第二百二十七話「恩のため」
その後、証文が書かれた。
証文内容を要約すると、
今回の一件の全貌。
ルーデウスの温情により神子が無事だった事。
事故の責任はミリス教団にあること。
ミリス教団は責任を取り、以後『龍神』オルステッド、及びルーデウス・グレイラットの行動を全面的に支持し、また支援する事。
この『行動』には魔族に関する事も含まれるが、法律上問題のある行為は含まれないものとする。
という感じだ。
今回の主犯の二人、教皇と枢機卿は、当然のようにサインした。
枢機卿の額に流れる冷や汗が実にキュートだ。
証文と引き換えに、神子の返還が行われ、解散となった。
関係者各位は先ほどの簡易裁判の決定通り、この後また別に評定会議によって、今回の失態の責任を取らされるのだそうだ。
どういう罰になるのかわからないが、枢機卿はうまく逃げるのだろうな。
まあ、追い詰めるのは俺の仕事じゃあない。
ヒトガミの手先でないのなら、邪魔者であっても敵ではないし、
枢機卿一人を潰した所で、魔族排斥派が消滅するわけではないのだから。
ひとまず、得るべきものは得た。
襲撃事件の方も、それで終了だ。
---
その後、ゼニスとクリフを連れて、家に戻った。
帰る途中、クリフがぽつりと言った。
「すまなかった」
きょとんとする俺に、クリフは言った。
「なんですか、急に」
「考えてみれば、今回の誘拐は僕の不用意な発言から起きたものだった。
最終的にいい形に収まったけど、
口先だけで偉そうなことばかり言って、引っ掻き回してただけな気がするよ」
「そうでしたかね」
いつもあんなもんじゃなかろうか。
思い込みで行動して、堂々と正論を言って、でも人を幸せに導く。
いつものクリフ先輩だ。
「俺は気にしてませんから、今回の事は反省し、次に活かしましょう」
「ああ、そうさせてもらうよ」
クリフは肩を落としていたが……そんな事より、今回の一件でのクリフの立場の方が心配だよ。
家では、ウェンディが待っていた。
ウェンディだけだった。
「あ、おかえりなさい」
にわかに、アイシャとギースは無事だろうかという気持ちが湧き上がる。
証文を書く時に、それとなく探ってみたが、枢機卿や神殿騎士団は「知らない」としか言わなかった。
後々の切り札として用意してるのか、それとも……。
「アイシャさん、ギースさん、大丈夫です!」
なんて心配は杞憂に終わった。
二人は床下から出てきた。
「ふぅ、お帰りなさい、お兄ちゃん……に、ゼニスお母さん」
ほっと息をつく二人。
事情を聞いてみると、
彼らは、朝早くにクレアとカーライルが家を出て教団本部に移動した、という情報を得て、俺に知らせようと教団本部に行こうとしたらしい。
だが、時すでに遅かった。
彼らが教団本部に到着した頃には、神殿騎士団が騒ぎ出していた。
教団本部に移動したクレア、テレーズと接触を図っている俺。
二人が接触し、何かが起こったに違いない。
そう考えた彼らは、俺からの命令を思い出し、クリフ邸に帰還。
荷造りをしてから家の奥に隠れ、夜になったら町の外に脱出しようとしていたそうだ。
「途中、なんどか神殿騎士団の人がきたけど、今度はちゃんと追い返しました!」
ウェンディは、今回はちゃんと仕事をしてくれたようだ。
しかし、やはり枢機卿はアイシャ・ギースにも手を回そうとしていたのか。
危ない所だった。
「それにしてもお兄ちゃん、お母さんが帰ってきたって事は……?」
「ああ、終わったよ」
アイシャとギースに事の詳細を話した。
アイシャは全てを聞き終えた後、感嘆の声を漏らし、目をキラキラさせながら言った。
「なんか、お兄ちゃんってさ、英雄みたいだよね。
回りが失敗して窮地に陥ってもさ、
ある日突然、全てを解決して戻ってくるんだもん」
馬鹿な事を言う。
俺みたいに無様な英雄がいるものか。
---
翌日。
ゼニスを神子に診てもらうため、教団本部へ。
カーライルとクレアの二人がクリフ邸まで迎えに来て、共に馬車で移動した。
馬車の中では、カーライルと会話した。
彼は、今回の事を深く悔恨しているようで、何度も俺に謝罪をした。
俺は失敗を咎めるつもりはない。
彼も少しやり方は間違っていたのだろうが……。
人は間違える。
大切なのは、それを反省し、次に活かせるか、だ。
そこらへん、うまいことできているとは言いがたい俺が、他人の失敗にギャーギャー文句をつける事は出来ない。
失敗した事自体にあれこれ言ったって、何も先に進まないしな。
もっとも、俺に彼らを先に進ませる責任もない。
カーライルはよくしゃべっていたが、クレアは喋らなかった。
五人も乗っている馬車の中で、沈黙を保っていた。
彼女がどう考えているのか。
聞くべきかどうか。
迷っているうちに、教団本部へと到着してしまった。
正式な手続きを取り、教団本部の中枢での拝謁を許された。
連れて来られたのは、恐らくいつも神子が使われる部屋なのだろう。
教皇と会った時のように、中央に透明な障壁の張られた場所に、椅子が二つ、窓は一つ。
やや薄暗い室内に、護衛が6人。
テレーズの姿は無い。
更迭されたのだろうか。
ともあれ、護衛の取り巻きたちに囲まれての診察だ。
もっとも、今回はさほど警戒されてはいなかった。
護衛達は誰もがバツの悪そうな顔で、俺から顔を逸らした。
謝罪はいらない。
そういう仕事なのだからね。
俺だって思いっきりぶん殴って気絶させたし、お互い様だ。
仕事に関する罰はまた別に受けるのだから、それで良しとしようじゃないか。
何にせよ、また仲良くして欲しいものだ。
ああいう連中に恨まれてると、後が怖いからな。
出来る限り、仲良くしておきたい。
「それでは、始めますね」
神子とゼニスは向かい合わせに椅子に座った。
ダストがゼニスの頭を掴んで、頭を固定させ、目を見開かせた。
そこを、神子が顔を近づけて覗き込む。
まるで眼科の検診みたいだ。
「……ぉ」
神子と、ゼニスの目線が光った。
目線が光る。
……としか言い様がない。
見つめ合う目と目の間に、うっすらとした光の筋が走っているのだ。
今まで、こんな光は出なかった。
「さすがミコ様……」
「いつもながら神々しい……」
取り巻き連中がほうとため息をつく。
今まで、こうした光は出なかった。
演出だろうか。
いや、本気出さないと出ないのかもしれない。
火魔術が魔力を上げると熱と光量が増えるように、
神子の能力も、本気で使うと、こうした現象が見れるのだろう。
光回線だ。
「……」
クレアが、胸の前できゅっと拳を握ったのが見える。
祈るようなそのポーズに、俺も気を引き締める。
今、ゼニスは過去の記憶を赤裸々に暴かれている。
あの迷宮の奥底。
魔力結晶の中へと飛んだ時の記憶も見えるかもしれない。
ゼニスの記憶から、何かが原因だったとわかれば、解決の方法も見つかるかもしれない。
ヒントが欲しい。
ヒントがあれば、物知りな知り合いが何かに気づいてくれるかもしれない。
オルステッドとか、キシリカとか。
「……ぁ」
神子が小さな声を上げ、びくりと震える。
即座にダストがゼニスの頭を離し、スッと神子の肩に触れた。
ダウンロード、終わったのかな?
「……」
神子は目を見開いたまま、ゆっくりと立ち上がった。
俺の方をまっすぐに見てくる。
「ルーデウス・グレイラット」
「はい」
フルネームで呼ばれて居住まいを正す。
「ゼニス・グレイラットの記憶を見ました」
「どうでしたか?」
「転移事件まで、彼女はフィットア領のブエナ村にて、ノルンとアイシャを育てながら、村の治療院を手伝う日々を送っていました」
そこからか。
いや、うん。ちゃんと見たって事を言わないと、適当言ってると思われるからな。
「あなたと別れてから、ゼニスは日々、あなたの事を心配していました。ご飯はちゃんと食べているか、着替えはしているか、複数人の女の子に声を掛けていないか……」
おう。
ごめんなさい。
いやでも、あの頃は浮気とかしてなかったよ。
下半身に支配される前のルーデウス大陸は平和だった。
無防備なシルフィ国に対しても侵攻せずに数年を過ごすことが出来たぐらいだからな。
この数年のシルフィへの接し方からは想像もできない。
「彼女の記憶は、あなたを心配している時に真っ白に染まり、一度途切れます」
転移事件だ。
俺はあの瞬間を目撃した。
だが、ほとんどの人間は、何が起こったかわからぬまま、気づいたら転移していたという。
パウロもそうだったし、リーリャもそうだったらしい。
「その後、しばらく彼女の記憶は真っ黒な視界に閉ざされます」
「……しばらく、ですか?」
「そうですね。長い時間、夢を見ずに寝ていた時のような、そんな時間が流れます」
記憶が無い。
ということは、やはり転移事件で、そのまま迷宮の中に転移してしまった形なのだろうか。
そうなる確率は低いはずだが……。
しかし、低くてもありうる。
テレポート後、壁の中にいる可能性はいつだってありうる。
ちゃんと転移魔法陣の入り口と出口を設定しておけば、ランダム転移なんてそう起こらないんだが……。
あの転移事件は、本当に不意打ちだったからな。
確か、ナナホシがこの世界に来た時の余波か何かだって話だが……。
まぁ、過ぎた事はどうしようもない。
人族も、転移魔法陣を禁忌として扱わず、きちんと管理すればよかったのだ。
そうすれば、混乱せずに、対処も早かったはずだ。
うん。
そのへんをアリエルにも進言しておこう。
転移に関する研究レポートを提出すれば、アリエルなら何とかするだろう。
……あれ?
でも、それじゃ、どうやってギースはゼニスを見つけたんだ。
確かあいつは、情報を集めて、それで転移迷宮の奥って言ってたような……。
あれ?
「それから、彼女は夢を見ます」
神子の言葉で思考が戻る。
ひとまず、ギースへの詰問は後にしよう。
「夢ですか?」
「はい。夢です。彼女はぬいぐるみになったかのような感覚で過ごし始めます」
「……ぬいぐるみ」
「でも、幸せな夢です」
そこで神子は、目を閉じた。
まぶたの裏に映る絵を見るかのように、滔々と語りだす。
「見知らぬ家で、ゆったりと暮らす夢。
リーリャと一緒に、ひなたぼっこをしたり、庭の手入れをしたり」
そこで、神子の口調に変化があった。
彼女は、ゼニスのような口調でしゃべりだしたのだ。
「パウロは亡くなったけど、ルディはシルフィちゃんと結婚して子供が生まれて。
でもやっぱりあの人の息子なのね、ルディったら、ロキシーちゃん、エリスちゃんと、どんどん増やしていって、でも、シルフィちゃんも、みんな幸せそう。
ノルンも文句を言いながらも、きちんと学校に通って、顔を会わせたら、ちゃんと「お母さんいってきます」って忘れず声を掛けてくれて。
アイシャとは気が合うのよ。彼女は花が好きなの。私は林檎と水仙が好きだって言ったら、ゼニス様も? って。
お母さんって呼んでくれてもいいのにって言ったら、リーリャが困った顔をしたわ。やっぱり彼女も、アイシャに対してはお母さんでいたいのね。
ロキシーちゃんは、うちの近くの学校で教師をしているの。
とても人気の教師なんだって、ノルンが教えてくれたわ。
あの子も、魔族だからいい年なのだろうけど……でも、ルディはロキシーちゃんの事が大好きだったから、年齢なんて関係ないのかしら。
エリスちゃんとは初めてあったけど、とってもルディが好きなのが伝わってくるわ。
誰も見ていない所で、私の前にきて。顔を真っ赤にして、「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」って。
私、思わず笑っちゃったの。それはルディの前で言わなきゃだめよって。私の前でそんなに畏まらなくても、いいのよって。
そしたら、エリスちゃんたら、顔を真っ赤にして縮こまっちゃってね。
普段はあんなに勇ましいのに、すごく可愛いのよ」
それは、この数年の記憶だ。
俺の記憶とは、少し違う。
ノルンがゼニスに声を掛けることは、殆ど無い。
アイシャは園芸の最中、ゼニスに話しかけても、答えることはない。
でも、もしかすると、ゼニスの目からは……。
みんなが返事して、自分も、会話をしているように見えているのだろうか。
「それから、ルディの子供たち。
ルーシーはおませさんなの。まだまだ小さいのに、お姉ちゃんじゃなきゃって思ってるのね。
シルフィちゃんの言うことを一生懸命聞いて、ルディに見てもらうために、毎日魔術の練習をしてるのよ。
でもね、私の前では、ちょっと弱音を吐くの。お母さんたちみたいに、うまく出来ないって。がっかりしてるって。
私は大丈夫よ、いつか出来るようになるわ、出来なくても、他の事が出来るようになればいいのよって言ってあげるの。
そしたら、もうちょっと頑張るって言うのよ、すごく可愛いの。
ララは私に懐いてるの。彼女は生まれてすぐにお話が出来てね。事ある毎に私を呼ぶのよ。
おばあちゃん、おばあちゃんって……すると、レオが私を呼びに来るの。大奥様、大変です。大変です。ララ様がおしっこしちゃったーって。
最近、よく私の膝の上に昇って、レオと三人で日向ぼっこしながらお話するのよ。お家の外には何があるの、とか。パパの故郷はどこだったの、とかね。
アルスは、おっぱいが大好きなの。昔のルディみたい。
私が抱いてあげると、すごく気持ちよさそうに、おっぱいに抱きついてくるのよ。
私みたいなおばあちゃんのおっぱいでもいいのね。
パウロとルディの悪いところが遺伝しちゃったみたい。
ルディみたいに、女の子をいっぱい泣かせてもいいけど、ちゃんと最後には幸せにしてあげるのよ?」
気づけば、目頭が熱くなっていた。
目からぼろぼろと涙がこぼれていた。
ルーシーはゼニスにはあまり寄り付かないし、ララは喋らない。
半分以上は、ゼニスの妄想なのだ。
あの虚ろな目で見ている、妄想なのだ。
ゼニスの見ている世界が、優しい。
「そうそう、ルディと言えば。あの子、凄い人の配下になったのよ。
龍神オルステッド。
あの『魔神殺しの三英雄』の一人、龍神ウルペンの遠い弟子なんですって。
とーっても強くて、とーっても怖い顔をしていて、みんな怖がっているのだけど、私には怖くは見えないわ。
彼は、本当は皆と仲良くしたいと思ってるの。
特にルディのことは気にしているのね。よくうちの様子を見に来るのよ。
私もたまにお話するのだけど、普段あまり他人としゃべり慣れていないのね。しどろもどろになっちゃうのよ。
でも、優しい人なのよ。ルーシーが魔術で困っていたらコツを教えてあげるし……難しいコツだからルーシーはあんまり理解できないけど。
私が、ララを抱いてみてって言ったら、おずおずという感じで抱いてくれるのだけど、その手つきがとっても優しいの。
ただ、レオとアルスは苦手みたい。
こないだなんて、アルスに大泣きに泣かれて、エリスちゃんが来たのを見て逃げるように帰っちゃったわ。
そんな強くて優しい人。その人の配下になって、ルディが何をやってるかはわからないけど、私は誇りに思うわ。
パウロだって、きっとそう思うはずよ」
これはどこまで本当なのだろうか。
オルステッドがうちに来た事なんて殆ど無いはずだが……。
俺が知らない所で、訪問してくれてんだろうか。
「ルディはとっても立派になった。
ノルンもアイシャも成人したし、シルフィちゃんとの次の子供が生まれる。
リーリャは私の面倒を見ないといけないのにって焦ってたけど、馬鹿ね。
私と子供達の世話だったら、子供達の世話が優先に決まってるでしょ?
シルフィちゃんの世話はリーリャにまかせて、私はお母様の所に行ってくるわね。
大丈夫よ、そんなに心配しなくたって、私も昔は冒険者だったんだから。
ルディと、アイシャと、ルディのお友達のクリフ君と……。
うふふ、ルディと一緒に旅をするなんて、わくわくしちゃうわね」
ゼニスの記憶は、ごく最近の所まで来た。
「お母様は、すっごくおばあちゃんになってた。
昔と全然違うの。私を叱るどころか、泣きそうな顔で、ゼニス、ゼニスって。
どこか怪我してないか、病気とかしてないかって心配して、お医者様に見せるのよ。
見ての通り、ピンピンしてるのにね。
でも、心配性なのね。毎日のようにお医者さんに見せるの。
あの厳しかったお母さんが、泣きそうな顔で、全然叱ったりしないで。
ただ毎日のように心配して顔を見に来てくれるのよ。
そうそう、お父さんも来たのよ。
お父さんったら、お髭なんて生やしちゃってるの。
昔はそんなのしてなかったのにって聞いたら、出世したから伸ばしたんだって。
似合ってないって言ったら、苦笑してた」
ふと見るとクレアがカーライルの胸に顔を埋めていた。
カーライルもまた、己の髭を撫でながら、目に涙を浮かべている。
「ただ、お母様とルディの仲が悪いのよね。
ルディ、上からガーッて言われるの嫌いだから、お母様と喧嘩になっちゃって。
どうにかして仲直りして欲しいんだけど……。
なんて思ってたら、やっぱり案の定、ルディったらお母様を追い詰めちゃったの。
パウロの時もそうだったけど、ルディってホント、こういう時は容赦ないわよね……。
私がちゃんと取り持って上げないと!」
そこで、神子は目を開けた。
これで終わりか。
「ふぅ」
神子は、目頭を抑えて、ため息をついた。
そして、先ほど座っていたイスに、崩れるように座った。
即座に取り巻き連中が寄ってきた。
いつの間に用意したのか、蒸しタオルらしきものや、水の入ったコップ等が差し出される。
肩や腕を揉まれている。
大御所のような感じだ。
「申し訳ありませんが、ここまでです。いかがでしたか」
神子はぐったりとしていた。
あの能力は、それほど疲れるのだろうか。
疲れるだろうな。
ゼニスの記憶をさかのぼり、その記憶を自分の脳へとダウンロード。
一瞬で情景が頭のなかをめぐり、即興でゼニスの芝居が出来る。
そんな情報量が一瞬で流れこんでくるのだとしたら、そりゃ疲れるだろう。
俺も肩の一つもお揉みしたい。
「いえ、ありがとうございました」
ゼニスの治療方法はわからなかった。
でも、ゼニスが今の状態になった後の気持ちはわかった。
それが聞けただけでも、今回、ミリスに来たかいがあったというものだ。
「少なくとも、彼女は今、幸せを感じています。
パウロさんが死んだ事も、きちんと知っています。
現状を理解していますよ」
確かに彼女は現状を理解していた。
思っていた以上にしっかりと。
少し夢っぽさが残っていたし、神子の口調のせいかメルヘンナイズドされていたが、子供の数なんかに矛盾は無い。
子供の性格は……ララだけちょっと違うか。
でも、確かにララはゼニスに懐いている。
ゼニスの目から見ると、ララは何かを一生懸命伝えている……のかもしれない。
「それからもう一つ、分かった事があります」
「……?」
「彼女は……どこまでかわかりませんが、人の思考が読めるようです」
思考が読める?
「こんな状態なので、全ての思考を正しく読んでいるわけではないですし、読めなかった部分は勝手に補完しているようなのですが……」
そこで、神子は声を潜めた。
俺にちょいちょいと手招きして、耳を貸すようにジェスチャする。
取り巻きたちが即座に耳を塞ぎ、後ろを向いた。
俺は神子に耳を近づける。
すると彼女は小さな声で言った。
「彼女は『神子』です」
俺はその言葉に、ゆっくりと頷いた。
最初から、わかっていた事だ。
呪いが掛かっている可能性が高い、と。
「知られれば、また一騒動起きますので、隠しておくことをお勧めします」
「無論です。ただ、俺もオルステッドの配下としてやってきた身です。守り切ります」
「言い切るとは、さすがですね」
まぁ、今回は誘拐されちゃったから、そう言っても空々しいかもしれんが。
そういう気持ちではやってるつもりだ。
しかし、今回で二つの事が分かった。
一つは、ゼニスの能力。
思考を読めるという能力。
どこまでかは判明していないが、少なくとも、死に直結するようなものではない。
以後、安心していられるという事だ。
もう一つは、ギースだ。
あいつの言ってる事に、少し齟齬がある。
考えてみれば、今回の一件、あいつの動きはどうにも妙だった。
ラトレイア家が魔族排斥派だと知っているにも関わらず、近寄ったり、言われるがままゼニスを連れだしたり。
今日中にでも、問い詰めなければいけない。
「神子様、あなたと会えてよかった。何か、お礼をしなければいけませんね」
記憶を取り戻すというか、正気に戻す方法はわからなかった。
だが、思っていた以上に状態は悪くないように思える。
意識があるというのなら。
夢を見ているような感覚だというのなら。
あるいは、ここから先、ふと目が覚める事もあるかもしれない。
「ありがとうございます。では二つほど、よろしいですか?」
「なんでしょう」
「その腕輪をくださいませんか?」
「腕輪?」
俺は己の腕を見る。
そこには、オルステッドの腕輪が輝いていた。
「はい」
「……でも、この腕輪は外せないもので、他のものではいけませんか?」
「構いません。オルステッド様の配下と、一目でわかるようなものなら、なんでも」
オルステッドの配下とわかるようなもの。
というと、つまり。
「神子様も、オルステッド様の傘下に加わりたいと?」
「はい。私も30になる前に死んでしまうのは、嫌ですからね」
「なるほど」
そういえば、彼女の運命は弱いという話だった。
このまま行くと、彼女は死ぬ運命にあるのだ。
不健康そうだが、病気がちではない所を見ると、暗殺されるのだろう。
でも、オルステッドの庇護下にあると見れば、
今回の一件で後ろめたい思いをしている枢機卿も、
俺が味方についていると思っている教皇も、手出しはしにくくなるだろう。
絶対とは言えないが。
ふむ……。
じゃあ、絶対にしてしまうか。
「では、近日中に証を用意しましょう」
「ありがとうございます! これで50歳までは生きられますね!」
今回は彼女にも世話になった。
後日、龍神のマークの入った証だけでなく、守護魔獣でも召喚してあげるとしよう。
「もう一つは?」
「テレーズの減刑をお願いします。このままだと彼女は、また遠くに左遷させられてしまうでしょう」
「それは、仕方ないのでは?」
命令には従ったけど、遂行しきれなかったわけだし。
「ええ、それは。でも今回、彼女がルーデウス様に敗北した事で、枢機卿猊下も痛手を被りました。遠くに飛ばされたら、殺されてしまいます。私、護衛はあの人がいいんです」
役立たずに用はない。
と、枢機卿派が腹いせのようにテレーズを殺してもおかしくはないか。
最終的に彼女はああいう形にはなってしまったが……。
それでも、それまでで世話になったのは確かだ。
彼女も利用されただけ、命令を聞いただけなら、殺されるのはやり過ぎだろう。
「わかりました」
「ありがとうございます。では嘆願書にサインを」
すぐに取り巻きの一人が書類を持ってやってきた。
用意がいいな。
最初からそのつもりだったか。
「ではルーデウス様。これからもよろしくお願いしますね?」
こうして、神子はオルステッドの配下となった。
---
「ルーデウス様」
その後、待合室で馬車を待っていると、クレアに話しかけられた。
彼女はやはり冷徹な顔をしていた。
これが、彼女の素の顔というか、緊張している時の顔なのだろう。
「このような場所で話すべきことではなく、落ち着いた時にでもと思っていましたが、この後予定もあるようなので、今、話しましょう。よろしいですか?」
俺は無言で頷いた。
もしかして、妻を三人娶ったことについて怒られるのだろうか。
二人ならまだしも、三人。
ミリス教的には、許されないことだろう。
「私がしでかした事についてです」
「はい」
違った。
まず、自分のことだったらしい。
そうだね。
あんなことをしでかしておいて、俺を糾弾するとか、無いよね。
いや、それとこれとは話は別なんだろうけど。
彼女は表情を一切変えず、言った。
「今回、私がしようとした事は、人として許される事ではありません」
「そうですね」
いくらゼニスのためとはいえ、あの治療法はやりすぎだ。
もしやってたら、俺だってこんな所で呑気に話なんて聞いてない。
「なので、罰を与えてください」
「罰ですか……?」
「そう、罰です。あなたからゼニスを奪い、非道な行いをしようとした者に、相応の罰を」
「謝罪だけでは、済みませんか?」
「それでは示しがつきません。罪には罰を」
言わんとする事はわかる。
要するに、謝って済むなら警察はいらない、ってことだ。
今回の事件に関して、関係者は大体罰を受けることになった。
でも、クレアはお咎め無しだ。
それでは、クレアの気が済まないのだろう。
「……どんな罰がいいと思いますか?」
「ムチや棒で打つも良し、両腕を切り落とすのも良し……いっそ殺してくださっても構いません」
ええっと……。
それはやり過ぎじゃなかろうか。
「先ほどのゼニスの話を聞いて、私がいかに一人よがりで自分勝手な振る舞いをしていたか、よくわかったでしょう? 赤子のように懐いている娘を、地獄に突き落とそうとしたのです。情けはいりません、愚かなる者には裁きの鉄槌が必要です」
彼女は拳をぶるぶると震わせていた。
先ほどの話、彼女はそう捉えたか。
でも、俺の耳には、そうは聞こえなかった。
もっと別の形に聞こえた。
ゼニスは許してたんだ。
自分が何をされるのか、理解していなかったと思う。
でも、彼女はクレアの苦悩を感じ取っていた。
己のためだとちゃんと理解していた。
だからクレアが、あの裁判の場で、周囲に味方もなく、一人で泥を被ろうとした時点で、許したのだ。
だから、ゼニスはあの場で、俺とカーライルを叩いて、クレアを叩かなかった。
ってのは、ちょっとこじつけがすぎるな。
無し無し。
まぁ、クレアに罰を与えるのは順当だろう。
クレア自身も、赦しではなく、罰を欲しがっているようだしな。
罰を与えられるまでは、てこでも動かないだろう。
うーむ。
ていうか、こういう頑固な所が今回の一件を産んだのではないだろうか。
よし。
「わかりました……じゃあ……」
「……」
クレアが緊張の面持ちでこちらを見ている。
悪いが、利己的な方向にいかせてもらおう。
「改宗してください」
「それは、あなたと同じ宗教になれという事ですか? 魔族信仰をしろと?」
間違えた。
改宗じゃないな。
ロキシー教になってもらっても困る。
この場合、なんて言えばいいんだろう。
まあ、言葉面なんてどうでもいいか。
「いいえ、ミリス教徒をやめる必要はありません。ただ魔族を排斥するという考えを、捨てていただけるとありがたい」
「それは、ラトレイア家全体でのことですか?」
「クレアさんだけでいいです。俺の妻には魔族もいますので、それを「薄汚い」とか言われるのは嫌なのです。それと、俺の宗教も認めていただき、うちの教育方針に口を出さないでいただけるとありがたい」
「……」
「あと、今度から、ああいう事で迷ったら、俺に相談してください。大抵の事は解決できるだけの力は持っている……と思いますので」
クレアはあっけに取られたような顔をして、俺を見ていた。
だが、すぐに頷いた。
「わかりました」
クレアは納得のいかない顔をしていた。
罰なのか何なのかよくわからない感じなのだろうか。
俺だってよくわからない。
だが、彼女はそれが罰なら受け入れようと考えたのか、改めて頷いた。
「以後、クレア・ラトレイアは魔族迎合派となり、身を粉にして活動させていただきます。あなたを信頼し、あなたの宗教や教育方針にも口出しはしませんし、させません」
「よろしくお願いします……でも、あまりやり過ぎないように。考え方の押し付けは毒ですので」
「……無論です」
ひとまず、この婆ちゃんがもう少し柔軟になってくれれば、以後、妻や娘たちの事で揉め事を起こさずに済むだろう。
今はしおらしいが、喉元すぎればって言葉もある。
次に会う機会……が、あればだが、その時にまた喧嘩になるのはゴメンだからな。
「俺の方からは以上です」
「……ご温情、ありがとうございます」
クレアは無言で、しかし真面目な顔をして頷いた。
不器用な謝り方ですよ、もう。
---
さて、その後、またクリフの家へと戻ってきた。
ラトレイア家には後日、挨拶に行くことになるだろうが、まずはギースだ。
聞かなければならない事がたくさんある。
今回の事、前の事。
思い返せばずっと昔から、あいつはタイミングが良かった。
そこんところ、詳しく教えてもらわないとな。
「じゃあ、ちょっとギース探して来る」
家にアイシャとゼニスを預けて。
すぐにギースを探しに出る。
「お兄ちゃん、ちょっとストップ!」
アイシャに止められた。
彼女はやや焦ったような顔で、手にあるものを差し出した。
「これ!」
彼女の手には、手紙が握られていた。
ロウで封のされた手紙。
表面には、「ルーデウスへ」と書かれている。
「ウェンディが、お兄ちゃんたちが出発してすぐに、ギースさんが来て、これ置いてったって!」
俺はそれを無言で受け取った。
このタイミングでの置き手紙。
嫌な予感がする。
すぐに封を切って、中身を読んだ。
『ルーデウスへ。
よう、センパイ。
センパイが神子に話を聞いて、ここに戻ってきて、この手紙を読んでるって事は、大体、何が起こったかわかっただろうと思う。
わかったよな?
まさか、まだわかってねぇって事はねえよな?
まだわかってねえんだったら、この手紙は俺の失策だが……まあいい。
今、先輩は疑問を持ってるだろう。
わかるはずがねぇゼニスの居場所が、どうしてわかったか。
なんで、あんなタイミングよく、俺がゼニスを連れだせたか。
もっと遡ると、先輩に会った時もそうだったな。
ドルディア族の村で、偶然にも先輩を見つけた理由。
なんでだ、どうしてだ。
いくらS級冒険者のギース様といえど、できねぇことはあるはずだ、ってな。
答えてやる。
全部、ヒトガミ様の指示だ。
俺は、ヒトガミ様に助言を得て、動いている。
ようするに、『ヒトガミの使徒』だったってぇ、わけだ。
センパイを騙してたってぇ、わけだ。
驚いているか?
やっぱりって思ってるか?
それとも、怒ってるか?
怒ってるだろうな。
ハッ、ごもっともだ。
でもな、俺は子供ん時から、あの神様の声を聞いて生きているんだ。
死にかけた時、ピンチになった時、あの声を聞けば命は助かった。
戦う力を持てねぇ俺にとって、あの声は救いだったんだ。
センパイ、あんたもそうだったはずだろ?
魔大陸から戻る時、ヒトガミ様は助けてくれたはずだ。
ルイジェルドの旦那と引きあわせてくれて、魔眼を手に入れさせてくれて、
牢屋に入れば出してもらって、妹の命も救ってもらった。
ゼニスの存在がどこにいるか教えてくれたのだって、ヒトガミ様だ。
なのにセンパイ。
あんたは、ヒトガミ様を裏切った。
そりゃ、なんかあったんだろうとは思うぜ?
ヒトガミ様も、善神ってわけじゃあねえ。
俺たちに何かをさせるために、助言を与えていたんだろう。
その何かが、センパイの逆鱗に触れたかもしれねぇ。
でも、全てひっくり返して裏切るこたあねえだろ。
利用されてたって、俺らが受けた恩は、まんま残ってんだから。
じゃなきゃ、スジが通らねえ。
少なくとも、俺は故郷が滅んだ時、そう思ったぜ。
ヒトガミ様は俺を利用して、俺の故郷を滅ぼしたんだ。
ヒトガミ様は笑ってたぜ。君は僕に利用されていたんだよってな。
もちろん俺だって怒ったぜ?
なんだよてめぇ、図りやがったな、ふざけんなってよ。
でもな、その時、ヒトガミ様は言ったんだ。
「今まで助けてあげたんだから、これぐらいしてもいいだろう」ってな。
多分そりゃあ、俺を煽るための言葉だったんだろう。
怒りに油を注いで、さらに気持ちよく笑うための言葉だったんだろう。
でも、俺はな、そん時、思っちまったんだ。
それもそうだな、ってよ。
今まで救ってもらった恩を考えりゃあ、仕方ねえかってよ。
正直、恨んでもいるけど、それが、スジを通すってもんだろ……ってよ。
まあ、センパイはきっと、そうは思わなかったんだろうな。
今も読みながら、新入り、そりゃあ違うだろ、って思ってんのかもな。
もっとも、センパイにとって違っても、俺にとっては違わねえ。
俺から見りゃあ、センパイは恩知らずだ。
恩人に牙を向く、な。
だからセンパイ、悪いが俺はこっち側につかせてもらう。
今回は、様子見みてえなもんだ。
先輩の力量を測るためにも、うまいこと罠にハメて、神殿騎士団をぶつけてみた。
ま、あっさりと切り抜けたみてえだが……。
何にせよ、こういうやり方じゃあ、センパイをヤれねえってのはわかった。
でも、切り札まで全部見せちまったのは失敗だったな。
次は、確実に勝てる戦力を集めて、正面から堂々と、宣戦布告させてもらうぜ。
首を洗って待ってな。
センパイに恨みはねえ。
牢屋での出来事も楽しかったし、聖剣街道を一緒に旅した事は忘れねえ。
迷宮探索も、あんなにワクワクしたのは久しぶりだった。
それは間違いねえ。
けど、それだけだ。
恨みはねえが、恩もねえ。
ヒトガミ様には恨みもあるが、まだまだ恩が残ってる。
恨みはあっても恩を返す。
それが、俺のジンクスだ。
ギース・ヌーカディアより』
俺は、即座に家を飛び出した。
「ギース!」
ギースは敵だった。
どうやってか、魔導鎧も見られた。
戦力を集めるという。
あいつが、どうやって。
次は正面から来るという。
信じていいのか悪いのか。
知る必要はない。
やるというなら止めなければいけない。
ギースを殺して止めなければいけない。
まずは、商業区。
傭兵団支部へと飛び込んだ。
即座に、オルステッドに向けて、今回の一件の概要と、ヒトガミの使徒が誰だったかと、手紙の内容についてのメールを送る。
返事を待たずに飛び出し、ギースを追いかける事にする。
だが、どちらに行ったかなど、わかるはずもない。
俺一人では効率もクソもない。
そう思い、俺は教団本部に飛び込み、ギースの指名手配をしてもらった。
さらに神殿騎士団を動員してもらい、ミリシオンと、その周辺を捜索してもらう。
だが、奴はヒトガミの使徒。
未来を知るギース。
戦闘能力皆無でS級冒険者になった男。
捕まるはずも無かった。