ったのは、アイシャとゼニス様。
アイシャはむくれていますが、ゼニス様は心なしか機嫌がよさそうにも見えます。
「アイシャ、しっかりやれましたか?」
「……ちょっと、失敗しました」
違った。
むくれていたのではありません。落ち込んでいたようです。
意外ですね。
アイシャは昔から、滅多に失敗しない子でした。
失敗しても、なぁなぁで済ませようとする子でもありました。
それが、こうも正直に告げるとは……子供だ、子供だと思っていても、少しは大人になったのでしょうか。
「深刻な失敗ですか?」
「いえ、すぐにお兄ちゃんが解決してくれました」
「……」
では、何があったのでしょうか……。
ましてルーデウス様があのような顔をするなど……。
いえ、後で話してくださるというのだから、それを待ちましょう。
まずは、お帰りになられたゼニス様のお世話をしなくては。
「……?」
そう思うと、ゼニス様がこちらを振り返りました。
そして、上機嫌そうな雰囲気を出しつつ、私に手を伸ばしてきたのです。
私はその手を握り、ゼニス様をお部屋へとお連れしました。
---
その後、夕方を過ぎた頃に、家族が全員集められました。
ルーデウス様の号令で、全員が、です。
その場にいたエリナリーゼ様はもちろん、学校にいってらしたノルン様やロキシー様も。
もちろん、普段からルーデウス様が帰っていらした時は集まりますが、
それでもルーデウス様が全員を集めようと提案なさることは少なく、
アイシャやシルフィ様が気を利かせて、ようやく全員あつまることが多いのです。
その上で、ルーデウス様の深刻な顔。
これはきっと、何かがある。
そう身構えつつ、私達は報告を聞きました。
「報告です。まず、ミリスでの活動は成功裏に終わりました。クリフもうまいこと溶け込む事ができました。一安心です」
クレア様の事で少々トラブルはあったものの、当初の予定通りクリフ様は教団に定着し、傭兵団の立ち上げも成功。
その上、教団に大きな貸しを作り、神子様をオルステッド様の仲間にすることにも成功。
大成功と言っても過言ではありません。
クリフ様がミリスで立ち位置を得たと聞いて、エリナリーゼ様もほっとしておりました。
ですが、問題はその後に起きたといいます。
「ギースが、ヒトガミの使徒でした」
ギース。
パウロ様の元パーティメンバーで、魔族の彼。
彼は今回のトラブルを引き起こし、最後には宣戦布告をして、去って行ったそうです。
ギースが敵に回ったと聞いても、ピンと来ませんでした。
彼とは、一緒にベガリット大陸にわたってからの長い付き合いです。その頃も、彼はずっとパウロ様やゼニス様の身を案じていました。
また、情報収集や迷宮探索のための準備をする姿は真面目で真摯だった、と記憶しています。
ギースはロキシー様を助けるために必死に動いていました。
凄腕の戦士をパーティに勧誘しようとしたり、自分でマッピングした地図をタダ同然で売りさばいたり、落ち込んで鬱屈していったパウロを陰ながら助けていました。
そんな彼が、実はルーデウス様やロキシー様を陥れるために動いていたと聞いても、腑に落ちません。
「指名手配をしてくれと連絡が来た時から思っていましたが……何かの、間違いではないですか?」
ロキシー様がそう言いました。
彼女も迷宮探索の熟練者として、ギースには一目置いていました。
戦闘以外の部分で、これほど頼もしいものはいない、と。
「間違いだったら……よかったんですがね」
ルーデウス様は苦笑しつつそう言って、懐から一通の手紙を出しました。
ロキシー様がそれを受け取って中身を見ると、いつもの眠そうな表情が曇りました。
ですが、すぐに納得がいったかのように頷いて、手紙を私へとよこしてくれました。
そこで、ようやく、納得できました。
手紙の内容は、ギースらしいものでした。
飄々として、おちゃらけていて、でもどこか、何か一本の芯を残しているギースそのものでした。
別に、ルーデウス様やロキシー様が憎かったわけでもなく、最初から陥れようとしていたわけでもないのでしょう。
敵にはなったが、仇にはなっていない、といった感じでしょうか。
「普段は適当なのに、たまにこうした紳士らしい振る舞いをするのがギースっぽいと言えばギースっぽいですわねぇ……」
エリナリーゼ様はため息をつきながらそうおっしゃいました。
思えば、昔いたアスラ王国の後宮でも、こうしたことは度々ありました。
権力争いの激しかったあの国では、憎み合っているわけでもないのに、誰かと誰かが敵同士となることも多かったのです。
ただ、敵となったからには正々堂々と戦おうという風潮はありました。
この手紙は、そうした精神に則ったものなのかもしれません。
「ギースにお世話になった事もある皆さんには申し訳ありませんが、俺は恐らく、ギースと戦い……殺す事になると思います」
そう宣言するルーデウス様のお顔は、とても辛そうでした。
ルーデウス様は、あれでいてギースに一目置いていたように思います。
エリス様に聞いた所によると、「センパイ」「新入り」という呼び名でお互いを呼ぶほどに、仲もよかったといいます。
ギースもギースで、ルーデウス様の活躍を我が事のように語るほど、ルーデウス様の事が好きだったようですし……。
一番お辛いのは、ルーデウス様かもしれません。
「ルディ……」
シルフィ様もルーデウス様の表情を見て、なんと言っていいのかわからないようです。
ロキシー様もまた、険しい表情を作っています。
彼女もまた、私同様にギースとパーティを組み、世話を受けた身の上です。
ですが、ロキシー様の決断は早かったようで、あまり迷いのある表情はしていません。
むしろ、ルーデウス様が迷うのなら、自分が、という顔をしています。
「何にせよ、俺はまた、しばらく家を空ける事になりそうです。
レオの加護はあるとはいえ、ギースは何をしてくるかわかりません。
皆も自分の身に危険が及ばないよう、十分に注意してください」
最後に、ルーデウス様はそう締めくくりました。
無論、言われるまでもなく、私たちはルーデウス様の弱点となるつもりはありません。
ルーデウス様が安心して戦えるように、自分の身はもちろん、家族で連携しつつ、家を守ろうという所存です。
その覚悟を察してくれず、いつもチラチラとこちらに振り返ってしまうのは、ルーデウス様の良い所ですが、頼られてはいないようで、少しさびしい所でもあります。
ルーデウス様ほどともなれば、私達の存在は弱々しく見えてしまうものなのかもしれませんが。
「わかりました。ルディ、ギースが敵にまわったというのなら、仕事などとは言ってられません。何か必要な事があったら、呼んでください」
「ボクも、今は動けないけど、ルディの力になるよ」
ロキシー様とシルフィ様はいつものように。
エリス様やアイシャも当然といった顔で。
ノルン様も不安げでしたが、力強く頷いておいででした。
「ありがとう。俺はまた明日からオルステッド様と話し合いますが、ひとまず家族会議はこれで……」
「あ、お兄ちゃん」
と、解散を宣言しようとしたルーデウス様に、アイシャが声を掛けました。
「ゼニス様の事も、言っとかないと」
「ああ、そうだな」
ゼニス様の事。
そう聞いて、私は身がこわばるのを感じました。
同時に、アイシャが言いよどんだ失敗のことに触れていなかったのが、思い出されました。
高まる緊張。
しかし、ルーデウス様はふっと微笑みました。
「実は、母さんの呪いについて、わかりました」
どうやら、失敗のことではなく、朗報の方だったようです。
「相手の心が読める呪いで、全てを読めるわけでは無いようですが……僕らの事も、きちんとわかっているようです」
ルーデウス様はそう言って、神子様から聞いたことを、我々に話してくれました。
そこから語られた話は、ゼニス様が見ていた世界。
それを聞いた時、私の瞳から涙がこぼれ落ちました。
同時に、今までの生活の記憶が、怒涛のように流れてきました。
思えば、心あたりはたくさんありました。
庭の手入れも率先してやっていましたし、ルーシー様がまだまだ幼い頃は、泣く前から泣く事がわかっていたかのように、先んじて動いた事もありました。
それに、なんという事でしょうか……。
ゼニス様は、パウロ様の事も、知っておられたのです。
私達は、パウロ様がすでにお亡くなりになっていることを知らないだろうと思っていました。
記憶が戻れば、きっと辛い気持ちになるのだろうと思っていました。
でも、ゼニス様は全て、知っておられたのです。
その上で、受け入れて、前を向いていらしたのです。
そう考えると、涙が止まりませんでした。
「リーリャさん……」
「申し訳ありません……ルーデウス様……」
全員が涙ぐむ中、私は一人、顔を覆っておいおいと泣き続けました。
最近、泣いてばかりいる気がします。
若い頃は涙など、ほとんど流した事などありませんでした。
自分はもっと無感動な人間だと思っていました。
これが歳を取るということなのでしょうか。
私はアイシャに背中をなでられるままに泣き続け、
泣き止んだすぐ後にゼニス様に頭を撫でられて、また泣きました。
--- ルーデウス視点 ---
家族への報告は済んだ。
いつものように色よいというか、頼れる返事をいただけた。
特に、リーリャやロキシーはギースに対しては色々思う所もあるだろうに、特に文句や難色を示す事もなく、ギースと戦う事に同意してくれた。
お次は、オルステッドの御大将との幹部会議だ。
幹部といっても、アリエルもクリフも神子もいないが…….
それでも、エリス、シルフィ、ロキシー、アイシャの四人と、ザノバには同席を願った。
傭兵団の所有している馬車を使って移動し、途中でザノバを拾って、事務所へと赴くことにした。
「――じゃあ、ザノバ、魔導鎧の方は、そういう方向で頼む」
道中、魔導鎧のパワーアップ計画についても話しておく。
『三式』の開発の再開。
それに加えて、もう一つ、切り札を用意しておくことにする。ギースは俺の魔導鎧を見て、何かを悟ったようだし、こっちもひとつ、手を打っておきたい。
「わかりました師匠、こちらも職人が増えてきましたゆえ、恐らく可能でしょう」
「それなら、わたしも手伝いましょう」
俺の案を聞いて、任せろと胸を叩くザノバ。
そこに割り込んできたのはロキシーだ。
「わたしも、ここ数年で魔法陣についての知識も増えましたし、お手伝いできるかと思います」
手伝いか。
確かにそれはありがたいが、大丈夫だろうか。
正直、今の魔導鎧は俺も組み立てと整備ぐらいしかできない程度には複雑だ。
「大丈夫ですか……多少かじったぐらいじゃ難しいと思いますが」
「む、ルディ。あなた、誰に向かって口を聞いてるんですか?」
「し、失礼しました!」
おれはしょうきにもどった!
ロキシー先生にできない事なんてあるはずないのに!
俺は何を言ってるんだ。
馬鹿な奴だよ俺は! まったく。死んだほうがいいな!
「これでも、ルディのためにずっと勉強してきたんですよ。
クリフやザノバの研究資料をみて、整備や改良を手伝えるようにって……」
「先生……」
そういえば、シーローンでは火聖級の魔法陣とか描けるようになってたもんな……。
あれも昔から出来たわけではなく、魔法大学に戻ってから魔法陣の訓練をしてきた成果って事なのかもしれない。
「わかりました。俺の命を預かる魔導鎧、先生に託します!」
「託されます」
クリフがいないなら、魔導鎧の研究もコレ以上進まないだろうと思っていた所に、嬉しい誤算だ。
ロキシーが作った鎧なら、百人力だ。
例え素材がダンボールでも、オルステッドを三人ぐらいまとめてぶっ潰してみせらぁ。
「もっとも、クリフほどではありませんので、あまり期待しないでください」
そう言いつつも、ロキシーは胸を張っていた。
自信があるらしい。もしかすると、改良の構想もあるのかもしれない。
「ははは、師匠の師匠には敵いませんな!」
ザノバの一言で、馬車内が笑いに包まれた。
「……」
そんな中、ふと、静かな人物がいた。
エリスだ。
彼女は考え事をするように窓の外に目を向けている。
エリスも、ギースとの事を思い出しているのだろうか。
エリスはなんだかんだ言って、大森林で出会った頃、ギースに結構懐いていた。
料理を教えてもらおう、なんて言っていた記憶もある。
エリスは色んな相手と相性が悪いが、ギースはそれに合わせられるヤツだった。
「……?」
ふと、隣に座るシルフィが、キュっと手を握ってきた。
「ルディ、大丈夫?」
「……え? ああ、大丈夫」
何がどう大丈夫なのかはわからないが、ひとまずそう答えておいた。
ギースに関する事に対してショックは大きいが、それでも大丈夫な事は、大丈夫だ。
シルフィのお腹は、ゼニスのミリス神聖国への帰郷前より、また少し大きくなっている。
妊娠が発覚したのが3ヶ月ぐらいで、あれから一ヶ月半だから……多めに見積もって、いま5ヶ月ぐらいだったっけか。
「シルフィも、どう?」
「ボクは、皆と違って、ギースさんとはあまり面識ないからね」
「そっか」
そういう意味で聞いたのではないが、しかし話題にも出ないということは、大丈夫そうだ。
二人目だし、余裕もあるのだろう。
しかし、油断は禁物だ。
その昔、ヒトガミも言っていた。
妊娠中は運命が曖昧になるから、殺しやすいとかなんとか。
ヒトガミの言うことではあるし、オルステッドの言うとおり守護魔獣も召喚した。
だから大丈夫だとは思うが、やはり不安は残る。
どうしような。
もう一つ、安心材料がほしい。
何かできることはないだろうか。
俺にできることはやったと思うが……。
あ。
「ギースをなんとかするまで、エロ断ちをしようと思う」
出てきた言葉は、俺のものとは思えないものであった。
シルフィがきょとんとした顔で、ロキシーがぽかんとした顔で、エリスが横目で、それぞれ俺を見た。
「えっと……ルディがそうしたいなら、ボクは構わないよ?」
「構いませんが……何かの願掛けですか?」
「前にも言ったかもしれないけど、子供を宿してる時って、ヒトガミに狙われやすいみたいなんだ。ギースもそこを狙ってくるかもしれないし、しばらくはやめとこう」
初耳という顔をしている。
前に言わなかったかな……。
言ったけど忘れているのかもしれない。
「仕方ないわね」
エリスは不満そうだが、反対することは無かった。
窓の外に視線を戻しながら、ポツリと言った。
「でも、ルーデウスがそんな誓いを守れるとは思えないわね」
辛辣な一言である。
俺の下半身には、信用など無いらしい。
俺も信用できない。
今は落ち着いているが、銃弾が装填されれば撃ちたくなるのが男心だ。
そして、撃鉄が上がったら、発射まで待った無しだろう。
「シルフィも拒絶できるとは思えないわ」
「う……ボクだってルディがそうしたいっていうなら、ちゃんと守れるよ」
「嘘ね。ルーデウスが「ちょっとだけ」って言ったら、「ちょっとだけなら」って許しちゃうでしょ?」
「……許しちゃう」
触るぐらいならいいかもしれない。抱きしめてエネルギーを充填するぐらいなら……。
ちょっとだけ、そんな気持ちが命取り。
「だから、私が常にルーデウスの隣にいて、何かしようとしたら殴って止めるわ」
エロいことをしようとする。
エリス殴る。
俺、意識飛ぶ。起きた時わすれてる。
完璧だ。
「頼んます」
よし、今日から俺は、禁欲のルーデウスだ。
強いぞ。
---
事務所に到着した。
建物が魔王城の如き異様な雰囲気を発している所を見ると、オルステッドは滞在中で、ヘルメット無しのリラックス状態らしい。
いや、雰囲気だけで決めつけてはいけないな。
もしかするといないかも……あ、なんか今、雰囲気が和らいだ気がする。
やっぱいるな、これ。
「あ、ルーデウス会長! アイシャ顧問! お疲れ様です!」
入った瞬間、ロビーに座っていた子が立ち上がり、勢い良く頭を下げた。
長耳族と人族のハーフの女の子。
長寿の長耳族の血が入っているが、まだ若い子だ。
彼女は、数ある候補者の中から厳選に厳選を重ねて選ばれた、オルステッドの秘書だ。
昼間はずっとここに座って、部屋の奥に座るオルステッドと顔を合わせる事無く、文章によるやりとりのみで連絡役と事務に徹してくれている。
名前はなんだっけな……。
「お疲れ様です。社長はいますか?」
「はい、ここ一ヶ月間はずっと滞在なさっております」
一ヶ月間、というと、俺がミリスに行ってる間はほぼずっとか。
最近、あまり事務所から出ていないらしい。
引きこもり気味なのだろうか。
いや、俺の家の様子を見ていてくれたのかもしれない。
神子が見たゼニスの記憶によると、よく来てくれてるらしいし……。
「でも、俺が会長でオルステッド様が社長だと、なんか俺の方が上みたいに聞こえますね」
「はぁ……では、なんとお呼びすれば?」
なんだろ。
リニアが団長で、アイシャが顧問で、俺が会長とすると……。
「総帥……とかがいいのかな?」
「……私に聞かれましても」
「そうだね、ええと、適当によろしくお願いします」
何にせよ、彼女もうまいことやってくれているようだ。
今のところは大きな問題も起きていない。
賃金も高めに設定したし、多少の事は我慢してくれているのかもしれない。
「その他、特に問題は無いか?」
「はい、ありません」
「そうか、もし何か不満な事があったら、すぐに言うように、出来る限り、叶えるようにしよう」
「……えっ!?」
驚かれた。
なんで驚くかな。
確かにウチには労働基準法は無いが、極めてホワイトな企業を目指しているつもりなんだが。
「失礼しました。オルステッド様にも同じ事を言われましたので」
「あ、そうなの……」
「すでに色々と便宜をはかって頂いております」
普段なら、間接的とはいえそんな提案をされたら、すわ悪魔との契約か、と身構える所だろうが……。
クリフの作ったヘルメットのお陰で、オルステッドの呪いの緩和もうまくいってるという事か。
よきかな、よきかな。
「これほどお世話になっているのに、お顔も拝見できないのは、残念です」
「呪いのせいだ。顔を見た瞬間、お前がいま感じている感謝は、恨みとか猜疑心に変換されることだろう」
「恐ろしい事ですね」
「ああ。だから、オルステッド様がこの奥で作業をしている時は、決してふすまを開けてはなりませんよ」
「……ふ、ふすま?」
「こほん」
まぁ、ヘルメットをかぶっている時なら、多少は大丈夫だろうが。
オルステッドとて、常日頃からかぶっているわけではないだろう。
「ともあれ、これから会議室を使う」
「了解しました」
事務員を通した後、扉を開いた。
---
オルステッドは、いつも通り、机で書き物をしていた。
ヘルメット装着で。
「ルーデウスか」
「ただいま戻りました」
腰を曲げての挨拶をすると、オルステッドは分厚い革のノートをパタンと閉じた。
「本日は、何を書いておられたので?」
「いつもどおり、情報の整理だ」
「左様ですか」
あの書類、前に一度、オルステッドが留守の時に覗いてみたが、龍族の言語で書かれていて読めないんだよな。
必要な情報は伝えてくれるとは思うが、オルステッドはたまに重要なことを言ってくれないし。
かといって、日記のようなものだったとしたら、プライバシーの侵害に当たるし……。
「次は王竜王国に行くのではなかったのか?」
「その前に、改めて今回の報告と、今後の会議を」
「俺の方からは、石版で教えた通りだ、何もないぞ」
「戻ってきたのですし、今後の動きも変更するのですから、報告は義務です」
「……そうか」
オルステッドはため息をつくようにそう言って、椅子に座り直した。
俺は連れてきた五人にも椅子に座るように言って、自らも腰掛けた。
「なぜ連れてきた?」
「ギースの関係者もいますので、一応です。意見ももらえるかもしれませんので」
ちらりと五人を見るが、彼女らはすまし顔だ。
以前のようにあからさまな敵意を向けることはない。
エリスが不機嫌なぐらいだな。
「では、手短に」
こほんと咳払い。
「石版でもお伝えしましたが、ギースは真正面から俺を殺せる戦力を集めてくるようです。
真偽の程はわかりませんが、こちらも対抗して、強い仲間を集めようと思います」
「ああ」
「ひとまず王竜王国で死神にツバをつけとくとして、次にアトーフェ、その後は北神と考えています……北神がどこにいるかわかりますか?」
アトーフェの後は、列強の上から声をかけていくぐらいのつもりだ。
五位『死神』。
六位『剣神』。
七位『北神』。
この順番にならんでいるが、オルステッドとの事前の打ち合わせでは、北神の方が声をかけやすいという事だった。
なので、剣神より北神を優先する
「わからん。奴らは放浪者だ。ほんの少し歴史が変わるだけで、世界の反対側に出現する。これだけ変化があると、判別がつかん」
「いつもならどんな感じです?」
「北神二世はベガリット大陸、三世は中央大陸の紛争地帯にいたはずだ」
どっちも遠い上、目印になりそうなものも無いな。
となれば、北神はやめておくのがベターか。
「戦いが主となるのであれば、鉱神は後回しでいいだろう。ヤツは戦争ともなれば質の良い武具を量産できるが、戦いは不得手だ」
「了解です。じゃあ、次は剣神ですかね」
今のところは死神、アトーフェ、剣神の順番か……。
もっと色んなのに声を掛けておきたいな。
例えば、列強上位とか……。
列強上位は、『技神』『龍神』『闘神』『魔神』の順番だ。
龍神以外は封印されてたり行方不明なんだっけか。
あれ?
「そういえば……技神様は仲間にはならないんですかね? 確か、魔神と二つに分裂したって話ですから、ヒトガミとの戦いであれば協力してくれるのでは?」
「無駄だ」
「記憶が曖昧なんでしたっけ? だったら、こう、魔神ラプラスと合体とかさせて正気に戻して……あ、でもそうするとペルギウス様が怒りますかね。でもそのへんはうまいこと……」
「やめろ」
強い言葉に、俺は口をつぐんだ。
「俺は、奴らを仲間にするつもりは無い」
奴
その言葉で、俺はなんとなく理解できた。
オルステッドは、ラプラスもペルギウスも同列に見ている。
恐らく二人だけでなく、その他、五龍将と呼ばれた人たちも同様に。
「…………でも、その、ええと、ペルギウス様はラプラス関連となると、黙ってはいないのでは?」
「もし敵に回ったのであれば、俺が処理をする」
「……了解しました」
頑なな理由は、察することができる。
ペルギウスには効いていないという、オルステッドの呪い。
呪いが効かないにも関わらず、ペルギウスと親密になろうとはしないオルステッド。
頑なな拒絶。
導き出される答えは、そう多くはない。
しかし、聞くのは憚られた。
なぜか、聞けない。
今、これを聞くわけにはいかない。
『ヒトガミの所に至るという『龍族の秘宝』とは、五龍将の命ですか?』
と、聞いてしまったら、ペルギウスか、あるいはオルステッドが敵に回ってしまう気がする。
今はまだ、知らない事に、して置かなければならない。
「では……次の話をしましょう」
「ああ」
話題を変えることにした。
ダメと言われたものを無理に押し通しても、良いことは無い。
俺はオルステッドの配下なのだから、オルステッドの判断には従わなくてはいけない。
「今回の一件、色々と動いてはみましたが、少々オルステッド様の『権威』のようなものが足りないと思ったので、一つ提案を」
「……なんだ?」
「俺も『龍神の右腕』と名乗るのには慣れてきましたが、
イマイチこう、相手がビビらないというか、『龍神』の恐ろしさがよくわかっていない事も多いようなので……。
わかりやすい名称として『龍王』を名乗っていいでしょうか。
適当にこう、泥龍王とかでいいんですが……」
まぁ、名前だけだ。
オルステッドの知名度は低いが、ペルギウスは有名だ。
そんなペルギウスと同列だ、と思われれば、凄さも伝わりやすいだろう。
「ダメだ」
あ、あれ?
「龍王を名乗る事は、許さん」
睨まれてる。
すんごい睨まれてる。
ヘルメット越しにわかる怒気。
なんだこれ、やばい、やばい、足が震える。
「奴らはちっぽけな誇りと共に自由に生き、くだらん仇のために死ぬ」
「……」
「お前は違う。ゆえに名乗るな。ルーデウス・グレイラット」
「あ……う……はい」
予想外だ。
こんなに強く拒絶されるとは。
「名乗るのは自由だ」と言われると思ってた。
まずい、震えが止まらない。
「チッ……」
「エリス、やめなさい!」
エリスが舌打ちと共に前に出ようとしたため、押しとどめる。
大丈夫だよ。喧嘩じゃないの。仲違いでもないの。
ちょっとね、社長の経営方針と真逆のことを言って、怒られただけなの。
だから、腰を浮かしつつ柄に手をやるの、やめて。
「出すぎた提案でした。申し訳ありません」
「構わん」
頭を下げると、怒気は消えた。
ループを前提として動いているオルステッドにも、譲れないものはある。
そこに土足で踏み込んでしまったようだ。
別に呼び名なんてなんでもいいよな。
権威なんて、別の部分でいくらでも出していける。
例えばそう……アリエルの、アスラ王国の威を借りるとかな。
よし、そういう方向でいこう。
「では、権威はアリエルになんとかしてもらうとして……剣神の次は誰を仲間にしましょうか」
「……ビヘイリル王国がいいだろう。あそこには鬼神がいる」
鬼神。
ああ、そういえば鉱神と一緒に仲間にしておくべきだって話だったな。
「鬼神を仲間にするのがいいと?」
「いや、奴は極めて、ヒトガミの使徒になる確率の高い男だ。ギースが手駒を集めているというのなら、潰しておくのがいいだろう」
鬼神は確か、ラプラスと対立しやすい人って話だったな。
ラプラスはヒトガミの敵だから、使徒になりやすい。
それを先んじて潰しておく。
なるほど。そういうやり方もあるか。
こちらの手駒を増やす、相手の手駒を減らす。
五人ぐらいで一気に掛かって来られないように、各個撃破するのも手か。
「他には、誰が敵に回りそうですか?」
「そうだな……鬼神以外では、さほど大物はいないが……天大陸の迷宮『地獄』に住む『冥王』ビタ。魔大陸の『不快の魔王』ケブラーカブラー、この二人は潰しておいた方がよかろう。もっとも、前者はこちらから出向くには、少々骨だから、最後でいい」
「なるほど」
なんか凄そうな名前だ。
戦わなくちゃいけないんだろうか……。
彼らはヒトガミの使徒になる確率が『高い』というだけだ。
現状では、まだ何もしていない。
ヒトガミの使徒にはなっていない。
なら、先に仲間にしてしまっても構わんだろう。
背に腹は代えられないってわけじゃない。
無理そうなら、その時は戦えばいい。
ていうか、関係あるかないかわからない相手を殺して回るってのは、なんか嫌だ。
「では、彼らも仲間にするか、あるいは無力化する方向で」
「そうだな」
ひとまず、誰をどうするかは決まった。
次は、詳細だな。
「では、次のお題です。王竜王国への訪問についてですが――」
その後、王竜王国への準備を煮詰めて、その場はお開きとなった。
それにしても、龍族の事であんなに怒るとは思わなかった。
今度からは気をつけよう。